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5 子爵令嬢の突撃

「グレイス様!」


 ランチを終えてカフェテリアから出たところで、目の前に今日はいるはずのないレベッカ・ソラーズ子爵令嬢が現れて面食らう。


「グレイス様! ジェイ様に会わせてください!!」

「は?」

「あの夜会のあと、ジェイ様は王宮から出られなくなってしまって、私たち全然会えないんです! 会いに行っても『ソラーズ子爵家は出入り禁止』って言われて王宮の中に入れてもらえないし、手紙を出そうにも取り次いでもらえなくて……グレイス様なら、何とかできますよね!?」

「できませんよ」


 私は事もなげに即答した。


「私はもう、殿下の婚約者でもなんでもありません。そのことはあなたもよくご存知では?」

「婚約破棄されたのはもちろんわかってるけど、手紙をジェイ様に取り次ぐとか私を王宮に連れて行くくらいは、簡単でしょう?」


 レベッカ様は悪びれる様子もなく、というか自分の主張がさも当然だと言いたげな表情をしている。


 そして最大限着崩した制服から無駄に胸の谷間を露出させ、制服にはおよそ不釣り合いなネックレスが首元で鈍い光を湛えている。


 私はそんなレベッカ様に目を落とし、あのときと同じように小さくため息をついた。



 いや、もう、訳がわからない。


 というか、ここは諸外国に広く知られた最高学府であるはずなのに、どうしてこうも言葉の通じない方々が多いのかしら。



「レベッカ様」


 私はできるだけ穏やかに、そして王子妃教育の賜物でもある感情のこもらない儀礼的な笑顔を貼りつけて語りかけた。


「私とジェイコブ殿下の婚約がなくなったということは、私はもう王族とは何の関係もないということです。関係のない私が、どうしてジェイコブ殿下とレベッカ様の間を取り持つことなどできるのでしょう?」

「でも、ついこの前まで王宮に通ってたじゃない。私を王宮に連れていくくらい、訳ないでしょ?」

「それはジェイコブ殿下の婚約者として王子妃教育を受けるために通っていたのです。婚約者でなくなった以上、王宮に行く理由がありません」

「はあ? もしかしてグレイス様、私にジェイ様を取られたからって、嫉妬ですか? 意地悪ですか? そういうのはやめろってジェイ様がこの前あれほど」

「レベッカ嬢」


 埒が明かないやり取りを見かねたのか、アシュレイ様がぴしゃりとした口調で遮った。


「ジェイコブ殿下にお会いしたい気持ちはわからないでもないですが、グレイスは婚約を破棄されたのです。王族との個人的な関係は一切なくなりましたので、自由に王宮を出入りすることはできません。今回の騒動について、ジェイコブ殿下は厳しく責任を追及されることになるでしょう。それに関してはあなたも同罪なのでは?」

「どういう意味よ」

「今回の婚約破棄に、あなたの責任はないのかと聞いているのです」

「婚約破棄したいって言い出したのはジェイ様の方よ。私がそうしろなんて言った覚えはないわよ。『グレイスとの婚約を破棄して、君と婚約し直したい』って向こうが言ってたんだから」



 その言葉を聞いて、レベッカ様以外の全員が思わず盛大なため息をついた。



 やっぱり、そんなこと言っていたのか。



 みんながみんな、開いた口が塞がらないという表情をしている。



「それなのに夜会のあとこんなことになっちゃって。こっちの身にもなってよね」


 言いながら、レベッカ様はアシュレイ様の腕にしがみつき、どさくさに紛れてたわわな胸を押しつけている。



 あ、これは。


 殿下が「落ちた」やつ。



 ふつふつと仄暗いものが心の内側にせり上がり、堪えきれず目を背けそうになった瞬間、アシュレイ様は顔色一つ、目の色一つ変えずにレベッカ様の腕を取って離れ、距離を取った。


 そして無表情を貫いたまま、少しズレた眼鏡の位置を直している。



 その意外な反応に驚いていると、コーデリア様がさっと前に出てレベッカ様に対峙した。


「わかりました」


 そして品のある凛とした声で、淡々と言い募る。


「今この場で王族に最も近い立場なのは、現宰相の娘でもある私です。私からお父様に話してみますので、それでよろしいですか?」

「ほんと?」


 レベッカ様はぱっと目を輝かせ、明るい期待を滲ませながらコーデリア様に頷いた。


 「話してみるというだけで、願いが叶うとは思いませんが」とつぶやくコーデリア様の声は、残念ながらレベッカ様には届かなかった。





*****





 その日の帰り際、私は王立学園に隣接する王立図書館に立ち寄っていた。

 大陸一の蔵書を誇る王立図書館は、私にとってはすべての知識が網羅された愛すべき庭である。


「何か気になる本でも?」


 結局、帰りもアシュレイ様が送ってくれることになった。


 今日だけでエルドレッド様にレベッカ様という大物2人に突撃されたのだ。アシュレイ様は「しばらくはこの混乱に乗じてグレイスに言い寄ろうとする輩が多いだろうから」と片時も離れようとしない。



