表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜並木の、その下で  作者: 汐の音
寒明けの章
28/48

1 善意の三択

「はい。そこまで。全員筆記具を置いてください」


 広い教室の教壇で、若い女性の試験官が腕時計と壁時計を交互に確認後、声をあげた。

 フー……と、あちこちで受験者たちが詰めていた息を肺から絞り出している。カチャ、カタンと、指示通りに鉛筆を置く音。椅子を動かしては思い思いに身をくつろげる音。


(終わった……)

 まだ、びっしりとした文字列を追って解答を弾き出していた名残に、頭が冴えざえとしている。


 教室中央の前側。(みなと)もやはり吐息で肩を下ろし、目の前の全力を出しきった答案用紙が回収されるのを大人しく待った。




   *   *




 試験会場は訓練で慣れ親しんだ専門学校ということもあり、リラックスして(のぞ)めたと思う。

 手応えとしては、ぎりぎり大丈夫な気がする。


 すでに雇用保険の受給期間は終了している。

 あとは、結果に関しては見込みでも良いとして、本格的な職探しや面接を――と、ぐるぐる考え始めたあたり。


 「や。お疲れさん」と、後ろから肩を叩かれた。湊は振り返り、ふわりと微笑む。


(たかむら)さん。お疲れ様です」


「このあとどうする? 有志で打ち上げと新年会しようって、女性陣が楽しそうにしてたけど」


「あ。年末に聞かれてたやつですね。行きます。篁さんは?」


「行くよもちろん」


 にこっと人好きのする笑顔を浮かべる篁裕一(ゆういち)は、伸びっぱなしだった髪をとうとう切ったらしい。長めの前髪の印象は変わらないが、襟足を短くして今日のようなスーツを着こなしていると、ちょっとした優男というか。人が変わったように真面目に見える。


「あのさ」


 じっと眺める湊の真意を正確に汲み取り、からかい混じりの軽口を叩こうとした篁は、ふと足を止めた。

 流れに従って惰性で歩いていたが、もうすぐ試験会場となった学校の出入り口へと差しかかる。ぐっ、と無言で彼女の二の腕を引いた。


「篁さん?」


 人の波は途切れない。後ろから横、前へと流れるなか、二人だけで取り残されている。湊は訝しげに篁を見上げた。

 篁はしばらく外を凝視したあと、人波に逆らうように(きびす)を返す。


「いや。オレ、去年瀬尾(せのお)さんを探してるらしい男に声をかけられちゃって。ちょうど、きみが休んだ日だった。なんとなーく言いそびれてたけど……出たとこで待ち伏せされてても困るし。良かったら別のとこから出られないか考えよう。時間潰ししてもいいし」


「待ち、伏せ」


 つかんだ腕から力が抜けていた。戸惑いや警戒の色すら抜け落ちて、ただひたすら平淡であろうとする声音。


 ――どうやら学生用のカフェに向かうらしい、と察した湊が口早にこぼす。


「そのひと、名乗ってましたか。いえ、乱暴なことや失礼なことはされませんでしたか。まさか」


 キィィ、と硝子(ガラス)張りの扉を押し開けた篁は、(やっぱりな)と当たりをつけつつ彼女をカフェスペースに押し込んだ。

 そのまま空席の目立つ屋内フロアを素通り。場所をとる()()で、外のテラス席へと一直線。植え込みから窺える中央出入り口へと、そっと視線を走らせた。――いた。


「あいつ。あの、高い木のところ。わかる? 『木嶋(きじま)』って名乗ってたけど」


 旧姓だの何だのと(のたま)っていた点については割愛する。

 白いテーブルにどさっと荷物を降ろし、同じく白い椅子に腰かける。向かいの席に彼女を座らせると、切り込むように問いかけた。

 湊も視認したのだろう。

 黒いロングコート。肩から両側に垂らしたボルドー系のストライプのマフラー。身なりも見た目も良い。眼鏡で――


 やがて彼女は神妙な顔つきとなり、篁の目を見ると、はっきりと頷いた。


「……離婚した、夫です」


「やっぱり」


 ふぅぅ、と試験の直後よりも悩ましく嘆息した篁は、ふいに両肘をテーブルにつき、身を乗り出した。


「アドバイスしとこうか瀬尾さん。離婚したなら『元』だよ。他人他人。見るからに円満離婚じゃないよね。裁判沙汰? 親権がらみ? ひょっとして、ガチなストーカー?」


 もはや同じ離婚経験者として遠慮はしない。ガンガン踏み込んでみる。湊はやや怯んだ素振りを見せていたが、間を置かずに持ちこたえた。落ち着いた、しっかりとした口調で順に答えてゆく。


「親権は……発生していません。子どもはいませんし。おそらくは夫婦問題としてガチ……なんでしょうね。迂闊でした。年末、もう大丈夫だと思って、以前お世話になったお姑さんに葉書を出したんです。無記名で」


「住所も?」


「住所も。郵便番号だって」


 つられて湊も前のめりになった。

 フェンスと植え込みを挟んでいる。何より、入り口からここまでは結構な距離があるのだ。にも(かか)わらず、声をひそめてしまうほどの萎縮。つまり。


(……消印と、書いた内容で当たりをつけられたか? 職業訓練なんかは時期や職種に目星をつければ、そこそこ調べられる。ハローワークに問い合わせて個人情報が流出するってことはないとして。この、平静装ってるわりに心ここにあらずな瀬尾さんときたらなぁ……)


 他意はない。

 ないが、狙いを定めてぼそり、と呟いてみた。


「DV?」


「っ、黙秘です」


「そう。なるほど了解。まだ家はバレてないみたいで良かったね。……どうする? あ、いなくなった。諦めたかな」


 篁は座ったまま、伸びあがるように植え込みの向こうを探した。黒コートの人物は見当たらなかった。

 学校の入り口はすでに人通りもまばらで、受験者たちもまぁまぁ散開したようだ。

 ほっとしたような湊の目を覗き込むと、思った以上に無防備で、途方に暮れたまなざしを向けられる。


「『どうする』とは?」


「だから。警察に相談するか、先手を打って引っ越しするか。とりあえずオレのアパートにでも転がり込むかってことだよ」


「? 最初の二つの有効性はわかりますが……。三つめは?」


「名案かなと閃いて」


「だめです。当たり前に却下です。心配を……していただいているのなら、ありがたいんですが」


 滲むような苦笑。姿勢を戻し、距離をとった湊は、唇を噛んでからやんわりと告げた。

 まぁそうだろうな、と、わかりきっていた篁も脚を組み、体重を背もたれに預ける。


「じゃあさ、経済面や各所手続きが面倒って理由で一つめが妥当かな。一人で行ける? 付き添おうか」


「…………」


 しばらくの沈黙。熟考の気配はあった。

 考えに考えたあとで、ふるふると湊は(かぶり)を振った。


 いいえ、そこまでは、と辛うじて答えて。

 結局そのまま、遅まきの解散となった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ス、ス、ストーカー!! お巡りさんあいつですー!!!;( ;´꒳`;): 『※ただしイケメンに限る』がDVにも適用されると思ったら大間違い。ねちっこい男は湊さんの隣にふさわしくありませんっ。…
[良い点] DV……!!! ハードな展開になりそうですねっ 前の挿絵で見た元夫さんが色男だったけど、いかにもな感じにも見えました。 因みに、篁さんもいい男でした。 それはおいといて、今話、緊張感があり…
[一言] 怖い!元旦那怖い!! これは次回を見過ごせないぜ!!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