第49話 『領収書』を知っているかしら?
ジャネット開催の夜会には多くの貴族が招かれた。
招待客には内戦後の新興貴族も含まれているため、夜会はここ数年で最大規模のものだ。
エリーとジャネットの二人が私のために一生懸命頑張ってくれるのは嬉しいものの、夜会がそもそも私の婚活のために企画されたものであることや、その夜会に要した費用を考えると、私はとても後ろめたい気持ちになった。
『シルヴィアが結婚できるのでしたら、夜会に掛かった費用など些細なことです』
私がジャネットに夜会の中止を求めると、彼女はそう答えた。
『そして、シルヴィアに世継ぎができれば、ローゼンハイム王国はさらに安定します。そうすれば、人々が憂いなく経済活動をできるようになりますから、税収が増え、全ての投資を回収できます』
それが、ジャネットの理屈だった。
──まぁ、私に世継ぎができるかどうかは、今の王国の最優先事項だもんね……。
私は小さく溜息を吐いてから、貴族達が整列する夜会の会場に入場した。そして、中央の赤絨毯を歩いて、正面に置かれた玉座に向かった。
ジャネットは私の着席を待って、会場に集まった貴族達に、開会の挨拶を述べた。
「本日はご参集いただき、誠にありがとうございます。豊穣の秋、ローゼンハイムの神々はいつものように私達に多くの実りをもたらしてくださいました。その豊かに実った作物をここで食し、皆で神々に感謝を捧げたく存じます。王宮の料理人が腕を振るった数々の料理を、どうかお楽しみください」
ジャネットはそれらしい理由を述べたものの、貴族の夜会に理由など不要だ。基本的には、料理を食べ、酒を飲み、会話や噂話を楽しむ。それが「貴族の夜会」である。
ジャネットは続けて、私の方に視線を向けた。
「また、本日は、普段お忙しい女王陛下にもお越しいただくことができました。日頃王都に来ることが難しい皆様は、この貴重な機会に、是非とも女王陛下との親睦も深めてください」
私が玉座に座ったまま笑みを浮かべると、会場の参加者達が、男女関係なく胸に手を当てて敬礼をした。
──あはは……。私が参加していて、皆は本当にくつろげるのかな……。
貴族達が敬礼の姿勢を解いた後、エリーが私に乾杯用のシャンパンを持ってきた。私はそれをエリーから受け取ると、ジャネットに視線を向ける。
ジャネットは私がシャンパンのグラスを受け取ったのを見て、自分のグラスを上方に掲げた。
「ローゼンハイム王国のさらなる繁栄を願って! 乾杯!」
貴族達もそれに合わせて「乾杯!」と唱えると、それぞれ一口シャンパンを飲んだ。
貴族達は、私が一口シャンパンを飲んでグラスを下ろしたのを確認すると、盛大な拍手をした。そして、音楽隊の上品な演奏と共に、今夜の夜会が幕を開けた。
夜会が始まってすぐに、私の前には長い行列ができた。王国の宴において、最上位の賓客である国王に最初に挨拶をするのは貴族のマナーだ。
私は玉座に座ったまま、檀下で跪く貴族達の挨拶に応える。ウェルズリー侯爵家の挨拶の際にはギルバートもいたが、他の貴族達に応対するように差し障りのない話題で挨拶を終えた。
──相変わらず、この時間は疲れる……。っていうか、これってなんだか女王の方が気を遣ってない?
