振り回す先輩
「楽器も決まってないのに見学に行くとか、他の一年に調子に乗ってるって思われるって話だと思うの。」
それは、違うような気がした。
確かに、可能性はある。楽器が決まってない現状で見学に行くというのは、自分が誰よりもアルトサックスを吹くのにふさわしいと思っているとも捉えられる。それは、あまりに傲慢だ。
しかし、違うような気がした。根拠はないけれど、もし、調子に乗っていると思われるという話ならパーカッションパートの人があんな言い方をするだろうか。
『他の一年達が勘違いするだろ。』
勘違いではなく、例えば、『他の一年達から嫌われるぞ』みたいな言い方をするんじゃないんだろうか。勘違いという言葉は調子が乗っているという状態から遠い気がする。
と、そこまで考えたところで、止めた。
僕なんかが考えたところで分かるわけがないし、この問題の中心にいるのは小唄なのだ。小唄なら、僕が心配しなくても、勝手に僕の知らないところで何かしら対処するだろう。
「日頼くんは、高槻くんが心配?」
顔を上げると、いつの間にか依部先輩が僕の横の席に座っていた。小唄が練習していた席だ。
「心配…ではないです。っていうか僕なんかが心配したところで、小唄君なら大丈夫ですよ。」
「ハハハ、確かにね。高槻君は図太いって言うか、そういう評判は気にしなさそうよね。」
先輩の笑いに合わせて、僕は愛想笑いをした。そうやって、会話を終わらせようとしたが、先輩はまだ何か言うことがあるのか、動く様子を見せない。周りにいる僕の他にいる一年生達の手拍子練習を見ているようにも見えるが、特に指摘をしてやる素振りもない。
遅刻しているので、サックスパートの練習はもう始まっているだろう。行かなくて良いのだろうか。
「日頼君って、サックスパート行きたいんだよね?高槻君と一緒で。」
そわそわと先輩の様子を伺っていた僕に、依辺先輩は質問してくる。
「はい」
「どのサックスか、決まった?」
「………決まってないです。」
僕がそう言うと、依辺先輩は何が可笑しいのか今までよりも大きな声で笑った。班の別の一年生達がその手を止めて、何事かと見てきたくらいだ。注目が嫌いな僕は、今この場を離れて行きたいくらいだ。
先輩は、周りの一年生に「ごめんね、練習してて」と一声かけると、僕の方に顔を向けて言った。
「アルトサックスだよね。私の、そして、高槻君がやりたがってる楽器をやりたかったのよね?いやむしろ、高槻君がやりたがってるから日頼君もやりたかったのかな?」
急な依辺先輩の言葉に、思わず絶句した。
優しい口調で放たれた言葉、しかし、それは誰にも口にしてほしくなかった言葉で、焦りゆえに汗が一気に噴き出した。刃物を持った人と遭遇したかのような緊張が僕の身体を侵食していく。
ばれた。よりにもよって、小唄と接点の深いサックスパートの先輩に。
「高槻君から聞いたの。」
僕の心情など知りもしない依辺先輩は、いつも通りに言葉を紡いでいく。
「日頼君が吹奏楽部に入部しようって思った理由、楽器が楽しかったからなんだってね。だから、不思議だったの。楽器が楽しくて入部したはずなのに、希望楽器が決まってないってどういうことなんだろうってさ。」
「……」
「嘘な――」
「いやっ、サックスは色々やっててっ!それでっ」
上手く言葉が出ない。
明らかにテンパっている。落ち着け。取り乱すな。
変に思われたくない。それで過ごしにくくなれば、せっかく小唄を寄り辺にしている意味がない。
「サックスは……」
僕は焦りで高鳴っている心臓に、胸の上から手で抑え付ける。僕はゆっくりゆっくりと焦りが零れないように、ゆっくり話し始める。
「サックスは、小唄君に付いて行っていろいろやってて…だから、決めてないっていうか」
嘘ではない。アルトサックスが明確にやりたいわけではなく、小唄の傍にいたいのだ。そのためなら、テナーやバリトンサックスでも構わないと思っている。
たとえ、テナーサックスもバリトンサックスも吹いたことがないとしても嘘ではない。
「そうなんだ。まぁ、私もそう思ってたんだけどね。ハハハ」
言葉通りに思っているようには見えなかった。むしろ嘘だと看過しているように見えた。
しかし、言葉には出さない。誰であろうと、触ってほしくない部分に土足であがられたくはない。気まぐれであれ、優しさであれ、踏み込んでこないのであれば、それを掘り返すような真似をする気はなかった。
「嘘な――」の続きに入るだろう言葉を言わなかければ、何でもいい。
「サックス吹いてて、楽しかった?」
「はい。」
