☆19話 機械仕掛けの少女
次の日の練習も同じメニューを与えた。さすがに1度やったということもあり皆ペース配分やコツを若干だが掴みかけてきている。練習を初めて2回目ならかなり早い成長だ。しかし……
「あっ……」
「舞依さん? 失敗が多いですが……具合が悪いんですか?」
「ううん。大丈夫」
舞依の調子が悪い。例の牧野との練習なんだがあまり集中出来てないように思える。
やはり昨日のことなんだろうな。もしかしたら近いうちにフットサルを辞めさせられるかもしれない、また陸上の世界に放り込まれるかもしれないという恐怖。それが原因だと思う。
そして俺も……
「どうすればいいんだよ……」
舞依をフットサルで超一流の選手に育てる? サッカーに関してならまだしもフットサルのことはまだ新入りの俺が? 馬鹿げてる。
マイナー競技なら可能性はまだあるかもしれないが、今やフットサルはサッカーと同レベルに超メジャーとなっているんだぞ?
年々人気になっていくにつれ選手のレベルもどんどん上がっていく。つまり全国にだって化け物のような選手がウジャウジャいるってことだ。それらを倒して全国優勝?……まだ始めたばかりのこの子達が1年以内に? 勘弁してくれ。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
暗い顔をしていたのが気になったのか、白戸が俺に話しかけてくる。こいつに心配される日が来るとはな。まだ出会って3日くらいだけども。
今日も無事に練習が終わって各自帰路についた。
家に帰っても俺の心の中はずっとモヤモヤした気持ちが渦巻いている。
舞依に楽しいフットサルをさせたい。でもそれには最低でも全国優勝レベルに育てるというあり得ない条件が付いてくる。
いっそ無視してフットサルを楽しませた後に結局全国無理でした、みたいになればいいかとも思ったが、お爺さんの「舞依は陸上界の宝」という言葉から……それを俺が自分勝手に破壊する行為にも思えてしまい、そんな選択肢は取れなくなった。あれでも舞依のことを考えているお父さんやお爺さんにも悪いしな。
それ以前に自分はそんな勝手なことを平気で出来るような人間じゃない。父さんなら平気でしそうだけど。
やっぱり……皆が幸せになる選択肢は「舞依を超一流に育てる」しかないよな。
お爺さんは俺なら任せられると言った。同じ「才能を持つ者同士」だからと。
俺にどこまで出来るなんてわからないけれど、今はとにかくこのモヤモヤとした気持ちを吹っ切りたかった。今日も外に出て走ることにしょう。
俺は外に出て冷たい風を浴びながらまた夜の道を走る。
走ることは頭を空っぽにできるのが良いのだが舞依の沈んだ顔が全然頭から離れてくれない。昔なら走るだけで何でも吹っ切れたのに。フットサルに、あの子達に関わってから走るだけじゃなんにも解決出来てないじゃないか。
俺は息を吐きながら……あの公園で止まる。もしかしたらとソロォ~と中を覗いてみる。
すると……やっぱりいた! 舞依だ。今やってる練習はおそらく部活での牧野との練習を思い出してやってるのだろう。ドリブルしながらシュートをする練習だ。
俺は覗きながらそれを見守る。まだ上手くいかないだろな、と思っていたのだが……
(えっ!? 嘘……だろ!?)
なんと舞依は驚くほどに早いスピードでドリブルをこなす。
ボールタッチも見違えるほどに繊細で、まるでボールが足に吸い付いているかのようなプロのように理想的なドリブルだ。
しかもそこからスピードを落としすぎず、ボールを蹴りやすい位置に上手く移動させて……シュート!!
ボールはググ……ッ!と少しのカーブを描きながら……ゴールに見立てていたであろう壁に鋭く刺さるようにぶつかった。高さから見て、十分ゴールに入っていると判断していい素晴らしく芸術的なシュート。
ど、どういうことだ。ここまでの技術、舞依にはまだまだ身につくはずのないもの。いくら成長が早かったとしてもあり得ない。一体どうやって……
「舞依!」
俺はそれが気になって、もう覗くなんてやめて声をかけた。
しかし、舞依は反応しない。まるで俺の声が聴こえてないみたいに立ち尽くしている。
「おい舞依! 大丈夫か!」
何やらいつもと雰囲気が違うため肩を揺らしながら声をかけると、
「へ? か、楓さんっ!? どどど、どうして!?」
「落ち着いてくれ。あまり声を出すとまた俺が捕まりかねん。まずは深呼吸だ」
なんとか舞依を落ち着けさせる。俺はその間に周りをキョロキョロと見回していた。どうせこんなところを見られたらまた怪しいだとかなんとかで捕まるんだ。2回目は勘弁したい。
「それで、さっきのはどういうことなんだ?」
「さっきの……ってなんですか?」
「すごい速いドリブル。そこから自然にシュート体勢に入っていた。しかもかなりキレのあるシュート。本当に舞依なんだよな? どっかのサッカーのプロが変装してるんじゃ……」
俺は舞依の頬をぺたぺたと触って本物かどうか確かめる。おぉ……スベスベもちもちの肌。間違いない。本物のロリだ……じゃない、本物の舞依だ。
あまりに失礼な俺の言葉にまたプクーッと頬を膨らませていたが、すぐに真剣な顔に戻る。
「楓さんには話してなかったんですけど……実は私、1分くらいならどんな時でもすっごく集中できるようになれるんです」
「すっごく、集中?」
「はい。なんだか周りの音がほとんど聴こえなくなって……視界がグゥーッと広がって……自分でも出来ないようなことが出来るようになるんです」
そ、それって……いわゆる「ゾーン」ってやつじゃないのか?
