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邪眼の薬師ラト  作者: むらべ むらさき
ラトが失ったもの
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20 ラトが失ったもの

父が死んだあの日。


あの日は、雲ひとつない快晴だった。村人たちは畑仕事に精を出し、フィドもラトを連れて薬草を摘みに山へと入ろうとしていたところだった。


あの魔物は、六ツ腕熊は、突然姿を現した。


「グオオオオオオオオオオオオオオーーーーーーーーッ!!」


粗末に組まれたゼリ村の家々など、まるで吹き飛びそうになるほどの大音量の咆哮を浴びせかけられ、家から出てきたばかりのフィドとラトは思わず村の広場の方を見遣った。


そこには山のように大きい、熊のような魔物がいた。

それは、前足で血まみれになった村人を抑えつけながら、既に別の村人を咀嚼していた。

突然現れた魔物に呆然としている村人達は声を上げる事すらできず、固まっていた。

ぐちゃぐちゃという嫌な音だけが、静寂に包まれたゼリ村に響いていた。


魔物は、一人目の村人を食べ終わると、前足で押さえつけていた二人目を口にくわえ、今度は一息に飲み込んだ。

「グウウ・・・」

嬉しそうに唸り声をあげながら、手近で腰を抜かしていた村人に近づき、軽く前足をふるう。

それだけで、その村人の肩から上は鋭い爪で引き裂かれ、吹き飛ばされた。余波で、後ろの建物が崩れる。

魔物はたった今犠牲となった村人の、残っている肩から下を噛み砕きながら、次なる獲物を探す。


ここに来てようやくゼリ村の住民達は、目の前で引き起こされている惨劇が、質の悪い悪夢などではなく、現実なのだと理解した。


「きゃあああああああああああああっ!!」

「ひ・・・ひいいいいいいいいいいっ!!」

「逃げろぉーーーーーーーーーーーっ!!」


口々に叫びながら、方々に向け逃げ出そうとする村人達を弄ぶかのように、魔物は無計画に、あちらに飛び跳ねては二人喰い殺し、そちらに飛び跳ねては三人喰い殺し・・・楽しそうに村人たちを殺戮していった。

少しでも抗戦できそうな、弓引く村の狩人達は、既に赤眼鹿を追って山に入った後だった。





フィドとラトの目の前に、ラトよりも幼い一人の少女が腰を抜かして倒れていた。

名を、シムといった。狩人見習いシジムの妹だった。


魔物は、こちらにも跳び跳ね、やって来た。

シムに顔を近づけ、その大きな口を開いた。まるで嫌らしく笑っているかのように、その時のラトには思えた。生臭い息がふきかけられる。


シムはただ、泣き叫ぶことしかできなかった。

ラトはただ、茫然とその様を見ている事しかできなかった。

フィドは・・・ラトの父フィドだけが、すぐに動いた。


驚くほどの速さで駆け、魔物とシムとの間に割り込み、抜いたナイフで魔物の鼻先を切り裂いた。


「グオオッ!?」

思わぬ反撃に怯み、魔物は不快げな呻き声をあげた。


だが、反撃らしい反撃ができたのはそれだけだった。


次の瞬間、怒った魔物はフィドを、その大樹がごとく太い前足で、力任せに叩きつぶした。


風圧で吹き飛ばされ、転がったラトが上半身を起こすと、そこには既に父の姿は無かった。

血の染みが広がり、父の・・・父だった残骸が散らばっていた。


「あ・・・あ・・・・・・!!!」


ラトは呻き、震えた。

我慢できず、胃の中に残っていたものを、全て外に出した。



「グル・・・」

魔物は不機嫌そうに唸ると、もともと目を付けていたシムの方を睨み、彼女の上半身に無造作に噛みついた。

シムは悲鳴をあげる間もなく絶命した。

魔物はまるで八つ当たりをするかのように、くわえたシムの死体をぶんぶんと振り回す。

あまりに激しく振り回したので、最後にはシムの下半身はちぎれ、どこかに飛んで行った。


幼い少女の上半身をゆっくりと咀嚼し飲み込むと、魔物はそのまま悠然と村の外に向かって歩いて行った。

鼻先から流れる己の血に、興をそがれたのだろうか。それなりに人間を食い散らかし、満足していたのかもしれない。

とにかく魔物は、進行の邪魔になる家屋を適当に吹き飛ばしながら、サジャ大山に向けてゆっくりと帰って行った。





「・・・お父さん、お父さん」

ラトは辛うじて形の残っていた父の右腕を抱きしめ、泣いていた。


「お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、お父さん、・・・」


泣きながら、いつまでも、敬愛する、最愛の、この世界でただ一人ラトの味方だった父に、呼びかけ続けた。





・・・どれくらい時間がたっただろうか。


ゴン!


