15 消えた少女、消える行商人
「・・・ヘックション!!」
自宅でストーブに薪をくべ体を乾かしながら、カガラは大きなくしゃみをした。
どうやら風邪をひいてしまったらしい。
それもこれも、あのラトという少女が悪い。
カガラは秋の冷たい小雨が降る中、今日も今日とてトルン街道にて現れる気配の無いラトを待ち続けていた。おかげですっかり体が冷えてしまったのだ。
「・・・いい加減、諦めんかい」
先程風邪薬を届けに来たメシューヤッツは、去り際呆れたようにこう言った。
カガラだって、わかってはいるのだ。サジャ大山にて少女が生きていくことの過酷さを。何故か、たまたまこれまでは上手くいっていただけで、それはどだい無理な話だったのだ。
“竜蛇”、“大蜘蛛”、“六ツ腕熊”・・・そんな噂に聞くほどの危険な魔物がうようよ潜んでいるような魔境で、どうして年端もいかぬ少女が生き抜いていけようか?冷静に考えれば、すぐわかるはずだ。麓の村に入り込み、呪いによりその村を滅ぼしかけたような化け物すらいるらしい。最近では、実力のある“退魔師”数人が教会から派遣されてきたらしいが、残念ながら大物の討伐が成功したという話は聞こえてこない。
パチッ・・・パチッ・・・。
静かに燃えるストーブの炎がカガラの影を伸ばす。影は小奇麗に片づけられた部屋の壁際でゆらゆらと揺れている。
妻と娘が出て行ってから、部屋のほこりすらもろくに払ってこなかったカガラが意を決して大掃除を行ったのは、これもやはりラトのためであった。
もうすぐ冬が来る。夏場は良くても、さすがに降りしきる雪の中、野山で生活する事は不可能だ。だから、冬の間くらいはラトに住む部屋を貸してやろうと、カガラは考えていたのだ。
確かに街の中であの赤い瞳は悪目立ちするだろうが、ごまかしようが無いわけではない。もともとこの部屋は親子3人で住んでいたのだし、広さの問題もないのだ。
それなのに・・・ここまで気をまわしてやったのに、ラトは突然いなくなってしまった。
「・・・・・・はぁぁ・・・」
大きなため息がでる。
「一体・・・一体“先行投資”にいくらかけたと思ってるんだ。ふざけやがって・・・許さねぇぞ、あのガキ・・・」
ぶつぶつと文句を言う。
コンコン。
その時、カガラの家の玄関を叩く音が、聞こえた様な気がした。
カガラは跳びあがり、勢いよく扉をあけた。しかし、そこには誰もいない。どうやら風のいたずら、もしくは単なるカガラの聞き間違いだったらしい。
「・・・くそが!!」
乱暴に戸を締め直し、再び大きなため息をつくカガラ。
そもそもラトにはカガラの家の場所を教えていないし、彼女はニアスの町に入った事すらないはずだ。この家にやってくる道理がないのだ。
(・・・いつまでも、こうしているわけにはいかないよな・・・)
カガラは腹をなでながら行商道具を見遣る。本格的な寒さがやってくる前に、冬をしのぐための金を貯めなくては。キーリスに向かうのは、まだ少し恐ろしいが・・・結局あの後、金細工の指輪絡みでカガラが襲われるようなことはなかった。未だにあの事件がどういう陰謀のもとに引き起こされたものなのか、カガラにはとんと見当もつかぬが、もうほとぼりは冷めたと見て良いのだろう。生きていくために、働かなくてはならないのだ。
なお・・・さすがにあの経験を経て、また盗品売買をするだけの度胸は、カガラにはなかった。
コンコン。
またしても、カガラの耳に扉をノックする音が飛び込んできた。
(・・・未練がましい)
これは幻聴であると決めつけ、カガラはパン!と自分の頬をはった。
コンコン。
しかし、再びノックの音が響く。
(・・・・・・まさか!)
カガラには今や、自分の心臓の鼓動しか聞こえていない。急ぎ玄関まで走り、扉をあけた。
・・・今度は、カガラの聞き間違いではなかった。そこには人が、立っていた。
さりとて、そこにいたのは、カガラの期待していた少女ではなかった。
フードで顔を隠した、胡散臭げな男が、そこに立っていた。
「・・・カガラさんですね?」
フードの男が、つまらなそうに話しかけた。
「どちら様で?」
「“指輪”の件で、あなたに用があります。私と一緒に来ていただきましょう」
男はカガラの問いかけを無視して、いきなり家の中に上がり込んだ。
カガラの顔から血の気がひく。『指輪の件』、即ち、こいつはカガラが腹を刺されて死にかけた、あの事件の関係者だ。
この男が何を思って今さらカガラを訪ねてきたか不明だが、その態度からわかるのは、間違いなく、こいつはカガラの意思など微塵も尊重する気がないということだ。口封じの為にカガラを殺しに来たと考えても、おかしくはないだろう。
命の危険すら感じたカガラは、すぐに裏口に向けて走り出そうとするが、遅かった。既に家の中に入り込んでいたフードの男が何やらぶつぶつと呟くと、突然カガラの体から力が抜け、その場に倒れ込んだ。
(魔術だと・・・?くそっ・・・くそっ・・・!)
声すら出せず、心の中で悪態をつくカガラを、フードの男は軽々と担ぎあげる。
「カガラさん、あなた、運が良いですよ。先に私に見つかって。・・・少なくともしばらくは、殺されることもないでしょうしね」
相変わらずつまらなそうに喋りながら、男はカガラを大きな袋につめ、それを背負いその場を後にした。
さぁさぁと降りしきる小雨を魔術ではじきながら、フードの男はニアスの町を出て行った。暖かった季節は既に終わり、冷たい秋雨の中、家の外に出てフード男を見咎めるニアスの住民はいなかった。
暗い雲が空を覆い、時折強く風が吹き、雨粒が町の石壁を強く打った。
もうすぐ冬が訪れようとしている。
トルン街道の狼少女 おしまい




