19 帰り道
ラトはアオの背にまたがり、テントを張っているサジャ大山麓のキャンプ地に向けて移動していた。
あたりはすっかり闇に包まれており、光源はラトの胸元でほのかに光る“光の魔術石”を組み込んだアクセサリーしかないのだが、青毛狼という魔物であるアオはかなり夜目がきくらしく、その歩みに全く迷いがない。
「・・・アアァァァ・・・アアァァァ・・・」
時折得体のしれない魔物の鳴き声が響くも、ラトには全く気にならない。
それまで住んでいたゼリ村の住民に騙され、捨てられ、殺されかけたあの日以来、ラトはすっかり“怖ろしい”という気持ちを感じる事がなくなった。
“怖ろしい”だけじゃない。“辛い”だとか、“悲しい”だとか・・・気分が暗く沈むような気持ちを、彼女は全く感じなくなった。
だからラトはいつもにこにこ笑顔でいられるし、とても幸せだ。
ラトの父であったフィドはいつも、彼女に笑顔でいることの大切さ、素晴らしさを説いていた。
だから、いつもにこにこしている今の自分は、とても素晴らしいのだ。
今日も良いことがあった。
爪猫のクロという新しい“お友達”ができた。
クロはアオと違って恥ずかしがり屋なのか、今もラトからかなり離れた所を歩いて、こそこそとついて来ているらしい。
「・・・さてと」
アオの背に揺られるばかりで暇になったラトは、いつもの日課をこなそうと考え、ナイフを取り出した。
・・・左手に掴まれ震えているのは、先程アオに生け捕りにしてもらった野兎だ。
「えいっ!」
ラトはにこにこ笑いながら、野兎の腹をナイフで突き刺す。
「ピィィィィィィィィィッ!!」
たまらず鳴き叫ぶ野兎を逃がさないようにしっかりと押さえながら、次にラトはたった今自分で付けたその傷跡に対して、レカン草をあてがう。水色の葉は淡い光を発しながら、野兎の傷を癒やしていく。
ちょうど1枚レカン草を使いきったところで、その傷は完治した。
ラトは鼻歌を歌いながら、もう一度野兎の腹をナイフで突き刺す。
「ピィィィィィィィィィッ!!?」
わけもわからず、再びの激痛に泣き叫ぶ野兎。
そしてラトは新たなレカン草の葉を傷跡にあてがい、それを癒し・・・。
こんなことを5回繰り返し6回目の刺し傷になると、ついに野兎の傷をレカン草で癒す事ができなくなった。
野兎は鳴き叫ぶ事も、動く事もしなくなった。
これは、ゼリ村を出て生活をし始めてから、野兎やレカン草が手元に無い場合を除き、必ず行ってきたラトの日課である。
もともとは“レカン草を使った手当ての練習”を、晩御飯の材料を使って行う以上の意味を持たなかったこの日課だが、最近では少し違った目的をもとに行われていた。
すなわち、“魔力量の測定実験”である。
魔力量を回復させる薬草であるマヤリス草をサジャ大山で採取できることを発見して以来、ラトはどうすればその効能をよりひきだした薬を作れるのか悩んでいた。
すりつぶして水にまぜれば良いのか、乾燥させて丸薬を作れば良いのか、煮たてて成分を抽出すれば良いのか・・・。
なにしろマヤリス草自体が珍しい薬草なので、手持ちの図鑑にはその活用方法がしっかりと記載されていないのだ。
そして困ったことに、比較実験を行うにしても結果の測定方法が無い。
どの方法で作成した薬がどれだけ効能があったのか、即ち魔力がどれだけ回復したのか測る術がないのだ。
カガラに聞けば、何でも王都あたりではその為の魔道具も存在しているらしいが、この辺りで手に入るものではないらしい。そもそも高額すぎて、あったとしても手が出ないのだとか。
そこでラトが目をつけたのが、レカン草である。
ラトの主力商品であり、サジャ大山であれば人が踏みこまない場所にはかなりの数が自生しているこの薬草は、怪我をした生物に内在する魔力を治癒力に変換し、傷を癒す。
それはつまり、魔力が尽きてしまえば、治癒は行われなくなるということであり、その性質を利用して魔力量を測定できないかと、ラトはひらめいたのだ。
例えば今回の野兎に、その効能を発揮したレカン草は5枚である。6枚目のレカン草をいくら傷跡にあてがっても、治癒は行われなかった。野兎の魔力が尽きたためである。
これは今までの実験からすると平均的な値であり、大抵の野兎はレカン草5枚を使用すると、魔力が枯渇するのだ。
つまり、その魔力が枯渇した状態の野兎に、様々に処理したマヤリス草を投与する。
そうすることで、マヤリス草の適切な処理方法を見極める事ができると、ラトは考えたのだ。即ち、マヤリス草を元にした数種類の薬を与え、そこから再び刺して治す実験を再開する。投与後の回復回数が一番多かった薬こそが、適切に処理されたマヤリス草の魔力回復薬である、と言えるだろうということだ。
・・・それがうまくいくかどうかは別として、子どもらしからぬ発想ではある。
ラトは父の蔵書であった薬学に関する様々な書物を読み込んでいる。そのため、薬に関することに限っては、普段以上に知恵がまわるという傾向があった。この実験も、書物を読んで得た知識をヒントにして行っているのだ。
「・・・さて、さてと」
実験結果をノートに書き込み、またしても手が空いたラトは、サジャ大山の地図を取り出し、眺める。
地形や見つけた薬草、魔物たちの縄張りなど事細かに記したラトオリジナルの地図である。
新たに今日見つけたマヤリス草の自生地、そして六ツ腕熊との遭遇情報を書き込む。
「・・・レスティア草は、どこにあるのかなぁ」
ラトはぽつりとつぶやいた。
彼女が現在サジャ大山を探索している最大の目的が、レスティア草という薬草である。
その貴重さから“幻の薬草”と言われる、どんな怪我でも治してしまうという伝説的な存在だが、ラトの父フィドは、その薬草がこのサジャ大山に自生しているのだと言った。
「ゼリ村から、そう遠くは離れていないと思うんだけどなぁ」
アオという機動力を持つ現在のラトとは違い、フィドは自分の足で薬草探索を行っていた。
そんな彼がレスティア草を見つけていたのなら、村からそれほど遠くない位置にレスティア草の自生地があるということなのだが・・・ラトは村を出てから今日に至るまでほぼ毎日サジャ大山を駆けまわっていたが、未だレスティア草を見つける事はできていない。
「どこか、見落としている地域があるのかな?」
ラトは地図を眺めながら考えていたが・・・。
ぐぅぅぅ・・・。
お腹が減った。
なんとなく眠気もあって、考えがまとまらない。
ラトは考察を放棄して、ぼんやりとしながらアオの硬い背中をなでた。
後ろからほのかに風を感じる。アオが尻尾をふっているのだ。
あれやこれや、とりとめもないことが浮かんでは消え、ラトの思考は漂う。
そんな中ふと、頭の中に浮かんできたのは。
今日再び六ツ腕熊と遭遇したからだろうか・・・。
それは、ラトが敬愛する父の、最後の瞬間の記憶だった。




