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初めて投稿します。
読んでいただけたら、嬉しいです。
私たちの高校には使われていない旧校舎がある。来年度には取り壊されるらしいその校舎の三階。それをさらに上った先、屋上へと続く階段を駆け上がる。外に出るドアの前は少し広くなっていて、ちょっとした物置みたいになっている。
いつのものだかわからない、文化祭で使ったであろうヘンな立て看板とか、使わない壊れかけた机とか、できそこないのゴジラっぽい緑の怪獣の張りぼてとか。
三階の階段脇が昔の生徒会室だからって、なんでもかんでも置きすぎだろう。生徒会の怠慢だと思う。閉鎖された屋上ドアはどうせ使わないからと、人が通ることを考慮されてない。
ガタガタと物にぶつかりつつ、避けつつ、ドアに向かう。
閉鎖されているはずのドアは、ちょっとだけ開いている。
そこから、音が零れていた。
――早く早く早く……!
――拾わなきゃ。この音を。
私は建て付けが悪くなって重いドアを、体重をかけて押した。
ギギッと、断末魔みたいな音を立ててドアが外に向かって開く。
零れていた音が私の耳を打つ。
眩しい光が目を刺して、一瞬何も見えなくなる。
ぎゅっと目を閉じてから開けば、そこには広い空があった。
「芹羽」
ドアのすぐ傍に座っていた春海が私の名を呼んだ。足を投げ出しドア脇の壁に寄りかかって、私を見上げる。
呆れたように笑って親指で指し示すのは、屋上の真ん中にアコギを抱えて歌う颯だ。
「やべーよ、あれ。十五曲くらいできてるよ。ぜんぶ失恋ソング」
屋上ドアはいつだったか、春海が力任せに蹴ったら開いた。至る所ガタが来ている旧校舎は、屋上の鍵もバカになってる。物が多いのをこれ幸いと、鍵の壊れた屋上ドアの前にはあれこれ置いて、見えにくくしといた。
時折、私たち以外も出入りしてるみたいだが、そもそも旧校舎のこんな上の方に来る人も少ない。用事がないしね。人が少なくて、ほっとする。
以来、時々私たちはこっそり屋上に出入りしている。
私はドアを押して閉めると、春海の隣に座った。
「片想い中か失恋したときしか曲作れねーってどうなの」
そう苦笑して颯の歌声を聴きながら、春海は頭の後ろで手を組む。
「延々失恋ソング聴かされるこっちの身にもなれっつーの」
――それでも、春海は颯の歌が好きなんだ。
……私もそう。
音楽のことは詳しくないし、何がすごいのかわかんないけど、不協和音みたいに滅茶苦茶なのに、耳に残って中毒になる。歌詞なんて文字に起こして聴けば謎で狂気なのに、音に乗ると単語の選び方が胸に刺さる。
それに、声が。反則みたいに響いて。
病みつきになる。
「お前どうにかしろよ、あれ」
「どうにかって? ……どうにもならんでしょ、あれは」
「お前が付き合えばいいだろ」
「……馬鹿なの?」
「いやマジで。誰かと付き合えばあの怒涛の作曲ラッシュも止むんだから」
「……ムリ」
「ムリかぁ……」
颯はつい最近、年上の彼女に振られたらしい。
すっごい好きで、好きすぎて片想い中に馬鹿みたいに彼女賛美の曲を大量に作っていた。奇跡みたいに想いが通じた後は、ドロドロに入れ込んで、たぶん子犬みたいに懐いて、曲も作れないくらいに幸せそうな顔して、彼女の部屋に入り浸っていたんだ。
……わかる。ぜんぶ歌っちゃってるからね!
それこそこれぜんぶ想像だったら、そっちのが引くわ。
颯の恋心が妄執すぎて引く。
「ヤバいよ、あんなの彼氏にしたら、たぶんしぬ」
「死なねえよ。だれも死んでねえじゃん」
「だって漏れなく浮気されてるよね。浮気ってか、むしろ本気? 本気で捨てられてるよね、毎回」
「だな」
「……重いんだよ、愛が。捨てたくなるほど」
逃げたくなるほどの一途さが、重い。
年上で、美人で、大人な人が好みだから、相手は根負けして付き合っても次第に颯の真っ直ぐさが重くなるし、たぶん怖くなるんだ。
「……それに私は颯の好みじゃないし」
「……ムリって、颯の方がムリってこと?」
「でしょ」
「そうか……、そう、かなあ?」
「そうだよ」
どんなに私が颯を欲しくても。
この声が、この言葉が、この妄執じみた一途さが欲しくても。
颯は私に振り向かない。振り向かない颯が好きなのかもしれなかった。
麻薬みたいだ。颯の歌は麻薬みたいに私の頭にこびりついて、胸の奥をかき混ぜて、感情をぐるぐるにするくせに、絶対私を素通りする。捉えられない颯が、私を素通りする颯が、私にはたまらないのだ。
「意外と合うと思うんだけどな」
「……何を根拠に」
「とくにないけど」
「ほらみろ、無責任」
それから二人黙って颯の妄執ソングを聴き続けた。
いつまでも、聴いていたい。
独り占めしたい。――春海がいるから二人占めか。
それでもいいや、この溢れて止まらない音の奔流を、ずっと聴いてたい。
不意に、音が止んだ。
颯が屋上の真ん中で突如、立ち上がる。
「ライブやる」
ぐりんと、黒い大きな目が私たちを見た。
「……路上じゃない。ちゃんと、ハコで」
「は?」
私と春海はぽかんとして颯を見上げた。
「ライブハウスってこと?」
「ブッキングじゃなくて、企画で」
ますますぽかんとする。
「金、いくらかかると思ってんの? メンバーには言ったの?」
春海も私も音楽はやらない。ただ聴くだけだ。
颯は最初ひとりで歌ってたけど、隣のクラスの鷺本に口説き落とされて、鷺本のとこのバンドと一緒にやるようになった。颯は男にはモテる。
「知ってる。もう決めた。……それに、ウチ主催じゃなくて、ライさんのとこが出してくれるから、チケット代だけでいいって。多少の割引は持ってくれるってから、ハコのノルマよりは全然安くすむ」
ビシッと私たちの方を指差し、宣言した。
「お前ら拡散しまくれ! そんで、ライさんのとこの客も取り込んで、喰ってやるぜ! そしたらメジャーデビューだ!」
……馬鹿か。
いきなり、メジャーて。
「それくらいの心意気ってコト! バカとか言うなよ、芹羽のバカ!」
「……まだなにも言ってない」
「いや、聞こえてたよ、芹羽……」
春海に呟かれた。私の心の声がだだ漏れだったのか、颯に睨まれる。
「わかったな! チケットも売りまくれ!」
「無茶言うな……」
「いいな! たのんだぞ!」
そのまま、ムギギ、という声を上げてドアを開くと、颯爽とは言い難かったが、足音高く屋上を出ていった。
歌ってないと残念としか言えないお馬鹿な颯が、やる気を出してる。何かやってないと、いられないんだろう。わからなくはないけど。
「俺らのフォロワー数舐めんなよ……」
春海が乾いた笑いを漏らした。
そうだ、舐めんな。二人合わせても二十いかないぞ、どうだ!? しかもだいぶかぶっちゃってるんだぞ。実質十人に満たないぞ!
友達少ない私たちに何を頼んでるんだあの馬鹿。