8 金細工の指輪
トルン街道の狼少女 はじまり
行商人カガラの背中を突き破り、剣が飛び出してきた。カガラは驚き、無精ひげにまみれた顔を苦痛に歪め、血を吐く。街道脇から飛び出してきた男に、突然刺されたのだ。
「あ・・・が・・・」
堪え切れず、倒れる。トルン街道は朝もやに包まれ、周囲の状況はよく見通せない。人通りもなく、突如行われたこの凶行を咎める者はいない。カガラを襲撃した男達は、彼が背負っていたかばんを奪い取り、必死になって何かを探していた。ガチャガチャとかばんにつまった木工品を放り投げながら、探る事数十秒。男達は目当ての物を見つけ出した。
「お・・・おい、あったぞ!」
「よし・・・よし!やったな!・・・くっそ、余計な仕事増やしやがって、あの野郎・・・マジでぶっ殺してやりてぇ!」
物騒なことを言いながら、男達は慌てて走り去って行った。取り残されたカガラは痛みで動くこともできず、ただうめき声を上げる事しかできなかった。
(あいつら何者だ・・・盗賊の類ではねぇな・・・)
痛みに耐えながらもカガラは考えた。チラリとしか見えなかったが、彼を襲撃した男達の身なりはそれなりに良かった。
(だが、暗殺を生業にしてるような連中でもねぇ・・・。さっきもぶつぶつ余計な事しゃべってやがったし、つめが甘い)
彼らはカガラにとどめを刺さず、そのままどこかに行ってしまった。人を刺して、ある程度気が動転していたのだろう。もしくは、どのみちこの傷では、カガラは助からないと踏んだか。
(・・・あぁ、クソ!やっぱりあの指輪、手ぇ出すんじゃなかった・・・!)
カガラは、男達の探し物が何だったのか、すぐに見当をつけた。そしてそれは正しかった。
彼らが奪い取っていったもの、それは精緻な金細工が施された、美しい指輪だった。
・・・・・
行商人カガラは小悪党である。
キーリスとニアスという2つの地方都市を行き来して商売をしている彼は、キーリスでは木製の日用雑貨等を仕入れ、ニアスでそれを売る。またニアスでは食料品を仕入れ、キーリスでそれを売る。表向きにはそういった商売をしていた。
しかし彼の取り扱う商品はそれだけではなかった。行商人カガラは小悪党である。彼は両都市で開かれる闇市での盗品の売買に手を染めていた。なるべく安く売り出されている掘り出し物を買い取り、それを高値で転売する。なかなかおもしろかった。うまくいけば、一度の取引で表の稼業の1ヵ月分の金が動く。一度うまみを味わってしまった彼は、すっかりこの盗品売買にはまってしまった。カガラのような者たちが盗品の転売を繰り返しているうちに、その盗品は“由来不明の名品”となり、正規の市場に出回り、金を持てあました大商人や貴族様の手に渡るのだ。
そんなカガラが昨日キーリスの闇市場で見つけたのが、美しい金細工の指輪だった。
精緻な竜の模様があしらわれており、並みの品ではない事は明らかだ。その上、その指輪からは常に、何とも言われぬ威圧感のようなものが放たれていた。
カガラはごくりと唾を飲み込む。もはやその指輪から、目が離せなかった。
「おっ・・・おっちゃん、おっちゃん!これ気になるのぉ?」
人懐っこい、陽気な印象の若い男性店主が、カガラに話しかけた。
「あぁ・・・まぁな。きれいだよな。どこでこんなもの“拾った”んだ?」
「森の中で拾った。薪拾いにいったら見つけたんだよ」
店主は路上に敷いたゴザの上に並べた商品を磨きながら、適当な事を言った。カガラは別にそれを咎める気はない。ここは闇市場なのだから、どういった由来の商品かつまびらかにはできないケースがほとんどだ。これはもちろん、そういう指輪だということだ。カガラとしては、今の会話はただの他愛のない世間話のつもりである。