若くてまだ夜会慣れしていない新興貴族夫婦の姿を見るのは微笑ましく感じたものの、約一時間を掛けて数十の貴族家と挨拶することに、私は疲れ果てた。貴族の慣例上、仕方がないとはいえ、私にとってこれは拷問に近い。
私はサイドテーブルに置かれたシャンパンを手に持って、一口こくりと飲んだ後、それを味わうようなふりをして大きく溜息を吐いた。
すると、炭酸が抜けたシャンパングラスを交換するために、エリーが私に近付いてきた。エリーは新たなグラスをサイドテーブルに置くと、私の耳元に手を当てて小声でささやいた。
「……夜会の中盤で、アジュール公爵様が、ウェルズリー侯爵様とギルバート様をバルコニーに連れ出します。私が合図をしたら、シルヴィア様は夜風に当たるフリをして、バルコニーに向かってください。アジュール公爵様がウェルズリー侯爵様だけを連れ、ギルバート様をバルコニーに残して室内に戻ります」
私はエリーの言葉に渋々頷く。
今のところ、エリーとジャネットの企みは計画通りに進んでいるが、私はまだ心の準備ができていない。このままでは、バルコニーに出てギルバートと二人きりになったら、あまりの緊張で何も話せないかもしれない。
私は緊張を解くために、二杯目のシャンパンをごくごくと飲んだ。普段お酒の類は飲まないが、弱い方ではない。しばらくシャンパンを飲んでいると、エリーが再び私の下にやってきた。
「シルヴィア様。アジュール公爵様がウェルズリー侯爵様達二人を連れて、バルコニーに出ました。そろそろ移動の準備をお願いいたします」
その言葉を聞いて、私は姿勢を正して椅子に座り直す。
私は当初、エリーとジャネットに悪いとは思いながらも、この夜会を軽く流そうと考えていた。しかし、いざギルバートと二人になる瞬間が目の前に迫ると、彼のことは無下にはできないため、心臓の鼓動が激しくなる。
「……シルヴィア様? もしかして、緊張なさっていますか?」
私は弱気な表情を浮かべると、エリーを見て正直に頷いた。すると、エリーがしゃがんで私の椅子の側面に身体を押し当てる。そして、私のお尻を思いっきりつねった。
「いたいっ!!」
私は思わずそれなりの声で叫んでしまったが、ちょうど会場にはやや大きめの音量の曲が流れていたため、私の悲鳴に気付く貴族はいなかった。
私が涙目でエリーに鋭い視線を向けると、彼女はクスクスと笑っていた。
「エリー!! 何をするのっ!!」(小声)
「アジュール公爵様のご命令です。きっとシルヴィア様は緊張して椅子から立ち上がれなくなっているでしょうから、こうしてくださいと」
私はそれを聞いて口を尖らせると、エリーからプイっと顔を背けたまま椅子から立ち上がった。そして、後を追い掛けるエリーを背にして、私は頬を軽く膨らませてバルコニーに向かった。
──エリーもジャネットも私を馬鹿にして! ジャネットを室内に連れ戻して、こんなことは終わりにする!
私がジャネットの工作を終わりにしようとしてバルコニーに出ると、ちょうど彼女がすれ違うように、ウェルズリー侯を連れて室内に入ってきた。ジャネットは私を横目で見て笑みを浮かべる。
「シルヴィア。がんばってくださいね」(小声)
私が部屋に入るジャネットを追い掛けようとすると、エリーがバルコニーの扉を急いで閉めた。そして、私が部屋に戻れないように、その扉を施錠してしまう。
「ちょっと、嘘でしょ!? やり過ぎじゃない?」(小声)
私が小声でそう言いながら扉をコンコンと叩くも、エリーはニコニコと笑みを浮かべたまま、扉を開けてくれない。それどころか、レースのカーテンを閉めて、他の貴族達からバルコニーが見えないようにしてしまった。
私は部屋に戻るのを諦めて、バルコニーの前に広がる夜景に目を向ける。すると、レースのカーテン越しの光を受けた一人の男性が、こちらを見ていた。
「……もしかして、女王陛下でいらっしゃいますか? こんなところにお一人で、どうされましたか?」
私は少し俯きながら、ギルバートに下手な言い訳をする。
「いや、その……、お酒に酔ってしまったので、夜風に当たろうと思ったのです」
部屋を背にした私の姿は逆光となるため、頬が真っ赤に染まっているのを彼に見られないのが、せめてもの救いだった。
「ギルバートこそ、どうしたのですか?」
私はジャネットとエリーの企みを知りつつも、敢えて彼にそう問い掛けた。
「実は、先程までアジュール公爵様とご一緒していたのですが、私の父に見せたいものがあるということで室内に戻られました。私もご一緒しようと思ったのですが、父から『すぐに戻ってくるからここで待つように』と言われまして……」
私はそれを聞いて、目を大きく見開いた。
──えっ? もしかして、ウェルズリー侯もジャネット達とグルなの?
