またブラシをしてくれますか?
ふと書いてみました。
疲れた身体を引き摺りながら私達は兵舎へと帰って来た、正確には一匹と一人なんだけど。
私はガストン王国軍用犬で名前はベル。
そして私の世話係で、二等歩兵のセバスティアン。
ピレネ山脈の中程に位置するガストン王国。
そこに生息するピレネ犬が私。
国民の大切な家畜を狼等の外敵から守る為、私達ピレネ一族は昔から活躍してきた。
王国の民は私達を宝の様に大切な家族、いやそれ以上に扱ってくれた。
だから数々の役割を必死で果たして来たのだ。
三年前にガストン王国は隣国のフランツ王国と戦争になり、私は軍用犬として徴用された。
人間と戦うのが目的じゃなく、私の仕事は斥候。
雪の中、潜む敵をいち早く見つけ、味方に知らせるのが役目だった。
「...ありがとうなベル」
兵舎の中でセバスティアンが私の首輪を外し微笑む、今日も何とか生き残る事が出来た。
しかし彼の笑顔は日に日に疲れが滲んで、心からの物ではなくなっていた。
原因は分かっている。
相手は強大なフランツ王国、小国のガストン王国では最初から敵う相手でなかった。
私達の守る砦も完全に包囲され、敵はここを迂回して王都に攻め込み、陥落寸前だと聞いていた。
「...クゥーン」(こちらこそ、セバスチャン)
鼻を鳴らし、セバスティアンに身体を擦り寄せる。
大型犬の私、少し小柄な彼の身体はすっぽりと包まれた。
「さあおいで、ブラシの時間だ」
「ハッハッ」(ありがとう、お言葉に甘えるわ)
彼は白い外套を脱ぎ捨て、背負っていた背曩から大きなブラシを取り出す。
これは私の一番好きな時間、身体を横たえ彼に全てを預けた。
「気持ち良いかい?」
「...キューン」(...ええ)
至福、思わず甘えた声が出てしまう。
私達の様子を仲間達が遠回しに見ている。
みんな笑っているが寂しそう、だって私と同じく徴用された犬はみんな死んでしまったのだから...
「本当にベルは利口だな」
兵長のアンツさんが私の頭を撫でる。
彼が使っていた犬は私の父親だった。
先日、彼を庇って頭を撃ち抜かれ死んだ。
アンツさんが父の首輪を持って帰って来た時は泣いた。
それ以上にアンツさんは泣いていた。
「...すまないベル」
嗚咽しながら私に謝り続ける彼を責める事は出来なかった。
きっとお父さんだって本望だった筈だ。
「...ガストン王国の守り神か」
「そうですね...」
アンツさんの言葉にセバスティアンが頷く。
私達ピレネ犬は王国の繁栄を願い、神に犬として転生を願って生まれたとされていた。
私は信じていないが、もしそうなら次に生まれ変わったら人間にして欲しい。
平和な時代で、セバスティアンと再び会わせて欲しいのだ。
「だいぶんブラシもくたびれて来たな」
「ええ」
セバスティアンが使っているブラシはボロボロ、新しい物が配給されないのだ。
ブラシだけでは無い。
弾薬、医薬品、食料も全部...
「怪我してるじゃないか」
セバスティアンの手が止まる。
気づいたら私の右前足から血が流れていた、どうやら岩か何かで切ってしまった様だ。
「ワン!」(大した事ないわよ)
こんなの大した事は無い、ちょっと骨の手前まで抉れただけだ。
「バイ菌が入ったら大変だ、これを使え」
アンツさんが僅かに残っていた蒸留酒を傷に掛けてくれる。
きっと彼の大切な宝物だろうに。
「キュー」(大げさね、でもありがとう)
沁みる傷口、でも嬉しかった。
「これで大丈夫だ」
セバスティアンが白い綺麗なリボンを傷口に巻いてくれる、包帯も既に尽きたのか。
「ハッハッ」(可愛いリボンね)
「気に入ってくれたか?
アンジェリーナのだ」
(アンジェリーナか)
セバスティアンの妹、アンジェリーナが兄の無事を祈って持たせてくれたお守りのリボン。
セバスティアンの住んでいた村はフランツ王国に占領された。
住民は皆殺しに遭ったと聞いたけど...
「...アンジェリーナ」
(...セバスティアン)
妹の名を呼びながら私を抱き締めるセバスティアン。
震える彼に私は何も出来なかった。
「グアッ!」
一発の銃声と共にアンツさんが倒れる。
胸を撃ち抜かれたアンツさんはそのまま動かなくなった。
「敵襲だ!!」
兵舎内に怒号が、何て事なの?
