違和感のないスティックの音
僕は、先輩に言われた通りに、机の上に置いてあるメトロノームに合わせて、手にもつスティックをぶつけ始めた。幼稚園生がご飯前にやるようなお箸を叩きつけ合うような動きだ。
カンカンカンと小気味の良い音が鳴る。
しかし、どうにも太鼓やドラムを叩いた時と同じ違和感が掌を襲った。衝撃を抑えてしまっているかのような、音の振動を邪魔しているかのような感覚だ。どうにも、これが正しい叩き方とは思えない。
だが、これでいいのだ。今は僕が練習しているわけでも、練習している楽器がスティックなわけでもない。練習しているのは先輩で、練習している楽器はアルトサックスだ。
…あれ?先輩の名前ってなんていったっけ?
思わず、顔を上げた。そこには、先ほどまでのやけにケラケラと笑う先輩の姿はなく、この理科実験室に入ってきたときの凛とした空気を纏った別人がいた。
赤味がかった髪色に、白い肌。少し幼いと感じる顔立ち。まったく同じ特徴、同じ人物のはずなのに、さっきまで感情豊かに動いていた瞳は、静粛にどこか一点を見つめ集中していた。
その眼が、すーっと動いていき、僕の視線と重なる。逸らさない。真っ直ぐに見つめてくる。
僕の腕以外のパーツが石になってしまったかのようだった。
「すぅぅ……」
小さく、息を吸い込む音が聞こえた。
次の瞬間、アルトサックスの音色が響き渡った。
そしてその次の瞬間、自分の考え間違っていたことを知る。
サックスの音は良い。ただ、同じ音を伸ばしているだけなのに、いつまでも聞いていたいような心地良い音質だ。ケラケラする先輩から出ているとは思えない、落ち着いた音。
しかし、そんな純粋な水のなかに泥を混ぜ込んだかのような不純な濁りを感じる。僕のスティック音だ。ただ、メトロノームに合わせて叩いているだけなのに、小気味良いと思っていた音がただただ気持ち悪かった。
早く終われっ……。
先程、先輩と話した時も逃げ出したいと思った。小唄もいないし、胸の中は不安と緊張が渦巻いていて、なんとかしたかった。
でも、今は違った。はっきりと自分が邪魔をしている。強者の足を引っ張っている。質の高い創作物に落書きされているのを見つけてしまったような気まずさが、心を侵食していった。
願いが叶ったのか、初めて一分もたたないうちに、先輩は口からサックス離し、吹くことをやめた。
「どうしたの?やけに気まずそうだけど。あ、私と二人っきりだから?」
「……」
そんなに顔に出ていたんだろうか?
吹くことをやめると、元の先輩に戻っていた。ケラケラと笑いながら、冗談のようにそう言う姿は小唄のようで、だから少しだけ救われたような気持ちになった。
「違います…。いや、その……すいません。スティックの叩く音、変でしたよね。」
「うん、変だったね。」
あっさりと変だったことを肯定される。
それはそれで複雑だったが、これで逃げ出す理由が出来た。変なスティック音より、メトロノームという機械から聞こえる電子音の方が、まだ先輩の練習を邪魔しないだろう。
ところが、先輩の言葉はただの肯定で終わらず
「っていうか、日頼君は、スティックをぶつける時押し付けちゃってるよね。」
と、続けた。
「どういうこと…ですか?」
「言葉そのまんまの意味だよ。」
先輩はケラケラと笑いながら、そう答えた。やっぱりやけに笑う先輩だ。
先輩は、首に掛けていたベルトを外し、サックスを机の上に置く。そして、僕から二本のスティックを受け取ると、軽くスティック同士をぶつけて、実演して見せた。
やはり、先輩がスティックをぶつけた時の音は、僕の音と微妙に違った。固さではなく、炸裂したような響きを持った音で、聞き苦しさを感じない。
違和感が、ない。
「こんな風に、手首に力を入れないで、手首をしならせて、スティックぶつけるの。すると当然反発する力があるわけだから、その力に逆らわず、スティック同士を放してあげる。日頼くんは、手首に力がかかり過ぎているからこの反発が上手くいかずに、押さえつけてるみたいな音になってるのよ。」
それとスティックの持ち方、と先輩は僕にスティックを渡し、握り方を矯正してくれた。
人差し指の大関節と親指でスティックをはさみ、人差し指を丸める。他の三本の指はスティックに添えるだけで力を入れない。
その持ち方は、今までの持ち方に比べると、やけにスティックが不安定に思えた。振りが強すぎただけでスティックがすっぽ抜けてしまいそうだった。
