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穿星のリラ  作者: 片隅 ウド
1/1

ラダビア大陸冒険記

微かな光が見えた。

いや、見えたのではなくただ自分が瞼を開けようとしているのだと自覚するのに私は随分と時間を費やした。ここは光の差し込まない洞窟の奥深くでも人の寄り付かない樹海の真ん中でもない。私の体は何か柔らかいものに包まれ、心地よく温かな空気を肌に感じる。だがどうやら私はそれを満喫出来る状態ではないようだ。まるで全身の血管に鉛を流し込まれたような鈍い不快感に支配されてしまっている。

完全に瞼を開き終わるのに一体どれほどの時間がかかっただろう。水中のようにぼやけた視界がはっきりと最初に捉えたものはやけに年季の入った天井の木目だった。

「ここは…どこだ…」


ーーーーーーー


「はぁ…お姉ちゃん起きてるかなぁ。」


もう何回同じ独り言を繰り返しただろう。市場で買った食材が入った麻袋の重み、きつくはないが楽だとも言えない微妙な勾配の坂が続く家への帰り道。この変わりない日常を送り続けて今日で二年と二十八日目。この後アタシは家の扉を開けて台所でスープを温めて…


「あーもうやめやめ!こんなこと考えても何の得もないよ。絶対お姉ちゃんは目を覚ますんだから!」


アタシとお姉ちゃんが生まれ故郷のこの村、ヤタン村へ帰ってきてからこの生活は始まった。アタシ達の両親は幼いころに病気で死に、二人で助け合いながらこの小さな家で暮らした。お姉ちゃんがいきなり大陸を旅をすると言って引きずられるようにしてこの村を出たのがアタシが8歳の時、だからもう8年前のことになる。お姉ちゃんは当時16歳、みんなに無理だと言われたけどお姉ちゃんは仲間を作り、流星のように大陸を駆け回った。アタシ達はこの家とは比べ物にならないほどに大きな体験をした。その頃はまさかまたこの家に戻るとは思ってもいなかった。旅の終着点にしてはあまりにもお粗末だ。


【マリ、退屈が恋しくなるような旅がまだまだ続くわよ!私たちは今、世界の特等席にいるんだから!】


「世界の特等席」お姉ちゃんがよく言っていた言葉。意味はよくわからなかったけど、何故か聞くたびにワクワクした。どんな時でも最高の景色と笑顔を見せてくれた大好きな、アタシの英雄…


「お姉ちゃん、アタシ達特等席降りちゃったね…」


玄関に着いた。この扉一枚隔てた向こうに希望があると信じてノブに手をかける。「あの事件」以来寝たきりになったお姉ちゃんが目を覚ましてアタシに微笑みかけてくれるなんていう何の確証もない希望。でもいつからだろう。この扉を開けるのがひどく恐くなる時がある。家の中に待っている現実が恐いのだと思う。お姉ちゃんがベッドに横になったままの光景が、声を聴きたいと思いながら綺麗な寝顔を眺めるだけの時間が、そして徐々に信じることが出来なくなってきている自分に…

現実逃避は絶対にしたくなかった。でも一人で立ち向かえるほどアタシは強くないのだと思う。


ギ…ギギィ…


扉が軋む音はゆっくりと脳内で反響していく。

家の中の光景はやっぱり同じだ。玄関から右手にはキッチンと食事用のテーブルに椅子が向かい合って二脚、正面には小さな火を灯してある暖炉にソファ。そして左側、アタシとお姉ちゃんのベッドが二つ並んでいる。

手前がアタシが使っているベッド。そして奥がお姉ちゃんが眠り続けている…


「え…?」


アタシはまた世界の特等席に座れるかもしれない。


ーーーーーー


「うっ…くぅ…」


寝ている状態から上半身を起こすのにひどく苦労した。身体中の関節からギシギシと不愉快な音が聞こえてくるような気がした。息切れしながらゆっくりと室内を見渡す。あまり広い家ではない。私が使っているベッドの右側に水平に並ぶようにしてもう一つベッドがある。整えてはあるが使われた形跡がある。この家の持ち主だろうか?ソファ、暖炉、テーブルにキッチン。右側の壁の中心からやや右にズレた位置に扉がある。見覚えのない部屋なのに何故だかひどく懐かしい。だが寛げるような気はしない、何なのだろうこの気持ちは。


