第3話 二度目の人生、二度目の女王
「シルヴィア・ローゼンハイム。汝は王国にその生涯を捧げ、鎮守の神々に忠誠を誓うか?」
私は国王の王冠が置かれた玉座に向かって跪いている。斜め前には、背の高さほどの錫杖を持つ王国国教会の大主教が立ち、私を見下ろしていた。
──えっ?
私は目を大きく見開いた後、すぐに視線を下げて、違和感のある自分の服を見た。
──あれっ? 私、囚人用のワンピースを着ていたはずなのに。
今着ている服は、軍服を女性用にデザインし直した、見覚えのある綺麗なスーツだ。胸元に無数の勲章が飾られており、下半身はスカートではなくスラックスだ。
そして、スーツの肩章を起点にして、国王だけが付けることを許されている深紅マントが後方に長く伸びている。それはまるで、ウェディングドレスのトレーン(後ろに引きずるスカートの裾の部分)のように長い。
──どういうこと? これは死後の回想?
「……シルヴィア様。戴冠いたしますので、早く王の誓いの言葉をお述べ下さい」(小声)
斜め前の大主教が口元に手を当てて、小声で私に話し掛ける。しかし、私は状況を理解できず、周囲を確認するために後方を振り返った。
そこには数十人に及ぶ王国貴族達が整列して、私に向かって軽く頭を下げていた。最前列には、私の叔父にあたるハロルド・グレンヴィル公爵の姿も見える。前世の宰相だ。
──これは、もしかして、六年前の戴冠式?
私は前を向くと、正面の玉座の上方に視線を向ける。そこには急逝した前国王、つまり、私の父親グローヴィスの肖像画が掲げられているのが見えた。
「……あの、今は王国暦何年ですか?」(小声)
私は斜め前の大主教に問う。すると、彼は怪訝な表情をして答えた。
「王国暦303年でございますが、どうかなさいましたか?」(小声)
私はそれを聞いて、胸に手を当てた。
──あの時に戻ってきたんだ……。私の悲劇の始まりの日に……。
私は前方で優しく微笑むグローヴィスの肖像画をじっと見つめた。
──お父様、ひどいじゃないですか。あなたは天国で穏やかに過ごしているというのに、私には女王をやり直せとおっしゃるのですか? これが、王国を滅亡させた私への罰なのですか?
私は跪いたまま、胸に当てていた右手をギュッと握りしめた。
◇ ◇ ◇
前世、私が王位を継いだのは突然のことだった。
父王グローヴィスは王妃と共にセシル公爵領を視察中、橋梁崩壊の事故で馬車ごと川に落下して亡くなった。私が二十一歳の時のことだ。
事故の数日後、私は両親の逝去の報告を受けると同時に、グローヴィスが遺言で、私を次期国王に指名していたことを聞かされる。
グローヴィスには私以外の子供がおらず、私は第一位の王位継承権を持つ王女だったが、王位を継ぐには二十一歳という年齢は若すぎると思っていた。
そのため、過去の王国の慣例に従って、私は叔父にあたる公爵が国王を継ぐものと思っていた。しかし、権力闘争を嫌うグローヴィスの意向により、唯一の嫡女である私が次期国王に指名されていたとのことだった。
私は両親の死を悲しむ暇もないまま、王位継承権を持つ王女として、戴冠式のための様々な準備をさせられた。上級貴族である叔父達は、初めは私を妬み疎んでいたものの、すぐに私に父親の持っていた多くの権限を継承させ、新政府の決め事や新しい法律を無理やり承認させていった。
王族としての経験が浅かった私は、上級貴族達にとって非常に御し易い存在だった。私が叔父達が決めた内容に口を挟もうものなら、怒声を浴びせられた。そのため、私は叔父から言われるがままに、上級貴族達を行政の長に任命していった。
──私は前世、本当に情けない存在だった……。『叔父達にとって良い王』であろうとして、命令書への署名を拒むことができなかった。でも、結局は、それが国民を苦しめていたのね……。
思い返せば、前世の私は戴冠式で終始ビクビクしていた。
戴冠して女王に即位した後でさえ、玉座から貴族達に深く頭を下げて、「どっ……どうか今後ともよろしくお願いいたしますっ!!」と懇願していたぐらいだ。今から思えば、私の振舞いは子供のようで、とても滑稽だったに違いない。
