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(2020.8.1記:こちらは、章全体で銘尾 友朗さま主催「夏の光企画」に参加しています)
のんびりしてるけど家事雑事にはアクティブだし。
夏になればこのひと、絶対薄着になると思ってた。だけど。
「違う……。俺が思ってたのと、なにかが激しく違う……」
「? 何か言った? 律君」
「いえ、何も」
相変わらず可笑しい子だなぁ、と、おっとり微笑みながら湊はシートベルトを締め直した。
「ドア、閉めてくれる?」「はいはーい」と交わされる軽妙な会話。ひょっとしたら、知らない人間には姉弟のように映るかもしれない。
――就職が決まったから、お祝いがてらご馳走でも食べに行こうか。
そう言い渡されたのが一昨日の夜。
いつも通り、ちゃっかり坂の上の瀬尾邸に転がり込んだ週末のことだった。
(いや、お祝いなら普通、俺がしなきゃ…………って、だめだ。このひと、全然聞きやしない)
律は、速やかに諦めた。
むしろ、自分との食事がこの女性にとってご褒美となるなら喜んで、の心境だった。
すい、と助手席に乗り込み、パタンとドアを閉める。ふいに、閉め出したい声が耳に届いた。
「おーい。左門、どうしたのー。家からお迎、え、か……」
忌まわしげに、律は小さく舌打ちした。
それに気付いたさっきまでの連れ――柏木透が、慌てて食い下がる。文字通り閉め出されそうになっていた車窓に指をかけ、覗き込むこと数秒。あろうことか運転席を二度見した。
(…………、……?)
間を空けてもう一度。合計三度見、はいアウト。
見すぎだよな。退場退場。
「じゃな、柏木」
ウィィン……と、有無を言わさず窓側のパネルで操作する。本格的に閉まり始めた窓に、柏木は絶望的な声をあげた。
「え。ちょ、待て。あの……?? いやいや。流石にダメでしょ。うらやま……」
「『裏山』?」
「違う。そうじゃない」
古典的にボケると、意外な几帳面さで突っ込まれた。
ハザードを点灯して脇に寄せた車体のすぐ横で、級友が固まっている。
律は爽やかに満面の笑みを。柏木は脱力した笑みを浮かべて、互いに見つめあった。
「いいだろ(だが、やらん)」
「いいッスね……(爆発しろ、ひとでなし)」
目配せしあい、何となく心の声までわかってしまうのが面倒くさい。
そこに、運転席の湊がひょっこり身を乗り出した。今日は、なぜか楚々とした『和装のお姉さん』だ。
「えぇと……律君のお友達? 良かったらお家まで送りましょうか。歩くの暑いでしょう?」
「!!」
ぱぁあ……、と輝き始めた柏木の顔めがけて、律はすばやく手を伸ばした。ぺちん! とデコピンする。
――クリーンヒット。いい音だった。さすが俺。
「!!? 痛あぁぁぁっ!?? なにコレ、何なんだよ。お前、ふざけんなッ!?」
「大丈夫です湊さん。こいつの家近いんで。すぐそこ。歩いてすぐ」
「え……、本当?」
未だに額を押さえる柏木に、心配そうな湊が視線を向けている。律は、あからさまに胸がムカムカとするのを自覚した。が、しれっと頷く。
「本当です」
――――な? と、いつになく凄んで見せる。もちろん窓の外側に。
柏木はつまらなさそうにポケットに手を突っ込んだ。鞄は反対側の手で小脇に抱えている。口を尖らせているため、童顔に拍車がかかっていた。あざとい奴め。
「あ~、うん。残念ながら。でも、良かったらまた声かけてください。今度はオレも混ざりたいです。ぜひ」
(何にだよ)
にこにこと男子二人がほほえみ合うのを、湊は額面通り受け取った。ふふっと、ほのぼの便乗する。
「そうだね。もしも、お家の方が『いいよ』って仰ったら。ほら、私、不審者みたいなものだし」
「「それはないでしょ」」
「あら」
綺麗に重なる異口同音。
仲がいいんだね。わかった、またね――と。
にこやかな女性が運転するパールホワイトの車体は、笑っていない目の友人を乗せて、緩やかに前方へと発進した。
高校の前の国道を下ると、一面、海が広がっている。入道雲を従えた晴天に波間がきらきらと光り、飛び交うカモメ。沖合いは胸のすく色合いの紺碧だった。
「夏、だよなぁ……」
アスファルトの道路には容赦なく蝉の声が降り注ぐ。
影は短い。今日の夏季講習は、午前だけの半日だったので。
左の角を曲がった路地の向こう側。家は目と鼻の先だった。
「……あのひとが『ミナトさん』だよな。めっちゃ綺麗じゃん。何なのさー、左門の奴」
独りごち、逆の立場なら仕方がない。自分もあぁなるか……と、への字口。
だ が。
(ここで負けるオレじゃないぜ! 明日は久々に弓場で射る約束だし、ぜったい根掘り葉掘り、聞きまくってやる……!!)
――家を前にした友人が、奇妙な闘志を新たにしたことを、左門律は知る由もない。