昔の記憶
「未桜」
誰かが私の名前を呼んでいる。
「未桜」
もう一度、呼ばれて目を開けるが真っ暗で何も見えない。ここはどこだろう。どうして自分はここにいるのだろうか。恐怖と不安から焦りだす未桜。
「未桜」
「誰、誰なの。どうして私を呼ぶの」
誰の声かもわからずどこから声がしているのかもわからない。どこにいるかもわからない声の主に向かって叫ぶ。
「未桜」
だんだん声が大きくなる。最初に聞こえたときよりもはっきりと未桜の耳に届く。
少し落ち着き冷静に自分の状況を把握する未桜。ここで目を覚ます前のことを思い返す。
いつも通り食事を作って、洗濯して、掃除をした。いつもの仕事が終わると風呂に入って、その後は布団を敷いて寝た。
では、ここは夢の中なのではと思いつく未桜。
なら、さっきから聞こえるあの声は知っている人のではと考える。
「未桜」
「未桜」
「未桜」
「私はこの声を知っている」
愛しいそうに自分の名を呼ぶ声の主。誰の声かは思い出せないが、優しく温かい声はどこか懐かしさを感じる。
ポタポタと音がする。どこから聞こえてくるのか周りを見渡すが真っ暗で何も見えない。ポタッともう一度聞こえる。
未桜の手の平の上に落ちて濡れる。上を見上げても、やっぱり何も見えない。フーッと息を吐き下をむくと、ポタポタポタと音がする。右手で顔を覆うと頬が濡れていることに気づく。
そこで、初めて自分が泣いていることを知る。
「あれ…なんで…私、泣いて」
気付いたら、もっと涙が溢れ出して止まらなくなる。
「(あぁ、私はあの声の人を知っている。大好きな人の声だったのに、毎日聞いていた声だったのに、いつの間にか思い出せなくなって忘れてしまった。私を愛してくれた人の声)」
涙で顔はぐちゃぐちゃになっている未桜。
「この声はあなただったんですね、母上」
声の主は十二年前に亡くなった母親の舞桜のだった。
もう一度、舞桜の声を聞けた嬉しさと懐かしさ。舞桜と過ごした幸せな日々、舞桜の死んだ日を思い出しいろんな感情何一気に押し寄せてくる
「母上…母上…。会いたいです。母上」
今にも消えてしまいそうな小さな声で呟く未桜。
未桜の心が壊れて暗闇に呑み込まれそうになったとき、「未桜」ともう一度名を呼ばれる。真っ暗な世界に一筋の光が差し込む。その光を見つめていると何か飛んでくるのが見えた。
桜の花びらだ。ヒラヒラと舞うように飛んでいる。手を伸ばし掴もうと桜の花びらに触れるとパッと消える。いきなり消えて驚く未桜。幻覚だったのかと考えていると、また桜の花びらが飛んできた。
どこから飛んできたのか。光が差し込む方へと向かって歩きだす。光の方へと進んでいくと真っ暗だった世界が少しずつ光へと変わっていく。
結構歩いたのにまだ何も見えない。あと、どれだけ歩いたら辿り着けるのだろうかと途方に暮れていると物凄い光が未桜の回りで輝きだす。
あまりの眩しさに目を閉じる未桜。目を閉じていても目が痛くなる。少ししたら眩しくなる。ゆっくりと目を開けると、桜の木が目の前にあった。
とても美しい桜だと感じる未桜。
しばらく眺めていると、ふと桜の木の下に人が居るのが見えた。自分以外にも人が居るのに驚いて近づいていく。近づいても中々その人の顔が見えない。光のせいか、それとも舞っている桜の花びらのせいか、上手く隠されていて見えない。
とりあえず顔が見えるまで近づいたらいいかと思い、止めていた足を進めようとすると「未桜」と私の名が呼ばれた。
声のした方を見ると、さっきまで舞っていた桜の花びらがその人を避けるように舞っている。
「母上」
