11 メシューヤッツ診療所
夕日が地方都市ニアスの石造りの町並みを橙色に染める。伸びた影により裏通りは既に薄暗く、家々からは煙と、おいしそうな匂いが漂ってくる。夕食の時間が近いのだ。昼間は外で遊びまわっていた子どもたちも、今は家の中で楽しそうな笑い声をあげている。いつも通りの、のどかな光景。その中を行商人カガラは、緊張した面持ちで歩いていた。
何しろ、殺されかけたのだ。たまたま出会った薬師を名乗る奇妙な少女に助けられたが、未だ恐怖はぬぐい切れていない。家と家の隙間の影を警戒しながら、裏通りを歩く事数分、彼はようやく目当ての場所に辿りついた。『メシューヤッツ診療所』である。
敷地内には雑草が生い茂り、入口に掲げられた看板は外れかけ、風にあおられぷらぷらと揺れている。壁には近所の悪ガキどもの落書きがそのまま残されており・・・一見するとまるで営業しているとは思えない。この診療所の主の適当な性格がにじみでている。
カガラは頭上にボロ看板が落ちてこないか気にしながら、診療所の扉を開いた。
「先生ぃ・・・いるかい?」
カガラはいつものように問いかける。外観と同じく、診療所内も酷いありさまだ。ほこりにまみれた床の上にカルテや本などが雑然と散らばっており、足の踏み場もない。
「ん・・・あ?誰じゃい、今日はもう営業時間外じゃぞい・・・っと」
診療所の奥から、がちゃがちゃと床の上の物を蹴り飛ばしながら、老人が近づいてくる。人のよさそうな笑みを浮かべながら、口ひげをいじる。その顔は、真っ赤に染まっている。
「やってねぇなら、『休診中』の看板をかけとけよ。相変わらずだらしねぇ爺さんだな・・・ってか、もう飲んでんのか?」
「ひっひひ!なんじゃ、カガラかよ!いや、思った以上に仕事がうまくいっての!祝賀会中というわけよの!ひひひ!」
上機嫌なこの老人こそ、メシューヤッツ。この診療所の主だ。一応、医者であり、普段は近所の爺さん婆さんの話し相手やら、風邪をひいた悪ガキの世話をするといった仕事をしている。近隣住民からは、その適当さにはあきれられているが、面倒見が良く愛想も良いので、嫌われてはいないようだ。
しかし。
「実はの、大口の商談がまとまったのよ!どうしても、精力剤が欲しいと泣きつかれてしまってのぉ・・・このあたりじゃ、そうそう材料も採れんから、なかなか市場にも出回らんわけじゃ。相手も必死で必死で、ワシはかわいそうになってしまってのぉ・・・。しょうがないから、以前手に入れた秘蔵の薬を売ってやったのよ!一瓶しかない貴重なものじゃ!けっこう良い儲けがでたぞい?ひひひ、笑いが止まらん!」
「・・・その秘蔵の薬とやら、効果はあるのか?」
「・・・さぁ?」
「さぁ、って・・・」
「いや、ワシも試したことあるけど・・・まぁ、その、ワシ爺じゃから。検証にはならんかったのう。・・・しかし安心せい、毒が無い事は確かじゃ!」
きりっと表情を引き締めてそう言うメシューヤッツを見て、カガラはため息をつく。この老人はかなり適当で胡散臭く、加えてカガラと同じく小悪党だ。今回は、薬“っぽい”ものを売っているだけ、まだマシだ。この爺は場合によっては、平気でその辺の草を薬草として売り付ける男だ。
「・・・先生、あんたもいい加減にしとけよ・・・。刺されても知らねぇぞ?」
自分の腹をさすりながら、カガラは言った。
「なんじゃい、ガキが偉そうなことをぬかしおる。・・・で?用件は何じゃ?まさか小言を言うためにここまで来たわけではあるまい?・・・どんな儲け話を持ってきた?」
メシューヤッツはぎらりと目を光らせ、カガラを見つめる。
「・・・まぁ、何と言うかオレにしては、まっとうな話かな・・・」
「ほう?」
カガラは背負っていたかばんを机に乗せ、その口をひろげた。
メシューヤッツは驚き、目を丸くした。
かばんの中には、かなり大きく上質なレカン草の葉が、ぎっしりと詰められていた。
「・・・おい、なんじゃいコレは・・・」
メシューヤッツは絞り出すようにぼそりとつぶやいた。
「レカン草だろ?オレでも知ってるぜ、先生」
「そういうことじゃないわい!・・・なんじゃこの量は!?質もかなり高いな・・・カガラ、お前まさか、どこぞの貴族様の薬草畑から・・・」
「違う違う!“まっとうな話”って言っただろうが!頼まれたんだよ・・・この薬草を街で売ってきてくれってな」
カガラはメシューヤッツに、ラトという薬師を名乗る奇妙な少女との出会いについて、語り始めた。




