皇模型店(三十と一夜の短篇第9回)
恒介は、放課後を何者にも侵させない。教師や両親になにを言われようと、悪しき慣習をあらためようとしない。「寄り道をせずにまっすぐ家へ帰りましょう」の標語を黙殺し、きょうも恒介は寄り道をする。
皇模型店。商店街の一角にある、木造の二階建て。恒介がうまれるずっとずっとまえから、皇模型店はこの商店街にある。
商店街と呼ぶには、シャッターばかりの殺風景である。恒介が小学校の低学年くらいだったころは、活気にあふれた商店街だった。本屋。スーパー。床屋。眼鏡屋。時計屋。駄菓子屋。洋品店。洋菓子屋。和菓子屋。ラーメン屋。それに、おもちゃは皇模型店。
「やあ、恒介くん。よく来たね」
老店主がパイプを吹かし、笑顔で恒介を迎える。恒介のほかに、客はひとりもない。恒介と老店主の、ふたりきりである。
「二階だろ? すぐに紅茶を持っていこう」
一階はプラモデルの箱がところせましと、棚に隙間なく収納されている。ロボットアニメ。ミリタリー。ボトルシップ。航空機。城。鉄道。ジオラマ百景。工作用具。徹底された美意識によって陳列されたそれらは、塵ひとつかむっていない。
そのほとんどが、恒介がここへかようようになってからありつづける売れのこりである。ほとんど売れていない。恒介がうまれるまえからありつづけるそれらは、きれいなままで存在しつづける。埃も黴も纏っていないし、日焼けもしていない。几帳面に手入れをしたところで、客は恒介ひとり。もはや商品ではなく、美術品のように飾られている。たったひとりの観客のためだけに。
恒介は客として迎えられるが、店にいっさい金を落とさない。小学六年生の財力など、高が知れている。それに恒介は一階の客ではなく、二階の客である。「おじゃまします」と恒介は無邪気に言い、奥の内階段をつたって二階へ上がる。毎日かよいつめて見なれた景色がそこにあるだけなのに、恒介は胸の高鳴りを抑えることができない。二階はいつも鮮烈で、少年の心を捕らえて離さない。
十二畳ばかりの部屋にひろがるパノラマ。部屋いっぱいに収められた長方形の机上に盛られたジオラマ。老店主が精魂を傾けて造形した、「どこか」の縮図である。山があり谷があり、川が流れる。大自然の膝下に、小さく人造の町。自然と文明とを、鉄道が連結する。山を抜けるトンネル、川に架かる鉄橋。大いなる環状に、たったひとつの駅。
列車はぐるりぐるりとめぐりつづける。目的もなく、山と町とを行き来する。町には動くことのない、小さな人形がぽつりぽつりと立っている。上がり下がりする踏切、明滅する街灯と家屋の灯り。交差点、信号機。止まったままの車、いまにも走りだしそうな自転車。いつわりの生活感。まがいものの現実、迫真のミニアチュール。
「毎日毎日、飽きないかい? いつ来たって同じだよ」
紅茶を運んできた老店主が、ほくほく顔で言う。この精巧なジオラマがなぜ、こうも恒介を魅了するのか。小学六年生の語彙では説明しがたい。冒険心や性的昂奮といった類いの心情とは、あきらかに異なる。美的感傷ともちがう。この心象を表わす言葉を、恒介は見つけられない。飽きることなどない。息が詰まるほどじっと、ずっと見つめていたい。このジオラマに、恒介は憑かれている。あるいは恒介のほうが、このジオラマに憑いているのか。
老店主は「いつ来ても同じ」とくりかえすが、そうでないことを恒介は知っている。秋になれば、山は赤く色づく。冬には一面に、雪が積もる。春には菜の花が咲きみだれ、夏には陽炎が立つ。その景色は季節によって、大きく変容する。季節だけではない。日に日に起きているかすかな変化を、恒介は見のがさない。循環しつづける列車の、軌条の軋む音。道々にある人形や車の位置。電飾の色。日々どこかしらに、前日とのちがいがある。憑かれたように凝視しつづける恒介は、変化に気づく。老店主がまちがいさがしのようにしかけたそれを見つけるのも、恒介のたのしみとなっている。
