第2話 処刑のための裁判
私は見慣れた廊下を歩きながら、ボーっと窓の外を見る。
──あ、寒いと思ったら雪が降ってたんだ。
雲に覆われた寒空の下、しんしんと降る雪は王宮の庭園を白く覆っていた。いつもよりも静寂を感じるその光景に、私は思わず心奪われたが、ジンジンとする足裏の痛みですぐに現実に引き戻された。
──王宮の廊下って、素足で歩くとこんなに冷たいのね……。
一週間前に地下牢に入れられて以降、私は靴すら支給されずに裸足で過ごしているが、地下牢よりも地上階の床の方が冷たい。石畳が外の冷気をそのまま王宮内に伝えるためか、冬の寒さが身に沁みた。
両脇の兵士は扉の前で立ち止まると、私に目の前の部屋に一人で入るように言った。私が手錠を掛けられたまま両開きの扉の前に一歩進むと、入り口の両側にいた二人の兵士が扉の取っ手を持って同時に開いた。
「ローゼンハイム王国前女王、シルヴィア・ローゼンハイム。被告人席に座りなさい」
私は部屋の中から聞こえる声に従い、見窄らしいワンピースを揺らしながら、手錠をお腹の前に下げて前に進む。そして、いつもは罪人が座らされている被告人席に座った。
私は、自分自身も何度か座ったことがある正面の法壇を見上げた。
──私もあんな風に、罪人達を蔑むように見ていたのかな……。
法壇には五人の裁判官と書記が座り、私を見下ろしていた。そのうちの一人、革命政府の裁判長を務めるウェルズリー伯が、うつろな目の私をじっと見つめた。
「シルヴィア・ローゼンハイム」
その呼びかけに、私はウェルズリー伯に目を向けてじっと見る。
「本日のこの場は、貴女の罪状を詳らかにし、公の記録として残すものです。本裁判は一回のみの開催であり、貴女に後日弁明する機会はありません。そのため、最後に判決を言い渡すまでは、常識の範囲内で自由に発言しても良いものとします」
私は何も答えずに、ただ視線を下げた。
──どうせ死刑なのに、私に何を言えというの……。
ウェルズリー伯がロール状になった一枚の紙を広げた。そして、そこに書かれている私の「罪状」を読み上げる。
「シルヴィア・ローゼンハイムの大罪は次の通りである。一つ、シルヴィア・ローゼンハイムは王権を乱用し、民衆を過大な税で苦しめ、農作物を過剰に搾取し、その平穏な生活を脅かした」
「ちょっと待ちなさい!」
私は何も弁明しないつもりだったが、一番最初の罪状から思わず声を上げてしまった。
「何ですか、その罪状は!? 私は民衆を苦しめるために重い税を掛けた覚えなどありません!! 農作物に関しても同じです!!」
私が反論すると、ウェルズリー伯は表情を変えずに机上の一枚の紙を手に取る。そして、私に突き付けるように見せた。
「シルヴィア・ローゼンハイム。これが何か分かりますか?」
「それは……、私がサインした書類?」
「そうです。この書類は、貴族を含む全国民に人頭税を課し、かつ、収入に対する所得税率を80パーセントに引き上げる根拠となった命令書です」
「はっ……80パーセント!? 私はそんな命令は出していません!! 何かの間違いです!!」
ウェルズリー伯は起立して法壇から下りてくると、私の眼前に書類を突き出した。
私はその命令書を懸命に読む。最下部にある署名は間違いなく私の自筆だが、命令が記載されている書類の冒頭部分には「80パーセント」という記載は無い。
私は手錠を掛けられているため、両腕を上げて場所を示すようにしながら声を荒げた。
「ここには80パーセントなどという数字は書かれていないではないですか!! むしろ、冒頭に20パーセントと書かれています!! どうしてこれが、重税を掛けるための私の命令書なのですか!?」
ウェルズリー伯は、私の反論を予想していたように命令書の一カ所をトントンと指差す。
「『但し、国庫の収支が赤字に陥った場合は、税率の上限を宰相と財務尚書の裁量で引き上げることができる』……という一文がここにあります」
私は血眼になりながら、ウェルズリー伯が指摘した部分を必死に読む。すると、20パーセントの記述から遠く離れた後半、しかし、最後尾ではない絶妙な場所に、その一文が記載されていた。
「……この一文があったとしても、常識的に考えて、私の承諾なしに増税はできないでしょう?」