私はギルバートに申し訳ない気持ちになり、思わず女王の芝居を忘れて、彼に頭を下げた。
「ごっ……ごめんなさい! こんなところで女王と二人きりなんて、気持ちが落ち着かないでしょ? 今すぐ、エリーに扉を開けるように命令する!」
私は慌てて扉に向かう。すると、ギルバートが私に声を掛けた。
「女王陛下がどうして謝罪されるのですか? それに私は、気持ちが落ち着かないということはございません。誠に僭越ながら、女王陛下とはこうしてお話をしたいと思っておりました」
私は足を止めて、ギルバートの方を振り返った。すると、彼は私に深く頭を下げた。
「財政再建から内戦の早期終結まで、王国のためにご尽力いただきましたこと、国民に代わりまして心より感謝申し上げます。今のローゼンハイム王国には内憂外患がなく、極めて平和です。私は女王陛下がこの国の国王に即位されて、本当に良かったと感じております」
私は彼の言葉を聞いて、思わず苦笑した。
──こんな様子じゃ、恋愛に発展することはなさそうね……。
私は小さく溜息を吐くと、ギルバートに顔を上げるように言う。そして、室内に戻るのを諦め、しばらく彼との会話を楽しむことにした。
「いつも皆にそう言ってもらえるのですが、私はそんなに立派な人間ではありませんよ。私は馬鹿で泣き虫で、怠け者で面倒くさがりで、どうしようもない人間です。皆の助け無しでは、この地位にはいられません」
私は自嘲するようにそう言って、バルコニーの外に視線を向けた。
「でも、平和は本当に良いものですね。エリー達の幸せそうな姿を見ていると、悲しみを乗り越えて頑張って良かったと思います。内戦では多くの人の血が流れてしまいましたが、私はこの景色を見られたことがこの上なく嬉しいです」
私はバルコニーの欄干に近付くと、手すりに手を置いた。そして、部屋からの光が私を照らす中、私はギルバートを見てニコッと笑みを浮かべた。
「ギルバートは幸せですか? もし良かったら、『国民の代表の言葉』ではなく、あなた自身の言葉を聞かせてください」
部屋の光を背にするギルバートの表情は逆光で分からないが、彼は顎に手を当てて、私の顔をじっと見つめた。
「『幸せとは何か?』ということを考えますと、正直なところ、女王陛下にどうお答えしたら良いのかが分かりません。ですが、端的に言えば、毎日の生活は充実しています。……これを『幸せ』と言うのでしょうか?」
私はギルバートの答えを聞いて、クスクスと笑った。
「ギルバートは『国民の代わりに』とか、他人のことを話す時は立派に表現できるのに、自分の気持ちを話すのは随分と下手なのですね」
私はそう言った後、欄干の手すりから手を離して、ギルバートの方に身体を向けた。
「……私も同じです。他人の幸せはとても嬉しいのに、自分のことはちっとも分からないんです。エリーが結婚した時、私はまるで自分が幸せになったように感じました。それで満足なんです。……私自身は、今もなお結婚できていないというのに滑稽ですね」
私がそう言って苦笑いすると、逆光の中、ギルバートが軽く首を振ったのが分かった。
「恐れながら、私には女王陛下がご結婚されていないのが不思議です。とても美しく、天使のようにお優しくていらっしゃるのに」
思ってもみなかった言葉に、私は一瞬固まった。すぐに視線を下げて俯く。
「おっ……お世辞は聞き飽きています。真面目な話をしている最中に、嘘を言わないでください」
「嘘ではございません。私の本音です。それに、実は、男性貴族の間では女王陛下はとても人気があるんです」
「信じられません。男性貴族の間には、相手が女王であっても、女性を口説かなくてはいけないという教えがあるのですか?」
私は照れ隠しで、ギルバートに冗談を返した。
