7 月夜の狼
満月が照らす中、ラトはゼリ村から続く街道を上機嫌で歩いていた。レイハにもらった、たくさんの芋餅と赤眼鹿の燻製肉。初仕事の報酬としては十分すぎる量だ。大成功である。
「グルルルル・・・。」
にこにこ笑うラトの前に1匹の青毛狼が現れ、道をふさいだ。脇腹に刺し傷があり、ラトを憎々しげに睨んでいる。
「・・・あら、あら、あら。」
ラトはにこにこしながら立ち止った。
「またお会いしましたね、狼さん!何か御用ですか?」
「ガアアァァッ!!」
ラトがそう言い終わるや否や、青毛狼はラトに跳びかかり押し倒した。すぐさま首筋に噛みつこうとするも、思うように動けない。ラトに付けられた刺し傷は、彼が思うよりもずっと、彼の体力を奪っていた。激しく動くと、それだけで傷の痛みが彼を苛むのだ。
・・・その隙をラトは見逃さない。とっさにナイフを抜き、今度は狼の胸部を思いきり切り裂いた。
「ギャインッ!!」
青毛狼は悲鳴をあげるが、それでもラトから離れようとしない。
「あはは。」
ラトはにこにこ笑いながら、何度も何度も狼を刺した。
・・・満月に照らされながら、自分と狼の血にまみれたラトは足元に横たわる青毛狼をにこにこと見下ろしていた。狼はもはや攻撃の意志を見せる事すらできず、荒く息を吐いていた。これほど痛めつけても死なないあたり、さすが魔物と呼ばれるだけの事はあるな、とラトは感心した。
青毛狼はぼんやりと焦点の定まらない目で、己の前に立つ小さな人間を眺める。か弱い人間の分際で、一度ならず二度までも、彼を打ち倒した少女を。肩まで伸びた黒髪は夜風になびき、月光に照らされる白い素肌は血にまみれている。そして、爛々と輝く赤い瞳。
彼はその瞳に畏怖し、そして満足した。己は獲物に反撃され傷つけられた間抜けではなく、強き者に挑み、そして倒された戦士として死ぬことができるのだ、と。
青毛狼は数匹で集団を組み生活しているが、怪我をした個体は狩りの足を引っ張るだけであり、彼はすぐに集団から追放された。手負いのまま1匹で生き抜いていけるほど、サジャ大山は生ぬるい環境ではない。遠からず身の破滅が待つことを、彼は理解していた。だからこそ、せめて最後に、自分を傷つけた人間に復讐してやる。彼は怒りと憎しみにまかせ、ほとんど捨て身の覚悟で匂いをたどってラトを追いかけたのだ。
しかし、その怒りも憎しみも、もはやどこかに消えてしまった。ただ満足感だけが残っている。青毛狼として、これ以上ない幸せな死にかたであると、彼は思った。
もう一度彼は人間を眺める。人間はもはや彼に興味を失ったのか、背を向けて大きなかばんを覗きながら、ごそごそと何か取り出している。
意識が薄くなり始めた。ぼんやりとした視界が、さらに薄く、不明瞭なものになっていく。彼は願った。もう一度、見せてもらえないだろうか。あの恐ろしくも美しい、赤い瞳を。
・・・その時、その人間は彼を振り返った。彼の目を覗きこみ、そしてにっこりと笑った。
「大丈夫。死なせませんよ。私は“薬師”です。薬師とは、きっとそのようなものだと思うのです。」
人間はそう呟き、彼の傷になにかカサカサとしたものをあてた。ツンとした匂いがするが、不快ではない。それどころか・・・徐々に痛みがひいてくる。傷に触れたそのカサカサは淡く発光していた。
「これはレカン草です。人間にとっては一般的な回復薬・・・怪我によく効く、旅のおともです」
人間は、彼の体に苦労して細長く白い布を巻きつけ、傷にあてたカサカサを固定していく。全ての傷にその処置を施しながら、人間は何やらしゃべり続ける。
「これほどの大怪我ともなれば・・・人間であれば、レカン草では効力が足りないと考えられるところです。でもあなたは人間ではなく、魔物ですね。」
人間はにこにこしながら続ける。
「私の父によれば、レカン草は、患者の魔力を治癒力に変換し、傷の治りを早めるのだそうです。であるのならば、一般的に人間よりも魔力量が多いと言われているあなた方にレカン草を使用すると・・・さて、どうなるのでしょうか?さすがに父も魔物を治療したことはないでしょうから、わかりません。・・・非常に興味深いですね!」
彼には人間の言葉はわからない。しかし、その声はとても心地よいものだと思った。
もっと聞いていたいと思ったが、もはや限界であった。彼の意識はそこで途切れた。
月の光を浴びながら、ラトは街道の端に座っていた。傍らには、大きな青毛狼。意識を失っているようだが、静かに息をしている。どうやら一命は取り留めたようだ。
ラトはにこにこ笑いながら、じっと狼を見つめていた。満点の星空のもと、赤い瞳が爛々と輝いていた。
薬師ラトの誕生 おしまい