初めての楽譜:試験2
『こうした方が耳で判断して、叩きやすいでしょ?ちょっとテンポを刻んでみて。』
「……分かってますよ。依辺先輩。」
水戸先生の前で、ゆっくりと一秒毎のテンポで、聞こえてくるメトロノームの音。まずは、このメトロノームの音を、よく聞く。依辺先輩の持っていた、メトロノームの音とは違うが、依辺先輩が、教えてくれてから一週間やり続けたことだ。
周りの音が、全て聞こえなくなるほどに、集中する。やけに早い心臓のリズムが、耳に伝わるメトロノームの音と溶け合う程、メトロノームの音のみに集中する。思考の声でさえ、その音を遮らないように水の底に沈めていく。
自分のタイミングで入っていいというのは、有難かった。最初の時と違い、しっかり自分の中で準備が出来る。準備をして、望むことが出来る。
タン、タン、タン、タン、タン、タン
『四分音符だとちょっとずれが大きくなっちゃうから、八分音符くらいで小さく刻んでいくと良いよ。』
……でしたね。
タ、タ、タ、タ、タ、タ、タ、タ
一定のテンポが、落とし込まれていく。メトロノームが鳴るのは、振り子が真ん中にくるときの一回にだけだが、メトロノームの振り子が端に寄ったときにも音が鳴っているような気がした。
十分にテンポを刻んだ後は、集中していた耳と目をメトロノームから切り離す。そして、楽譜の一段目の音符に気持ちを集中させる。
僕は、手拍子を打つ姿勢を作った。
『頑張って。』
……頑張ります。
手と手を当てたことによる破裂音が、楽器室に響いた。
叩くのは、四分音符。しかし、身体の中に刻むのは、八分音符。つられて、手拍子も八分音符を叩いてしまいそうになるが、狭くなった視野を楽譜に向けることで、堪える。
小さく聞こえるメトロノームの音。緊張のせいで、聞き取りづらくなっているが、落とし込んだテンポがメトロノームの音を強調し、わずかに耳に届いてくる。激しく動く心臓が、自己主張を続けるせいで、かき消されそうになっているが、確かに聞こえる。
僕は、必死にその音に縋った。残念ながら、楽譜から目を離すような余裕は作れそうにない。楽譜から目を切ってしまえば、微妙なバランスで保っている不安と緊張に呑まれてしまうだろう。
なら、このまま。
このまま、頑張るしかない。
四分音符、八分音符、十六分音符の繰り返しが順調に叩き終わり、次は、七回の三連符が待っている。小唄が、この楽譜で、面倒そうにしていたところだ。
何回叩いたか分からなくなる。小唄はそう言っていた。楽譜に目を凝らしていなければ、僕も分からなくなっていただろう。一つ一つ丁寧に教わったリズムを叩いていく。
吹奏楽部に入って、初めて見た音符の形だった。小唄のピアノの演奏を横から見ていた手前、四分音符、八分音符、十六分音符は見たことがあったが、三連符はあまり記憶にない形をしていた。さらには、同じような形をしている三連符なのに、タッタタだったり、タタッタだったりと叩き方が変わるものがあって、紛らわしかった覚えがある。
だからこそ、忘れない。一番練習した場所だ。
僕は、練習通りに叩く。同じリズムで叩けているかと言われれば、首を傾げざる負えないが、緊張して震える手を動かして、進んでいく。
三回繰り返せば、山場は超え、終盤となる。終盤は、連桁付きの八分音符を中心に構成されているので、難しくはない。
けれども、落とし込んだテンポがそろそろ抜けていくころだ。いつもなら、余裕が出来たあたりでメトロノームを視界に入れるのだが、今回は、それが出来ていない。二回目の挑戦中、一度もメトロノームを見ていないのだ。余裕が生まれないまま、聞こえてくるメトロノームの音に必死に噛みついている状態だ。
タ、タ、タ、タ、タ、タ、タ、タ。
八分音符を刻み、少しでもずれが生まれないようにする。
『テンポを落とし込んだら結構楽に叩けるってことを知ってほしかったの』
一週間前の依辺先輩が言ったことだ。
その台詞を、信じるしかなかった。
依辺先輩が、メトロノームを見ないでいいという意味で言っている訳では無いのは分かる。身体の中で、テンポを刻むことの重要性を伝えたかったのは、明らかだ。
しかし、ここで一瞬、メトロノームを見るだけでも、崩れてしまいそうな気がした。限界の淵ギリギリに立っている僕は、今のスタンスを変えるだけの余裕を持っていなかった。
教えてもらった通りに、落とし込んだテンポを信じる。
「……っ!!」
あの人が見たら、笑うだろうか。それとも、テンポがズレていると訂正してくれるだろうか。いつの間にか縋ってしまっているあの人の影に苦笑いしながら、僕は最後まで叩き切った。
最初の朝練の日。僕が寄辺先輩と初めて会って、スティックの叩き方を教わった時。
あの日、依辺先輩は、僕に、ドキドキしたかと聞いた。僕はドキドキはしないと答え、先輩はケラケラと爆笑した。
叩き終わった今、同じ質問をされれば、僕はあの時とは違うことを言うだろう。そして、それを言えば、先輩はまた笑ってくれるのかどうか少しだけ気になった。
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