すると、彼は私の隣まで移動し、私の顔を見て困った表情を浮かべた。
「そのような教えはございません。ですが、シャーロットとの婚約を解消した今、もし女王陛下が普通の貴族令嬢でいらっしゃったら、私はきっと陛下に婚姻を申し込んでいたと思います」
「…………へっ?」
私は間抜けな声を出すと、顔を引き攣らせて完全に固まった。
私が無言のままでいると、ギルバートは私が彼の言葉を不快に感じたと誤解したようだ。
彼は慌てて私に頭を下げて謝罪した。
「ご機嫌を損ねてしまい、申し訳ございません。女王陛下がおっしゃった通り、少し冗談が過ぎたようです。今の話はお忘れください」
私はそれを否定したいのに、適切な言葉が思いつかず、彼に何も返せない。
──なにか……、なにか言葉を返さなきゃ……。
私は再び欄干の手すりを持って、視線をギルバートから外すと、やっとの思いで口を開いた。
「……気にしないでください。でも、シャーロットのことは残念でした。クライスト王国のイザベル女王陛下からの依頼ですから、政略を考えれば断ることはできません。承認したのは私です。申し訳ありません」
「大丈夫です。シャーロットからは既に謝罪を受けていますし、今回の話は彼女が望まない婚約ではないと聞いております。私は彼女をもともと妹のように思っておりましたから、彼女が好きな相手と結婚できるのでしたら、これ以上に喜ばしいことはありません」
私はそれを聞いて、ギルバートを見て苦笑した。
「……ギルバートは相変わらず、自分以外の人のことを話す時は饒舌ですね」
ギルバートも私と一緒に軽く笑う。
「まったくです」
その後、私達は二人でバルコニーの欄干にもたれたまま、先程のギルバートの話題には触れないようにして、他愛のない話をして過ごした。
私は内戦後のエリーの話や、ジャネットの旧友の話、シャーロットやリーシャの話をする。ギルバートは、ウェルズリー候の話や自領の領民の話をしてくれた。
──ギルバートと話をしていると、なんだか心がとても落ち着く……。こういう気持ちが「人を愛する」ってことなのかな……。自分が女王であることを忘れてしまいそう……。
しかし、私の気持ちとは裏腹に、だんだんと夜の冷え込みが強くなり、寒さが身体に沁みてきた。
「父は戻ってこないようですし、そろそろ室内に戻りましょう」
ギルバートの言葉を聞いて、私はとても寂しい気持ちになった。そして、思わず私の口から言葉が漏れた。
「もっとお話ししたかったのに、残念です……」
ギルバートが私に視線を向ける。それに合わせて、私も彼の顔を見た。
「もし良かったら、私の友人になってくれませんか? 女王の友人になど、なりたくないかもしれませんが、私はまたこうして、ギルバートと冗談を言い合いながら、本音で色々とお話ししたいです」
私は真っ赤な顔でそう言って、視線をすぐにバルコニーの外に向けた。
──もし友人になることすら断られたら、もう彼のことは諦めよう。それに、断られても大丈夫。女王の友人になりたい貴族なんて殆どいないのだから、彼はそのうちの一人にすぎない。私は絶対に傷つかない……。
私は自分にそう言い聞かせながら、彼の答えを待った。
ギルバートが返事をするまでの時間がとても長く感じる。
「……私が女王陛下の友人になるなど、大変畏れ多いことです」
私は隣から聞こえてきたその言葉に、小さく唇を噛んで俯いた。少しずつ涙が出てくるが、それが溢れ出さないように必死に堪えた。
私は笑顔を懸命に作り、ギルバートに視線を向けた。
「分かりました。女王のくせに変なことを言ってしまいましたね。困らせてしまって、ごめんなさい」
私がそう言うと、ギルバートは首を軽く左右に振った。