「どこに『増税時には国王の承諾が必要』と書いてありますか?」
その質問に私は口を噤む。
「国王の命令は絶対です。貴女が宰相と財務尚書に税率設定を委ねる命令を出したのですから、80パーセントの税率は国王の命令とイコールなのです」
「そんなの、私を罪人にするための詭弁じゃないの!」
「貴女がどんなに否定しようとも、貴女自身が署名した命令書と、実際に増税された事実があります」
私は命令書を凝視しながら、命令書にサインした当時を必死に思い出した。
「……そういえば、私がこの命令書にサインをした時、宰相は『国民の所得は倍増して、国庫は既に黒字になっている。そのため、これ以上、国の税率を上げることは有り得ない』と説明していたはずです」
私の言葉に、ウェルズリー伯は呆れたように溜息を吐いた。
「何を言っているんですか? ローゼンハイム王国は、あなたが即位した時から赤字です。私の息子が財務省で官吏をしておりましたから、国の財政状況は存じております。国民は重税のために貧しい生活を強いられ、我々貴族が領民のために、他国から食料をなんとか融通していたのです」
言葉に詰まったまま顔を青くする私に、ウェルズリー伯は間を置いて口を開いた。
「まさか、知らなかったのですか?」
私はウェルズリー伯をキッと睨むように見る。
「そんな話は誰からも報告を受けていません!」
私は椅子に座ったまま前のめりになって訴えた。
「王国はこの周辺で最も豊かな国だと聞いていました。……そうだ!! 宰相のハロルド叔父様を呼び出すことはできませんか? 王国の財政状況は全て叔父様から聞いていたんです!! 私はそれを承認していただけです!!」
私の叫びに、ウェルズリー伯は首を左右に振った。
「……グレンヴィル公爵を呼び出すことはできません」
「どうしてですか!? これは私が悪いわけではありません。私はハロルド叔父様がそう言ったから、それを信じて命令書に署名を……」
ウェルズリー伯は、私の弁明を遮るようにして理由を答えた。
「革命の最中、宰相であるグレンヴィル公爵は、妻子と共に領民によって処刑されました」
ウェルズリー伯の説明に私は一瞬言葉を失った。しかし、すぐに再度口を開く。
「公爵軍はどうなったのですか!? 叔父様の軍は、王国貴族の中でも一番の規模を誇っていたはずです!」
「貴女は一体誰が軍を構成していると思っているのですか? 虐げられた領民が領主に従うはずがないでしょう? 我々はそんな領民を支援したのです。四貴族同盟が統率した軍が、グレンヴィル公爵の親衛隊を打ち倒すのはあっと言う間でした」
私は唇を噛みしめると、頭を垂れて俯いた。
「それと、グレンヴィル公爵は財務尚書と組み、国庫から金品を横領して、随分と私財を貯め込んでいたようです。一方で、女王である貴女はそれを黙認し、民衆への重税を命令したということになっています。今お見せしているこの命令書が、その証拠の書類なのです」
ウェルズリー伯はそれだけ言い残すと、法壇に戻っていく。そして、私の罪状の続きを再び読み上げ始めた。
「二つ、シルヴィア・ローゼンハイムは、重税に苦しむ民衆の抗議を武力で鎮圧し、数千人に及ぶ死者を出した」
「そんなの、ウソですっ!! でっち上げです!! 私が守るべき国民を殺すなんてっ!! なんなの、この裁判!!」
もはや私の心の叫びだった。私は椅子から半分立ち上がると、懸命に裁判の不当さを訴える。すると、先程と同様に、ウェルズリー伯が一枚の紙を私に見せる。
「この命令書の署名が、ご自身の筆跡かどうかを確認したいですか?」
私は一旦口を開くが、身体が震えて声が出ない。遠くからでも、その書類の最下部に見える文字が、自分の筆跡だと分かった。私は脱力して、ペタンと椅子に腰かける。
「……私は悪くない……。私はそんな説明を受けてない……。国民は幸せで、反乱なんて一度も起きていない……。どうして私のせいなのよ……」
私は独り言のようにブツブツと呟きながら、気が触れた人間のように身体を震わせた。
私の声だけが部屋に響く中、法壇から再びウェルズリー伯が下りてきた。私は涙を流しながら、上目遣いでウェルズリー伯を見つめる。私は手錠を掛けた両手を上げると、思わずウェルズリー伯の服を掴んだ。
