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桜並木の、その下で  作者: 汐の音
番外編
48/48

花はなくとも

「雨、降ってきちゃったね。(りつ)君」


「――ああ。はい」


挿絵(By みてみん)


 手元のレポートとノートパソコンとにらめっこしていた顔を上げる。数度、瞬く。

 そうですね、と、きみは呟いた。




   *   *




 花曇りだな、とは薄々感じていた。

 さあぁっ、と、時折り霧吹(きりふき)で吹き付けるような雨粒が窓を打つ。さほどの量ではないが、白いシェードを巻き上げた窓硝子(ガラス)には細かな水滴がしたたり、強弱のある波紋が見えた。風がひどい。



 左門邸の花見会から一週間。

 場所によっては残っていた桜も、この嵐であらかた散ってしまうだろう。そう考えると、しぜんとあの夜の篝火と枝垂(しだ)れ桜が眼裡(まなうら)に蘇る。

 若武者のように弓を携え、祖父と射比べをしていた袴姿の律も。それに――



(みなと)さん、どうかした? 顔が赤い」


「! あ、ううん。何でもない」


「ほんと? 無理してない?」


「ないない。大丈夫です」



 ぶんぶんと顔を横に振り、湊は即座に否定した。



 新しい職場の初勤務はゴールデンウィーク明けだが、少しずつ研修や前任者の引き継ぎも受けている。

 いまも和雑貨カフェ“み()”の臨時アルバイトは続けているけれど。


 ――無理は、していない。


 ダブルワークになることをオーナーは気にしてくれたが、新しい仕事は主にデスクワーク。

 それはそれで覚えることもたくさんあって大変なのだが、こんな風に着物をまとい、ゆったりとした『もてなしの空間』に関わるのは思った以上のリラックスを得られた。これでお給料もいただけるのだから、精一杯につとめたい。


 アルバイトを続ける理由。それは、ここが好きだという素直な気持ちに起因している。


 ふうん、ととりあえずは引き下がった(てい)の律が、うろんな視線を流す。

 湊はこれに堪えた。



 サアァァ……


(……)



 沈黙を彩るさやかな雨音。

 花を散らしても、恵みの雨。


 客足の途絶えた夕方近く。昼間は自然照明だよりの店内は、にわかに暗く感じられ始めた。

 湊は、ふと夜間用の明かりを点けるべきか軽く逡巡する。その流れで胸元に抱えていた丸盆から右手を外し、甲で頬を冷やす。

 ――本当に火照(ほて)っていたのなら、という話ではあるが。


(だめだな。意識しすぎ)



 眉をひそめ、(あわせ)の内側の鼓動に気が付き、あわてて視線を逸らした。

 いつもの定席。

 店内最奥のテーブル席に腰掛けた彼が、ふいに微笑む。



「なら、いいんですけど。ぜったい無理はしないでくださいね。湊さん、目を離したら色々と心配だから」


「やだなぁ。そんなに危なっかしい? こう見えて健康管理はいちおう」



 …………『気を遣ってる』。


 そう言いかけて、昨年末に高熱で寝込んだとき、わざわざ見舞いに来てくれたことを思い出した。明らかな羞恥に頬が赤らむ。

 律は、違うんだけどなぁ、とだけこぼした。それこそに目を離せなくなる。

 頬杖をつき、大人びた微苦笑の端正な面差し。

 黒目がちで、澄んでいるのに深いまなざしに。

 それが例えようもなく鋭く、怖くなるときがあるのを知っているから。



 ――――怖いのは、ともすれば、迂闊にも捕まりそうな真摯さを向けられるからで。



 どぎまぎと言葉を探すうち、湊はようやく告げるべきことを見いだした。

 わずかでも声が上擦ったりしないよう、細心の注意を払う。



「外。自転車、濡れてるんじゃない? あとで軒下に入れてもらうとして、送ろうか? 私ももう少しで上がりだし」


「ッ! まじで!? はい、ぜひ!!」



(うわあ)


 さっきまでの落ち着きは何処へやら。

 とたんに喜色に輝く若さがまぶしい。

 つられて笑ってしまったが、比例して罪悪感も降り積もった。



 ――――嗚呼、どうして。


 しみじみとこぼれるため息は、こっそり盆の内側に落とす。

 了解、じゃあ待っててね、と。

 知らず、目許が和むのは罪だろうか。

 九つも離れているのに。心が通ってしまったからと、年甲斐もなく正直すぎ?



