8 王子の来訪
「ライアン殿下、何事ですか?」
慌てた様子ながらも落ち着いた物腰のカーティス殿下が、颯爽と私室に現れた。
後ろに並ぶ数人の側近の中にお兄様の顔が見えて、なんだか少しホッとしてしまう。
「カーティス殿下、すまない。執務中に」
「いえ。それより、どうされました?」
テーブルの上に並んだままのティーセットを見て訝し気に眉根を寄せるカーティス殿下に、ライアン殿下は苦い顔をしながら重い口を開いた。
「実は、紅茶葉に毒物が混入していた」
その言葉に、部屋の空気が一瞬で戦慄する。
「どういうことですか?」
事態の重大さにいち早く気づいたカーティス殿下に促されるように、ライアン殿下は先程起こったことを私の言葉も交えながら説明し始めた。
「つまり、殿下の私室にあったこの紅茶缶に猛毒のサエアの実が混じっていて、それが持ち込まれたのは王宮に通じる隠し通路からなのでは、ということですか?」
「そういうことだな。ちなみに、本当にあれは隠し通路なのか?」
ライアン殿下が執務机の方を指差しながら尋ねる。
カーティス殿下は少し難しい表情をしたあと、腹を括ったのかゆっくりと頷いた。
「はい。しかしこれは機密事項で、外部の方、つまり諸外国の方々には決して知られてはならないことなのです。外国の要人が滞在される際には離れを使っていただくことが多いのですが、隠し通路の存在は伏せたままなので。失礼なことだとは十分承知していますが」
「それは仕方のないことだろう? どんな国にも自衛手段は必要だからな」
「ご理解いただきありがとうございます。ただ」
カーティス殿下は、難しい表情をさらに難しくさせた。
「その隠し通路の存在について、知っているのは我々王族と妃教育を受けた婚約者のみなのです」
それが何を意味するのか、誰も口にすることはできなかった。
つまり、毒入りの紅茶缶をここに持ち込めるのは王族の誰かか、妃教育を受けたアンドレア様か、私しかいないというわけで。
正直、そんなことをしそうなのは、一人しかいない。
この場にいる全員が、口にはしなくても自ずとその可能性の高い一人の人物を頭に思い浮かべている。
「では、その『誰か』がここに紅茶缶を持ち込んで俺の暗殺を企てたとして、その目的はなんだ? もし俺に何かあったら帝国が黙ってないのは馬鹿でもわかることだろう?」
「あの」
アシュレイ様が、緊張した面持ちで声を上げた。
膝に乗せた両方の手が、少し震えている。
「それについては、グレイスに説明させてもらえませんか?」
さっき2人きりになったとき、私たちはこのことが大陸全体を揺るがす大事件につながる可能性について話し合った。
もしも私の考えている通りなら、何かが起こる前に阻止しなければならない。
でも私の手元にあるのは状況証拠のみで、残念ながら確たる根拠があるとはいえない。
しかもこの件に関する首謀者の「最終的な」目的がどうしてもわからない。
だからアシュレイ様に、すべてをカーティス殿下に話して力を借りようと言われていたのだ。
「グレイス嬢、君はこの件について、犯人の目的を説明できるのか?」
硬い表情を崩さないカーティス殿下のすぐ近くに、心配そうな目で私を見つめるお兄様の顔が見えた。
ちょっとだけほのぼのした気分になって、私の心と体を縛る緊張がいくらか解れていく。
「説明できます。犯人の目的だけでなく、今この大陸で、何が起ころうとしているのかも」
私は真っすぐに顔を上げた。
そして、私の頭の中のある仮説について、詳しく説明を始めた。
*****
毒による皇太子暗殺未遂事件については、事が事だけにごく一部の者のみで秘密裏に調査が行われることになった。
私とアシュレイ様はその場に居合わせた者として帰宅が許されず、そのまま王宮に留まるようにとの命を受けた。
私は以前王子妃教育のために通っていた際に使用していた王宮内の一室に通され、アシュレイ様はその隣の一室を使わせてもらうことになったらしい。
隣同士の部屋にしてくれたのは、偶然とはいえこんなことに巻き込まれてしまった私たちへの配慮なのだろう。
少しだけ懐かしさを覚えて部屋を見回していると、アシュレイ様が部屋を訪れた。
「グレイス、大丈夫?」
「はい。アシュレイ様こそ」
「僕は特に何もしてないからね。あ、でも公爵領のサエアの自生地に関してはすぐに調査するよう頼んだよ」
実は、サエアの自生地は広い公爵領の中にある。
最初にサエアの実の話をしたとき、アシュレイ様がひどく驚いていたのはそのためだった。
「公爵領の中にあって国が厳重に管理しているはずなのに、その警備や監視をかいくぐってサエアの実を採取したわけだろう? 現状、サエアはあそこにしか自生しないし、犯人たちがわざわざ栽培の許可を得ようとするとは考えにくいからね」
「もし私が考えている通りなら、警備がいくら厳重であってもあまり意味をなさないと思います」
「ふふ、グレイス。また丁寧な言葉に戻ってる」
アシュレイ様は、揶揄うように私の頬をつついた。
「あ、ご、ごめんなさい……」
あの公爵邸でのお茶会のあと、私たちは自然に少し砕けた口調で話をするようになっていた。
「謝ることじゃないよ。殿下に自分の考えを説明するとか、緊張するよね。しかも、あんな重大なことにずっと前から気づいていて、一人きりで抱えていたなんて」
私の頬をつついてた手が、いつのまにか私の頬を撫でている。
