第7話 女王陛下のワガママ
──それにしても、急に財政資料が読めるようになるなんて、どういうことなのかしら……。
私はエリーが戻ってくるまで、先程の不思議な出来事を思い出す。
──なんだか心が温まるようなモノが私の身体の中に入り込んで……。あれは、お父様かお母様だったのかな……。
私は胸の前で両手を祈るように組んで、目を閉じた。
──いずれにしても、あの存在は、私に「今回の人生を諦めるな」と言いに来たのよね。そして、私に足りなかった力を与えてくれた。まるで、「シルヴィアは処刑されるためだけに生まれ変わったんじゃない」と伝えるかのように……。
私はゆっくりを目を開き、眼前の財政資料をじっと見つめる。
──財政資料は読めるようになったけど、これからどうすべきかは私自身で考えないと……。資料を読んで分かったのは、「王国の財政管理が甘いこと」。この資料の数字をそのまま信用できない。……前世で問題点を指摘していたウェルズリー伯なら、もう既に現場の困りごとを把握しているかな?
私が頭を悩ませているうちに、エリーが、お茶とお茶菓子を載せたカートを押して戻ってきた。
彼女は慣れた手付きで紅茶を淹れると、私の前に、紅茶カップとお茶菓子の載った皿をそれぞれ差し出す。私はそのお菓子を見て、両手を軽く胸の前で合わせるようにした。
「わぁ! 美味しそうなお茶菓子! 嬉しい! エリー、ありがとう!」
エリーは別のお茶菓子の皿を置くために差し出した手をビクッと震わせると、再び目を丸くして驚いた表情を見せた。しかし、慌ててすぐに後ずさりして、深く一礼する。
その態度に、私は首を傾げた。
「エリー、さっきからどうしたの? 私、エリーに何か驚かせるようなことを言ったかしら?」
エリーは頭を下げて黙ったまま、身体を小刻みに震わせていた。
──もしかして、戴冠式での私の振舞いが侍女達の間でも話題になってるのかな? 「頭がおかしい女王には関わらない方がいい」って言われてるとか?
私はエリーを見て、ニッコリと笑みを浮かべた。
「エリー。怒ったりしないから、何を思ったかを言ってみて。もし私がエリーに変な態度を取っていたら、直さないといけないから」
私がそう伝えても、エリーは俯いたまま、ギュッと口を引き結んでいる。
私は椅子に座ったまま、そんなエリーをじっと見つめて頬を膨らませた。ちょっと意地悪をしてみる。
「……答えてくれないのなら、エリーのこと、どうしようかな~?」
私が故意に処罰を匂わせるような発言をすると、エリーは慌てて顔を上げて、顔面蒼白の表情で口を開いた。
「どっ……どうかお許しくださいっ! いつもと違って、女王陛下が私の名前を呼んでくださったり、急に優しいお言葉をかけてくださったので、思わずビックリしてしまったんです! ただそれだけで、他意はございません!」
私は思わず手をポンと打った。
そういえば、前世の私は貴族達には気を遣っていたが、それ以外の格下には尊大で、お礼を言うことはなかった。王女時代は王位継承者としてプレッシャーを受けることが多々あり、その度に侍女達に強く当たっていたと思う。加えて、私は侍女に命令口調で話すことが多かった。
「あ~、そっか。なるほど。エリー、今までごめんね」
私が苦笑いしてそう言うと、エリーは再び目を丸くして驚く。そして、何かを追加で言おうとして、すぐに口を閉じた。
「ん? エリー、言いたい事があったら言ってくれていいよ。さっきも言った通り、怒ったりしないから」
私がそう言っても、エリーは私の言葉を信じてはくれない。顔を青くしたまま、「このまま思っていることを発言したら処罰される」と思っていそうだ。
「エリー?」
「はっ……はいっ!!」
「……怒らないから、話して欲しいな」
すると、エリーは言いにくそうにして口を開いた。
「……先程から、女王陛下の性格が急に変わったような気がするんです。話し方が資料室に来る前と今とでは全然違っていて……。今はとても親しみやすい庶民的な口調をしていらっしゃるというか……。あっ! 決して女王陛下が庶民という意味ではありません!」