「これ。下げるね」


「あ、はい」



 目を伏せ、空になったコーヒーカップを盆に乗せた。

 お代わりは? いいです、と、ごく普通の店員と客のやり取り。


 ……ひとまず落ち着きたい。物理で距離を取りたくて、そのあとはずっとカウンターの内側でバックヤード業務に励んでいた。


 すなわち、『店の人間』である(あいだ)の侵さざる聖域に。




   *   *




「ありがとうございました。帰り、湊さんも気をつけてね」


「うん。ええと……律君も。明日、自転車取りに来るんでしょう? 私、そのときはお店にいないから」


「! そっか。はい」



 いかにも忘れてた、という風情が可笑しくて、くすくすと笑う。

 すると、カシャリとシートベルトを外す音が聞こえた。


 左門邸のほど近く。路肩に停めている。

 チカチカと点灯するハザードランプが視界の端に。街灯のぼんやりとした明かりが翳る。ふわりと珈琲の香りが近づいて、伏せた睫毛の長さに見とれる合間に口づけられた。



(やられた……!)



「あ」


「――おやすみ。あのね、貴女のことで色々心配っていうのは、こういうところだから」



 ぱくぱくと湊が口を開閉させる間、律はまじめくさった顔で、滔々と説教に走りかねない気迫をにじませた。


 だめだ。

 敵いそうにない。


 思うと同時に恥ずかしさがこみ上げ、目が泳いでしまう。

 ええと、年の差ってなんだっけ(※混乱)


 あまつさえ、頭をぽんぽん、と撫でられてしまった。

 降車したあとは店で借りた傘をひらき、完全に見送り体勢らしい。(こちら)に向き直ってひらひらと手を振っている。


 湊にできたのは、つかの間唇を手で押さえてからハッと我に返り、困り笑いで「気を付けます。おやすみ」と言い残すくらいだった。



 ハザードを消し、右ウィンカーを点けて発進。

 ワイパーが行き来するのを見るともなく見つめる。


 一人でも。

 まだ、温もりがある気がしてこそばゆい。



「参ったな……」



 (ひと)()つ声だけは聞かせずに済んでよかった、と、気持ちの上だけで悪あがく。



(好きです)



 そうそう、直接には伝えられない。

 花冷えの夜も、きみを想えるから平気。未来で、きみがどんな選択をしても。










 こうしてたびたび逢いつつ。

 半年後の秋の行楽シーズンに「免許、取りました」と驚かされるのは、またべつの話。




〈番外編『花はなくとも』・了〉


お久しぶりです。

またしても書いてしまいました。


冒頭で挿絵に使わせていただいたのは、猫じゃらしさま(https://mypage.syosetu.com/1694034/)より賜ったファンアートです。


「光があるほう」は、本編初暁の章の「追記1/2 寒空に駆ける恋心」あとがきに。

https://ncode.syosetu.com/n3753ga/26/


「光がないほう」は、こちらの番外編に掲載させていただいています。


猫じゃらしさま。本当にありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 年の差なんて、男女関係に於ける一種のスパイスに過ぎませんってば! 年上でも可愛ければ許すッ! 長い人生、のんびりいきましょう。 律君が社会人にでもなれば、どこからみても御似合いのふたりにな…
[一言] イラストを拝見しながら ドキドキと物語に浸らせていただきました( *´艸`)
[良い点] 相変わらず言葉の使い方が美しいなぁ と読み進めておりましたら! あぁたまらん! このジレキュンがたまらん( *´艸`) 湊さん可愛い過ぎかよ! [一言] クールな律くんがたまにワンコみた…
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