☆18話 契約
帰り道、皆はバラバラに帰路についていた。家が皆違う方向なのかな。
「あの、楓さん。いいですか?」
「ん。話があるんだったよな? いいぞ。なんだ?」
「はい。この後、私と一緒に家に来てくれませんか?」
「家……?」
舞依の家にか? 俺が? なぜ? わからんことづくしだ。一体何がこの先で待っているというんだ。
「あの、父が監督さんに会いたい……と」
「舞依のお父さんが? 断る理由もないし俺はいいけど」
よく見ると舞依の表情が暗くなっている。そうか、お父さんは舞依を陸上選手にしたいんだったな。フットサルをやることに関しては否定的。そこで監督に会って話をつけようってか。
せっかく監督として決意をしたというのに直後にこれだから道のりは大変だな。まぁ何が起こるなんてのはわからないし……
「わかった。会うよ」
「すみません」
「謝らなくていい。舞依に悪いことなんてない。それに、まだ悪い話とも決まってないだろ?」
俺はなんとか舞依を元気づけるが薄々俺だってわかっている。悪い話じゃないとわざわざ監督が呼ばれるわけないだろ。ああクソ。覚悟を決めるか。
舞依についていく形で街頭に照らされた夜道を歩く。
向かう先はもちろん舞依の家。まさかこんな形で女の子の家に行くことになるとはな。これから何が起こるかわからんから全然嬉しくないけど。
「なぁ舞依。学校で凪がまたなんか言ってなかったか?」
「妹さんですか?」
お互い黙りこくっていたので空気を良くしようと話題を振る。
共通の話題というか俺と小学生に関連することなんて同じ小学生である妹くらいしかない。ロリと繋がる道もまたロリなのだ。
だからここは凪を話のネタにさせてもらうとしよう。それにまたあいつがなんか変なこと言ってないか確認しておかないと。
「『昨日はお兄ちゃんに辱めを受けた』って言ってました。ひたすら『ことばぜめ』というものをされたとか。なんですか『ことばぜめ』って」
「うぇ!? あ、…………え?」
凪のやつまた変なことを。と、思ったが心当たりがあるぞ。
そういえば昨日盛大にあいつをイジったな。あれのことを誇張して言ってるんだろう。ただ当たってないわけではなくたしかに俺はそういうことをやったと言える……のかもしれない。
「楓さん?」
「え~っとだな。それはあんまり良くない言葉というか。ちょっと大人なアレだから舞依は気にしなくていいぞ」
「な、なるほど。でも、妹さんはいつも嘘を言ってるんでしたよね? なら楓さんは妹さんにそんなことしてないんですよね?」
「…………………………ああ。してないぞ」
「なんですか今の間は」
空気を良くしようとして振った話題で俺が追い詰められてるのはなぜなんだ。また襲い掛かってきた舞依のジト目を回避しようとどっか別の方向を向いていると、
「着きました」
昨日の夜も舞依を送るためにここの近くまで来たんだが、立派な家だなぁ。
物語に出てくるようなお金持ちのお城みたいな家というわけではないが、明らかにこれはお金持ちの部類に入るだろう家だ。
敷地も広いし庭師とかいうのが色々と手を付けていそうな庭もある。それに父も陸上の選手だったとか言ってたからこの感じを見ると相当すごい選手という予想は当たっていそうだ。
中に入り、舞依が玄関の扉を開ける。さぁ入らせてもらおう……と思えばそこには1人の男が立っていた。
「ん? 舞依、監督を連れてくるという話は─」
「この方が監督さんです」
「何? 若いな」
その男の人は俺をジロジロと見てくる。なんだよ。
「ふむ。私は舞依の父の『立花浩司』だ。急に呼んで済まないが……立ち話するようなことじゃない。入ってくれ」
「はい。失礼します」
俺は舞依の父という人に案内され中に入る。ここでお別れなのか舞依は2階の方に上っていった。
その時に一瞬だけ見えた舞依の顔は悲しそうに目を伏せ、何かを諦めるような表情をしていた。それがとても、気になった。
「この部屋で話そう」
「はい」
案内された部屋に入ると……そこにはソファーが向かい合うように2つ。その間には机が置かれている。いわゆる応接間だなここは。
だが通常の応接間と明らかに違うのは部屋の隅に設置されている戸棚に無数のトロフィーやらが飾られていることだ。中にはメダルまである。よく見ると名前にはお父さんの名前。そして舞依の名前の物もあった。