エリーの言葉に、今度は私の方が驚いた。
私自身は全く違和感を感じていなかったが、私の話し方に変化があったらしい。先ほど蘇ったばかりの過去世の記憶と、身体の中に入った何かが、私の性格や口調に影響を与えているようだ。
私は園田詩織の人生では「氷の女」と言われつつも、実際には小林先輩を慕う可愛らしい女性だった。ぼんやりとした記憶を思い出す限り、同僚とのお茶目な会話もあり、冗談を言い合う場面もあった。決して暗い性格ではなく、小林先輩の陽気さに憧れていたようだ。
過去世の穏やかな性格と、今生の強気な性格が混じり合い、今の私は程よく庶民的な雰囲気になっているのかもしれない。
「……女王は、こういう庶民的な話し方をしちゃダメかな?」
私がエリーに問い掛けると、エリーは慌てて深く頭を下げた。
「そっ……そんなことはございません! 出過ぎたことを言ってしまい、誠に申し訳ございません!」
エリーが伏せた顔の端から見せる表情は、再び自分の発言で命の危機を感じているものだ。
私は、今度ばかりは「はぁ~」と大きな溜息を吐いた。
──お父様は軽々しく処刑をする暴君じゃなかったと思うけど、エリーはどうしてこんなに私のことを恐れるんだろう……。やっぱり、私が王女だった時の所業のせいなのかな……。
私は椅子から立ち上がると、エリーに近付いて、その手を取った。
「女王陛下っ!? あっ、あのっ……」
私は笑みを浮かべると、私を怖がるエリーの両手をギュッと握った。
「確かに私はこの国で一番の権力者だし、ついさっきまでツンツンしてた。そんな女王が急に親し気に話し掛けてきたら、『私は女王陛下のお遊びで処刑されちゃうの?』って思うよね。だから少しだけ、私が急に変わった理由を説明させてくれるかな?」
エリーは目を大きく開いた表情のまま、コクリと頷く。私は両手を上げて、天井に視線を向けた。
「私はこの資料室で『天啓』を受けて、今までの自分の行いを心から反省したの」
私は「天啓」という言葉で、エリーに自分の過去世を表現した。そして、視線をエリーに戻す。
「今までの自分を振り返ると、私は人に感謝することがない本当に最低な人間だった……」
私の脳裏に過去世の同僚達のことが思い浮かぶ。もちろん、全ての同僚と仲良くできるような理想的な自分ではなかったけれど、最低限、助けてもらったら感謝の言葉を伝えるのは普通のことだった。
また、私が急性心不全で死去する際、皆で必死に私に救命措置してくれたことを忘れることはできない。死去してしまったため、皆にお礼を言えなかったが、私は心から同僚達に感謝していた。
私はエリーから視線を外し、少し俯く。
「今まで王女として甘やかされていた私は、エリー達にいっぱい助けられていたと思う。それなのに、侍女の皆に、一度も『ありがとう』を言っていないなんて酷いよね。それに、私はエリー達侍女に頼ってばかりで、実際は無能で、何もできないことに気付いて……」
私が王女時代の所業を思い出しながら寂しくそう説明していると、エリーは顔を赤くして、私の言葉を遮るように口を開いた。
「そんなことはございません! 女王陛下は立派なお方です!」
私はエリーの叫びに目を丸くして驚くと、ニッコリと微笑んだ。
「エリー、ありがとう。お世辞でも嬉しい。でも、無理しなくてもいいよ。私は、この国の王侯貴族が、民衆からバカにされてることを知ってるから」
エリーは大きく目を見開くと、慌てて私から目を逸らした。
「いっ……いえ、そんなことは……」
そう言いつつも、エリーは口ごもって、顔をさらに真っ赤にした。平民として街で暮らす彼女は、家族や民衆が常々そう噂していることを知っているのかもしれない。
「……女王陛下は立派なお方で、私達など……」
先程と同じ言葉を繰り返すエリーの額には、びっしりと汗が噴き出してきた。彼女のそんな様子から、彼女が嘘をつけない性格なのだと良く分かった。
