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ヨルベのない音  作者: 幸村 洋夏
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初めての楽譜:試験1

 先生の『スリー』の声が耳に入る。それと同時に、三角錐メトロノームの振り子が三角錐の中心のを通過した。次にあの振り子が三角錐型メトロノームの中心を通るときには、楽譜通りに手拍子を始めなければならない。

 前に、小唄に聞いたことがある。この楽譜を手拍子で叩くときに、指定されたテンポは六十。今、先生の前にあるメトロノームのテンポも六十だ。このテンポは、時計の秒針が動く時間と同じらしい。

 要するに、残り一秒。一秒過ぎれば、叩き始めなければならない。

 僕は、楽譜の一行目を確認する。始まりは、四分音符を四回、連桁付きの八分音符を四回、連桁付きの十六分音符を四回叩くようになっている。この二週間、惰性でも何でも、何度も叩いてきたところだ。正直、楽譜を見るまでもなく、頭の中に入っている。

 タン。

 僕は、一番最初の四分音符を叩く。力が入り過ぎて、掌に少し痛みが走った。音も大きくなってしまって、心の中がざわついた。

 慌てて、次の手拍子から、力を抜く。別に、音がどれだけ大きかろうと、試験には関係ないだろうが、大きな音を出してしまうと、心が平静を保てない。ただでさえ張りつめてしまっているのに、これ以上負荷を与えたら、破裂してしまう。

 タンっ。

 うん、この大きさだ。

 と、叩いた所で、自分がメトロノームも楽譜も見ていないことに気付いた。見えているのは、僕の手だけ。慌ただしく楽譜を見るが、間違えた。ここで、見るべきは、メトロノームだった。


 三回目の四分音符。メトロノームの音と、自分の手拍子の音がわずかにズレて、僕の耳に響いた。


「…っ。」


 落ち着け。まだ、初めだ。ここから直せば良い。

 そう思っているはずなのに、ノイズの音がどんどん広がっていく。緊張を取り払うどころか、緊張に呑まれていく感覚。成功のイメージに影が差して、失敗のイメージが膨らんでいく。

 また、ずれた。また、ずれた。メトロノームを見ているはずなのに、動悸が早くなり、曲りなりにも二週間で培ったテンポ感が、少しずつ崩れていく。

 完全にパニックになっていた。自分が、どこを叩いているのかさえ、分からなくなっていった。


「ストップっ。ちょっと待ってください。」


 と、水戸先生は僕に静止の言葉をかける。僕は、その声に従って、手の動きを止めた。

 

「日頼君、少し深呼吸をして見たらどうですか?先生にも、緊張してるのが伝わってきますよ。失敗しても大丈夫ですから、落ち着いてください。」


 水戸先生は、僕に励ますように言った。僕が、緊張のし過ぎで、出来ていないと思ってくれているようだ。いつもだったら、少しムッとするだろうが、本当に緊張している今はありがたい。

 僕は、水戸先生の勧めに従い、大きく息を吸い込む。そして、胸に空気が溜まり、ゆっくりと吐き出していく。加えて、固くなってしまった手や腕をストレッチをするように動かした。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫です……っっ。つ、続けてくだ…続けさせてください…っ」


 しどろもどろに言う僕に、水戸先生は、心配そうな視線を送る。

 穴に隠れてしまいたい気分だった。毛穴から吹き出してくる汗の量と冷たさが、内心の動揺を如実に表していた。

 練習では、出来ていた所だ。テンポとリズムの両立も、こんな早い段階で崩れたことはなかった。緊張のせい、と片付けてしまえばそれまでだが、緊張だけで、ここまでボロボロになるとは思ってもみなかった。

 試験、もしくは見ている人がいるだけで、普段の練習では気にならなかった部分が気になってしまう。音の大きさや叩き方が、まさにそれだ。練習で、あれほど音の大きさを気にしたことはなかった。

 水戸先生は、数秒置いて、止めていたメトロノームを動かし始める。


「それでは、もう一度。次は、日頼君の好きなタイミングで入ってください。」

「はい……。」


 落ち着いて、落ち着いて、落ち着いてっ。この一定のテンポで動いてる振り子をじっと見ればいいんだ。このテンポ通りに叩けばいいんだよ…。

 自分を鼓舞し続けるが、あまり効果はない。緊張は、そのままで、心臓は早鐘のように脈を打っている。今自分が刻んでいるテンポが、見ているメトロノームのテンポなのか、心臓のテンポなのか良く分からなくなっていく。分からなくなって、なかなか手が動き出そうとしない。


 このままでは失敗してしまう。


 予感ではなく、確信があった。前後不覚のような落ち着きのなさが、支配しているこの状況で、上手く叩けるはずがない。

 僕は、もう一度、深呼吸を入れる。少しでも、頭の中に思考する余裕を作り出そうとする。

 

 すぅ…………ふーっ…。


もう一度。


 すぅ………ふーっ…。


 どうしてこんなに緊張しているのか。

 その答えは、簡単だった。水戸先生が見ており、これが楽器決めのための試験だからだ。これが、上手くいかなければ、僕は小唄の傍にはいられなくなってしまう。僕は小唄という頼りを失い、寄る辺を失ってしまう。だからこそプレッシャーになっているのだ。

 プレッシャーを感じて、固くなり、そのまま試験を始めた。そして、今、失敗してしまいそうで不安と緊張に押しつぶされそうになっている。

 不安と緊張、それが今僕が動けない理由だ。

 緊張は仕方がない。くどいくらいに言うが僕は緊張しいなのだ。一度緊張してしまえば、解放されるまで緊張している自信がある。なら、不安だけでも何とかしよう。


 どうして、今、こんなに不安になっている?どうしてこんなに失敗しそうだと思っている?


 ざわついている心を意識して見つめる。先ほどの試験、一発目。何かいつもと違うところはなかっただろうか。最初の四分音符から、失敗してしまうような要因がなかっただろうか。不安を感じるようなことがなかっただろうか。

 こちらの答えも簡単に見つかった。

 僕が楽譜を見ているからである。言い換えるなら、楽譜から目を離すことに怖がっている。

 実際に試験で叩いてみて、分かった。緊張して怖くなると、僕は縋るように楽譜を見てしまう。楽譜を寄る辺にして、そこから離れることを拒んでしまう。

 メトロノームを見れないこと。それが、不安の原因だった。

 なら、どうすればいい?

 分かった所で、緊張して、楽譜から目を離すことを怖がっている以上、メトロノームをそんなに長い間見ることは出来ない。たとえ、見れたとしてもリズム通りに叩いたままテンポに乗せるなどという余裕を持ったままでいられるだろうか。

 まだ、叩いていないこの状態から手が震えて仕方ないのに。


『こうした方が耳で判断して、叩きやすいでしょ?ちょっとテンポを刻んでみて。』


 答えは、僕の中にはない。けれど、昔、教わった言葉が、耳触りの良い声となって、僕の中を過ぎていった。

閲覧ありがとうございます!

多分、2は2日と空けずに投稿すると思います(;´∀`)。

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