そしてカガラは警戒していた。世の中には、カガラごときが手を出してはいけない物が、結構ある。わかりやすいのが、それ自体が呪われている危険物。そして価値が高すぎる物も考えものだ。どちらも持っているだけで、呪殺や他の馬鹿どもの襲撃など、カガラのリスクが割に合わないほど高まる。彼はあくまで零細な一商人・・・そういった危険から身を守る術を持たない。
「なぁなぁおっちゃんさぁ、この指輪買うの?買わないの?そこでじっとされると、こっちも迷惑なんすけどぉ!買わないなら、はやくどっか行けよぉ!」
店主が茶色い長髪を弄びながら、カガラを急かす。カガラは迷った末・・・この指輪には手を出さないことに決めた。
(これはちょいと、オレの手に余るな)
それなりに目利きであることを自認していた彼は、その指輪を間違いなく大きな価値のあるものだと判断した。しかし、分不相応な商品に手を出し、破滅した者がたくさんいることを、彼は知っている。経験則に基づき、それゆえに手を引こうとした。
「えっなになに?ほ、本当に帰っちゃうわけ?」
立ち去ろうとするカガラを、店主が今度は焦ってひきとめる。
「お前が帰れといったんだろうが」
「か、勘弁してよ、おっちゃん!オレ、こういう商売とかやったことなくてさぁ!朝からここでずっと店開いてるっていうのに、おっちゃん以外誰も見向きもしてくれないんだよぉ!おっちゃんがマジで帰っちゃったら、オレ今晩の飯も食えないよぉ!」
苦笑するカガラに店主は必至で泣きつく。なるほど、カガラは長いことキーリスの闇市場に通っているが、この青年の顔は見た事がない。露店がひしめくこの闇市場で物を売り利益を出すには、それなりの経験とテクニックが必要なのだ。この新人店主は、今まさにキーリス闇市場の洗礼を受けているところなのだろう。
「この指輪が気になるんだろぉ?買ってってくれよ!勉強させていただきますから!」
「ははは、安くしてくれるのかい?一体いくらで売ってくれるのかな?」
情けない声を出す店主に、カガラは背を向け苦笑しながら聞いた。
「ごっ・・・五万!聖貨五万でどうだ!?」
「・・・は?」
カガラは思わず足を止め、店主に向き直った。
「聖貨五万・・・?」
「あ・・・いや、その・・・高い・・・ですか?」
店主が泣きそうになりながらカガラを見つめる。
(・・・こいつは、なんだ?なんなんだ?正真正銘のアホなのか?)
カガラは表情を変えないよう努めながら、店主を見つめ返す。
(・・・どう考えても、安すぎるだろう・・・?)
聖貨とはこの世界で広く流通している通貨であり、例えばパン一つなら大体聖貨が百あれば買える。指輪のようなアクセサリーが聖貨五万というのは、まぁ安物であればわからない金額でもない。例えば錬金術師が作り出す金に似た素材・・・その名もずばり“偽金”で作られたものなら、その程度の価格設定が無難なところだろう。
しかしカガラの見立てでは、この指輪は断じて偽金製の安物ではない。本物の金を使って、名工が誇りをかけて作り上げた逸品であるはずだ。恐ろしいことに、このアホ店主にはそれがわかっていないらしい。
「おっちゃん、頼むよ!オレ、今まで色々あって旅しててさ・・・でも、もうやめるんだ。故郷に帰りたいんだよ。そのために、少しでも金がいるんだ・・・。ハゴの町って知ってる?南にある小さな田舎町なんだけど、湖がキレイでさ・・・」
アホが聞いてもいない身の上話をベラベラとまくし立てる。同情を誘うつもりなのか知らないが、闇市で露店を出している身の上でありながら自分の情報を無警戒に喋りまくるというのはどうなのだろう?つまりこいつはアホの中のアホだ。
「・・・この指輪、どこで”拾った”?」
