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桜並木の、その下で  作者: 汐の音
嵐の章
14/48

 からりとした屋上の空気を肺いっぱいに吸い込み、左門(さもん)(りつ)は絵筆を走らせたような雲に視線を添わせた。


 落下防止のために設置されたフェンスの上辺に、掠れた飛行機雲がかかっている。斜め上はやたらと真っ直ぐな光を投げかける太陽がいるので、直視できない。それで、雲ばかり見つめている。


 昼休み。仰向けに転がっている。

 惰性で夏服のままだが、九月も終わり。そろそろ秋服に替えるべきだろう。

(あっという間だったよな……夏休み。台風ばっかりだったし、二学期もばたばたと)



 しみじみ、と感じ入っていまう。

 ある意味、彼女に近づくための好機に違いなかった季節(シーズン)は、あっさりと終わってしまった。


「しくじった……」

「何を?」


「何でもない」


 温められたコンクリートが背に熱い。

 ぼそっと呟いたはずの嘆きは、即座に隣に座る男に拾われてしまった。

 目を瞑り、右腕を枕にして横を向く。


 かなり、ぶっきらぼうに誤魔化したはずなのに柏木(かしわぎ)は流されてくれなかった。ここぞとばかりに、ぐいぐい突っ込んで来る。


「ってかさ、最近ずっとそうじゃんお前。えーと……花火大会から? ミナトさんもちょっともじもじしてたし。あれだろ。さては何かしたなー? 境内で、三人で座ってたときとか」


「! 見てたのかよ」


「見てねぇけど。…………へぇ、そっか。ふぅ~~ん?」


 にやにや、ニマニマ。心底うざい。

 周囲からは『可愛い!』と大評判の女の子っぽい童顔も、こうなっては悪人面(あくにんづら)としか言いようがなかった。げんなりする。


「関係ないだろ」


「ないけどさ」


 よいしょっ、と、隣に胡座をかいていた柏木は立ち上がった。パンパン、と制服のズボンを(はた)く奴の背中越し、角度の低くなった太陽が一瞬、隠れる。


「勿体ないじゃん。せっかく、高校最後の文化祭なのに。……あっ! 聞いて聞いて。おれ、塾で彼女できたんだぜ!? 他校の女子! いま二年! 誘ったら当日、友達連れて遊びに来るって。紹介してやるから気合い入れろよ~。ほらほら、看板塗りなんざ、ささっと終わらせよーぜ?!」


「おま、それ……ただ早く帰りたいだけだよな? 塾で待ち合わせ? デート?」


「わかってんじゃん」


 ふふん♪ と見下ろされた。どや顔だった。

 客観的に見ると、幸せ絶頂の柏木はちょっと心配になるほど浮かれている。鼻歌まじりに昇降口の方へと歩き出した。


 ――そう言えば、こいつもまだ夏服だ。

 ちょっと離れた場所に置いたベニヤ板には、鉛筆でレタリングされた『3-B cafe Alice』の飾り文字。


 一体、誰の力作だろうか。某絵本に忠実な女の子の全身画と、ティーカップや帽子、ウサギに笑う猫の顔まで描かれている。凝りすぎだろう。


 これを、ペンキで。

 今日中に二人で刷毛(はけ)で塗れとは、クラス(うち)の女子もなかなか鬼だと思う。板は結構でかいのに。


 もう塗るつもりらしい、刷毛を選ぶ気楽そうな背中を目で追っていると、ふと予感が(よぎ)った。ざっくりまとめると、()()()()良くない(たぐ)いのものだった。

 


「柏木。お前……選択、美術だよな。俺とおんなじ。評価なんだっけ」


「ん? おれの通知表ってこと? 四!」


「…………」


 十段階評価の芸術が“四”とは、つまり。


(やばい)