「ちょっと、調べておきたいことがあって」


 私は借りたいと思っていたお目当ての本を次々に探して手に取っていく。


「『古代文明と魔法』『魔導論序説』『魔法及び魔導の実践』って、グレイスは魔法に興味があるの?」

「興味があると言えばありますが、むしろ以前学んだことの復習というか」


 わりと分厚くて重量感のある3冊の本を一気に抱えようとすると、アシュレイ様がごくごく自然な流れるような動作で代わりに持ってくれた。


 軽々と手に取る様子を見て、やっぱりもう「子ども」ではないわよね、と改めて思う。




 この世界に、「魔法」というものは存在しない。


 はるか昔の古代文明において、「魔法」やそれを研究し実践する「魔導」というものが存在していたらしいことはこれまで多くの研究によって示唆されているけれど、時代が進むにつれてそれは失われ、そしてすでに何百年という時間が経過している。


 だからこの世界に生きる私たちの誰一人として、「魔法」を使うことはできない。




「先程エルドレッド様にお会いして、そういえば以前から気になっていたことがあったのを思い出したのです」

「へえ」


 なんだか不穏な響きの声が聞こえた気がして、見返すとアシュレイ様が明らかに不機嫌そうな顔をしていた。


「エルドレッド様ね」

「エルドレッド様ですわ」

「……面白くない」


 拗ねたような表情を見せるアシュレイ様が、とても可愛らしく思えてしまう。


「そんなお顔をしていると、また『子ども』だなんて揶揄われますわよ」

「グレイスまでそんなこと言うんだ?」

「私は、そんなお顔のアシュレイ様も好ましく思いますけれど」


 少し上目遣いで言うと、アシュレイ様は心なしか頬を染めて「参ったな」とつぶやく。


 

「ところで今朝、コーデリア様が『アシュレイ様にお聞きになったら?』と言われたのって、どういうことなのですか?」


 私は、今朝のアシュレイ様とコーデリア様のやりとりをふと思い出して尋ねてみた。


 アシュレイ様は思いがけないところを突かれたのか、ハタと立ち止まる。


「あー、それは……」


 そしてしばらく逡巡したあと、私の顔色をちらちらとうかがいながら気まずそうに話し出す。


「コーデリア様には、バレていたのです」

「何が?」

「僕があなたをお慕いしているということをです」


 アシュレイ様は、決まり悪そうに微笑んで続けた。


「僕としては絶対に悟られてはいけないと思っていたのですが、コーデリア様は勘づいていたようで、いつだったか直接聞かれました。このままいけばグレイスとジェイコブ殿下の婚約はきっとなくなるだろうから、諦める必要はないと励まされて」

「そうなの?」

「ついでに言えば、ライアン殿下も気づいていたと思いますよ。僕たちが常に一緒にいたのは、仲が良かったということもありますが、お互いに牽制し合っていたところもあって」

「そうなの?」


 続々と明らかになる思いもよらない事実に、ただただ驚くばかりである。


「だけどね、グレイス」


 アシュレイ様は、一昨日から得意技になった甘やかな目をして、私を見据えた。


「僕はあなたが『博識令嬢』だから好きになったわけではありません。あなたの幅広い知識や優れた見識はもちろん尊敬していますが、もしもあなたが『博識令嬢』でなかったとしても、あなたを好きになっていただろうと思うのです」



 その言葉は、私の胸に真っすぐ届いて、そしてすとんと落ちた。




 学ぶことや知識を得ることが好きで、それをもとに何かを深く考えたり新たな可能性を見出したり理論を構築したりということが楽しくて、そんなことに没頭し突き進んで来たらいつの間にか「ラングリッジの至宝」とか「博識令嬢」とか呼ばれるようになっていた。


 そのこと自体に異論はない。むしろ光栄なことだと思う。



 でも、私はいつしか自分の取柄は頭の中の豊富な知識だけで、それ以外には価値がないのではとどこかで思うようになっていた。

 まわりが認めてくれるのは私が「博識」だからであって、それだけが私の存在証明であり、唯一のアイデンティティであり、もしも私が「博識」でなかったとしたら誰からも認められなかっただろうとも思っていた。


 だからこそ、その知識だけを目当てに近づいてくるような人には強い反発心と嫌悪感を抱くことも多かった。



 知識だけではない、私という存在そのものを認めて欲してくれる人を、私はずっとずっと求めていた気がする。




「僕がほしいのは、『博識令嬢』ではありません。グレイス、あなたがほしいのです」



 ああ、こんな殺し文句、たかが子どもが言えるわけないじゃない。



 眼鏡の奥で甘やかに蕩けるアシュレイ様の目に映る自分自身を見つめながら、私は「恋に落ちる」ということがどういうことかを考えていた。



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