ここで舞依のお父さんと1対1で何かを話すのかと思ったのだが……そうじゃないみたいだ。
なんとこの応接間にすでにもう1人いた。杖を持ったままソファーに座りこんでいる老人。あの人はもしかして……
「来たか。儂は舞依の祖父の『立花総一郎』という。遅い時間にすまないな」
「舞依さんが入っているフットサル部の監督をやらせてもらっている『桜庭楓』と言います」
かなり威厳がある舞依のお爺さんはゆっくりと立つと握手を求めてくる。もちろんこっちも手を差し出す。力強く握手をされ、すでにもう圧倒されつつあるぞ……。
「ほう。なるほどなぁ」
「何か?」
「いや。気にするな」
お爺さんは何かに気づいて驚いていた顔をしていたが何のことなのかは言ってくれなかった。
とりあえず俺は「座ってくれ」と言われたのでお爺さんの対面のソファーに座る。舞依のお父さんの浩司さんはお爺さんの横に座った。
「さて。今日、君をここに呼んだのは他でもない。舞依のことだ。……単刀直入に言う。舞依をフットサル部から抜けさせてほしい」
来たな。やっぱりそうか。舞依が話していた通り、親は舞依に陸上をやってほしいというのは間違いない。
だがその気持ちがまったくわからないわけでもない。舞依は今の時点でたしかに天才というほどに陸上の才能がある。そんな子が陸上をやらずに他のスポーツをやっているとなると思うところもあるだろうな。自分の子なら尚更に。
「舞依さんの才能については俺も知っています。たしかにすごい。けれど、まだ子供ですよ? 好きなことをさせるのが大切だと思いますが……」
「ふ、ふはは、ははははは! 『すごい』……か。………………バカにするな」
お爺さんの目は一瞬にして険しいものに変わった。まるで鬼に睨まれているかのような威圧感を感じる。俺、何かマズイことを言ったか?
「舞依の才能は『すごい』程度で済ませられるものではない。儂も昔は陸上の選手だったが……引退してからは選手の育成に回った。浩司もそうだ。何人もの選手をこの目で見てきている。その儂から言わせてもらおう。舞依ほどの逸材を未だかつて見たことがない。あの子はただの天才という領域ではない」
親バカ……では、なさそうだ。まさに「神を見た」という表情。その表情を見てやっと自分の認識が甘いと言われていることがわかった。
「陸上のことに関して自分はあまり明るくありませんし舞依さんがこれからどう成長していくのか見当もつきません。ですが、無理やり辞めさせるなんていうのはどうでしょうか」
「まだ話は最後まで終わっていない。儂や浩司の一番の願いは『陸上に戻ってほしい』だが…………最近になってある重要な問題が起きたのだ」
「問題ですか? それはどんな─」
「舞依がな。…………………………可愛すぎるのだ」
「……………。…………………は?」
「舞依がな。可愛すぎるのだ」
「いや、ちゃんと聞こえてましたけど」
あまりに意外過ぎる言葉に一瞬時空が歪んだのかと思ったぞ。このお爺さん急に何を言いだすんだ。
俺が困惑していると横にいた舞依のお父さんである浩司さんが口を開く。
「楓くんと言ったね? 君から見ても思わないか? 舞依は可愛いと」
「えっと……、は、はい。お父さんの言う通り……」
「貴様に『お義父さん』と言われる筋合いはないっ!!」
「いやいや漢字違う! そっちじゃねぇよ!」
机をバーン!と叩く浩司さんに思わず俺もツッコんじゃったよ。そんな様子の浩司さんとは逆にお爺さんの方は静かだ。
「最初は舞依にも厳しくした。光り輝く特上のダイヤを磨くつもりでな。しかしどうだ……。あの子は育っていく度に天使のように可愛くなっていく。目に入れても痛くないというやつだ」
「はぁ……」
「男なら構いもしなかったのだがな。次第に厳しくすることにも抵抗が出来てしまい、今ではあの子のやりたいことをさせてやりたいという気持ちが出てきてしまった」
おっ? なんだなんだ。この人達の心にも舞依を想う気持ちがあるんじゃないか。
にしても、そうなると話が見えてこなくなったぞ。フットサルを辞めさせろと言ったり、フットサルをやらせてあげたいと言ったり……一体どっちなんだ?