桜の木の下にいるのが舞桜だとわかり側に行こうと走りだそうとするが足が動かない。何故動かないかと足元を見ると自分の体が土に吸い込まれていた。
「嘘、どうして今なの…母上、母上」
自分の体が吸い込まれるように少しずつ下へと向かっているのに焦る未桜。やっと会えた舞桜に気付いてほしくて必死に叫ぶ。
「未桜」
気付いてくれたのかと嬉しくなる未桜。その瞬間強い風が吹き花びらが舞う。
風が強く砂埃が目に入らないよう腕で顔を守るように覆う。風が止み腕を下ろす。舞桜は無事かと「母上」と呼びかけるが別の声も聞こえた。
「ははうえー」
もう一度聞こえた。声の方に顔を向けると少女が舞桜のところへと走っていく。
「あれは、小さい頃の私」
その姿を見て3歳の頃の自分ではないかと考える未桜。その頃の記憶は覚えていない。今見ている光景は過去の出来事なのではと思いはじめる。
もしそうなら、舞桜に私のことは見えていないのだろうと思い悲しくなる。
「ははうえー」
小さい未桜が舞桜に抱きつく。舞桜も嬉しいそうに抱きしめ返す。その光景はとても微笑ましかった。
「未桜。可愛い可愛い私の子供」
愛しそうに小さい未桜を見つめる舞桜。「きゃきゃきゃ」と嬉しそうに笑う小さい未桜。
お互いに頬を寄せて幸せそうに笑いあう。
「未桜、あなたの名はこう書くのよ」
落ちていた木の枝で地面に未桜と書く舞桜。それをじーっと見つめる小さい未桜。
「これが私の名」
目をキラキラと輝かせて地面に書かれた自分の名の漢字を見る。その小さな未桜の姿を見て愛しさが増す舞桜。
「ええ、そうよ。これでミオウと読むのよ」
フフッと幸せそうに笑う舞桜。
「母上。これ一つだとなんて読むのですか」
自分の名に使われている漢字が一つ一つだと何て読まれているのか、どんな意味があるのか気になる小さな未桜。
「この"未"はミとかマダ、ヒツジと読まれているわ」
地面に書かれた未の文字を木の枝で指しながら説明する。
「次の"桜"はもちろんオウと読むわ。あと、オともね。でも、一番読まれる読み方は」
そう言って上を見上げる舞桜。未桜もそれに続いて上を見る。桜の花が満開に咲いているのが目に入る。
「サクラ」
小さな声でそう呟く。
サクラがなんなのか分からず不思議に思う小さい未桜。いろんな花を見たことはあったが、この頃の未桜は花の名を一つも知らなかった。
「サクラ。この花と同じ名よ」
桜の木の下で桜の花びらが舞う中で愛しい我が子に名の意味を幸せそうに教える舞桜。
「綺麗」
思わず口から思っていることがでる小さい未桜。
舞桜がまるで桜のお姫様みたいだと錯覚してしまうくらいにその光景は神秘的だった。
「ええ、本当に綺麗ね」
自分のことを言っているとは気づかず、桜のことを綺麗だと言ったと思っている。それに同調して綺麗だと言う舞桜。
このとき自分の名の桜がサクラと読まれることと花と同じ文字とも教えてもらったが、もう一度舞桜に読み方を教えてもらうまで忘れてしまう。
「サクラ…サクラ…この花の名はサクラ」
フフッと嬉しそうに笑い舞桜に抱きつく小さい未桜。
「母上。私はこのサクラの花が花の中で一番好きになりました」
「私も、桜の花が一番好きよ」
そんな二人の幸せそうに抱き合う二人を見て涙が溢れ出す未桜。舞桜が生きていて毎日が幸せでこんな日々がずっと続いていくと思っていた。何もかも当たり前だと思っていた。
そんなことはありえないのだと、舞桜の死をきっかけに思い知らされる。
あそこにいる私は三歳くらいだろ。十年後の未来に舞桜はこの世にはいない。殺されてしまう。ただ、そばにいたかった。いてほしかった。それだけだったのに、一瞬で全て壊れてしまった。