「誰か…、いないのか…?」


無意味な言葉だ。見渡せば誰もいないことなどすぐ解るというのに。


ギ…ギギィ…


「え…?」


まるで私の問いに答えるかのように軋む音をたてながら扉が室内側に開いた。扉は壁に対して直角になる位置で止まる。扉が邪魔をして開けた者の姿はすぐには確認できなかったが間もなくひょっこりと顔が出てきた。女性だった。年齢は20歳前後だろうか?大人びているようでどこかあどけなさが残っている。栗色の長い髪を後ろで束ね、淡い黄色のワンピースがよく似合っている。


(…!私はこの子を知っている?この部屋といいこの少女といい…何なんだこの妙な感覚は?)


室内へ一歩踏み込んだ彼女は真っ先に私のいるベッドの方へ視線を移す。


「え…?」


目が合った瞬間彼女は素っ頓狂な声をあげ、その場に立ち尽くす。どうしたんだろう、もしかしたら私はこの家を無断で使ってしまっているのだろうか?


「えっと、あの…私…」


「お姉ちゃん…」


「お、お姉ちゃん?!」


今度は私が素っ頓狂な声をあげてしまった。私は彼女と姉妹なのか?先ほど感じた懐かしさはそのためなのか。問いただそうと再び視線を向けるといつの間にか傍まで走ってきてほぼ飛び込んでくるように私に抱き着いてきた。


「お姉ちゃん!目が覚めたんだね!嘘みたい、本当に嘘みたい!アタシ恐かったの。お姉ちゃんがずっとこのままなんじゃないかって…もうお姉ちゃんの声が聞けないんじゃないかって!」


「いや、あのぉ、ちょっと落ち着い…」


「あぁ、ごめんね!起きたばっかりでまだ喋るの辛いよね。待ってて、今お水とスープ持ってくるから。スープはね、お姉ちゃんが好きなムーン鶏とトロトマトのスープだよ!」


彼女は嬉々としてキッチンへ駆けていき、スープを温め始めた。どうしよう、切り出すタイミングがない。いや無理やりにでも聞き出さなくては!


「アタシね、ずっと想像してたんだぁ。お姉ちゃんが目を覚ましたら一番最初どんな反応すればいいのかなって。」


「はぁ…」


「やっぱり泣いちゃうのかなぁって思ったんだけどもう全然そんなことないね!もう嬉しすぎてずぅっとニヤニヤしっぱなしだよぉ。」


「あのですね…」


「うーんいい匂い!目覚めの一杯に最高の出来だよ!今そっちに持って行くからね!」


盆の上に水の入ったコップとうまそうに湯気をたてる平皿を乗せて彼女がこちらに歩いてくる。


「ねぇねぇお姉ちゃ…」


「ちょっと待ってくれ、聞いていいかな?」


言葉を遮った私に驚いたようだったが、お構いなしだという風に満面の笑みで近づいてくる。


「なになに?余所余所しいなぁ、何でも聞いてよ!」


「じゃあ遠慮なく…ここはどこなんだ?」


「えっとねぇ…え?」


テーブルの椅子をベッド傍まで移動させて腰かけようとした彼女は中腰の状態でびくりと動きを止める。


「本当に君は私の妹なのか?」


「ちょ、ちょっと冗談きつい…え?え?」


「冗談で言っているんじゃない。君の、私の名前は…何というんだ?」


「え、ええええええええ?!」


ーーーーーー


「お、おね、おねねえちゃん…憶えて…ないの?ほらアタシだよ、マリだよ!」


「すまん。分からない。」


「あっさり言うじゃん!じ、じゃあ自分の名前は?!リラ、リラ・シアー。お姉ちゃんの名前だよ。どう?」


「まるで実感が…」


「みんなのことは?冒険のことは?王獣機おうじゅうきのことは?」


「まるで何を言っているのか…」


「本当に…?本当にそうなの?怒らないから嘘なら嘘って言って!」


「本当だ。」


「即答過ぎない!?」


リラ・シアー。私の名前…冒険?王獣機?連続の質問に私は完全に混乱してしまった。彼女、マリの必死な顔を見るにそれは私、いや私たちにとって相当に重要なことのようだ。今分かるのは彼女が私を謀ろうとしていないということと、私は記憶喪失であるということにもう少し危機感を持った方が良いのかもしれないということだ。