茫然としていたラトは、突如として後頭部に走った痛みにより、現実に引き戻された。


ラトの後ろに立っていたのは、彼女と同じく生き残った村人達だ。

彼らが石を投げてきたのだ。


「“邪眼”・・・!そのっ、手に持っているものを・・・離せっ!」

村人が泣きながらラトに叫ぶ。

「え・・・」


「離せって言ってるんだ!!聞こえないのかっ!!」

「村をこんなにして・・・亡骸まで弄ぼうってか!?」

怒声とともに、いくつもの石つぶてが飛んでくる。


ラトにはわけがわからなかった。彼らは何を言っているのか。

しかし、逆らう事もできない。

ラトは父の右腕を手放し、石つぶてから逃れるため、泣きながら家の中に逃げ帰った。



村人達は理由を求めていた。

自分達の子が、親が、恋人が、こんなにも理不尽に殺されてしまった理由を。

しかも、その理由は自分達の“手に負える”範囲になくてはならない。

そうでないと、自分達の気持ちに整理をつけることができない。


確かに村人達を殺したのは、六ツ腕熊だ。


しかし六ツ腕熊を恨んだとして、村人達はその後どうすれば良いのか?

あれほど強大な魔物を前にして、復讐を遂げることのできる村人がいるだろうか?

いるはずもない。

六ツ腕熊は、“手に負えない”。

恨んでも、どうしようもない。


・・・そんな村人達の、やり場のない恨み、つらみ、憎しみ、怒りの矛先を、一身に向けられてしまったのが、周囲に不幸をもたらすという“邪眼”・・・赤い瞳を持つ、ラトという少女だった。


普段からラトを不気味に思い、疎んじていた村人達は、全ての不幸の責任をラトになすりつけた。


“村に魔物が現れたのは、邪眼のせいだ”

ある村人はこう決めつけた。

“邪眼が魔物を呼ぶための呪いを使ったのだろう”

別の村人がこう推測した。


あっという間に、ラトは“呪いにより六ツ腕熊を村に呼び寄せた、恐るべき魔物”にされてしまった。

はたから見ると大変奇妙な事だが、村人達が復讐すべき対象は、六ツ腕熊ではなく“邪眼の魔物”である、ということになってしまった。



こうしてフィドの死後、ラトに対する村人達の迫害は激しさを増していったのだ。





・・・・・





ラトは、アオの背の上で目を覚ました。

どうやら座りながら寝てしまっていたらしい。


「・・・なんか、懐かしいこと思いだしちゃった!」

ラトは上機嫌につぶやいた。


大好きな父の事を思い出したのだから、機嫌も良くなろうというものだ。

あの日、父は勝てる見込みもないのに、シムという少女を助けるため、六ツ腕熊の前に飛び出していった。


その後ろ姿の、なんと勇敢だったことか!

それを思い出すたびに、ラトは父のことを誇らしく思い、そんな父の娘であった自分は大変な幸せ者だと、にやけてしまうのだ。



しかし。

あの日の記憶を思い出すたびに覚える、いくつかの違和感。


あの日、何で自分は泣いていたのだろう?

父の右腕を抱きかかえながら、何を思っていたのだろう?

それが、今のラトには全くわからない。



確か、「悲しい」と感じていたはずだ。

それは覚えているのだが・・・。

では「悲しい」とは?「悲しい」とは一体何の事か?

もはや、それすらも思いだせない。


過去の自分であるにも関わらず、その内面を全く理解できない。



(不思議なことも、あるもんだよねぇ)


ラトは大きなあくびをしながら、呑気にそんなことを思った。

ラトが失ったもの おしまい

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