 おそろしく元気に答えられたが、由々しい直観が律を襲った。このまま行くと確実にホラー喫茶となる。

 女子はリアル鬼へと変貌し、和洋渾然混沌(カオス)もいいところ。一体、どんな日英コラボレーションか。


 速やかに腹筋だけで起き上がると、律もまたスタスタと歩き始めた。


 風が頬を撫でる。あまりの優しさに目を細める。

 陽射しの熱を、やすやすと冷ます秋風だった。



「貸せ。やる」


「お?」


 仏頂面で手を差し出すと、ニヤつかれた。


「相変わらず素直じゃないね~、左門は。やりたいなら最初から」


「ばっか言え。()()()()()()()反省してんのに」


「?」


「何でもない。まずはさ、こういうのって背景からだろ」


 話題を変えるべく、刷毛を思いきり缶に突っ込んだ。空色の滴がパタタッと辺りに散る。

 下に敷いた段ボールを汚しながら、思いきり塗っていった。気分は芸術家だ。


 ちょっとお洒落なゴシック風文字とイラストは黒。面倒なので全部シルエットにする。

 ところどころ、四角い長方形は白を塗り、灰色で片側に影を付けて――こうすれば飛び交うトランプっぽい。


 細部は油性マジックを使用。はみ出ればペンキで補整。

 どうせ、出番は半日ちょっと。学祭が終われば燃やすだけなのだ。端々(はしばし)まで丁寧に作る必要はない。



「へぇ~、なるほど。うまいじゃん左門」


「……いちお、九だから」


「すげぇな。そつなし男子め。何か手伝う?」


「いや、いい。適当に座ってろ。そのうち呼ぶ」


 俄然、もの作り魂に火が付いてしまった律は、猛然と看板を仕上げていった。ときどき簡単な場所を見繕っては、柏木に塗ってもらう。

 一見、至極前向きな態度だったが、世間ではこういうのを“現実逃避”と呼ぶんじゃないだろうか。




 ――――あの日のキスから。

 (みなと)は会ってくれなくなった。




   *   *




 律が通う海辺の高校、私立紫乃(ゆかりの)学園は、この辺りでは珍しい中高一貫エスカレート式だ。

 附属の大学は県境を挟んだ向こう側。新規で学校を建てるにあたり、行政の招致もあり、地価の安いここを選んだらしい。

 律は中学から。柏木は高校からの編入組だった。


 『紫乃祭(ゆかりのさい)』と呼ばれる学祭は十月に学園総ぐるみで行われる大々的なもので、ちょっとした話題になる。他校の生徒はもちろん、OBやOGの里帰りもよく見られた。

 バザー目当てに近所の方々もご来賓とあっては、ある意味、なかなか気が抜けない。


 ちなみに『ミス紫乃』や『ミスター紫乃』も、毎年秘密裏に選ばれているという。(生徒会主催。歴年の記録は、実際の投票数などを記した裏帳簿なるものに()じられ、『永年保存』と記された上で厳重に保管されているらしい)


 律は、じつは中学からずっと学年別ミスター部門を制覇しているが、本人は全く気づいていなかった。我関せずと、今年も裏方に徹している。



 つもり、だったのだが。






 ――――――――


「え? ウェイター。……俺が?」


「そう。やってくれるよね、左門君。人手が足りないの」


 どこか、毅然とした表情でクラス委員の女子は頷いた。背後には、これまた気迫十分な女子を三名引き連れている。

 言わずもがな、全員3-B。律は、じりっと後ずさった。



 放課後、無事に看板をクラス委員(男)に提出し、さぁ帰ろう――と(きびす)を返した矢先のことだった。教室の出入り口をぴったりと塞がれ、まるで罠にかかった獲物のような気分になる。


 「じゃ、お疲れ~」と、緊張感のない笑顔で柏木が横をすり抜けていった。女子は快く道を開け、にこやかに手を振っている。

 律はきょとん、と目を瞬いた。


「あいつは?」


「柏木君はいいの。とっくに役は決まってる。面白いから本人には言ってないけどね。あ、内緒よこれ」


「はぁ……」


 ご愁傷様。お互い決定事項だった。


 あいつはわかる。無駄に愛想がいい。売り子やウェイターなんかは天職だろう。


 ――でも、なんで俺?


 訝しげに目線で問うと、なぜか赤面された。後ろの三人にも。


「!!!! やっぱ、左門君はやらなきゃダメだと思うの!! 宝の持ち腐れとか、良くないからっ! ね??」


 普段、めっぽう大人しい眼鏡のクラス委員は、身悶えするように力説していた。



 よって。


(なんか、俺……最近、女難の相でも出てんのかな。絡みたい女性(ひと)には逃げられて、それ以外から、とか)


 強引に押しつけられた衣装を、複雑な心境で持ち帰る。

 有志女子たちによる、お手製の執事服だという。

 カフェのテーマは『不思議の国のアリス』なのに、なぜ執事(バトラー)



「『試着して、サイズおかしかったら教えて』って。あいつら、採寸なんか一度も…………え? 俺、測らせたっけ。訊かれてもないよな……???」


 一人、さかんに首をひねる。



 げに、侮れぬは手芸女子による、およそピッタリな目分量(めぶんりょう)

 帰宅後。

 律はその職人魂を、肌身で実感することになる。





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― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは! イケメンヤンデレが好きな石河です! (でもヒロインへの暴力は良くない!←ヒロインを傷つけないタイプならありなのか?) 初々しい律くんに、ちらりと垣間見える元夫、そして新たにチ…
[一言] 湊さん、会ってくれなくなっちゃったんですね〜…。 律くん、がんばれっ★(とても楽しい) 学園祭は青春ですよねぇ。 何をやっても思い出になります。学生だけの楽しい時間。 と、思い出してみたら…
[良い点] 面白かったです!! 描写が丁寧。 ペンキ塗りのとことか、ラスト付近とか。 そして湊さん、会ってくれなくなったんですね。 この文化祭がどうなるのか、非常に楽しみです。 展開が期待できます。 …
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