エリーは言い訳しようと何度も口を開くが、その度にすぐに口を閉じた。
私はエリーを見て、「ふふっ」と軽く笑う。
「仮にエリー達がそう思っていたとしても、私はエリーを咎めたりしないよ。少し前の自分を振り返ると、そう言われていても仕方ないと思うから」
エリーは怒られた子供のようにバツが悪そうにして、深く俯いた。
「……誠に、申し訳ございません……」
資料室に沈黙が流れる。
私がエリーを処罰することは絶対に無いが、心なしか、エリーが全てを諦めたように身体の力を抜いた気がした。
──まぁ、不遜な態度の女王の私に何を言われても信用できないかな……。私の気分一つで、物理的に首が飛んじゃうわけだし……。
このまま話を続けていると逆効果になると感じた私は、話題を変えてエリーに助け舟を出すことにした。
「ねぇ、エリー。ちょっとお願いごとがあるんだけど、いいかな?」
エリーはチャンスとばかりに、真っ赤な顔を上げて、私に視線を向けた。
「はっ……はいっ! 何でございましょうか? 何なりとお申し付けください!」
「悪いけれど、近衛隊長に連絡して、自領に戻っている最中のウェルズリー伯を呼び戻してくれる?」
私の依頼に、エリーは少し眉尻を下げる。
「ウェルズリー伯爵でございますか。……『何なりと』と申し上げたばかりなのに恐縮ですが、一介の侍女である私が近衛隊長にお目通りすることは難しく……」
それを聞いて、私は優しく手を合わせるようなジェスチャーをした。
「あっ、そうよね。ごめんなさい。今から命令書を書くから待ってて」
私は椅子に座り直して紅茶を移動させると、机の右上に置かれている紙を取って、ウェルズリー伯を呼び戻す命令文を書いた。そして、そのすぐ下に、王の署名をするためにペンを置く。
しかし、名前を書き始めたところで、前世のウェルズリー伯の言葉が頭をよぎった。私は一旦ペンを止める。
──私の命令は、王国の命令。安易な署名は絶対しちゃダメ。内容をしっかりと確認しなきゃ。
私は自分が書いた短い命令文を何度も読み返す。
──これなら大丈夫。私の命令で、誰も傷付くことはない。……ウェルズリー伯には面倒を掛けちゃうけど。
私は再びペンを動かした。「シルヴィア・ローゼンハイム」という名をサラサラと書いた後、前世と同じように、命令書の最下部に、王族に固有に割り当てられているマークを一筆書きで描く。私のマークは「蝶」だ。
すると、私が女王の署名するところを見ていたエリーが、感心するように頬を赤くして、両手を口元に当てた。
「……シルヴィア様、すごいです。こんなに綺麗に署名をなさるところ、初めて見ました……」
エリーは驚いているせいか、私のことを王女時代のように名前で呼んだ。
かつて侍女に頼り切りだった私が、王族らしい立派な署名を書けることに驚いているのかもしれない。しかし、私にとっては既に六年目の女王業だ。慣れたものである。
「よし、できあがり。これを近衛隊長に渡せば、女王としての私の命令だっていうことが証明できる。ウェルズリー伯が自領に向けてどんどん移動していっちゃうから、なるべく急いでお願いね」
「はい! 承知いたしました!」
エリーは私から命令書を受け取って、駆け足で部屋の出入口に向かう。そんな愛らしいエリーを見て、私はひらめいた。
「エリー、ちょっと待って!」
出入口の扉のドアノブを掴んで部屋を出ようとしていたエリーが、怪訝な表情を浮かべて私のところに戻ってきた。
「女王陛下、何でございましょうか?」
「エリーって今何歳?」
「えっ? え~っと、私は十七歳でございますが……」
「じゃあ、まだ誰のものでもないわね」
私はエリーの年齢を聞いた後、数枚の紙を準備して、サラサラっと別の命令書を作成した。今度の命令書作成に関しては躊躇はない。
私は二つ目の命令書をエリーに差し出す。
「はい、エリー。あなたは今日から私の専属侍女よ」
「えぇっ!?」
