#02.神さま、生物が弱くて呆れかえる
時間は数分ほど、遡る。
受肉して地上に降り立った神さまは、近くで争う生物を見つけた。
一つは、大きめの飛行生物。もう片方は、二匹の人間。
戦闘は片方のほうが優勢のようだった。
近くまで行って、戦闘をしばらく観察していた神さまは、大きめの飛行生物のほうが強い、と判断するに至った。
神さまが用のあるのは、強いほうだった。
よって、強いほうの大型飛行生物のほうに、とりあえず――「攻撃」してみた。
まずは軽く、その強さを確かめるために、ごくごく軽く、パンチ――してみた。
その結果が、爆散だった。
血と肉と骨の破片の大豪雨だった。
破片となっても、再生でもしてくるのかと、しばらくは待ってみたのだが……。
本当に、それ――で終わりのようだった。
この次元の――。この世界の――。生き物は、なんという弱さなのだ。
神さまは、憤りに、ぷるぷると震えていた。
◇
「ねえ? ……ねえちょっと? ねえ、ぼく?」
アリアは男の子の体を、がくがくと揺さぶった。
突然、現れた男の子は、ワイバーンをワンパンで爆散させたあと、ぶつぶつとわけのわからないことをつぶやくばかり。
ちょっと心配になってくる。
だいたいこんなところに、こんな子供が、たった一人で一体なにをやっているのか?
そもそも、なんで、こんな子供が、こんなに強いのか?
アリアとエレノーラが――勇者と賢者が、二人がかりで苦戦していたワイバーンを、ただの一発で、文字通りの「肉片」に変えた。
〝怪物〟といわれるAランク冒険者でも、あんな芸当はできるかどうか……。
わからないことだらけだが、ひとつ言えるのは、アリアとエレノーラの二人は、この子に助けられたということだ。
「ねえちょっと! ねえこっち向いて!」
男の子の目が、ようやく、アリアを捉える。
「なんだ? おまえは?」
「なんだ? ……って?」
アリアとエレノーラの二人がいることを、まるで、たったいま認識したかのように、男の子は言う。
「えっと。まず助けてくれてありがとう。あたしはアリア。こっちは――」
「助けてくれてありがとう。お姉さんはエレノーラ。――エレナって呼んでいいのよ」
エレノーラが男の子を、ぎゅっと抱きしめる。
おい。いきなりですかい。
相当、気を許した相手でなければ許さない呼びかたをさせているし、おっぱいを押しつけているのは、あれは絶対にわざとだろう。
また悪い病気がはじまらなければいいけど……。
エレナは、昔、そのせいで教会から追放されている。
まあ……。
男の子は、たしかに可愛いかった。いや、ものすごく可愛いかった。
神の造形かと思えるほど、整った顔をしている。一〇歳くらいという年齢も、たぶん、いちばん男の子が可愛らしくみえる年齢で……。
エレナではないが、アリアもちょっと、抱きしめたくなって、うずうずしてくる。
でもこの子は命の恩人なのだった。そしてたぶん、アリアたちよりも強い。
「助けただと? 覚えがないぞ?」
エレノーラの無駄に大きなおっぱいを、のっし、と頭の上に乗せられたまま、男の子は顔色も変えずにそう言った。
「ワイバーンから助けてくれたよね? いま?」
「ふむ。あの生物はワイバーンというのか」
「知らないで倒したの? キミ、すごい強いみたいだけど、なんで――」
「それよりも答えろ。あの生物は、ここではどのくらいの強さになるのだ?」
「え?」
男の子は、へんなことを聞いてくる。
「え? そ、それは……。このあたりじゃ、まず遭遇しないぐらいの強さだけど……?」
このエリダス荒野に、ワイバーンはいない。
ワイバーンの生息域だとわかっていれば、そもそも迂回したか、もっと準備を整えてから立ち入ったはずだ。
女たちと話しながら、神さまは質問の言葉を考えていた。
女たちの返答は、いまいち要領を得ない。
「それはどっちの意味なのだ? 平均よりも下なのか。平均よりも上なのか」
神さまは無限に近い忍耐力を持っている。よってイラつくことなく、言葉を使って懇切丁寧に説明を重ねた。
しかし、この「言語」という伝達手段――。なんという非効率さだろうか。
高次元において一般的な「思念伝達」であれば、質問意図まで含めて一瞬にしてすべてが伝わるので、質問への回答は適切なものが返ってくる。
だが「人間」という存在は、口腔によって音声を発し、それを聴覚によって聞き取ることで意思伝達を行う。非効率であるが、そこに合わせてやるのは仕方ない。
ていうか。神さまは造物主であり創造主でもある。限りなく全知全能に近い存在だ。
「知る」という行為で、そもそも苦労したことがなかった。
よってこの世界の情報も、事前に調べておくということはしなかった。
知りたいことは、知りたいと思ったときに知ることができる。神さまは限りなく全知に近かった。
だがこちらの世界で「肉体」を持つためには、人間サイズの「脳」に入りきるように、力を捨ててこなくてはならなかった。「全知」の能力も、置いてきたうちのひとつだ。