「僕に今できることはそう多くはないけど、グレイスのそばにいるから。だから大丈夫」
「はい」
私は目を伏せて、自分の頬を撫でるアシュレイ様の手を握った。
それはとても、優しい温かさだった。
「ねえ、グレイス。こんなときなんだけどさ」
アシュレイ様が唐突に、この場にそぐわない蕩けるような声でささやく。
「キスしていい?」
「は? な、なんで今?」
「いや、今までもずっと、機会をうかがってはいたんだけど。なんか今日のグレイス、圧倒的に格好いいんだけど僕にだけは不安な気持ちを見せて頼ってくれるから、いじらしいというか愛しいというか」
「え?」
「だから、甘やかしたい気分」
そのまま、アシュレイ様の腕の中に難なく捕らえられる。
眼鏡はどうするの? なんて思う暇もなくうっとりと微笑んだ顔が近づいてきたから、私は慌ててきつく目を閉じた。
その日の夜。
事件のせいで妙に目が冴えてなかなか寝つけずにいた私は、ベッドの上で何度も寝返りを打ちながらあれこれと考えていた。
これまでずっと、不思議に思っていたこと、不可解に感じていたこと、些細と思われた疑惑や謎が、今も私の頭の中で蠢いている。
それはパズルのピースのようで、一つひとつは関連性を持ってつながっているのだけれど、どうしても最後のピースだけが埋まらない。
埋まらないから、この事件の真相が、全体像が掴めない。
そうして何度目かのため息をついて寝返りを打ったとき、ふとドアノブがカチャリと音を立てた気がした。
ドアには鍵がかかっているはず。
ドアの外には、警護のための近衛兵も立っているはず。
でも殺伐とした予感が私を襲い、声を出さずにベッドを降りて、部屋の隅に走ったそのとき。
「グレイス」
ゆっくりとドアを開けたのは、ジェイコブ殿下その人だった。
「で、殿下……どうして」
「グレイス、助けてくれないか? 俺はこのままじゃ終わりだ」
躊躇う様子もなく部屋の中に入ってきたジェイコブ殿下は、すがるように声を潜めた。
「何を……」
「わかってるんだろう? ライアン殿下の私室に紅茶缶を持ち込んだのは俺だ。でも、これは罠なんだ」
「はい」
「え?」
「罠だということは、わかっております」
「は? わかってるのか? 兄上も?」
「はい。説明しました」
「は? お前、俺が騙されて利用されてたの、わかってたのか? わかってて見捨てたのか?」
ジェイコブ殿下の声が、徐々に非難の色を強めていく。
「見捨ててなど……! 婚約破棄を言い出したのは殿下ではありませんか。それに私だってこれまで何度もお願いしてきました。レベッカ様と距離を取るようにと」
「あれはお前が嫉妬で言ってたことじゃ」
「違います。嫉妬などではありません。でも、はっきりとした理由をお話ししなかったのは私の落ち度だとは思っています」
「じゃ、じゃあ、お前……」
想定外に次々と投げ込まれる事実の数々に、ジェイコブ殿下の表情が仄暗く翳っていく。
「……最初から、わかっていたのか?」
「最初かどうかはわかりませんが、比較的早い段階から疑念は持っておりました。でも、すべて状況証拠にすぎませんし、単なる可能性の段階であちらを糾弾することなどできません。それに、はじめはそうした疑念の一つひとつに関連性がないように思われたのです。だからなおさら、はっきりしたことは申し上げられず」
「気づいてたくせに、大事なことは何も教えてくれなかったんだな」
「殿下……!」
「婚約者が聞いて呆れる。お前が最初からちゃんと話していたら、こんなことにはならなかったんじゃないのか! こうなったのはお前のせいだろ!!」
殿下はそう叫んだかと思うと、一気に私との距離を詰めるべく近づいてきた。
目の前のベッドの上に乗り上げたところで、私は恐怖のあまり頭を抱えたまましゃがみこんで目を閉じる。
何秒か、経過した。
でも、何も起こらない。
ゆっくりと目を開けた私の視界に、ベッドの上で近衛兵に取り押さえられているジェイコブ殿下の歪んだ顔が飛び込んできた。
同時に、恐怖で遮断されていた私の聴覚が戻ってくる。
「グレイス!!」
アシュレイ様の泣き叫ぶような悲痛な声が、ようやく私の耳に届いた。
「あ、アシュレイ様……」
「大丈夫? 怪我は?」
「だ、大丈夫です……」
少しろれつの回らない私を泣きそうな顔で見つめるアシュレイ様は、力任せに私を抱きしめる。
「グレイス、ごめん。もっと早く気づいてれば……! ほんとにごめん」
「アシュレイ様が気づいてくれたの……?」
「なんだか眠れなくてね、起きていたんだよ。そしたらこの部屋から物音がした気がして……。でもいくら婚約者とはいえ夜中に入って行くわけにいかないし、近衛兵に様子を見てもらおうとドアを開けたら誰もいないから、おかしいと思って」
アシュレイ様はそのまま部屋を出て、いちばん最初に会った近衛兵に事情を説明したらしい。
状況の不自然さに気づいた近衛兵が素早く仲間を集め、アシュレイ様と部屋まで戻ってきたちょうどそのとき、ジェイコブ殿下の叫び声が聞こえたという。
「怖い思いさせて、ごめん」
「そ、そんなこと」
「グレイスが無事でよかった……!」
私を抱きしめたままのアシュレイ様の痛々しい声が、耳に切なく響いた。
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