「信じて! 私は何も知らなかったのです! 私は皆が幸せに暮らしていると思っていたのです! 私はこの王国の繁栄だけを願って、自分を捨てて懸命に頑張って……」
ウェルズリー伯はそんな私を見て、ゆっくりと首を左右に振った。
「シルヴィア・ローゼンハイム、……いえ、女王陛下。それが若い貴女の一番の大罪なのです」
「……え?」
「国王はこの王国の支配者として、『事実を知らなかった』では許されません」
「そんなことを言われても、私は無理やりお父様の跡を継がされただけで……」
「あなたは、王都以外の貴族領を視察した事がありますか? 王族として生まれてから、一度でも貧しい人々に声を掛けたことがありますか?」
私はウェルズリー伯の服を掴む手を緩めて俯くと、首を振って、そのまま口を噤んだ。
「国王は現実を見ることなく、奸臣の妄言だけを信じて、安易に命令書に署名してはいけないのです」
「……でも、私は叔父様達に逆らうことなんてできない。叔父様達に逆らったら、私は殺されちゃう。私を守ってくれる人なんて誰もいないし……」
私は十代の娘に戻ったような気弱な声で、ウェルズリー伯に懸命に釈明する。
ウェルズリー伯は私を憐れむような目で見つめつつも、厳しい言葉を向けた。
「女王陛下。王が絶大な権力を持つ理由は何でしょうか? 例えば、私のような人間を『気に入らない』と言って、言葉一つで処刑できるのは何故でしょうか?」
私は俯いたまま、何も答えられない。少し間を置いて、ウェルズリー伯が話を続けた。
「それは、王が自身の命令に対して、全責任を負うからなのです。たとえ、その命令が、王の与り知らぬところで、奸臣によって王の意図しない結果になったとしてもです」
私はウェルズリー伯の言葉に、渇いた唇をギュッと噛んだ。
「平時の王国なら、全責任を特定の貴族に押し付けて処刑を行うこともあったでしょう。しかし、革命が起きた今、『私は知らなかった』という弁明は王には許されません。……なぜなら、貴女は王国そのものだからです」
ウェルズリー伯は踵を返すと、背中を向けたまま、私に言った。
「……厳しいようですが、貴女はその命を以て、ローゼンハイム王国滅亡の全責任を取らなくてはならない」
私はその言葉に、手錠を掛けたままの両手をギュッと握りしめた。
ウェルズリー伯は法壇に戻ると、再び私の罪状を次々と読み上げていく。
正直なところ、この後、私のどのような罪状が読み上げられたのかは良く覚えていない。しかし、どの罪状においても、私が民衆に対して極悪非道な命令を下したことになっていた。
「最終的に、反乱を鎮圧する際の死者が数万人に及んだ」という言葉だけが脳裏に焼き付いている。
私は手錠を掛けられたまま前に屈んで、床に涙をポタポタと垂らした。
「では、シルヴィア・ローゼンハイムに判決を言い渡す」
ウェルズリー伯はロール状になっている別の紙を広げる。そして、ずっと俯いたままの私を見た。
「主文。二日後、大罪人シルヴィア・ローゼンハイムを斬首刑に処す。また、斬首刑の後、その遺体が反乱勢力に利用されるのを避けるため、肉体が灰燼に帰すまで、火刑に処すものとする」
事前に聞いて覚悟はしていたが、実際に判決を下されると、その心理的衝撃は大きい。私の息がどんどんと荒くなっていく。
「……やだ。……こんなの、いやだ……。死にたくない……」
私はそのまま過呼吸を起こすと、椅子から崩れ落ちるようにして倒れ、その場で意識を失った。
◇ ◇ ◇
私はこの二日間、判決の精神的ショックで、地下牢のベッドに寝ころんだまま何も食べていない。
しかし、不思議と出るものは止められず、ベッドで寝ている私のワンピースと毛布は、自らの排泄物で汚れて異臭を放っていた。おそらく、このまま数日もすれば、私は何かの病気になってしまうだろう。
──以前はあんなに着飾って綺麗にして、「女王陛下の髪の毛は絹のような金髪ですね」って褒められて……。自分でも自信が持てる美しい容姿だったのに……。今の私はこんなにも汚くて、とても臭い。人間って、簡単に落ちぶれちゃうんだな……。
私が不衛生なベッドに寝たまま天井をボーっと見上げていると、地下牢の廊下をコツコツと人が歩く靴の音が聞こえてきた。
「シルヴィア・ローゼンハイム。牢の外に出なさい」
ウェルズリー伯の呼びかけを受け、私はのっそりと上半身を起こす。外の光を取りこむための牢の格子から侵入したハエが、私の周りをブンブンと飛びまわった。