「そうではございません。今の私は、女王陛下の友人になる資格があるとは思えないのです。それに、女王陛下の友人になったとして、私はどうしたら良いのか分かりません。臣下の私から食事にお誘いするわけにもまいりませんし……」
私はそれを聞いてハッとした。そして思わず、隣のギルバートに迫るように近付く。
「あっ、なるほど! では、基本的に私からお誘いします。今度こっそり、ギルバートの空いている時間を教えてください。お茶会は……、さすがに男性は無理ですね。じゃあ、散歩とか……。王宮外への外出は他の貴族の目があるから難しいですし……。う~ん、やっぱり食事だけかしら?」
私が一人で悩んでいると、ギルバートが私を見て小さく笑う。
「逢瀬ではないのですから、私の空き時間に関係なく、女王陛下の空き時間に合わせてご命令ください。私などが女王陛下のお暇を埋めることができるのでしたら、これ以上の喜びはございません」
私はギルバートに「実は逢瀬が目的です」と返すことはできず、「そっ……そうですね」と笑顔で答えるのが精一杯だった。
◇ ◇ ◇
夜会を終えてから、私は何度かギルバートと食事をした。
ただ、食事ではいつも仕事の話になり、後でエリーやジャネットに厳しく注意……いや、説教をされた。
しかし、ギルバートと一番盛り上がる話題が仕事なのだから仕方がない。ギルバートも、仕事の話をしている時が一番生き生きとしていた。
そして、歳月は流れ、運命の夜会を終えてから、十数年が経過した──。
◇ ◇ ◇
私は澄み渡る青空の下、王宮の中庭で花々を楽しみながら散歩をしていた。春を迎えたこの季節、日陰に入るとまだまだ寒いものの、日差しがほんのりと暖かい。
私が大きく空気を吸い込んで深呼吸していると、クイクイとドレスのスカートの端を引っ張られた。
「お母様。私はどうやったら女王になれますでしょうか?」
私が視線を下げると、一緒に歩いていた王女シェリルがつぶらな瞳で私を見つめていた。
「急にどうしたの?」
「私は来年十歳になり、正式に王族籍に入ります。ですが、王族の女性は成人すると、臣籍降下して他国や上級貴族に嫁ぐと聞きました。私は、そのような道を歩むのは嫌です。私も、お母様のように立派な女王になりたいです」
シェリルは、九歳とは思えないしっかりとした口調でそう言うと、私の顔をじっと見つめた。
私はシェリルの目の高さになるように中腰になり、彼女の肩の上に手を乗せた。
「ねぇ、シェリル」
「はい」
「……女王になんて、なるのはやめなさい。毎日毎日、苦労ばかりです。私が今度、どこかの貴族の子息を紹介してあげます。もし気に入ったら婚約して、将来は貴族の夫人としてのんびり暮らしなさい」
私がそう言うと、シェリルは目を吊り上げて、私が肩の上に乗せた手を振り払った。
「そんな怠惰な生活、絶対に嫌です! 私はお母様のような女王になりたいのです! 皆から尊敬される女王になって、もっともっとローゼンハイム王国を豊かな国にしたいのです!」
シェリルはそう言った後、涙目で私を見る。
「お母様は、私が弟のセドリックに劣るとお考えなのですか? 私には女王の素質が無いと、そう言いたいのですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「では、何が足りないのですか? 私に教えてください。絶対に克服してみせます!」
シェリルの訴えるような言い方に、私は大きく溜息を吐いた。
「どうして私みたいな怠惰な人間から、こんなにやる気のある子供が生まれたのかしら……」
私は中腰の姿勢を元に戻す。そして、シェリルを見下ろすように視線を向けた。
「どうしても女王になりたいの?」
「はい!」
「母親としての私が反対しても?」
「はい!」