「そりゃ、もちろん……? このあたりの地域の平均よりも〝上〟に決まっているけど……?」
「そっちか……」
神さまは、がっくりとなった。
あれが平均以下ならばいい。平均はもっと強いということになるからだ。
だが逆とは……。
ふと、神さまは気がついた。
「地域?」
「うん?」
「世界でなく、地域といったか?」
「言ったけど」
「では、この世界でも、べつの地域に行けば、もっと強い生物がいるのか? いや生物でなくても構わない。機械種族や、精霊や魔神の類いでも構わない」
「機械?」
さっきからずっと、変なことを聞かれつづけて、アリアは首を傾げっぱなしだった。
「魔法生物のことかしら? ダンジョン深部で見かけると聞くけれど」
エレノーラが言う。
知識関係は賢者の領分だ。彼女のほうが詳しい。
「精霊は……あたしにもわかるけど。魔神っていうのは?」
「魔族のことかしら? このへんにはいませんけども……。いるところには、たくさんいるわねぇ」
アリアとエレノーラは、二人で顔を見合わせた。
この男の子の言うことは、どうも変だ。どこか遠いところから来たみたい。
「ふうむ。……魔神はいないが、魔族とやらはいるのか。機械種族がいないということは、科学が発達したことが過去に一度もない世界か」
男の子は、顎に手を当てて、ぶつぶつと言っている。
やっぱり変なことをつぶやいている。
〝魔族〟という言葉がでてきて、アリアもまた、男の子の横で考えこんだ。
魔族――。
それはアリアとエレノーラが倒さねばならない敵。
いま人類圏は脅かされていた。魔族の侵攻を受けて、年々、国がすこしずつ消えていっているところだ。
この大陸中央はまだまだ平和なものだが……。
魔族の支配する土地――〝魔界〟と呼ばれる領域では、魔族が跳梁跋扈する闇の世界に変わっている。
多くの人々が苦しんでいる。
「その魔族というのは、どのくらい強いのだ? さっきの大型飛行生物――ワイバーンといったか。あれを1としたら、どのくらいの強さだ?」
「ワイバーンを単位にしてるし……」
アリアは呆れていた。
ワイバーンは亜竜と呼ばれるモンスターである。本物の竜種には及ばないが、モンスターのなかでは強い……のはずなんだけども。
さっきワンパンで爆散した光景を見ているし、いまも血の池のほとりで話をしているし――。
「それはいいけど……。ちょっと場所を変えない?」
不意に、そのことに気がついて、アリアはそう言った。
「なぜだ?」
「この血と肉の匂いで、モンスターが集まってくるから」
「べつにかまわんが」
「あたしたちが構うのよ。さっき見てたでしょ? 一匹相手に、苦戦していたところを」
「うむ」
神さまは、うなずいた。
見てた。食われかけてた。
なので、こっちのほうが弱いと判断して、強いほうのワイバーンにパンチを入れてみたのだった。
もしこちらが強ければ、こちらにパンチ入れていたところだ。
さっき「助けた」などと言っていたが……。
なるほど。弱いほうに加勢して、勝敗を逆にすることを「助ける」というのか。
なら「助けた」ことにはなるな。助けるつもりで助けたわけではなかったが。
「ああ……。ちょっと待って……」
どこかに向けて歩きはじめてから、アリアは思い出したように立ち止まり、引き返していった。
ざぶざぶと足首まで血に浸かり、肉塊の一つに近づいてゆく。
「あった! ――魔石袋!」
なにかを掴んで戻ってくる。臓器のひとつだ。
アリアは臓器を宙に放り投げると、剣を数回ほど振るい、すぱっと空中で切り分けた。
落ちてきた宝石のようなものをキャッチする。
「さっすが! ワイバーンだけあって、こんなに大きい!」
手のひらサイズで、ずっしりとした重みがある。
「もう。アリア、血まみれよ?」
エレノーラが言う。
血の池につかったアリアは、いまも空中で切り分けたせいで、血と肉を浴びている。
「綺麗にしてよ」
血の付いた髪を払って、アリアは相棒に言う。
「――清浄」
エレノーラが呪文を唱える。
アリアの服や髪についていた血肉が消失してゆく。
「ふふっ。はいっ。――美少女っ」
髪のリボンを結び直して、アリアは綺麗になった体で、くるっと回ってみせた。
神さまはそれを見ていて――、ほう、と感心した。
ここは魔法の存在する世界だったか。しかも人間たちが独自に発展させているらしい。
魔法が存在できるように調整した世界では、はじめに作った原初の生命体に、魔力を用いて、火や水の属性の破壊を行う術――〝魔法〟を与えている。
だが服を清浄にするような魔法は、与えた覚えはない。物質世界に実際に肉体を持って生きていなければ、得られない発想だ。
「さ。――行きましょ」
アリアはそう言うと、先に立って歩いた。
なぜ同行することになっているのだろうか?
神さまはそう思わないでもなかったが、聞きたいこともいくつかあったので、一緒に歩いた。