後
「どうしよ、左門。おれ……生まれる性別間違えたのかな」
「いや、大丈夫。合ってる合ってる」
水色のワンピース。手加減してもらって膝下丈のエプロンドレスをまとい、れっきとした高三男子・柏木透は呟いた。
本物は金髪美少女だと誰もが認識している『不思議の国のアリス』は、一般的な日本人がコスプレするには無理がある。
よって、かつらは明るめブラウンのロングヘアー。黒いリボンカチューシャ。うっすらメイクまでしてもらった柏木は、申し分のない美少女だった。――ドンマイ。
ぽん、と、執事服の律が白い手袋をはめた右手をアリスの肩の上に乗せる。やさしい労りを込め、とろけるような微笑まで添えて告げてやった。
「可愛いよ」
「お前~~……ッ!」
元々、177センチの律に対し、柏木の身長は168センチ。特に違和感はなかった。なさすぎた。
非日常極まりない光景だが、周囲を取り囲む3―B女子は晴れ晴れとしている。
彼女らはわりと大人しい、本格的なメイド服だった。皮肉なことに柏木よりも和風で明治時代っぽい。清楚な雰囲気を湛えている。(黙っていれば)
男子は制服に揃いのエプロンで、左胸の辺りにトランプ模様の飾りを縫い付けていた。芸が細かいことに記号は♥で統一されており、それぞれ数字が違う。
たまに『役』を振られた者もいた。看板の下書きでも思ったが、衣装が凝っている。
笑う猫、女王、帽子屋――まさに“Alice in Wonderland”。
首謀者は誰かな、と思ったが、女子には違いなかった。
* *
紫乃祭当日、開場前の八時五十分。
本館三階にある教室は浮わつき、沸き立っていた。ある意味、サプライズだった柏木の『今日の主役』ぶりが板についていたせいもある。
――ひそひそ、と、楽しげな囁きや熱っぽいまなざしを向けられていることは、とうに気づいていた。そこまで鈍感じゃないので。
居心地が悪くなり、律は、ふっと教室中央から視線を逸らした。柏木がまだ吠えているが、こちらもガン無視する。
きれいに拭いた窓の外。
入場客が並び始めた正門付近に目を凝らし、そこで待ち合わせたこともある大人の女性に想いを馳せた。
あんなに、近づけたと思ったのに。
(あんまりしつこく電話してもな……)
LINEは既読がつくし、たまに返事もくれる。
電話にも出てくれるが、明確な一線を引かれていた。留守を理由に、瀬尾邸に寄らせてくれない。二人きりになれない。
きっちり、会ってくれなくなった湊に対して。
――学祭やってます。実苑さんの店が休みだったら、良かったら遊びに来てください。外部のお客さんも来てるし、出し物とかけっこう面白いと思います。
そう、文字で送るのが精一杯だった。
キスしたことは不問。告白すら不問。
律も、あえて自分からは蒸し返さなかったが、なぜこうまで避けられねばならないのか。
(まぁ……今日は、俺が女装じゃなくて良かったけど)
人目を引く仮装ではある。
が、スカートよりは格段に走りやすそうな服で良かった。
もしも、来てくれて。
もしも、ばったり会えたら。
――――その時は、絶対に逃がさないと心に決めていた。
やがて、パンパン、と手を打つ音。やや間延びした声の男子クラス委員が、のんびりと皆の耳目を集める。
「はい、注目~。各自、散ってよし。まずは午前班準備よろしくー。開店は九時半。午後一斑は十二時集合。午後二班は十五時ねー」
「了解ー!」
「は~い」
あちこちで返事が上がるなか、ふくれ面の柏木が呻いた。
「坂田、俺は……?」
「あ、アリスはこれね」
「……これ?」
もはや、本名すら呼んでもらえない。
柏木は渡されたモノを両手に握り、虚ろな目でうなだれた。
「うっそだろ」
「いや、真面目に」
えんえん不毛な応酬が続いている。
律は、ふっと吹き出した。アリスが自分たちの看板を持たされている。
「笑うな……!」
「ごめんごめん」
ふふふ、と込み上げる笑いを噛み殺し、ちょうどいいやと持ちかけた。
「な、委員長。俺も柏木に付いてっていい? ここまで似合うと心配だ。妙な奴に絡まれたら可哀想だし」
「あー……、うん。それもそうかなー」
腕を組み、眠そうな瞳に一瞬、きらりと光が宿る。「そのほうが客寄せになるかもね」と、ぼそっと心の声がもれた。