エリーは驚きのあまり、持っていた近衛隊長への命令書をハラリと落とした。
「未成年の侍女はどこの部門にも所属しないはずだから、特例で女王直属ね。この命令書でエリーを昇進異動させるから、侍従長に渡しておいてくれる?」
私がエリーに差し出した命令書を見て、エリーは目を泳がせて動揺している。
「わっ……私はまだまだ未熟で、出来の悪い侍女です! 女王陛下の専属侍女には相応しくありません!! たくさん失敗してしまいます!!」
「相応しいか相応しくないかは私が決めるから、エリーは気にしなくても大丈夫だよ。それに、失敗してもいい。エリーが成長していくところを見守るのも楽しいし」
私の言葉に、エリーは言葉を詰まらせる。しかし、すぐに次の言い訳を話し始めた。
「でっ……でも! 私は考えていることが不遜で不敬で、きっと女王陛下のご機嫌を損ねてしまって……」
エリーはそう言った後、慌てて自分の口をギュッと押さえた。私はそんなエリーを見て、ニヤッと笑った。
「はは~ん。やっぱりエリーは、心の中で私のことをバカにしていたのね?」
「あっ!! いやっ……、そんなことはございませんっ!!」
エリーは顔を真っ赤にして私を見る。しかし、彼女はすぐに、世界が終わってしまったような表情を浮かべた。
私は椅子から立ち上がると、机の横に震えて立つエリーの肩に手を当てた。
「ふふっ、冗談よ。ごめんなさいね。でも、こう言っちゃなんだけど、それって普通でしょ? 侍女の多くは主人や上司のことをバカにしてるものだよね? 気にしなくても大丈夫。私は寛大だから」
私が冗談を言っても、エリーは俯いたままギュッと唇を噛んで無言を貫いた。私の言葉を肯定するような仕草は見せない。
とはいえ、今度は絶対に口を開く気がないところを見ると、私の想像はおそらく当たりなのだろう。園田詩織としての過去世でも、上司はあまり好かれていなかった。
「そんなに緊張しないで。侍女と女王という大きな壁があるのは仕方がないことだし、私の王女時代の身勝手な振舞いもあるから、『私を好きになって欲しい』なんて言う気はないよ。でも、少しずつ、今の私に慣れていってもらえると嬉しいな」
私は笑顔で、無言のままのエリーの肩をポンと叩いた。
「それに、平民のエリーには色々と聞きたい事があるの。あと、なんとなくだけど、エリーとなら仲良くやっていけそうな気がした。私の勝手な直感だけど、私はエリーと波動が合いそうな気がするのよね」
エリーはハッとするような表情を浮かべて顔を上げる。
私はエリーを専属侍女にするための命令書を手渡しながら、可愛くウィンクした。
「ワガママを言って、ごめんなさいね。でも、どうしてもお互いの性格が合わなかったら、専属侍女の命令を撤回してあげる。その時は、決してエリーを処罰しないって約束する」
私は専属侍女の命令書の下に重ねておいたもう一枚の書面を見せた。それは、エリーの方から専属侍女の契約を無条件で破棄できると記した念書だ。女王としての私の署名もしてある。
「女王陛下……」
「だから、そんなに負担に思わないでね」
エリーは二枚の書面を胸にギュッと抱きしめながら、頬を紅潮させてコクリと頷く。
私はエリーの肩を持ってクルッと出口の方を向かせると、背中を優しく押した。
「さぁ、早く! これから忙しくなるわよ!」
エリーは「はいっ!」と元気に返事をすると、近衛隊長への命令書を床から拾い上げて、駆け足で部屋を出ていった。
私はエリーを送り出すと、資料室の窓際に移動した。
「……叔父様達が王都に帰ってくる前に、なるべく多くの準備を整えなきゃ。私だけじゃ、とても叔父様にはかなわないから、まずはウェルズリー伯に相談して、上級貴族に対抗する陣営を形成しないと……」
そこまで呟いて、私は自分が考えていることを思わず自嘲した。
「……自分を処刑した人間に最初に声を掛けるなんて、私は被虐性愛者なのかしら?」
私は資料室の窓から、自分が首を落とされて公開処刑された王宮広場をじっと見つめた。