この光景は自分が忘れていた記憶。思い出せて嬉しい気持ちと今の自分はもう舞桜に抱き締めてもらえない悲しさ、母親という温かい温もりを感じれる羨ましさ、何も知らず幸せに笑う小さい自分への同情、舞桜を失ったときの苦しみの感情が一気に襲いかかる。
時が経つにつれ舞桜のことを思い出せなくなっていた。
例え夢の中でももう一度舞桜に会え、顔を思い出せただけでも幸せだと思うべきだと頭ではそう納得させるが、抱き締めて欲しい、話しかけて欲しい、笑いかけて欲しいと心の中で強く願う未桜。
体の力が抜けていき崩れ落ちる未桜。涙が頬をつたい地面に落ちていく。見るのが辛くなり二人から顔を背ける。
下を見ると二つの白い花が寄り添って咲いているのが見えた。その二つの花が舞桜と小さい自分に見えて涙が溢れ出す。声を押し殺して泣く未桜の涙が二つの花の上に落ちていく。
「未桜」
自分ではなく小さい自分に呼びかけた声だとわかっているのに、何故か自分に向かって呼びかけられた気がして顔を上げ舞桜を見る。
「あなたの名には、桜のように気高く美しい人になって欲しい。桜のようにたくさんの人に愛される未来であって欲しいと願って名付けたの。名は親が子供に最初に贈る贈りものなのよ。未桜、可愛い私の子供。私のもとに生まれてきてくれてありがとう。愛してるわ、未桜」
舞桜が何を言っているのかよく理解できていなかったが「愛してる」の言葉だけは理解できた。
「母上、私も母上のこと愛しています」
舞桜に愛の言葉を伝える。
二人のやりとりを声を押し殺して見ていたが「母上、私も母上のことをずっと愛しています」と聞こえるはずもない舞桜に向かって愛の言葉を伝える。
未桜の瞳から涙が流れていたが、舞桜の愛を伝えるときは幸せな顔で微笑んでいた。
「あっ、遅い。ようやくきた」
舞桜が未桜に向かって手を振る。
えっ、と驚くが自分の後ろから足音が聞こえる。誰か知り合いがきたのだろう、そう思って振り返ろうとすると地面がいきなり崩れていく。
突然のことで何もできず下の真っ暗な世界へと落ちていく。舞桜へと手を伸ばすが当然届くはずはない。
「母上、私も母上が母親で幸せです。私を生んでくださりありがとうございます。私を愛してくださりありがとうございます。私もあなたのことして生まれることができて幸せです」
今ここにいる舞桜は未桜の小さい頃の記憶のもの。声など聞こえるはずなどないとわかっているが、それでも舞桜への想いを伝えずにはいられなかった。
どんどん真っ暗な世界へと落ちていく。下を見ても出口など見えない落とし穴に落ちている感じだ。
真っ暗な世界から抜け出せないのかと思っていたら、一筋の光が差し込む。
「未桜」
知らない男の声が差し込まれた光から聞こえる。
「未桜」
もう一度呼ばれる。
光の中から手が差し出される。
「(あなたは誰。どうして私の名を知っているの)」
知らない男の手を取るべきか悩んでいると、トンッと背中を押された。大丈夫だと言われている気がして手を掴む。知らない男の手なのにすごく安心する。
「未桜」
男にもう一度名を呼ばれ、光の中に引き上げられる。光に包まれて「もう大丈夫」と男が優しく未桜を抱きしめる。
顔は見えない知らない男なのに、ずっとこの腕の中にいたいと思う安心する温もり。
「会いにいくよ」
そう男が言うと光が眩く輝き現実の世界へと意識を連れ戻す。
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