こうして、前世の私は上級貴族達の掌の上で踊るピエロとして、ローゼンハイム王国の第十六代国王に即位したのだった。
◇ ◇ ◇
私は父親グローヴィスの肖像画に視線を向けた。
──女王なんて、もうたくさん。こんな利用されるだけの地位、本当にいらない。……だけど、よりにもよって、私は戴冠式の日に戻ってきてしまった。お父様は私に逃げ場がないように、この日に生まれ変わらせたのかもしれない……。
私はそんな想像をしつつ、父親グローヴィスの顔をキッと睨む。
──この日を選ぶなんて、お父様はなんて意地悪なんですか? 生前はもっとお優しかったではないですか。……でも、どうしてもやり直せとおっしゃるなら、私の好きなようにさせていただきます。娘の反抗期を優しく見守ってください。
私は薄く笑みを浮かべると、その場にゆっくりと立ち上がった。そして、後方に伸びるマントを引きながら、王冠が載せられた玉座に向かって歩いていく。
「シルヴィア様!! どうなされたのですかっ!?」(小声)
大主教は、玉座に向かって一人で進んでいく私を慌てて追いかけてくる。
私は最後の数段の階段を上って玉座の前に立つと、その椅子に置かれた王冠に視線を向けたまま、大主教に問い掛けた。
「……大主教様は、ローゼンハイム王国に生まれて幸せですか?」
大主教は私の横に立ちつつ、私の問いに答える。
「えぇ、もちろん幸せでございますが、なぜ急にそのようなことを……」
「では、国民はどうでしょうか? 皆、幸せだと思いますか? 貧しさに震えていたりしないでしょうか? 困っている人はいないでしょうか?」
私がそう問いかけると、大主教は恭しく私に頭を下げる。
「……ローゼンハイム王国においては、歴代の王の治世の下、国民は皆幸せにございます。窮している者などおりません」
私はそんな形だけの虚偽の言葉を聞いて、誰にも分からないように軽く笑った。そして、椅子に置かれた王冠に手を伸ばす。
「シルヴィア様! お待ちください! 戴冠は私めの役割にございます!」
私はその言葉を無視すると、王冠を手に取って、自分で頭の上に載せた。そして、クルっと反対を向く。私が後方に引きずったままのマントを手で払おうとすると、従者達が慌てて私のマントを側方に移動させた。
私は、アワアワと焦る大主教を余所に、驚いた表情の貴族達を玉座のある檀上から見下ろした。
「私は今ここに、第十六代ローゼンハイム王国の国王に即位したことを宣言します」
しかし、私が即位を宣言しても、貴族達からは何の反応も無い。むしろ、「どうして大主教から戴冠を受けずに、自分で即位の宣誓を行ったのか」と責める雰囲気だ。
私は少し後ろを振り返るようにして、父親グローヴィスの肖像画を見る。
──お父様。私は六年後の王国滅亡を、どんな手段を使ってでも回避してみせます。
前世で得た六年間の女王の経験と公開処刑の屈辱は、私の心を強靭なものに変えていた。
私は正面に視線を戻すと、言葉を失ったままの貴族達を見渡す。そして、一度深呼吸をした。
「皆さん、良く聞いて下さい。ローゼンハイム王国は今、危機に瀕しています」
私の言葉に、最前列の上級貴族を筆頭に失笑が漏れた。特にグレンヴィル公爵である叔父が、「急に何を言い出すのか」と言いたげに、私をバカにするような目で見た。しかし、私はそのまま話を続ける。
「私はこのローゼンハイム王国を心から愛しています。志半ばで逝去した父も同様だったことでしょう。……しかし、王国は建国から三百年を迎え、見えない病に侵されてしまいました」
私は玉座のある檀上から数段の階段を下りると、怪訝な表情を浮かべる左右の貴族達に視線を向けながら、部屋の中央に敷かれた国王専用のレッドカーペットを歩いていく。
「王国は内部から腐り始めています」
私は叔父達、上級貴族に視線を向ける。叔父達は、そんな私を少し睨むように見返した。
私は視線を正面に戻すと、話を続けた。