私が首を横に振るとマリはへなへなと全身の力が抜けてしまったかのように椅子に腰かけた。


「そんな…そうだ!ちょっと待ってて!」


マリは盆を私の太ももの上に置いて扉を閉めることなく外に飛び出していった。私の妹らしいが随分と忙しい娘だ。少しとろみのある赤色のスープの中に小さく刻んだ鶏肉と数種類の野菜が入っている。立ち上る湯気と共になんとも芳しい香りが私の鼻孔をくすぐる。どうやら私は相当に腹が減っていたらしい。せっかく温めてくれたのだから戴いてしまおうか。そう思いスプーンを持った瞬間にドタドタと床を踏み鳴らしながらマリが戻ってきた。その手には一冊の本が握られている。


「あっお姉ちゃん、スープ食べるのはちょっと待って!これ、この本見て!」


「な、なんだいその本は?」


「お姉ちゃんの愛読書、表紙見ても特に反応なしか…でも読んだら違うかも。ねぇほら!」


「思い出せるかな…?」


「思い出せるかじゃないの、思い出すの!ほら、見!て!」


無理やり押し付けられた本は随分くたびれた茶色い皮の表紙に【ラダビア大陸の冒険】と金の刺繍がなされている。数ページ捲ると作者の前書きがあった。


【これは私と幾人かの同業者から聞き及んだ冒険記をまとめたものだ。冒頭でこのようなことを書くのはおかしいかもしれないが、我々が目にしたものの壮大さを私の駄文で忠実に伝えられるか少々懐疑的だ。だがもしこの本があなたが未知と出会う一助となれば著者として、冒険者としてこの上ない喜びである。 シディア・バン】


目次を見ると約50話ほどの冒険記ごとにそれぞれ題名がつけられている。

【山を喰らう赤目の白馬】【隻腕の龍狩り騎士】【渦巻く花畑】…


私は読み進めながら思わず微笑んでしまう。表紙だけではない。ページもかなり傷んでいる。一体どれだけ読み返せばこんなになるのだろう。作者は不安に思っていたようだが彼の本は私をどこまでも魅了してやまなかったようだ。…冒険記に載っているものは本当に存在しているのだろうか。それに大陸にはこの本に載っていないような未知のものがまだあるのだろうか。もしそうならば…


「あぁ、思い出した。」


「…え?思い出したの?!やった!やっぱりその本は効果覿面だったんだね!」


「いや、語弊があったね。全てを思い出したんじゃないんだ。思い出したのは何だろう…気持ちと言えばいいのかな?」


「気持ち?」


「あぁ、冒険に出たい、世界を見たいという気持ちだ。とてもワクワクする、今こうしてベッドに入っていることがもどかしくてしょうがないんだ。昔の私はこの気持ちを抑えることが出来ずに駆けだしたんだ。これだけは間違いないと分かるよ。」


「お姉ちゃん…フフフ、そうだね。その通りだよ!」


「今のところ読んでいて特に興味深いのは…あっ、すまない。せっかくのスープを冷ましてしまった。」


「いやいや読んでって言ったのはアタシなんだから謝らないで。ちょっと待ってね、温め直してくるから。」


そう言ってマリは盆からスープ皿を取ってキッチンに向かった。私は再び本に目を落とす。マリの様子からして私達の冒険は決して中途半端なものではなかったはずだ。かつて共に旅したらしい仲間たちと見た景色、語らった事は最早忘却の彼方。そしてマリが質問に出てきた【王獣機】とは一体何のだろう。ここまできて遅すぎるくらいだろうが私は失った記憶を取り戻したいと思った。しかし自身が記憶喪失だからと知っての焦りからではない。むしろこの冒険記を読んだ感覚にどこか似ている気がする。取り戻しただけでは足りない。まだまだ知りたい、私の心はどこまでも貪欲になっていく。


「なぁマリ。」


「んー?どうしたのー?」


「教えてくれ、記憶を失う前の私たちの冒険を。頼む!」


「フフ…頼まれなくてもそのつもりだよ。さっきは取り乱して食べるの止めちゃってごめんね。スープを飲みながらゆっくり話そ?」


「ハハ、そうだな。いただくとしよう。」


こうして私の冒険は再びかすかな一歩を歩み始めた

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