「……将来、結婚に苦労してもいいの?」
「はい!」
シェリルはそう答えた後、「ん?」と言って首を傾げた。
「お母様はご結婚に苦労なされたのですか? お母様は、お父様をやむなく引き取ったとお聞きしたような……。確か、クライスト王国に嫁がれたシャーロット様のご実家、フェルナー侯爵家とのバランスを取るために、独身だったウェルズリー侯爵家のお父様を政略的に……」
私が「うっ」と言って言葉に詰まると、少し前を歩いていたエリーが吹き出すように笑った。
貴族向けに公開されている表向きの理由はそうだが、実際は私が求婚した。臣下であるギルバートが私に求婚する選択肢はあり得ず、エリーやジャネットに促されて、私は国王の執務室でプロポーズした。雰囲気は全く無く、受け答えもやや事務的だったが仕方ない。
しかし、それを公表するわけにはいかない。私はギルバートと相談した上で、シェリルが話した通りの内容で発表したのだが、事実を知るエリーやジャネットからは、いまだに笑いの種にされている。
「まぁ、シェリルにもいずれ分かる時が来ると思う。女王の結婚は、ある意味、国家事業なの。……ちょっと、エリー、笑いすぎ!」
エリーは中庭の通路に座り込んで、お腹を抱えて笑っていた。
私は頬を赤くしたまま、咳払いをしてシェリルに説明を続ける。
「いずれにしても、シェリルが本当に女王になりたいのなら、今すぐに始めなくてはならない勉強があるわ」
「勉強?」
「そう。『経済』の勉強。九歳のあなたにはまだ難しいかもしれないけれど、王国を繁栄に導くためには『経済』は避けて通れないものなの。だから、まずは経済の勉強から始めましょう」
私は中庭に設置されたベンチにシェリルと並んで座ると、ポケットから小さな布袋を取り出した。そして、その袋を開けると、中から金属片を摘んで取り出す。
「お母様。これは何でしょうか?」
「これは私達の国の通貨、ローゼンハイム硬貨。この硬貨は、私が初めて街で買い物をした時のおつりだった。私達から見ればとても少額のお金なのだけど、街の人達はこの硬貨を稼ぐために汗水を流して働いているの」
私はその硬貨を見ながら、かつてエリーと城下町で買い物をした時のことを思い出す。
「シェリルや私は、街の人達が一生懸命働いて稼いだお金の一部を税金として納めてもらって生きている。各貴族領から王室に納められる農作物も税金の一つ。それらの税金に感謝するのはもちろんのことだけれども、どうやったら街の人達や農民の稼ぎを増やすことができるのかを考えるのが、私達の仕事なのよ」
「はい、お母様!」
女王の仕事と聞いて、シェリルがキラキラした曇りのない純粋な瞳で私を見つめる。私はその表情を見て、優しく微笑んだ。
「さて、シェリル。『領収書』を知っているかしら?」
「領収書……ですか?」
「『領収書』はローゼンハイム王国の礎の一つ。物を売買する時に、買い手はお金を支払い、売り手はお金を受け取る。領収書は、そんな凄く当たり前のことを証明するものなの。領収書が無かった時代は、王国の財政が凄く傾いていて……」
私は王宮の中庭のベンチで、将来の女王シェリルに「領収書」の説明を始めた──。
【終わり】
本作を最後までお読みくださった方、本当にありがとうございました!
もともとは十話程度で完結させ、投稿も一か月ほどで終わらせる予定でしたが、最終的に五十話近くになってしまいました。(投稿期間も半年になりました……)
魔法が出てこない非ファンタジーの本作を最後まで読んでくださった方に、心からの感謝を申し上げます。
もしよろしければ、☆で本作の評価をしていただけますと大変嬉しく思います。
次回作は、魔法がじゃんじゃん出てくるファンタジーな作品を書きたいと思います!




