満月の夜
ふらふらと浴室を出ると心配したバードが待ち構えていた。
もうバードでいいや。コイツ相手に敬語とか王子とかガラじゃないし。
「リュカ? 深刻な神託が降りたの?」
「深刻。まぁ個人的には」
「それで具合悪くなった?」
「いや、薔薇の香り強すぎてぐるぐるする」
「わかった」
ヒョイと抱き上げられた。そりゃ騎士のダイナよりは軽いけど!
「うひゃあ! 降ろせぇ!」
「運ぶだけ。今日は僕がソファで寝るからリュカがベッド使って。目が回ってるなら広いところで寝た方がいいから」
丁寧にベッドに降ろされる。
肩まで布団を掛けられて固まってる私にバードは苦く笑った。
「愛称を呼んでもらえて浮かれたからって襲ったりしないよ。リュカは聖女だから、尊重する」
罪悪感。私にもあったのか。
可愛くて純真なユーリに嘘を並べ立てても感じなかったのにな。
「この水差しには果実水が入っているから。薔薇は入ってないけど、苦手な香りだったら別の水を貰って来るよ」
「平気」
「ん。何かあったら声かけて」
ポンポンと私の頭を撫でてバードは浴室に消えて行った。
運命の伴侶。私が。バードの。
とりあえず、逃げたらバードが闇堕ちとか私は不老不死で永遠に神様にこき使われるとかは置いておこう。
大体、四年前に定まってたけど都合により、って、絶対婚約やら結婚して私が仕事渋ったら自分が忙しくなるからだろうが神様!
四年前。バードに口説かれた、というか求婚されたな。もの凄く一生懸命に。必死で。
あの時、既に運命の伴侶に定まってたのに完膚無きまでに盛大に振って泣かせたんだよ。
わからん。バードは私が好きなのか?
四年前はあれだけ熱烈に求婚してきたんだから好きだったんだろう。
でも、それから山のような色情霊だぞ?
友達とか言って色情霊だぞ?
具合悪そうだと普通に優しくしてくれるけど。あいつ元から優しかったしなぁ。
でも、運命の伴侶って感情必要ないんだよな。
神託があれば国を継ぐ者は心を殺して迎え入れる。
やだなぁ。
この四年、色情霊まみれにはなったけど、バードがどれだけ頑張って来たのかは分かってる。
不死身の体というズルがありつつ死に物狂いで鍛えた私より強いし、色情霊から私が得た情報にもすぐ辿り着く。知識だって神様から植え付けられたり授けられたのを抜かせば、バードの方がずっとある。
運命の伴侶の神託がなかったとして、聖女の婚姻が禁忌でないなら、王室は聖女を囲い込みたいだろう。
国に一人居れば事足りるような能力の高い聖女を外国に奪われる恐れが無くなるから、婚姻は都合が良い。
そこに王太子の意思って無いよなぁ。
よりによって、何故。バードの相手が私なんだ。
公には聖女なんて儚げで優しい美少女で、男の夢が詰まったアイドルだ。
でも実態は図太く気が強くて大雑把。危険な任務にちょいちょい出掛け、ローブの下はガチガチの筋肉だ。
いいのか? それで幸せか? 死ぬほど多忙な王太子は何れ死ぬほど多忙な王になる。妻が聖女で癒やされるのか?
私は自分が神様の無茶振り任務でクソ忙しいから、自分みたいな妻なんてイヤだ。
私なら。妻は、優しくて、少し抜けてて、でもしっかり者で、表情は豊かな方がいいな。どうせなら美人がいい。鑑賞に耐え得るスタイルだと尚良し。健康な人がいい。気が利く人だといいな。毎日聞く声も好みじゃなきゃ辛いよな。
うん。己を棚に上げた酷い条件だ。私は結婚に向いてない!
よし、寝よう!
眠れない。うぅ。
「リュカ。眠れないの?」
「ぐーぐーぐー」
「いや、寝てないじゃん!」
いつの間にか風呂から出てソファで寝ていたバードが近づいてきた。
静かにベッドに腰を降ろす。
「眠れないなら、少し飲む? 僕も眠れないから、付き合ってくれるとありがたい」
私がベッドから出ると、ソファまでエスコートされた。
ぼんやり座っていると、林檎の香りのブランデーが差し出される。
「僕がよく飲むものしか用意されてなくて。強いお酒は苦手だった?」
「飲める。これは美味しい。バード、お酒強いの?」
「どうだろう。飲み始めたのは成人してからだけど。酔えないんだ」
酔いたくなるようなこともあったんだろうな。
当然だよな。王太子だし。神様から賢王になるように道すじ付けられてるし。想像もつかない重圧だろう。
「リュカ。深刻な神託って、僕は何か助けられない?」
グラスを揺らしながら黙って飲んでいると、バードの視線を感じる。
見上げると、窓からの月明かりに白皙の美貌が佇んでいた。
ほんと、綺麗な男だなぁ。呆れるくらい綺麗だ。スタイルもいいし、所作も優美。それでいて鍛え上げた者特有の凛とした雰囲気も纏っている。
「バードは。どうして急に異常な女好きになったの? 子供の頃は普通だったよね」
「うわ。それリュカが訊く?」
空いた私のグラスにブランデーが注がれる。
バードは自分のグラスも空けて新しく注ぐと、溜息を吐いて片手で髪をかき上げた。
「別に僕は女好きじゃないし。子供の頃なんて女の子苦手だったの覚えてない?」
「? 毎日私の後ろをついて来てなかった?」
「リュカ以外の女の子は苦手だったよ。女の子だけじゃなくて、他人が苦手だった。王太子としてマズイから矯正したけど、ほんとは他人が好きなわけじゃない」
口調は穏やかだけど、声がいつもと違う。普段は感情を抑えているんだな。
子供の頃は感情ダダ漏れだったけど、随分大人っぽい声になった。
「前に、僕は色々拗らせてるって言ったの覚えてる?」
「うん」
「失恋と片想いと八つ当たりを拗らせちゃってね」
「は?」
あれ? 何か私に関係あったりするの?