両手ともその形を作り終えると、先輩の手は離れた。
「さ、どうぞどうぞ」
どうやら、願いは叶っていなかったらしい。
スティックの音が変だから、やらなくて良いとはならなかった。変ならば直せばいい、先輩はそう考えたようで、僕に正しい叩き方を教えるつもりのようだ。
有難迷惑と断ることが出来ずに、仕方なく先輩に促されるままに、僕はスティックをぶつける。
カン、と一発目になる音は今までと変わらない響きの少ない押さえつけられた音だった。二発、三発と続けてやるが、どうにも要領を掴めない。手首に力を入れないと言われても、持ち方によるスティックの不安定さから、ぶつける瞬間につい反射的に力を入れてしまう。
何かが、まだ違った。
「腕に力が入り過ぎよ。動かすのは、手首から先だけでいいの。」
動かすのは、手首から先だけ。
言われてみれば、確かに手首をしならせているというより、手首と腕を一体にして鳴らしているような気がする。
僕は、腕を動かさないように、心がけて四発目を鳴らしてみる。だが、動かさないように心がけ過ぎているせいか、腕に力が入り過ぎてしまい、ますます変な叩き方をしてしまう。続けてもう一度叩いてみるが、同じだった。
もどかしかった。違和感の正体は分かってるのに、自分の思うように体が動かせず、違和感を取り除けずにいる。
「なるほど、腕が動いちゃうか。なら――」
先輩は、僕に向かって手を動かした。
てっきり、もう一度お手本を見せてくれると思った僕は、スティックを渡そうとしたのだが、先輩の手は僕の手を通り過ぎ、僕の腕を握った。
再び襲う、柔らかい感触。顔が熱くなるのが、すぐに分かった。
「ちょ……っ!」
思わず、抗議の言葉が口から飛び出しそうになる。
「私がこうやって固定しとくから、もう一度叩いてみて。」
…………分かりました……。
飛び出しそうだった抗議の言葉を飲み込み、僕は慌ててスティックを持ち上げた。
心の中で、言われたことを復唱する。手首から余分な力を抜いて、腕を動かさない。手首の動きだけで、スティック同士をぶつける。
先輩の力は腕が動かなくなるというほど強い訳では無いけれど、動きづらさの増した腕は、先ほどまでと違って手首の動きと連動せず、手首がしなり、スティックを鳴らした。
カンっ
「あっ…。」
インパクトの瞬間、掌が感じていた衝撃を抑え込んでいる感じが消えた。スティックを通して、不愉快な振動を感じない。
違和感が消えた。
「ほら、もう一度。」
先輩の顔を見ると、やっぱり笑っていた。しかし、ケラケラとした様子ではなく、喜んでくれていると分かる。
先輩に促されるまま、もう一度叩いた。さらにもう一度。固さはない。ちゃんと響く。聞いてて、不愉快では無い音がちゃんと出ていた。
「そうそう、そうやって叩くの。出来るじゃない。あ、私の掌効果??」
「掌効果…ですかね。」
「おっ、ドキドキした??」
「ドキドキ……」
思えば、ただスティックを気持ちよく叩けるようになっただけだ。打楽器を叩く時に、感じていた違和感がこれで解消されるのか分からないが少なくとも前よりは良い音、感触で叩けるだろう。
しかし、僕の第一楽器希望は、サックスだ。これは揺るがない。小唄が打楽器をやりたいと言えば、僕も打楽器を選択するが、小唄のサックスをやりたいという気持ちは、正直で真っ直ぐだ。だから。僕が楽器の叩き方が上手くなったところで、得は何もない。
「ドキドキはしない…です。ただ……」
「ただ?」
しかし得は無いけれど、ずっと感じていた違和感を払拭できた。それは間違いなく、本当のことだ。
「違和感が消えて…少しだけ、良い気持ちです。」
「……プッ、ハハハハハハッ!!」
…この人は本当に良く笑う人だな。
「会話のッ、流れが、やっばいっっ!!」
会話の流れ???
先輩は僕の腕から手を放した。そして、机の上に置いたサックスを手に取り、首にサックスとつながっている黒いベルトを掛けて、サックスを演奏する体制を整えていく。
僕の疑問はそっちのけで、先輩は練習を再開するつもりのようだ。
「練習再開っ!!さっきと同じようにメトロノームに合わせて」
ガラッ!
先輩の台詞と被せるように、理科室のドアが開いた。
「サックスの人、いますか!?」
「…いるよ~、って高槻君。やっと来たのね。」
そしてやっと、高槻小唄は先輩を見つけられたようだった。
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