↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
7/8

第七話

……



 波の音が聞こえてきます。静かに、穏やかに、部屋の中を満たしています。

 その部屋の中には明かりが付いていませんでしたが、真っ暗ではありません。この部屋にある窓の外の景色は明るく輝いていました。今日もよい天気のようです。


 波の音に混じって、木で出来た扉をノックする音が響きます。きぃっと軽い音を立てて扉が開きました。部屋の中が一層明るくなります。ノックして扉を開けた人は無言のまま入るとそのまま扉を閉めました。薄暗い部屋の中を見渡します。窓とは反対の壁際に置かれたベッドの脇に、いつものように人影がありました。ベッドに上半身を預け床に腰を下ろしていた人は、今入ってきた人のことを気にも留めず、どこを見るわけでもなくぼんやりと無気力な顔をしていました。

 入ってきた人は体つきから見て男の人のようです。やっぱり何も言わないままベッドのところの人影に近づいていきます。窓から入る光がその男の人の顔を照らします。入ってきたのはあの旅人さんでした。片手に何かを持っています。ベッドに身を預ける人の正面まで来るとしゃがみ込み、顔を合わせました。ベッドの人はすぐにふいっと顔を背け、シーツに顔をうずめてしまいました。

 白いローブを着ていませんが、あの女の人です。あの時見せた幸せそうな笑顔が嘘だったかのようです。うれしくも、かなしくも、苦しくも、楽しくもなく、何も感じない。言葉もなく、ただ息をしているのがわかるだけでした。しばらくそばにいた旅人さんは持ってきた何かをテーブルの上に置きました。同じものがテーブルの上に乗っていて、代わりにそれを持っていきました。無言のまま立ち去ります。扉のところまで来ると一度彼女の方へ向き直りました。暗くてよくわからなかったのですが、旅人さんは戸惑った顔をしていたようでした。


 テーブルの上に置かれた物は、お盆でした。お盆の上にはパンと、あたたかそうに湯気を立たせたスープが乗っていました。






 三日前のことです。


「! マルキスさんかい!? どうしたんだい、一体!」

 車の助手席に乗せられた女の人を見て、最初に出会った町の人は大きな声を上げました。意識はあるのですが頬を赤く腫らせ、無気力にぐったりとしていた彼女を見れば、顔見知りであれば誰もが同じように驚いたでしょう。旅人さんはマルキスと呼ばれたこの女の人を休ませてやりたいので、彼女が住んでいた家を教えて欲しいといいました。

 町の人は最初、この旅人さんが女の人に乱暴をして、こんな風にしてしまったのではないかと疑っていたのですが、よくよくみると彼の方にもいくつも傷があります。顔、両腕には真新しい血の痕が付いていて、よくみると着ていた服は一部切り裂かれてしまっています。

 案内された彼女が住んでいた家は、何ヶ月も前に引き払われていたため、家財道具は一切残されていませんでした。出会った町の人は二人ともの手当てをするために近所の人を呼び集めてくれました。ベッドを運び込んでもらい、シーツとマットを用意してその上に女の人を横たえました。疲労しきっていたらしく、彼女はそのまま眠りに落ちました。服を脱がせ、汲んできてもらった真水を浸した布で彼女の顔を拭きます。頬を赤く腫らせてはいましたが、それ以外に怪我をしている様子はありませんでした。

 旅人さんは別の部屋で手当てされていました。同じように真水を浸した布で傷口をきれいに拭いていきます。幸いなことに深い傷は無く、じんわりと血がにじんできますがすぐに良くなりそうな感じです。ただ、箇所が多かったので薬草の汁を塗り、包帯を巻いてもらいました。

 何があったのか、と聞かれたのですが、旅人さんは詳しく話しませんでした。けんかになった、とだけ言いました。







「離して! 離してよ!」

 崖のそばで、女の人の叫び声がします。朱に染まった空と水面がとてもきれいな景色にはまったく似つかわしくない喧騒です。白いローブを着た女の人が男の人に腕をつかまれ、抱き寄せられています。振りほどこうと必死に抵抗しています。あの旅人さんと女の人です。爪を立てて旅人さんの腕を引っかきました。一寸ひるんだ隙に男の腕から逃れると、息を切らせて崖の方へ走っていこうとします。旅人さんが駆け出し、再び服をつかみます。強引に引き寄せ、後ろから肩を押さえるように抱きしめました。そしてそのまま、離れたところに停められた車の方へとじりじりと寄っていきます。終始暴れまわる彼女を抑えながらなので、なかなか思うように車までたどり着けません。

 何だかんだしてるうちにまた女の人が旅人さんの腕から抜け出して、崖の方へ走っていきます。やっぱり追いかけて捕まえます。

「何で! どうしてなの! 私がどうなろうと責任持たない、どうでもいいって言ったじゃない!」

 捕まえられて引きずられていく途中、女の人が声を荒げて抗議していました。それに対する答えは無く、ただ無言で車の方へと連れて行かれます。怒った女の人は旅人さんの腕に噛み付きました。旅人さんは顔をしかめましたが、力を緩めません。

「どうして好きにさせてくれないの! いいじゃない! 知ったでしょう? 私はここで終わりにするためだけについて来たのよ! あなたを騙してまで! 私がそんな人間だってわかったのにどうして!」

 噛み付いていた口を離して、まくしたてました。旅人さんはたった一言だけ言いました。


だめだ。


 それ以上、答えが来ることはありませんでした。女の人は歯ぎしりして、一瞬抵抗を止めました。力を緩めませんでしたが、旅人さんはわずかに彼女の顔をのぞき込みました。その瞬間、女の人は思いっきり頭をそらせ、頭突きを食らわせました。さすがの旅人さんもその一撃を受けたことで力を緩めてしまい、彼女は旅人さんの腕から逃れることができました。お互い息を切らせて向き合います。


「…いいじゃない。 私はもう… ひとりで生きていくことに疲れただけ。大勢殺して、苦しめたことに対する罪に耐えられないんじゃない。そうなって当然じゃない、あんな奴ら。苦しむはずの無かったお父さんは、あいつらに殺されたのよ。

 私たちの幸せはお父さんが捕まえられた時にもう終わってしまった。もうその時から死んでたようなものなのよ! 今ここで、こんなに美しい世界に包まれて終わらせることの何がいけないの? ねえ旅人さん、あなたも言っていたでしょう? わかってくれると思ってたのに!」


 丁度その時お日様が沈みきりました。旅人さんが一歩彼女に近づきます。が、踏みとどまりました。どこに隠し持っていたのか、女の人はナイフを手にしています。


「もう… 来ないで下さい。わかりますよね」


 じりじりと崖の方へとにじり寄っていきます。

「今度こそ、本当にありがとうございました」

 そう言って彼女が海のほうへ振り向いた時、旅人さんは彼女を止めるために走り出しました。振り返った女の人が右手に持ったナイフを左から右へと振りました。わずかに身をよじりながら胴を引いてかわします。ナイフは旅人さんの服を切っただけでした。

 もう一度刃が来る前に旅人さんは左手で女の人の右手首を押さえます。あ、と思った次の瞬間、旅人さんは右手の甲で彼女を強くはたきました。男の力で強く打たれ、力が抜けてしまった彼女は地面に膝をつきました。抵抗する力も出ません。旅人さんはそのままナイフを取り上げ、何とか彼女を車の中に押し込むとエンジンをかけて、もう少し先に見える入り江の町へと車を走らせたのでした。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。