敵の接近に気づかないなんて!!
「行くぞベル!」
「ワン!」(はい!)
セバスティアンが私の首輪をつけてくれる。
敵の気配は数えきれない、おそらく全滅は避けられないだろう。
でもかまわない、なんとかセバスティアンだけでも逃がさなくては...
奇襲を受けた私達は散り散りとなった。
とにかく逃げるんだ、味方がどこに居るか分からない。
でもセバスティアンを助けなくては、アンジェリーナの元に...
「ぐあ!」
「グアゥ!!」(セバスティアン!)
突然セバスティアンが前のめりに倒れた。
辺りに飛び散る赤い血、まさか...
(セバスティアン!!)
声を必死で堪え、セバスティアンを確かめる。
左の肩を押さえる彼の腕から血が流れ、傷は深いと知った。
「逃げろ...ベル」
(何を言うの?)
呻くセバスティアン、でもそれは出来ない。
だって彼は私の大切な人、もう一人は嫌だ。
「早くしろ!このままじゃ...」
(セ...バステ...ィアン?)
再び聞こえる銃声、次の瞬間セバスティアンの頭が砕け散った。
噴き出す彼の血が私を染める。
怒り、そして悲しみが私の思考を奪って行った。
「グアアォァァ!」
「な、なんだ!」
もう何も聞こえない。
...後は何も覚えていない。
気づけば私の周りには数人の人間が倒れている。
皆血だらけ、そして私の口には肉片がこびりついていた。
「キャイ!」(痛っ!)
数発の銃声と共に走る身体に激しい痛み、しかし私は構わず暴れ回る。
何も怖くなかった。
「...ギャウ」
どうやら首筋に弾を受けたらしい、息が出来ない...
必死で歩く、愛しい彼の元に...
その間、何度も身体に衝撃が走る。
目が霞む、もう少し...
倒れているセバスティアン。
背中の背曩から飛び出しているブラシを咥え、私は彼の傍に倒れた。
(...セバスティアン)
もう何も見えない。
僅かに香る彼の臭い、私の大好きな...
『...愛してる、セバスティアン』
ここで私の記憶は......
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「起きなさい鈴」
「お母さん?」
またあの夢か。
幼い頃から何度も見る夢、でも今日はいつもより鮮明だった。
「いつまで寝てるの、今日は入学式でしょ」
「あ、うん...」
お母さんは呆れ顔で寝ぼけ眼の私を見る。
今日は高校の入学式、私は真新しい制服に身を包む。
テーブルに用意されている朝食を取りながら先程の夢を思い返す。
記憶を頼りに今まで様々な歴史書を見てきたが、フランツ王国やガストン王国なんか存在しなかった。
ましてや自分の前世が犬だった話なんか誰にもした事がない、頭を疑われるだけだし。
「ほら寝癖」
「ありがとう」
お母さんから愛用のブラシを渡され、髪を寝かせる。
癖毛の私はいつも寝癖が酷い、でもいつも感じる、何か違うと。
そう、何かが...
「...行って来ます」
いつも以上の違和感、混乱したまま高校へと急いだ。
「...あ」
「まさか?」
入学式の後、入った教室。
その中に座る一人の男子に私の目は釘付けとなる。
向こうも私を見て固まっていた。
「どこかで会ったかな?」
「いや...そんな筈は」
私の言葉に男子も何かを感じた様で、席を立った。
随分小柄だ、身長は160センチ位で185センチの私よりかなり小さい。
黒目がちの瞳、綺麗に整えられた髪。
なんて可愛い男の子だろう...
「初めまして...よね?」
「...寝癖が」
男の子が私の寝癖に微笑む。
次の瞬間私は鞄から持参して来たブラシを取り出した。
「これを...」
どうしてそんな事を?
自分でも分からない、ただ自然にそうしていた。
「こらそこ、自己紹介始めるぞ!」
担任の安津先生が怒鳴る、慌てて私達は自分の席に着いた。
「桧玲鈴です、宜しく」
手早く自己紹介を済ませる、早く彼の名前を知りたかった。
「瀬蓮雄二です」
軽やかな彼の声に、私の頭は真っ白になる。
もう止まらなかった。
「...セバスティアン」
「...ベル」
間違いない...。
「やっと...」
「会えた...」
ざわつく教室、そんなのは全く気にならない。
安津先生は黙って私達を見ていた。
「...またブラシをしてくれますか?」
「...うん」
見つめる私達、握りしめていたブラシを彼に手渡す。
微笑みを浮かべる彼、涙が止まらなかった。
ありがとうございました!