「なら、その気持ちは大事にしてて。サックスを楽しんでないのに、サックス吹きになってしまったら、その後は、本当に大変だよ。」
サックスに限らないけどね。と最後は先輩らしく笑いながら付け足す。そんな先輩の振る舞いに、張っていた緊張の糸が少しずつ緩められていく。
「そういえば、高槻君は出来たって言ってたけど、日頼君の方はどう?」
おそらく僕の手元にある楽譜が目に入ったんだろう。先輩は楽譜を指しながら、僕に聞いてきた。
「…出来てないです。」
「ハハハ、最初は難しいよね。それ楽譜?ちょっと見せてみて。」
依辺先輩はそう言うと、僕の返事を待つ前に、机の上に置いてある楽譜を手早く抜き取った。まだ、ファイルや楽譜を貼り付けるためのノートを買っていないので、プリント一枚がひらっと舞っていく。
楽譜に目を通し始めた先輩は、途端に静かになる…わけでもなく、懐かしいと連呼しながら、笑っていた。
どうやら、去年と同じものらしい。
「どこら辺が出来ないの?難しいのは、この三連符の辺りかな?」
「いえ、出来ないところはないんですけど……テンポ通りに叩けなくて、それで。」
「ハハハ、確かに最初苦労してたなぁ。」
先輩そう言うと、寄辺先輩は未だ置いていない学生鞄に手を入れて、ゴソゴソと手さぐりに目的のものを探し始める。どうやら練習を見てくれるようだ。スティックの時のこともあり、教えてくれるのであらば、期待が少しだけ高まる。
先輩はようやく目的のものを探し終え、学生鞄から一つの機械を取り出した。
「それ、先輩のメトロノームですよね?」
先輩の手にあったのは、リモコンのような薄く平べったい形をした直方体型のメトロノームである。
机にある振り子型のメトロノームと違い、メトロノームの液晶に振り子が映し出されており、振り子が両端に到達すると電子音を鳴らすようになっていた。
「そうよ。ほら、こうして」
先輩は僕の耳に手に持つメトロノームを近づけてくる。当然ながら、先輩のメトロノームから鳴る音が大きくなっていく。
「こうした方が耳で判断して、叩きやすいでしょ?ちょっとテンポを刻んでみて。」
言われた通りに、耳から入る音に合わせて手を叩く。手の音と耳から入る音がちょうど同じタイミングで響いてくる。
「良いではないか、良いではないか」
「ハハ……」
反応しづらい。何キャラなのだろう。思わず、愛想笑いを浮かべてしまう。
数回、テンポ通りに叩く。
「そのまま、テンポを自分の中に落とし込んでいくの。四分音符だとちょっとずれが大きくなっちゃうから、八分音符くらいで小さく刻んでいくと良いよ。」
テンポを落とし込む……??
疑問に持ちながらも、叩くテンポを四分音符から八分音符に変える。少し早くなった分だけ、手がきつくなってくるが、その分、自分の中で刻むテンポとメトロノームから響くテンポの差が小さくなっていく。
「よし、じゃあこのまま楽譜通りに叩いてみて。ずれてたらそのたびに言うから、安心して叩いてね。」
「はい。」
僕は、八分音符で叩いていた手拍子をまた四分音符に変える。楽譜の始まりが四分音符からだからである。
まずは一小節一杯に四分音符、八分音符、十六分音符を叩いていく。これを繰り返す。
耳から聞こえるメトロノームの音、それと疑問に持ちながらも落とし込めたテンポが、上手くマッチしているのが分かった。メトロノームは振り子が端に寄ったときにしか音を鳴らさないが、落とし込めたテンポがメトロノームの音と音の間で鳴るのが聞こえる。
そして、三連符に入っていく。ここが一番分からなくなっていた場所だ。三連符を七回叩き叩くのだが、しっかり数えていないと何回叩いたか分からなくなってしまうのだ。
しかし、今回はメトロノームを見る必要がないために、楽譜を見ながら叩ける。自分が叩いている場所を追いながら叩くので、頭で数える必要がなく、正確に七回叩ける。一回目、二回目、三回目と最後まで繰り返す。メトロノームを見ていた時は、ここをテンポ通りに繰り返せていたことはなかった。
叩ける――!
しかし、そこまでだった。
耳から聞こえていたメトロノームの音は急速に小さくなり、最後には聞こえなくなった。慌てて、先輩の方を向くと、先輩がメトロノームの電源を消しているところだった。
「叩く感覚だけだよ今のは。テンポを落とし込んだら結構楽に叩けるってことを知ってほしかったの」
……だったら、最後まで叩かせてくれても。
不満顔の僕に依辺先輩は、誤魔化すように笑った。
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