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桜並木の、その下で  作者: 汐の音
青葉の章
7/48

「育ち盛りさんには申し訳ないかな。一応タンパク源にはなるかなって、(タラ)の切り身は買っておいたの」


「……なんで、鱈?」


「特に。買い物に行ったら“朝とれ”って書いてあったから」


「あぁ……」


 (りつ)は納得したように頷いた。たまに祖母や母がやっているやつだ。そのときの気分買い。『目が合ったから』というもの。




 ――玄関先で、なかなか斬新な(たけのこ)の解体現場に遭遇したあと。

 (みなと)は、てきぱきと食材の下ごしらえを進めていた。

 米をとぐ。とぎ汁を大鍋にうつす。白濁した()()がほんのりと香るそれにガスコンロの火をかけ、丸裸の筍を丸ごと投入する。やはり豪快だ。



「窓、開けよっか」


 こもる湯気。外で筍をさばく辺りで気づいたが、生臭さや灰汁(あく)抜きなど、えぐみのある匂いは苦手らしい。

 湊は爪先立ちになり、右手をぴん、と伸ばして前方のサッシ部分――鍵を開けるべく奮闘していた。


 流し台の向こう側には、小さめの採光窓が並んでいる。おそらくは換気扇では追いつかないとき、外気を直接入れるために設計されたもの。

 ゆえに湊の奮闘は正しい。


 が、同じく流し場で洗い物に徹していた律は、吸い寄せられるように視線を絡めとられた。

 ――――見入ってしまう。

 柔らかそうなまとめ髪。顔まわりの後れ毛。伏せぎみの睫毛。横顔に漂うのは独特の透明感。

 肘まで(めく)り上げたシャツから、目の毒なほどきめ細やかな白い腕が中指まで、すぅっと。


 ……残念ながら届いていない。


 指先がふるふると震えだすのを見かねた律は、苦笑まじりに「やるよ」と一言。ちょっとした悪戯心でわざと顔を近づけつつ、楽々と目当ての窓へと手をかけた。


 カチャ、と解錠の音。



「――!」


 わかる。

 わずかに引かれた。

 伝わる、固まる気配。


(ですよね)

 間違えて体が触れないよう、左手はきっちりと流し台に添えて。

 目をみはった彼女の視線が左頬と耳の辺りに刺さるのを感じつつ、律は目的を達成した。

 この場合は窓を開けること。

 こもる蒸気が逃げてゆく。代わりに、新鮮な風が吹き込んだ。


「……ありがと」


「どういたしまして」


 にこっと笑むと、彼女もいつの間にか柔らかな表情に戻っていた。やさしく包むようなまなざし。年上然としたそれが、自分だけに向けられている。

 反射で、思考が停止した。



「どうかした?」


 黙ったまま何も告げない律に、湊が不思議そうに首を傾げている。

 律は慌ててごまかした。


「――何でもない」


「そ? じゃ、茹でてる間休憩しよっか」


「うん」


 背を向けて、食器を重ねて置いた机に向かうと、エプロンを外そうと腰の後ろに手を回している。

 それはそれで(うなじ)に目が行ってしまった。なんなんだ。全身凶器か。



 改めて(可愛いなぁ)と、思ってたなんて。今のところ言えそうにありません。




   *   *




 宿題は持ってきた? との問いに「まさか」と答えると、見事に(ほう)けられた。

 リビングにて二人、座布団に座って円形のローテーブルを挟んでいる。目の前には茶托に乗せられた白い器。あまい緑茶の匂いが漂った。

 コトン、と急須を卓に置く音が響く。


「高三。受験生よね……?」


「そうだね。でも入学してから一応、学年十位内は維持してる。宿題なら今夜、帰ってからでもできるし」


 律は曖昧な笑みを浮かべた。

 湊は、ふぅん……と再び首を傾げる。


「ま、いいけど」


「それより。こないだ『桜の塩漬け作る』って。どう? できた?」


「ふふ、できましたよー」


 なぜか敬語になった湊が、いそいそとテーブルの下に隠してあったらしい瓶を二つ、取り出した。

 両方同じ形で透明。片方は濃いピンク色の蕾が見るからにピクルス状態。片方は――


「塩……?」


「そう、桜塩。こうしてね。乾燥した塩漬けの蕾を入れておくと塩に桜の香りが移るの。天ぷらとか、抹茶塩でも美味しいけどこういう使い方もいいかなって」


 なるほど。

 ふんわり、甘くて柔らかい。優しくてどこか儚い――なのに、踏み込むと塩対応。


「……湊さんみたいだよね」


「どこが?」


「教えない」


「気になるなぁ」


 不服そうに目を据わらせる彼女もいいな、など、やくたいもないことを考えつつ緑茶をいただく。

(やばい。俺、いま猛烈にここで暮らしたくなってる)


 反省を込めて一呼吸。

 律は、真摯に彼女を見つめた。


「それは置いといて。あのさ、家から材料持ってきたんで。勝手にガレージに置いてきました。今から取って来るんで、その蕾使って茶請けを作らせてください」


「――はい?」


 やっぱり敬語。

 湊はこっそり、スイーツ男子……? と呟いた。


 そこ、聞こえてますってば。







 その後。

 二人は結局協力して桜のシフォンケーキを焼くことになった。

 夕食は筍御飯にお吸い物。鱈のホイル焼きに季節の野菜の煮しめ。山菜のピーナッツ和え。そうそうたる和食膳だった。


「なんかさ……、ちっちゃい旅館みたい。お品書きとかあっても良さそう」


「実は前、住み込みで働いてたの。書こうと思えば書けるよ?」


「へぇぇ。どうしよう。今さらだけど料金要ります? 女将さん」


「うん?……うーん……」


 瞬間、“女将”という言葉にだろうか。ほんの少し切ない表情(かお)をした。

 律は目敏(めざと)く見とがめたが、つとめてスルー。訊いたりはしない。


 湊はただ朗らかに笑った。そのあと、ちょっとだけ伏し目がちになる。


「要りません。ご宿泊じゃないし。ちゃんと肉体労働してくれたもの」


「いやいや。『肉体労働』ってさ、湊さん……」



 ――――

 なんて。うまい具合に誤魔化されてあげましたが。

 その日は、彼女がようやくぽつり、ぽつりと自分のことを話すきっかけとなった夜だったように思う。





 まだ、涼しさの残る初夏の夕べ。

 守りが甘そうでやっぱり手堅い家主と差し向かい。

 食後のシフォンケーキはあまくて、しょっぱくて。

 口のなかに広がる桜の風味は、見立てどおり一番煎じの緑茶とよく合った。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 頑張って接近しようとしては流される律くん。 [気になる点] 更新されるたびに感想を残そうとしている猫。 [一言] んぬうううう。 もどかしい距離感、でもそれがまたいい。(ぺこぱ) 過去のお…
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