3 祖母の手心
今章のサブタイトルを若干いじりました。改稿もしていますが、流れは変えていません。
そして、とうとうリアル季節に遅れてしまいました……。
冬休み。心踊る言葉だと思う。
学校が嫌いというわけではないけど、一年前と今では心の持ちようが全然違うから。
高三で。春になれば卒業を控えているという繊細な面でも、もちろんなく。
(あと何回会えるだろう。何度、呼んでもらえるだろう)
学校では会えない。彼女は、ふらりと現れた大人だから。
できるだけ会いたい。できればこっちを見て欲しい。
気持ちごと、全部欲しい。触れたい。触れることを許して欲しい。あの女性に。
* *
「よーし。晴れてるな。脱出準備完了……っと」
昨夜からの雪はきれいに止んでいる。空は青いが地上は輝く銀世界。
車道は除雪車両のおかげでそれとわかるが、残念ながら歩道はその限りではない。
こうなっては、ブーツなんて洒落たものは選択肢にも入らなかった。重量感のある防寒長靴に足を突っ込み、玄関の戸に手をかける。
――すると、自分を呼ぶ声が廊下の奥から聞こえた。ご丁寧にパタパタ……と、走り寄るスリッパの音も。
(うわ、感づかれた)
やばい。しまった。顔をしかめて一呼吸。すみやかに諦めて振り向きざまに返事をする。
「はーい、何ー?」
「『何』じゃありませんよ律さん! あなた、また瀬尾さんのところにお邪魔する気でしょう。何です、その格好は。お正月なのに」
「邪魔はしません。れっきとした雪かきの手伝いです」
「手伝いとか……。そういうことじゃなくて。だめよ手ぶらなんて。ほら、これ。お持ちなさい」
「これ?」
瀬尾邸に行くのに、家人にいい顔をされないのはもう慣れた。せっかく頭ごなしに反対されるのを見越してキリッと答えたのに。
祖母の喜恵は、あっさりと手にした風呂敷包みを押し付けてきた。形状から察するに重箱。
(はて)
律は首を傾げた。
「喜恵さん。これは」
「お餅よ。律さんもお雑煮で食べたでしょう? 打ち粉をして小さく切ってあるから、焼けばすぐに食べられるわ。下の段には、さっき拵えたつぶ餡入りの草餅も…………って、なあに? そんなにまじまじ見つめて。照れちゃうじゃないの」
「え。いや。だって……。なんで急に? 喜恵さん、俺があそこに行くの嫌がってたでしょ。ずっと」
「私だけじゃないわ。優も篤子さんもよ。市にお譲りした以上、あの家はもう左門のものじゃないのに、あなたが家主みたいに入り浸るのは良くないもの。しかも、お相手は二十代のうら若い女性っていうじゃない。そりゃあ気を揉むわよ」
「……」
優は父。篤子は母。
両親とは、中学に入ったあたりから極端に会話が減った。部活で帰宅が遅くなったし、あのひと達自身、普通に忙しい。
最近で長時間話したのは、進路希望の提出書類を持って相談に行ったときくらいじゃないだろうか。いくつかの大学の資料をまじえて、久しぶりにじっくりと顔を付き合わせた気がする。
が。
黙り込んだ孫をどのように受け取ったのか、喜恵は拗ねたような口調を元に戻し、皺のある目許を和らげた。
もの柔らかに、包み込むように。
「――でも、偶然だけど“み穂”で直接お会いしたら、想像と違ったわ。こんなところに単身Iターンされるくらいだから、もっと田舎暮らしに一方的に憧れてるような、こう……ふわふわっとした方かと思ったのよ。そうじゃなくて、むしろ……色々と事情があったのかしら。そんな風に感じたから」
「……うん」
喜恵の慎重な、気遣うような物言いに律はしずかに頷いた。あらためて彼女の姿をゆっくりと脳裡に描く。移り住んだ理由も今なら知っている。
言えない。
代わりに、そっと祖母から目を逸らして、託された手荷物に視線を落とした。
片手で持てる、おそらくは漆塗りの重箱だ。白い縁取りに淡い紅色が美しい梅の模様。優しい印象のちりめん風呂敷に包まれている。喜恵の手持ちの品だろう。
派手さはないが、洗練されていて。
落ち着いているのに、時おり見とれるほどきよらかで華がある。
彼女は、こんな色あいも似合いそうだと思った。
――もしも、祖母が自分と似た印象をあのひとに抱いたのだとしたら。家のなかで力強い味方になってくれるのなら。
“将来” と呼べそうなものを、そっと描いてもいいんだろうか。あのひとの気持ち次第だけど、ひょっとしたら。
思いがけず心に浮かんだ希望に、つい視線を戻すと、喜恵は悪戯を思いついたような表情で微笑んでいた。
「あの家の除雪は女手に余るでしょう。いいわよ、行ってらっしゃい。瀬尾さんさえ良かったら、本宅にも遊びに来てもらえると楽し……、こほんッ、嬉しいんですけど」
「待って喜恵さん。今、さらっと誤魔化した? 『楽しい』って言ったよね。どういうこと、それ」
「うふふ、言葉通りよ」
ころころ……と、年甲斐もなく祖母が無邪気に笑う。
言えば怒られるだろうけど、彼女は間違いなく左門家の古女傑。
やれやれと苦笑した律は、今度こそ「行ってきます」と戸を開けた。