カガラは喋りつづけるアホを一度黙らせ、最初と同じ質問を繰り返した。
「・・・へへっ、中央の広場だよ。大きなかばんが”落ちて”いてね、その中から”拾った”んだ」
アホが白状した。マヌケなアクセサリー商か何かのかばんから、アホはこの指輪を盗み出した。価格も何もわからないまま、場当たり的に盗みを行った。それがたまたまうまくいった。だからこのアホは、この指輪の価値が全くわかっていないのだろうと、カガラは結論付けた。
(聖貨五万か・・・)
カガラは再び指輪を見つめる。
世の中には、カガラごときが手を出してはいけない物が、結構ある。この指輪も絶対にそういう類の物だ。この指輪は、持ち主を殺してでも奪い取りたいと、そう思わせるのに十分な価値を有している。危険だ。しかし・・・聖貨五万だ。たった聖貨五万で、この指輪が買えてしまう。例えば、これをニアスの闇市場で転売すれば、どれほどの利益が出るだろうか?尋常ではない金が動くはずだ。それだけの金があれば、もはや行商などせずとも、危険な盗品売買などせずとも暮らせてしまうのではないか?そうしたら、家から出て行った妻と娘も・・・。
自分は慎重に生きている。馬鹿な真似は絶対にしないと、カガラは考えていた。
しかし実際のところ、彼は脆かった。
目の前にぶら下げられた餌に、食いつかずにはいられなかった。
そもそも本当に慎重な人間が、盗品売買などという危険な橋を渡るようなまねはしないのだ。
もはや彼の警戒心は、欲望の波を押しとどめる事が出来なかった。
彼は金細工の指輪を買ってしまった。
茶色の長髪の青年店主が、にやにやと笑っていた。
・・・・・
(・・・結局アホは、オレ自身だったってオチかい)
カガラはぼんやりと考えていた。痛みで声をあげることもできない。腹からは血が流れ続けている。
(今思えば、あの店主だって相当怪しいよな・・・)
見たことのない、茶色の長髪をした青年店主。故郷に帰るだの何だの言っていたが、どこまで本当の事だったのやら。カガラは彼の事をただのアホだと判断したが、彼の態度は全て演技だったのかもしれない。
(・・・どうしてこうなっちまったのやら・・・)
カガラは後悔していた。
利益に目が眩み、金細工の指輪を買ってしまった。そのせいで、なにがしかの陰謀に、カガラは巻き込まれてしまった。腹を刺され、致命傷を負い、指輪を奪われた。その陰謀は一体誰が企み、何のために行ったものなのか・・・カガラには見当もつかないし、どうでも良い事だった。
ただ、死にたくなかった。・・・家を出て行った娘の顔が思い浮かぶ。
盗品売買なぞしているのだから、いつ刺されて死んでもおかしくない。それは自分の自業自得だと覚悟していたはずなのに、それなのにやはり、いざ死にかけてみると、死にたくはなかった。
「・・・あら、あら、あら」
死にかけのカガラの耳に、呑気な声が聞こえた。
「あのー・・・大丈夫ですか?・・・ってそんな怪我をして大丈夫なはずないですよね!あはは、失礼しました!」
幼い少女の声のようだった。何がおかしいのか、けらけらと笑っている。
「・・・うん、うん。良かった、まだ生きていますね。この状況、ようやく私もお仕事ができそうです!」
少女は嬉しそうにそう言った。カガラはなんとか首だけ動かし、声のする方向を見遣った。
そこには、黒髪の少女が立っていた。着ている服はぼろぼろで、血痕と思しき黒ずみにまみれている。傍らには、包帯を巻き付けた大きな狼。しかし何よりも目をひくのは、爛々と輝く少女の赤い瞳だった。
「私はラト。薬師ラト・バイカス。未熟者なれど、あなたの命は私があずかります」
にっこりと笑いながら、ラトは言った。
「・・・文句はないでしょ?ほっといてもどうせあなた、死ぬだけなんだし」




