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桜並木の、その下で  作者: 汐の音
めぐる春の章
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4 うごめく啓蟄(けいちつ)

 平常心、平常心――私は単なる店員。

 心のなかでぶつぶつと反芻した(みなと)は、ワゴン型のトレイに注文の品々を乗せてカウンターをあとにした。


 およそ十歩の距離がこんなにも遠い。いや、足が重い。それでも「お待たせしました、フレンチトーストのお客様」と、明るく提供につとめる。

 奥のテーブル席の向こう側には(りつ)喜恵(きえ)が並んで座り、手前の窓側に(たかむら)

 喜恵とともに二階から降りてきた店主の早苗(さなえ)は当然のこととはいえ椅子に掛けず、通路に立っていた。


 ――この面子で、一体どんな話題になっていたのか? 皆目見当もつかないが雰囲気は穏やかだ。


 声をかけたことで全員の視線は集まったが、椅子の背越しに振り向いた篁は柔らかく目を細め、対面の律が控えめに挙手する。


「あ、はい」


「どうぞ。お手伝いくださいましたお礼に、お飲み物もご用意しますね。ご希望はございますか?」


「じゃあ。アイスティーで」

「オレも」


「畏まりました」


 湊は、ほっと表情を寛げた。

 二人とも、先ほどの路上の危うげさは片鱗もない。

 次いで、ホットコーヒーとレースの紙ナプキンに乗せたシュークリームの皿を喜恵の前にセッティングする。喜恵は「あら」と口許をほころばせた。傍らの早苗が小芝居がかった仕草で礼をする。


「これは、奥様に。(うち)からのサービスです。日頃のご愛顧に感謝申し上げて」


「親子そろって太っ腹ねぇ。ありがとう、いただくわ」


「とんでもない。どうぞ、ごゆっくりお召し上がりを。――左門(さもん)邸の花見会、楽しみですわねぇ。今日お選びいただいた着物もすぐに仕立てますから。期日にはお届けに上がりますよ」


 晴れるといいですねぇ、などと、おっとり交わされる歓談を横目にさりげなく会釈して方向転換。

 そっとワゴンを押して去ろうとすると、喜恵から声がかかった。


「待って、瀬尾(せのお)さん。あなた、来月の第三日曜は空いていて?」


「? 第三……たしか、何も」


 振り返った湊は首を傾げつつ、頭に来月の予定表を広げた。――清々しいほどにまっしろ。空白だ。


 “み()”でのシフトは、バイトが自分一人なせいかとても緩い。先日面接を受けた会社からの通知次第で、と、シフト表の提出も待ってもらっている。ありがたいことだ。


 質問の意味を計りかねて目を瞬くと、じつに華やかに微笑みかけられた。


「うちね、毎年、家で夜桜を楽しむの。親戚や仲のいい友人や、こちらの店主も。娘の実苑(みその)さんもお招きしてたんだけど、今年は二人とも都合が悪いらしくて……。良かったら、あなたに来ていただきたいの。いかが?」


「!! えぇ……っ!? そ、そんな大事な集まりの場に私が。よろしいんですか?? オーナー」


 思わず、素がこぼれてしまう。

 湊は慌てて早苗を伺うと、じつにお茶目に肩をすくめられた。


「瀬尾さんさえ良かったら。私からも是非お願いしたいわ。お手当ての対象にはならないから、こればっかりは無理は言えないけど……。でも、呉服屋の沽券に賭けて前日までのサポートは万全にします。誰からも文句は言わせない」


「も、文句……? さらに大事(おおごと)のような」

「いいからいいから」


 早苗は、ぽん、と湊の肩をたたき、やや強引に回れ右をさせて、カウンターへと彼女を連れてゆく。

 積年の友人らによる連携を目の当たりにした律は感心半分、残りは若干疑いのまなざしで祖母を見つめた。


「喜恵さん」


「なぁに? 律さん」


 そ知らぬ顔で珈琲の香りを愉しむ老婦人には、相変わらず隙がない。律は追及を諦めた。「――いえ、何でも」



「夜桜ですか。風流ですね。樹齢はどれくらい?」


 意外に綺麗なフォークさばきで黙々とフレンチトーストを平らげていた篁が、ふと会話に加わる。喜恵はにっこりと答えた。


「本宅は、この子が生まれてから改装したんですけど。たしか、先祖があそこに屋敷を建てたのは明治の終わりだったかしら。植樹はそのあとと伝えられています」


「すごいな。百年? あやかりたい栄華っぷりだ。さぞ綺麗でしょうね」


「…………」


 あ、まずいな、と律は眉間を寄せた。この流れは。

 案の定、ころころと喜恵が笑う。


「宜しければ、……篁さん、と仰ったかしら。あなたもおいでになる? 律はなかなかお友だちを家に招いてくれないから。来ていただけると嬉しいわ」


「喜んで」


 にこにこ、にっこり笑顔の応酬。

 律だけが胡散臭そうに顔をしかめ、一度だけ目の前の恋敵と隣の祖母を見比べた。――両者無反応。


(!? 何なんだよ喜恵さん!? 機嫌いいにも程があるだろ。しかも湊さんを招待とかッ?!?! 嬉しいけど、俺、まったく聞いてないんですけど???)



「律さん」


「……何でしょう」


 表面上、まじめくさった顔で律が答える。

 若かりし頃、並みいる候補から祖父を選んで左門家を繋いだ、女当主としての側面も併せ持つ喜恵は、ことさら優雅に瞼を伏せた。


「そんなわけで、当然あなたも出席です。大学の入学式はその前だったかしら? 戻っていらしてね」


「わかりました」




   *   *




 しゅんしゅんと、紅茶を淹れるための湯を湧かす音が聞こえた。カラカラッと、クラッシュアイスを勢いよくグラスに満たす音も。

 その長閑さが、膜一枚隔てた向こう側のように思える。


 そう言えば。


「喜恵さん。じいちゃんは来れるのかな。俺、久しぶりだし余興でもしようか。たぶん、盛り上がる」


「まぁ! 豪気ねぇ。うふふ、助かるわ。いいわよ。別名『婦人らによる桜を愛でる会』なんだけど。あのひとも招いてあげる」


「サンキュ」


 ――と、なると父母にも手を回して、場を整えて下準備。高校の連中から進学までの間に遊ぼうって話もあったけど、はて、どうしたものか……。


 着々と頭のなかで駒を進める十八歳の青少年に、篁は面白そうに唇の片端を上げた。


「左門君。なんか企んでる? 悪い顔」


「篁さんほどじゃないですよ」


「本当、二人とも仲がいいのねぇ」


 くすくす、おしぼりで指先を清めた喜恵がシュークリームの上半分をとり、中身のカスタードを(すく)った。



 春浅し。

 (きた)る桜花のころに向けて、策士らが動く。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 水面下で交錯する思惑。 年の功の喜恵さん相手では篁もやや不利か? 現状、律くんは経験不足を露呈しておりますが、花見の席で一発逆転を狙える好位置をキープした模様? 誰のお腹が一番真っ黒なのか…
[良い点] さて、殿方ふたりの腹の内は? 花見会、優雅ですねえ。 しかも夜桜、お着物で見物。 うんうん、世俗から離れていて、何が起こるのか楽しみです( ̄▽ ̄)
[一言] 策士が3人も。 読めない年長の2人におろおろしっぱなしの律くんかと思えば、そこはさすがの律くん。乗っかって策士に転じるとは。 あたふたするのは、結局湊さんだけですね(*´꒳`*)存分に転がさ…
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