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桜並木の、その下で  作者: 汐の音
初暁の章
27/48

追記2/2 温もりと波乱の日

 空が白い。うっすらと光を(たた)えている。

 黒い枝先に几帳面に雪を戴く桜並木は、整いすぎて、いっそ写真じみている。(りつ)は足元のさらっとした新雪を踏み固めて、着実に歩いた。

 下の国道から坂の上(こっち)は、ほぼ雪に埋もれて道がない。よって、律の通ったあとに一本の細い道ができている。


「やっと着いた……」


 喋った拍子にこぼれる吐息も、瀬尾(せのお)邸の屋根も真っ白。際限なく降り来る粉雪は星のようで、見上げると吸い込まれそうだった。


 庭師のサービスだろうか。玄関まわりだけは軒下に雪囲いがしてある。

 裏側を木の板で補強した、白く波打つトタン板は、屋根に積もりすぎた雪を滑り台のように地面へと逃がしてくれる。


 屋根雪は直撃すれば埋もれることもあるし、重みそのものが凶器。トタン板は地味で見映えはよくないが、この地域では古来から立派な安全装置だった。

 そう言えば。


(みなと)さんって、出身どこだろ。旅館としか聞いてない。雪、慣れてんのかな……?)


 彼女の醸すイメージは秋田っぽくもあり、京都っぽくもある。訛りはないが首都圏という感じはなかった。

 地理上、この辺は風向き次第で立派な豪雪地帯になることを、風邪が治って元気になったら教えないと……など、妙な使命感に駆られる。


 (りつ)は雪囲いの内側でとんとん、とブーツの雪を落とすとポケットから合鍵を取り出した。 


 ――カチャリ。

 解錠。カラカラ、と開ける。


「こんにちはー。……湊さん?」


 わずかな隙間に身を滑り込ませ、後ろ手に引き戸を閉める。まっすぐ奥へと続く廊下は、しん、として清く、外と変わらないくらい寒い。


 勝手知ったる(かつ)ての別宅。

 律は玄関で脱いだブーツをさっと揃えて上がり、なるべく足音を立てないように歩いた。


 きっと、彼女は寝ているのだと思って。




   *   *




(寝室。ここだよな。さすがに入浴中ってことはないだろうし……)


 廊下を挟んでキッチンの向かい側。

 床の間に、襖戸(ふすまど)で隔てた和室があるのは昔から知っていた。

 湊が来て、引っ越しの手伝いをしてからは一度も入っていない。若干の緊張が走る。

 律は、いちおう控えめに声をかけてみた。


「湊さん、いる? 開けていい?」


「……律、くん? え、なんで……?」


 硝子(がらす)と障子の向こうから、微かに戸惑う声が聞こえた。

 普段の彼女よりも明らかに上擦(うわず)り、掠れて辛そうな声。律は躊躇なくすらり、と格子戸を引いた。


「うわ」


 当然だが、思いきり非難の声をあげられた。

 まだ青みのあるい草の畳に敷かれたボアシーツの布団で、湊が横になっている。


 ――眠っていたのか、起きていたのか。

 開けられるとは予想だにしなかったらしい。かなりの驚き具合だ。


 律は戸を閉めてから「入ります」と、しずかに断った。抜かりなくファンヒーターのスイッチを入れておく。

 寒い。いくらなんでも病人が安静に過ごせる部屋じゃない。


 半分体を起こした湊は、まだきょとん、としている。


「どうして……あれ?? 私、なにか約束してたっけ」


「してませんけど。俺、たまたま“み()”にいたんです。欠勤連絡したでしょう? あのとき聞きました。熱があるって」


「あぁ」


 合点がいった湊はゆるゆると瞼をおろし、ぽすん、と枕に埋もれた。

 話しながら布団の側に座った律をまるで警戒していない。普段、厳密に引かれているはずの一線が、みごとに消えていた。


 襟元のボタンを留めきっていない、ゆるい部屋着姿も。

 袖から覗く華奢な白い手首も。

 何より、表情が。


(やばい……!)

 目が離せない。

 高熱にあえぐ唇。潤んだ目許。上気して火照る頬にもれなく視線を引き寄せられる。

 つい、触れたいと願い、手が伸びてしまったのは不可抗力だった。


「…………律君?」


 律に前髪をすき上げられ、額に手を乗せられても湊は拒まなかった。

 そのまま、やさしく髪を撫でられても。


「俺、しばらくいますから、休んで。欲しいものある? 薬は飲めた?」


「薬は帰ってすぐ……。そのせいかな、今すごく眠くて」

「ごめんなさい寝てください」


「あ、でもよかったら……ちょっと待って。甘えてもいい?」


「何なりと」


 甘えてもらえるなら嬉しい。

 うっかり彼女の耳朶(じだ)や首筋にも指を滑らせてしまったが、あえて熱を冷やすことだけに専念した。

 目をつむった湊はそれすら振り払わない。気持ち良さそうに口許をほころばせている。



(破 壊 力 ……ッ!!!)