「物心ついた時には側にいた二つ年下の女の子に初恋をして。そのままずっと、他の誰も好きになれなくて。恋はずっとその子にするから、せめて同性の友人をと思ったのに他の誰にも興味が持てなくて。そのまま成人を迎えて。その頃には聖女は恋人にも妻にもできないのは知っていたけど諦められなくて。必死で想いを告げたら、コテンパンに振られて。彼女に認められる男になろうと奮起してひたすら頑張ったんだけど」
ひと呼吸置いて、バードはブランデーを呷る。
「好きで好きでどうしても諦められない女の子は絶対に手に入らないのに、王太子は運命の伴侶と結婚して跡継ぎを作らないとならない。腹も立つしヤケにもなるよ。僕が嫌いだから気持ちを受け入れられないとは言われなかったからね。とにかく無理で駄目で聖女だから考えられないって振られ方して、僕の部屋のすぐ近くにその後もずっと住んでるから王宮に居ればつい姿を目で追っちゃうし」
縁まで注いだブランデーをまた呷る。
「だから辛くてしょっちゅう外に出たけど、ホントは会いたいし姿を見たいし声も聞きたいし。どうせ僕の想いなんて上手く伝わらないんだと思ったから、他の女の子に似たようなこと言ってみたら、好きな人は振り向いてくれないのに何故か皆好意を寄せて来るし」
また一気飲み。酔えないなら大丈夫なのかな。
「僕も男だから色んな欲望はある。けど、キッチリ振られた好き過ぎる相手を欲望まみれの妄想になんか使えないじゃないか!」
ペース早いな。一本空になった。
「リュカ、好き。諦められない。リュカしか好きじゃない。でも王太子だから神託が下されたらちゃんと言うこと聞く。だけど僕は一生リュカのことが好きだと思う」
大変いたたまれない。
大の男を泣かせた上に、国も神も欺く覚悟で告白された。
私がウジウジ考え込んでいたせいで。
いや、一番非道いのは神様だけど。
「バード。実はさっき、お風呂でバードの運命の伴侶を聞いたんだ」
バードが息を飲む。
不安に揺れる碧眼が悲壮な覚悟で見開かれた。
いたたまれず目を逸らす。
「神様が言うには私らしい」
「は?」
うん。そうだよね。そういう反応になるよね。
今しがた一世一代の告白したばかりだもんね。
悪いと思ってはいるよ?
「リュカ?」
「うん?」
「僕の運命の伴侶は誰?」
「私。聖女リュカ」
「あ、え、ん? あの、リュカは聖女だよね?」
「うん。それについても言われた」
一応辺りの気配を窺う。
「他の聖女が権力者の囲い込みに遭わないように、今回は運命の伴侶ゆえの特例てことにしといてほしいんだけど。神様が言うには、聖女は本当は恋愛も結婚もしていいらしい。考えてみたらそうだよね。純潔を失ったら聖女を引退できるなら皆さっさとどうにかするし、あの人使いの荒い神様がそんな逃げ道を用意する訳ない」
呆然としていたバードが、寄りかかっていた窓辺に空のグラスを残し一歩ずつ近づいて来た。
「リュカ。触れていい?」
「いきなり手を出されたら困る」
「抱きしめるだけ」
頷くと、バードは細かく震える手で、確かめるように私を抱きしめる。
少しずつ力を込めて、体温が感じられるようになると、ぎゅうっと抱き込んだ。
「夢じゃないよね? 起きて夢だったとか嘘だったとか冗談だったとか言われたら僕狂うよ?」
「信用無いのは仕方無いけど、さすがにそこまで悪質な嘘や冗談は言えない」
「リュカ。神託、僕は嬉しくてたまらないけど、リュカは辛い? 他に好きな人いる?」
いたらどうする気だ。怖いから訊かないけど。
「バードが嫌とかは無い。他に好きな人もいない。さっきの神託まで聖女が結婚していいなんて知らないし思ってもみなかったから。色々考え込んで言うの遅れた。ごめん」
素直に謝ると、また抱え込まれて頭に頬ずりされた。
「じゃあ僕これからリュカに好きになってもらえるように頑張る! どんな人が好き?」
「んー、結婚するなら。優しくて、少し抜けてて、しっかり者。表情豊かで健康でスタイルのいい美人で声のいい、あ、もう止めた」
抱え込まれて顔は見えないのに、バードの全身から喜色が溢れているのがわかる。
違う。バードの特徴を挙げてるわけじゃないんだ。理想の結婚相手についての我儘満載な条件であって。
「好きだよ。リュカ。ずっと」
甘い甘い声が近くに聞こえる。
待て。落ち着こう私。冷静さを失わなければ勝てる。
あれ? 何と戦ってるんだ?
「愛してる」
聞いたことも無いような艷やかな声音にゾクリとした途端、視界に月明かりが満ち、すぐに影が落ちた。
「嘘つき。抱きしめるだけだと」
「嫌だった?」
嫣然と微笑む月の女神のような美貌の男。
先が思いやられる気がした満月の夜だった。