ジオラマに変化があろうとなかろうと、恒介の放課後はここと決まっているのだ。たっぷり一時間あまり、ジオラマを鑑賞する。どんな外遊びやどんなテレビゲームにも、これほど心を動かされることはない。できることなら、ずっと見ていたい。けれど、そういうわけにはいかない。そのくらいの分別は、恒介にもある。だからクラブ活動に属さず、放課後をここで費やす。
「おじいさん」と、恒介は老店主をそう呼ぶ。
「おじいさんには、家族はいないの?」
子供ならではの率直さで、長年の疑問をぶつける。小さいころからずっと、おじいさんはひとりだった。自分には父も母もいるが、おじいさんはずっとひとりだった。恒介の祖父がちょうどおじいさんと同年代で、一週間まえに亡くなった。ひどく悲しかった。「死」というものが、身近なものとして感じられたのだ。おじいさんが死んだら、この店はどうなってしまうのか。もう、ジオラマを観ることができなくなってしまうのか……それを想うと恒介は、ひどく悲しくなった。
「家族ならいるさ」
おじいさんは笑みながらこたえる。おじいさんはジオラマを指さす。
「私の家族は、このなかで暮らしているよ」
「冗談はよしてよ。ジオラマのなかに、人が入れるわけないじゃないか」
「恒介くん。これはね、私がつくったジオラマなんかじゃないんだよ。ミニアチュールであって、ジオラマじゃない。つくりもののようで、つくりものじゃない。わかるかね?」
わからないよとこたえる恒介におじいさんは、三〇センチくらいの筒状のものを差しだす。きらきらとした螺鈿細工(その単語も正体も知らず、きらきらとしたきれいなものと恒介は認識する)の、望遠鏡である。
「覗いてごらん」
おじいさんの言うままに、恒介はレンズに眼をつける。するとそれが、望遠鏡の形をしているだけで……望遠鏡でないことがわかる。レンズの向こうにある街の喧騒は、拡大されたジオラマの像である。望遠鏡の形をした虫眼鏡である。筒の部分を右にまわすと像はさらに大きくなり、左にまわすと遠ざかる。レンズをとおして見る人形の顔は、ひどく精巧につくられている。
「ほんものの人間みたいだ」
「みたいなんじゃなく、ほんものの人間なんだよ」
おじいさんはそう言って、口から煙の輪っかを吐きだす。パイプのあまいにおいが、恒介の鼻を衝く。
「どういうこと?」
「どうもこうもないさ。これはミニアチュールであって、ジオラマじゃないんだ。つくりものじゃない。一六〇〇〇分の一の大きさしかない彼らは、きちんと生きている」
「生きてるって? ぜんぜん動かないじゃないか」
「動いていないように見えるだけさ。こちらの一秒は、あちらでは一六〇〇〇分の一秒なんだ」
「おじいさん、それはおかしいよね。だって、列車はふつうに動いているじゃないか」
「あの鉄道はね、ただの飾りだよ。駅がひとつしかないだろう? 行きさきなんてないのさ。同じところをぐるぐるとまわりつづけるだけの、ただの飾りさ。あちらの住人には、列車の影しか見えていない。駅に停車しているときだけ、それが列車だと認識できる。列車のドアがひらくことはないから、乗ることはできない。仮に乗りこめたとしても、速度に体が耐えられない。Gに圧しつぶされて死んでしまう。棺桶が走っているようなもんさ。だから、乗る人間なんていやしないのさ。景色もそう。あちらの人間を置きざりにして、季節はこちらに感応する。あちらではひとつの季節が、四〇年ちかくつづく。一六〇年で四季がめぐる計算だ」
ミクロの話をされているのに、途方に暮れるほど壮大な内容である。恒介の頭はこんがらがり、ついには言葉が尽きる。
「どうだい、恒介くん。あちらへ行ってみたいと、思わないかい?」
「……行くって、どうやって?」
「覗き穴の逆から、覗いてごらん。すうっとね、吸いこまれてあちらへ行ける」
おじいさんに言われるまま、恒介はレンズを逆にして覗きこむ。あちらへ行きたいと思ったわけではなく、おじいさんの言っていることがほんとうかどうかたしかめたかったのだ。
「なんともならないじゃないか」
レンズから顔を離した恒介は、揶揄するように言う。おじいさんはにんまりと嗤いながら、やさしく言う。
「ようこそ」