「そこで、だ。もしフットサルを辞めさせないというなら……あの子をフットサルで超一流の選手にしてもらいたい。最近は『フットサル』というスポーツが大きく注目され、今では日本の中でも『サッカー』と共に圧倒的に、最も人気の高いスポーツになっていると。ならば、その世界の中でトップを取れるほどに育てていただきたい。そうだな……明確な条件で言えばまずは全国優勝、これは最低条件だ」
「な……!? 全国!?」
「もちろんタダでとは言わない。もし全国優勝できた暁には多額の報酬を渡そう。たしか近々練習試合があるそうだな? もしそこで勝利することが出来たなら……手前金としてこれだ」
そう言って爺さんは人差し指を一本立ててきた。なんだよそれ。千円って意味か?
「100万。これは舞依の育成の契約金でもある。ただし練習試合に敗北した場合はこの話もなし。即刻舞依にはフットサルから手を引いてもらう」
ひゃ、100万だと!?
なんだか眩暈がしてきたぞ。俺はただフットサルを楽しんでもらおうと監督を引き受けたんだ。だが、これではまるで……仕事の、本当のコーチだ。
「無論、断ってもいい。その場合も舞依はフットサルを辞めることになる。練習試合の日までに連絡をくれれば構わん。決断の時間はやろう」
「金? 育成? 超一流だって?」
話に追いつけていない俺を立花総一郎はジロリと見る。
「楓くん。手を出したまえ」
「へ? は、はい」
唐突になんだと思ったが言われる通りに俺はお爺さんの前に手を出す。その次の瞬間、お爺さんは俺の腕を掴んで強い力でグイッと引っ張った!
俺はいきなり引っ張られたこともあり前のめりになる。転ばないようになんとか前にあった机に手をついて止まった。
息をつく間もなく今度は掴まれた腕をギギギ……!と強く握られる。なんて握力だ!
「今、君の手にあるのは光り輝く石。その石をドブに捨てるか、新たな価値を見出し至上のダイヤモンドに変えるか……」
あまりに強く腕を握られたことで勝手に開いてしまっていた俺の手の平を見下ろしてお爺さんは重い声で告げる。
「舞依は将来、確実に女子陸上界の宝になる。陸上界のとても大きな進歩となろう。その宝を活かすか殺すか。全てこの手で決められる」
それだけ言ってパッと腕を話した。俺は力が抜けてソファーにドッカリと倒れるように座り込む。
「俺はまだ高校生ですよ? そんな俺に出来ることなんて、」
「舐めるな。儂は見るだけでその者に『才能』があるかどうかくらいわかる。陸上ではないが、君にも光り輝く才能があるのが見えるぞ。『才能』とは、常人には決して手に入れることの出来ない強さ。あの子も、君も、それを持っているのは同じだ。だからこそ任せられる」
わけわからん。なんだよ才能才能って……。そんなに上手いやつが偉いのか? 勝つことだけが全てなのかよ……!
嫌な過去を思い出してギリッ……!と歯ぎしりをする。
俺は自分の才能というものに踊らされて全部失った。舞依だって陸上をやっても辛いことになるだけかもしれない。
勝つか負けるかだけの世界を自分の体に限界が来るまで続ける。そんなことの何が楽しいんだ。
そこに舞依の意思がなければそれこそ舞依自身の人生をドブに捨てること。全部終わってしまった後に手に入れたいくつもの金メダルを見て楽しくもない過去を思い返してほしくはない。
「今日は……帰ります」
「うむ。では、練習試合の日までよく考えよ」
舞依の家を出て、ようやく帰路に着く。
暖かくなったはずなのにまだ冷える夜の風を体に受けながら……頭に浮かんでいたのはお爺さんに言われた言葉ではなく、舞依の悲しそうに目を伏せていた表情だった。