ゾーンっていうのはスポーツ選手が競技中に稀に入ることが出来る極限の集中状態のこと。他の思考や感情などを忘れてしまうほどに集中し、今までの自分とは全く違うパフォーマンスが出来たりする状態だ。
だが本当に「稀に入ることが出来る」というものなんだ。すごくコンディションが良かったり、上手く気分が乗ったり、試合の流れに乗れたりとか色んな内的、外的要因が歯車のごとく全てカチッと噛み合ってこそ入れるもの。
「いつでもそれになれるのか……?」
「はい。いつでも。けど、それになった後はすごくヘナヘナ~ってなっちゃうんです。力が抜けちゃうと言いますか。今もドリブルしろって言われたらいつもよりひどくなると思います」
「そうなのか……」
1分だけなら望んだ時にゾーンに入れるだって……!?
「いつからそういうことが出来るようになった?」
「いつからと言いますか。そうなるように育てられたんです。私が100mを走り切るのに10数秒。スタートまでの準備に30秒。どんな日でも、どんな状態でも、自分のベストを出せるようになるために、1日の中で1分間だけは自分の中の全部を出せるようになる練習をさせられたんです」
な……こ、ここでも……陸上が出てくるのか。
だがそれだけでわかってしまった。確かにこの子は天才だ。いや、天才の上に親からの洗脳にも似た育成を受けて最早「機械」に近い域に達してしまっている。
人間はいつだって調子が良い時や悪い時があるんだ。それが当たり前。
なのに、どんな日でも1分間だけは自分の中にある最高の全力を出せるようになっただって? こんなの、子供に身に着けさせることじゃないだろ……!
「舞依。それは『ゾーン』って言ってとてもすごいことなんだ。フットサルでもそれは大きな武器になる。正直、それを見て俺の中で喜んでしまった自分がいる。『チームが強くなる』って。でも舞依は─」
辛いんじゃないか? と、言いたかった。その状態になる度に陸上のことを思いだすんじゃないかと思ったから。
でも舞依はフルフルと首を振ってそれ以上の言葉を制止させる。
「大丈夫ですよ。本当に辛いことは……今の自分から大事な物が全部無くなっちゃうことですから」
全部無くなる─フットサルができなくなるということか。
「それに、フットサルに役立つことなら喜んで使いますよ」
「そうか。じゃあ、舞依の『ゾーン』込みでこれからのチーム設計を考えていいんだな? 多分、試合なんかでその力を頼ることになるかもしれないぞ?」
「はい。どんどん頼ってください。知ってます私。次の練習試合が……私の分かれ道になること」
「─ッ!」
「本当は『助けてください』って言いたいです。でも、それを望むと楓さんは私のことでいっぱい悩むことになるんですよね? かといって、もう1つの道はフットサルが無くなっちゃう道。私にとってはどっちも……辛いです」
そうだよな。クソ……なんでこんなことになるんだよ。
自分達の才能がどうとかなんて関係ないって言って、頑張って決断して壁をぶち破って、やっと一歩踏み込めたのにまた壁が立ちはだかる。神様はどうしても俺達に楽しい思いをさせたくないのか。
「楓さんがどっちを選んでも私は後悔しません。たとえフットサルを辞めることになっても…………楓さんに迷惑をかけるようなことだけは絶対にしたくありませんから」
やっとわかった。今日見た舞依の何かを諦めた悲しそうな顔の理由を。
お爺さんが無茶な条件を出してくることを知っていた舞依はもうあの時すでに今のような状態になることを予測していたんだ。自分が辞めなければ俺が大変なことになると。
舞依にとってそれは逃れられない絶望でもあった。もうフットサルを辞めるしかないと考えていたんだ。
「では、また明日。指導よろしくお願いします」
舞依は1人で走って帰っていった。その途中でキラリと光る何かが地面に落ちた。それが舞依の汗なのか涙なのかは……この時、深く考えたくはなかった。