短話 花びらの味を
桜の章の後日譚になります。
「桜って、美味しいのかな」
「ん?」
少し花曇り。
ひょんなことで知り合った、年の離れた友人――律は、白っぽい花房の揺れる枝先に向けて長い腕を伸ばした。
弓もいいが、楽器も似合いそうな指先にはらり、と花弁が散る。
かれは何だかんだ言って、ほぼ毎日坂の上の我が家まで遊びに来る。あれから一週間経つのだが。
やれやれ……と、湊は肩をすくめた。
「そのままじゃ苦いんじゃない? 普通はつぼみを塩漬けにするでしょ?」
「あぁ……わかる。いわゆる桜スイーツ。女子ってそういうの好きだよね」
「女子」
洗い終えたシーツを干そうとしていた。
籠から出して、畳んだ状態のものを抱え込み、ふと考え込む。
(『女子』……私の年齢でそれ、当てはまるのかな。この子のなかでは間違いなく、学校にいる制服を着た女の子のイメージなんだろうけど)
「どうかした? 湊さん」
「ううん」
慌てて答えて、シーツを広げた。新しく購入したステンレスの物干し竿はぴかぴかで、曇り空の下でも存在が光ってる。
大きな獲物は水気を含んでさらに重い。
苦心する湊を見かねてか、律が「手伝うよ」と足早に近寄り、横から落ちそうになったボアシーツをあやうげなくキャッチした。
「ありがと」
にこ、と笑う十年上の女性に、律も眦を和らげる。
「どういたしまして」
そのまま一仕事終え、二人で縁側に腰掛けた。
* *
今日の午前の茶請けは羊羮。抹茶入りの茎茶を冷ました湯で蒸らし、丸い盆の上でちいさな湯呑みに向け、トトト……と、注ぐ。
湊は以前、旅館で働いていた。若女将とは名ばかりの雑役だったが、身に付いたものは多い。着物も一人で着れるし、作法的なことは問題ないと思われた。
「はい」と差し出すと礼とともに受け取られる。律もやはり教育は徹底しているようで、器を持つ指先から漂う気配まで、一貫してしずかなものだった。かつ和らいでいる。
ふ、と目許がほころんだ。
「なに」
「うん。良かったら、今庭で咲きそうなつぼみ。綺麗なものを選んで、あとでお菓子に加工できるように浸けておこうか? そのうち何か作ったげるよ」
「……まじっ?!! いいの!? やった!!」
ひどく喜色満面な少年に、湊はくすくすと笑い声をあげた。
一瞬、虚を突かれたように見入って言葉を失った律が、再びくすぐったそうな顔となる。
瞳を伏せ、湯気と香りをくゆらす茶に視線を落とす湊は、それらに一向に気づかない。
(――いつか。いつか言えたらいいな、これ)
律の心の声は、空気に。茶に、溶けたまま。
こぼされることはなかった。
今は、まだ。
はらり、はら、はら、と。
音もなく次々に舞い散る桜が、雲間から差す光をまとい、しずかな二人にほんの少し、ほのかな色を添えた。
〈桜の章・了〉