 くっ、と瞑目する律をよそに、湊からは寝入りそうな甘い声がぽやぽやとこぼれた。


「そこ……、文机(ふづくえ)。お年賀状書いたんだけど、出しそびれちゃって。さすがにもう……投函しないと」


 ――元旦に間に合わないかも。

 声音とは正反対。実に現実的な要望だった。律はあっという間にリアルへと引き戻される。


「承知しました。出せばいいの? 全部?」


 す、と立ち上がり、目当ての文机へ。

 黒いノートパソコンの横には、年賀状が数枚重ねられていた。宛名も書面もすでにプリントアウト済み。直筆で一言ずつ異なるメッセージが添えてあるという丁寧な仕事ぶりだ。そのなかに。


「えっ……これ、俺?」


「そう。ごめんね。本人様に」


「いやいや。嬉しい。すごく嬉しいです。ありがとう」


 ボールペンでしたためられた、柔らかな筆致。目に飛び込んだ文章に心が浮き立つ。

 律は、じんわりと喜びをかみしめて湊に声をかけた。


「寝ててください。投函ついでに雪、すかして来るから」


「ごめん……ね、埋め合わせ、は、また今度……」


 途切れがちな声が小さくなる。

 眠くて堪らなさそうな湊の珍しい姿に、思わず口の端が上がった。


 ――――こちらこそ、ごめんなさい。勝手に、よからぬ気持ちであなたに触れました。



「! そうだ。これ」


 顔を赤くした律は、はた、と思い出して、持参したスポーツ飲料を開栓した。冷えピタは一枚だけ取り出してフィルムをめくり、寝入りそうな湊の額に乗せる。


「つめた……」


「おやすみなさい。暖かくしててくださいね。ファンヒーター、切れるまでには戻るから」







 パタン。


 障子戸が閉まる音に、意識が沈みそうだった湊はとろとろと思案する。


(斉藤さん、真鍋さん、坂元さん……。大丈夫、みんな書けてる。それに)


 横を向いて枕に頬擦り。もそもそと掛け布団を鼻先まで被った。

 かれの手が触れた箇所を温もりに(うず)める。他意はない。ないったらない。


(葉書……先に、女将さん宛にはお年賀関係なく出しててよかった。もう届いたかな)


 届いてるはず。投函したのは先週……――


 それ以上の言葉はカタチにならず。

 安堵した湊は、すぅっと眠りに落ちた。




   *   *




 いっぽう、職業訓練修了のこの日。

 メンバーのなかではかなり努力していた湊の不在は、少なからず他の面々を消沈させた。


「心配だよねぇ。試験、来れるのかな」

「大丈夫でしょ、まだ日はあるし。――ね、(たかむら)さん。瀬尾さんと年末年始に会う約束って、ある?」


 ご婦人がたから話の水を向けられ、篁裕一(ゆういち)は、にこっと笑みを浮かべた。


「多分。そうですね、会うんじゃないかな。今日の講義内容とか教えてほしいってメール、ありましたから」


「ふぅ~ん。そっかぁ。よろしくね。良いお年を!」


「うん。真鍋さんたちもね。良いお年を」


 ご婦人がたは揃ってにこにこしている。

 『はっきりとは言わないのが大人の作法』みたいな。


(まぁ、魂胆は大体わかるけど)

 条件的な安全(パイ)ということもあり、篁は気安く微笑んで手を振った。

 そうして専門学校から出てきたところを。



「すみません。今日、ここで職業訓練を終えられたかたですか?」


挿絵(By みてみん)


 突然、見知らぬ男性に話しかけられた。

 年の頃は三十路(みそじ)後半。仕立ての良さそうな黒のロングコート。眼鏡を掛けている。

 中背だが立ち姿はすっきりとして、顔立ちも悪くない。怜悧といえば聞こえはいいが、感情がいまいち現れにくそうな、冷たい印象を受ける。篁は少し身構えた。


「そうですが。どちら様?」


 あぁ、と、男性は初めて対人用の笑顔を見せた。


「身内が、職業安定所の訓練でここに通っていたはずなんです。木嶋(きじま)……、いや、今は旧姓を名乗ってるかな」


(旧姓)

 とびきりデリケートな単語だ。

 篁は眉がひそめたが、警戒を出し過ぎないよう、大いにつとめた。

 いやな予感がする。()()、と言った。では、前は?


 おそらくは木嶋(なにがし)というのだろう。男は、するりと続けた。


「瀬尾、といいます。『瀬尾湊』。ご存知ありませんか」


「さぁ」


 にわかに沈黙が降りる。やばい。

 危険察知も半端ないが、篁は数々の修羅場で鍛え上げた自分の鉄面皮(てつめんぴ)に感謝した。出来うる限り動揺を出さず、しれっとやりのける。


「……知らないな。うちらの中にはそんなひと、いなかったですけど」


 失礼しますね、と立ち去る。その心は。


(知らせる? 知らせないほうがいい??? どーすんだよ瀬尾さん。あれ、まじやばい奴だろ……!!)


 真顔でしばらく煩悶していた。





いつもより、たくさん書いてしまいましたのに初暁に届かず(泣)


読んでくださるかた、ありがとうございます。気まぐれ更新ですみません。初めましてのかたはようこそ!


諸々のおわびに、湊さんの和装を貼ります。


挿絵(By みてみん)

(2021、新年のご挨拶用鉛筆画)


季節ごと更新なので、次は必ずや冬の間に……。

また、お会いできると嬉しいです。

ご覧くださり、ありがとうございました!




2021.11

【新キャラクターの改名】

少々語呂を変えたくて、花島かしま木嶋きじま、に変更しました。申し訳ありません!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 季節を追う毎に湊さんが可愛らしくなって行くのを嬉しく思う反面、律くんにとっては正に地獄じゃなと同情しきりの今日この頃。 女性がこれだけ無防備だと、何かと問題アリなのですが、よく我慢した律く…
[良い点] 襟元のボタンを留めきっていない、ゆるい部屋着姿も。 こりゃまたたまらん表現ですね! すごい、としか言えません! 真似したい! [一言] メガネインネリ不審イケメン登場! こんな所まで追っ…
[良い点] うわっ……!!! ここで次章に続くんですか?! こ、これは嵐の予感……? 大好物です!楽しみです! ⇜鬼 律くん、役得でしたね^^
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