「ですから、ローゼンハイム王国は変わらねばなりません。私はそれを示すため、今日の戴冠式では自ら王冠をいただきました。今までのやり方では、この国はすぐに滅亡してしまうのです」
しばらく歩いていくと、伯爵であるにも関わらず、序列が低い貴族の集団の中にウェルズリー伯の姿を見つけた。さらに後方に、フェルナー伯、タウンゼント伯、ブルーネワルト子爵がいるのが見える。
私は通路寄りにいるウェルズリー伯の前に立ち止まると、少しだけ顔を横に振って、横目でその瞳をじっと見つめた。
ウェルズリー伯は、私からの突然の睨みに、たじろぐようにしてゴクッと息を呑む。彼は私よりもかなり年上の四十代だと思うが、この時の彼は革命時とは異なり、まだまだ気弱に見えた。
私は薄く笑みを浮かべると、他の貴族にも聞こえるようにウェルズリー伯に声を掛けた。
「あなたは今、この国に滅亡の危機が迫っていると感じませんか?」
ウェルズリー伯は慌てて胸に手を当てて敬礼し、深くお辞儀をする。
「めっ……滅相もないことでございます。ローゼンハイム王国は、我々の母なる国でございます。女王陛下におかれましては、我々をお導きいただき、千年王国の礎を盤石にしてくださいますよう心よりお願い申し上げます」
前世で私を処刑したウェルズリー伯の形式的な言葉に、私は思わず口元に手を当てて、吹き出すように笑った。
止まらない私の笑い声に、しばらくして、ウェルズリー伯が顔を少しだけ上げて私を見る。
私はなんとか笑いを堪えると、ウェルズリー伯に声を掛けた。
「ふふっ。笑ってしまって、ごめんなさい。あなたの『王国貴族らしい』模範回答を聞いて、昔の可笑しな出来事を思い出してしまいまして。……ところで、あなたのお名前は?」
私は既にウェルズリー伯のことを知っているが、他の貴族達の手前、敢えて知らないふりをする。ウェルズリー伯は緊張して声を上擦らせながら、私の問い掛けに答えた。
「ブライアン・ウェルズリーでございます。ウェルズリー伯爵家の門地を継いで、歴代のローゼンハイム王より賜った領地と領民を管理しております」
私には、そう話すウェルズリー伯がかすかに震えているのが分かった。
この国では、王に国民を処刑する権限がある。貴族であろうとも、王に失礼な口をきけば、その命が無くなることがあった。前王であるグローヴィスは安易な処刑はしなかったが、戴冠式で奇行を見せる私がウェルズリー伯にどのような言葉を掛けるのか、他の貴族達が固唾をのんで見守っていた。
「ウェルズリー伯爵ですね。覚えておきましょう。いずれにしても、あなた方には期待しています。領民にとって良い領主となるように努めてください。何か困ったことがあれば、すぐに私に言うのですよ」
私の言葉に、ウェルズリー伯は少し上げていた頭を再び深く下げた。その表情は見えないが、大きく動揺しているのが分かった。
──ウェルズリー伯の印象は革命の時とは随分違うけれど、もしかして、反感を持っていた王室の人間に声を掛けられて驚いているのかしら? それとも、女王になったばかりの小娘の尊大な態度にビックリしてる?
私は軽く笑みを浮かべながら、そのまま玉座の間の出口に向かう。
そして、出口の前で一旦振り向くと、目の前で敬礼して頭を下げる貴族達に声を掛けた。
「皆様、お疲れ様でした。今日はゆっくりと休んでください。そして、これからどうぞよろしくお願いいたします」
私の言葉に、貴族達がさらに頭を下げる。しかし、貴族達の一番奥、玉座に一番近い場所にいる上級貴族達は、私に対してさほど敬礼をしていなかった。
私は彼らに鋭い視線を送りながら、呟くように言葉を付け加えた。
「……私は父のように優しい王ではありませんから、覚悟しておいてください」
遠くの上級貴族達に私の声は届いていないが、手前にいる下級貴族達の間に、凍り付いた空気が流れたのが分かった。しかし、私はそれを気にすることなく、再度振り向いて部屋を出た。
こうして、私のローゼンハイム王国の再建物語が幕を開けた──。