第4話 王国の財政資料
戴冠式の翌日、領地を持つ全ての貴族達は、各々の自領に向かって出発した。
貴族の役割は多岐にわたるが、今回の目的は、新しい王が即位したことを領民に伝えて祝祭を行うことだ。祝祭の日は王国の休日となり、公爵領から子爵領まで、王国全土で同時に式典が実施される。
また、祝祭の実施と同時に、領主は自治政府のプロセスを新王に合わせて変更する。領主によっては、新王の即位を機に爵位を子に譲り、時間を掛けて領地の統治組織を一新することもあった。
いずれにしても、それらの対応を行っている約一ヵ月間、王都から殆どの有力貴族はいなくなる。
私が女王をやり直す今、かつて王国の財政を破綻させた有力貴族達が王都に不在となるこのチャンスを逃すわけにはいかない。王国の財政再建の計画を練るのは今しかない──。
私は国王の執務室に侍従長を呼び出すと、王宮資料室の鍵を準備させた。当初、侍従長は私が資料室に入るのを極端に渋っていたが、最終的に私が命令を出すと、諦めた様子で鍵を取りに行った。
そして、侍従長は若い侍女を連れて戻ってくると、その侍女に私を資料室に案内するように告げる。
実は、その若い侍女とはこれが運命的な出会いだったのだが、後から話を聞いたところ、休憩中にも関わらず先輩侍女に仕事を押し付けられたそうだ。どうやら単に運が悪かっただけらしい。
私はその侍女に連れられて、資料室に向かった。
資料室に着くと、侍女は侍従長から渡された鍵で資料室の扉を開ける。そして、その扉を手で支えたまま、私に向かって軽くお辞儀をした。私は侍女には何も言わずに、そのまま資料室の中に入った。
──資料室には初めて来たけど、すごく埃っぽい……。それに薄暗い……。
資料室には、背の高い本棚が部屋いっぱいに並んでいた。私は、人一人が通ることができる程度の本棚の間を、左右を見ながら歩いていく。今日はいつもの女性貴族用のドレスを着ているが、スカートの裾が本棚に当たる度、埃で汚れた。
──侍従長の懸念の通り、この部屋は王族に見せられるような綺麗さじゃ無いわね……。
本棚には、背の高さも幅もバラバラな資料が雑然と詰め込まれ、お世辞にも綺麗な見た目とはいえなかった。唯一の救いは、資料がしっかりと分類されており、目的のものを探すのに苦労しないことだ。
私が本棚の間を歩いていくと、突当りの左右の方向に、人が通れる幅の通路があり、本棚に隠れるようにして窓が並んでいた。これらの窓が資料室の明かり取りになっているようだ。
私が窓の外を見ると、見下ろすようにして、王宮広場が良く見えた。
──六年後、私はあの場所で……。
私は思わず首を左右に振って、前世の最期の記憶を振り払う。そして、気を取り直して、窓際の通路の端にある資料閲覧用の机に視線を向けた。
すると、先程の侍女が机の上と椅子の座面を綺麗に拭いて、私がいつでも着席できるように、椅子を引いて待機していた。
私はまず昨年の王国の財政状況を知るため、「王国暦302年 国の一般会計・特別会計」と書かれた資料を本棚から抜き出し、資料閲覧用の机に持っていく。そして、侍女による補助で椅子に着席すると、彼女に声を掛けた。
「この資料は国家機密です。何かあれば呼びますから、あなたは部屋の出入口付近で待っていなさい」
侍女は無表情のままお辞儀をすると、私の指示に従って出入口に向かった。
──さて、前世のウェルズリー伯によれば、今の王国は既に赤字のはず……。
私はやや大きめの紙で作成された資料をめくっていく。しかし、何ページかめくった後、私は手を止めた。目次のすぐ後に「貸借対照表」という題名の表が出てくるが、その表にある膨大な数字の意味が全く理解できない。
──なにこれ……。ローゼンハイム王国の財政資料って、こんなにも難解なものなの?
私は一旦資料を閉じて表紙を確認する。間違いなく、「王国暦302年 国の一般会計・特別会計」と書いてあった。私は再びページをめくって、「貸借対照表」を目の前に出す。
──前世では叔父様の簡易な資料しか見てなかったから、この表を全然理解できない……。でも多分、この表の数字すら、簡易にまとめられたものなのよね……。
私は表の右下に視線を移す。すると、白い三角マークと共に、桁数が多い大きな数字が書かれていた。
──これ、凄く大きな数だけど……、まさか、これが収支? 王国の通貨は「リセラ」だから、え~っと……、あれ? 上に『単位:百万』って書いてある。一桁目が百万ってこと? 百万リセラで何が買えるのかしら? ……パン一つが百万リセラってことはないわよね、多分。
私は大きく溜息を吐くと、最初のページで挫折して資料を静かに閉じた。そして、閉じた資料の上に突っ伏す。
──どうしよう……。貴族達にあんな大見得を切ったのに、私は国の財政資料すら読めない……。このままだと王国滅亡の運命を変えられない……。
私は溜息を吐きながら、軽く目を閉じる。
──そういえば、ウェルズリー伯は前世で、自分の息子が財務省で働いていると言っていたような……。前世から見て今は六年前だけど、ウェルズリー伯の息子は既に財務省にいるのかしら? ウェルズリー伯の息子に資料の読み方を訊いてみるのも手かもしれないわね……。
そう考えてはみたものの、私は資料の上に突っ伏したまま、両手で頭を抱えた。
──でも、私の周りは敵ばっかりだから、こうして一人で見に来たんだった……。そもそも、ウェルズリー伯が信用できる人物か分からないし……。でも、一人じゃ間違いなく無理……。
私は資料を枕のようにして、顔を横に向けて呟いた。
「……お父様、申し訳ありません。頭の悪い私は、また革命の火に焼かれてしまいそうです……」
すると、その瞬間、抗えない急激な眠気が私を襲った。
──えっ!? 私はこんなところで寝てる場合じゃないのに!! 起きなきゃ!!
上半身を必死に起こそうとするも、私の意識がどんどんと遠のいていく。
──私には時間が残されていないのに……。
私は椅子に座ったまま、国の財政資料を枕にするようにして、そのまま深い眠りに落ちた。