……坂田さん? 聞こえてる、聞こえてる。
隣に立つ、眼鏡の女子クラス委員にお伺いをたてて二言三言。指令はすぐ、実にいい笑顔で下された。
「OK、九時になって開場したら、ぐるっと一周してきて。期待してる。めいっぱい宣伝して」
「心得た」
「えぇぇ……。おれ、今日は彼女来んのに……」
「(黙殺)あ、みんな! 先生がさ、売り上げナンバーワンだったら全員にハーゲンダッツ奢るって」
「「「!!! まじで!?」」」
憐れ、柏木のぼやきは完全に聞き流された。
皆、単純に顔を輝かせている。
打ち上げでカラオケでも――という話は出ていたが、外部受験を選択した者もあり、配慮のために立ち消えた。その残り火が再燃する。
なぜだろう。うちのクラスは甘党が多い。しかもアイス好きが圧倒的に多い。「しゃーねぇなぁ。やってやんぜ……!」と、裏方の男子まで目の色を変えていた。
「じ、じゃ。ちょっと早いけど出るわ、俺達」
若干引きつつ、涙目のアリスの肩を抱き、看板を持たせたまま教室を去ろうとすると、律の執事服をつんつん、と引っ張る者がいた。チェシャ猫カチューシャのコスプレ女子だ。
「はい、左門君。これ」
「?」
「おっ」
ここに来て、ようやく柏木は復活した。よくよくひとの不幸に敏感な奴だった。
猫耳女子が差し出す物体に二人で見入る。
――まさか。
「うふふっ、借りるのギリギリになっちゃった。大事にしてね。その懐中時計、お父さんのなの。あと、それも。外さないで」
「……」
「……ぶふっ」
「笑うなアリス」
固まったように動かない律の上着をそっとひらき、猫耳女子は緊張の面持ちで懐中時計を内ポケットへと押し込んだ。丸いすべすべとしたシルバーの表面は、内側の裏地をつるりと滑り落ちる。
次いで、戴冠式のように恭しくそれを乗せられ――もとい、はめられた。
律は深々と吐息した。
「なるほど……。つまり、時間厳守であちこち走り回れってこと?」
女子の猫耳はピンクのしましま模様。これは明らかに米国だなと思いつつ、片頬を緩める。
女子は、ほぅっとため息をついて片頬に手を当てた。
「別に、走らなくてもいいと思うけど…………。熾烈なジャンケンのリーグ戦を制した甲斐があったわ。行ってらっしゃい、左門君。柏木君も。帰ったらお店手伝ってね」
「よっしゃ! 辱しめを受けるのがおれだけじゃないんならいいぜ! さ、行くぞ白ウサギ。お前となら、この格好も悪くない……!!」
「あぁそう、うん……。俺、お前のそういうとこ好きだわ」
きゃあぁ、と、途端に黄色い声が立ち上り、満面の笑顔で送り出されてしまった。
美少女らしからぬ大股のアリスに引きずられ、ウサ耳カチューシャを早速むしりとった律は、剣呑に目を据わらせた。
「くっそ、こうなりゃ自棄だ。柏木、湊さん見つけたら即教えて。義理堅いから来てくれるのに賭ける。返信なかったけど」
「へえ? 喧嘩かー? よしよし。ミナトさんも気の毒に……。一番に見つけてやんよ」
右手に看板。
左手でバシッ! と、執事服の背を叩く。痛ぇ。
苦笑しつつ歩調を改め、衣服を正す。そのまま、本物の執事よろしく野性味あふれるアリスにちくり、と苦言を呈した。
「お嬢様。お足元にご注意ください。男どもの夢が壊れます」
「あ、わり。気をつける」
一転、ちょっとお転婆くらいの歩調になった柏木を見つめ、律はほろ苦く前を向いた。
「まぁ……微妙な格好だけど仕方ない。あまりの見慣れなさに驚いて、足止めできれば御の字かな」
小道具として預かった、貴重品らしい懐中時計をパカリとひらいた。
アンティークだろうか。アイボリーの文字盤は繊細な英数字を刻み、午前九時を指している。
――始まる、開場のアナウンス。こちらも集客、および探索開始だ。
パチリ、と蓋を閉じる。
革靴の踵がかつん、と響く。
白兎をやめた律の居住まいは3―B女子の狙い通り、甘さを含んだ物語の執事めいていた。
(ぎゅうぎゅう詰めで申し訳ないです……!)
次話で、篁さん&湊さんサイドも捕まえられると思います!
あらゆる絵を描きたいのですが、先に文章を。
あとから絵の追加をさせていただきますね。
お読みくださり、ありがとうございます!