「はい……」
私は処刑台に向かうため、手錠を掛けられたまま裸足で暗い地下牢の廊下を歩いていく。私が身体から放つ異臭のためか、監視役の兵士は私から遠く離れて歩いていた。
私は、前を歩くウェルズリー伯に声を掛けた。
「ウェルズリー伯……。私から最後のお願いがあります。聞いていただけますか?」
ウェルズリー伯は一旦立ち止まって、無言で私を振り返る。私はウェルズリー伯の瞳を見つめた。
「斬首刑にされる前に、少し時間を頂きたいのです。……私は、国民に謝りたい」
私のその言葉に、ウェルズリー伯は「いいでしょう」と言って静かに頷いた。そして、再び前を向いて歩きだす。
しばらく歩くと、上方に罪人専用の出口が見えた。目の前の階段を上がれば、私が良く知る公開処刑台がある王宮広場だ。
私は階段を上がると、ウェルズリー伯の後ろについて、ワンピース一枚の見窄らしい姿で処刑台に向かって歩いていく。
公開処刑台へと続く通路は、意図的に人の身長ほどの高さで作られていた。通路を進む私からは、左右に民衆を見下ろす形になる。念のためか、私が暴漢によって殺されないように、兵士がその通路下の左右を守っているのが分かった。
しかし、民衆の声までは遮ることはできない。あちこちから、私への罵詈雑言が絶え間なく聞こえてきた。
私が最後の数段の階段を上がって、斬首用の処刑台の前に立った時、ウェルズリー伯が私に目で合図を送った。
私は処刑台の上で180度後ろを向くと、周りに集まった民衆に向かって深く頭を下げる。
「皆さん! 私は女王として、皆さんに多大な迷惑を掛けました! 今まで本当に申し訳ありませんでした! この命を以て償いますので、どうか許して下さい!」
私が大声でそう謝罪するも、民衆からは罵声と共に石を投げられる。ウェルズリー伯が、咄嗟に剣とマントを使って投石から私を守ってくれたが、いくつかの石が私の身体や頭に直撃した。
私は投石が側頭部に当たって、処刑台の上で気を失って倒れた。しかし、ウェルズリー伯の呼び掛けですぐに目を覚ますと、血を流しながら懸命に立ち上がって、再び民衆に頭を下げた。
「……これから作られる新しい国が! 皆さんにとって良い国になることを、心から願っています!」
しかし、私の声は民衆には届かず、民衆の罵声によって掻き消された。
私はギュッと唇を噛んで、「ギロチン」と呼ばれる処刑台に向き直る。そして、兵士が木製の円い穴を上下に開くのを確認すると、自ら首を差し入れた。
私はギロチンに首を差し込んだまま、斬首刑の執行のために隣に立ったウェルズリー伯に話し掛けた。
「……ウェルズリー伯。先日は王宮の皆を救って下さり、本当にありがとうございました」
ウェルズリー伯からの返事はない。しかし、私はそのまま言葉を続ける。
「それから、私を怒りに燃える民衆に突き出さず、こうして『人として処刑』してくださることに心から感謝いたします」
「女王陛下……」
「……私が愛したこの国のこと、どうかよろしくお願いいたします! 絶対に良い国にしてくださいね!」
ギロチンに首を差し込んだままの私の目から、涙がどんどんと溢れ出す。その涙が、ポタポタと目の前の処刑台の石畳を濡らした。
「……もし貴女が別の時代の女王として生まれていたのなら、我々が忠義を尽くすに値する善良な女王として、王国を平和に統治されていたのかもしれませんね」
ウェルズリー伯の言葉に、私は涙を流しながら吹き出すように笑った。
「ふふっ。こんな時に、何を悪い冗談を言っているんですか」
そして、少し間を置いて、私は吐き捨てるように言った。
「……こんな損な役、もうたくさんです。女王なんて、私には向いていません」
ウェルズリー伯は私には何も答えず、ギロチンの刃を支える縄に剣を当てた。
「……皆さん、さようなら。どうか、お元気で……」
そう言ってすぐ後、私はうなじに大きな衝撃を感じた。重くて鋭い刃が、物凄い勢いで私の首を切断する。脳にはまだ血液が残っているはずなのに、私の視界が一気に暗闇に包まれた。
……ギロチンって、意外と痛くないんだ……。良かった……。
私は窒息する感覚と共に、あっという間に意識を失った。
それは、私の二十七歳の誕生日のことだった──。