始まる楽器決め
僕は二週間前に説明された楽器決めの方法について、思い出していた。
すべての一年生は、リズム練習と書かれたプリント通りに手拍子でテンポ通りに叩けるかどうかを見る。
加えて、金管楽器希望者には、マウスピースを渡し、唇の形だけで音階を吹けるかどうかを見る。
木管楽器希望者も、同上。
打楽器希望者はすべての楽器志望者共通のリズム練習プリントをスティックで叩けるかどうかを見る。
僕が、希望しているのは、サックスパート。第一希望をテナーサックス、第二希望をバリトンサックスにしている。第三希望は、アルトサックスとしている方が、サックスパートに入れる確率は高くなるだろうが、それはしない。
僕が、サックスパートを希望しているのは、小唄がアルトサックスをやりたがっているからだ。小唄と同じパートになりたいからだ。席が一つしかないアルトサックスを選んだところで、小唄がアルトサックスを希望している以上、意味がない。
阿宮さんのこともあり、第二希望でもバリトンサックスを希望することは気が引けたけれど、仕方がない。第一希望から外しただけ譲ったということにしてほしい。
自分に優しい曲解。
「はい、それでは、今から試験を始めます。」
音楽室に座っている一年生に、吹奏楽部顧問の水戸美香先生は、これから楽器決めが始まることについて、どの楽器になっても後悔しないこと、二週間の練習の様子について、等色々な話をしてくれた。そして、ついに、先生の号令とともに、試験は始まった。
どうやら試験は楽器室で行われるらしい。音楽室の奥にある、打楽器以外の楽器が保管されてある部屋だ。音楽室に比べると、広くはないが、机と人が何人か入っても窮屈さを感じない程度の広さはある。
僕達一年生と、先生の横にいた福原由柚先輩は、楽器室に水戸先生が入っていくのを見送った。
「それでは、名前を呼びますのでー、順番に楽器室に入ってくださいー。まーずーはー…。」
福原先輩は、先生から預かった名簿に目を通していく。相変わらずのんびりとした口調だが、それでも朝よりは幾分と気を引き締めているようで、語尾の伸びが少ない。
「阿宮友さん。」
一番初めは、阿宮さんから。あいうえお順で行けば順当であった。そうなると、日頼遥希は随分後の方ということになる。小唄のフルネームは、高槻小唄なので、小唄よりも後だ。
名前が呼ばれた阿宮さんは、「はい」と短く答えて、立ち上がる。
「頑張ってね。」
名前も知らない女子から、励ましの言葉を贈られる。阿宮さんの友達のようだ。
阿宮さんは、緊張した面持ちでそれに対応する。友達に向ける目も、僕に向ける目と同じように鋭い。
どうやら、あの目のきつさは、僕に対してだけではないようだ。もしかしたら、緊張しているからなのかもしれないが。
声には出さないが、僕は、彼女の友達と同じように、彼女を応援する。
夜具先輩がカッコよかったから憧れた。憧れたから、同じパートになりたい。
他人に理由を置く彼女は、僕と似ていると思ったから。
頑張って欲しい。
もっとも譲れと言われて、僕の選択肢が減ったこと、争うことに対する恐怖感が煽られたことは違いないけれど。
僕は、阿宮さんの楽器室に入っていく後ろ姿を見送ると、今度は隣にいる小唄に声をかける。
「小唄君は、自信ある?」
「ある。」
即答する小唄に、僕はだろうなと特に何の感慨も抱かない。
小唄なら、そう言うだろう。たとえ自信がなくても、自信が無いなどと弱気なことは言わない。
「はーちゃんは?」
「………」
僕は言えない。口に出そうになるのは、弱気な言葉だ。
自信がない。しかし、それでも。
「頑張るとしか言えないかな。」
依辺先輩に励ましてもらっちゃったしね。
『頑張って。』
あの言葉は、正直、きっかけに過ぎない。どれだけ考えようと、試験は受けざる負えないし、テナーサックスを希望することが一番良い道だと思う。
結論は動かない。しかし、選び取る勇気はもらった。だから、この場では、依辺先輩のあの言葉を寄る辺にさせてもらう。縋らせてもらう。
「はーちゃんが緊張してないなんて、珍しいな。」
僕の返答に、小唄は驚いた様子を見せる。今まで、手に持っている楽譜をじっと見ていた小唄だったが、顔を上げて僕の様子を確認してきた。
「緊張してるよ、むしろ緊張以外してない。今すぐトイレに行って吐いてくるか、今すぐ帰ってしまいたい。」
「吐くなっ吐くなっ!いきなり、情けないこと言い出すなっ」
「いやいや、緊張しいの僕に試験事で緊張するなって言われても……。小唄君は、緊張しないの?」
「しねぇよ。こういうのは、ピアノの発表会で慣れてるしな。むしろ人数が多くて、自分の番が来る前に寝ちゃいそうだ。」
本当に、眠そうに欠伸をする小唄。緊張していない様子の小唄に、呆れ半分、感心半分。
確かに、小唄の言う通り、待ち時間は長そうだ。一番最初に入っていった阿宮さんですら、まだ出てこない。
楽器室や音楽室は、音が外に漏れないように作られている。そのため、楽器室の中の音が聞こえてこないために、今、阿宮さんが、中で何をしているのかすら分からない。
「阿宮さん、長いね。」
僕がそう言うと、再度、小唄が驚いたような顔をする。特に、驚かせるようなことを言ったつもりはないのだが…。
「はーちゃんが、女の子の名前を憶えてる…だと?」
失礼な。
確かに、小唄に何度も教えてもらっているにも関わらず、長い間サックスのことを6の字型の楽器と言っていたが、人の名前はすぐ覚える方だ。その証拠に、依辺先輩や、福原先輩のことは忘れずに覚えている。
阿宮さんの名前は、一度自己紹介されているにも関わらず覚えていなかった気がするが、二度目の自己紹介からは忘れないようにしている(あの目で睨まれると怖いから)。
しかし、小唄が言いたいのは、そう言うことではないらしく、いやらしい笑顔を向ける。
「な、なに?」
「阿宮かぁ~。そうかぁ~、なるほどなぁ~。」
福原先輩のように、語尾を伸ばす小唄だが、福原先輩のように、優しく、おっとりとした様子などは伝わらない。伝わるのは、ただただ含みだけだ。何かを含んでいるような言い方だった。
「何か困ったことがあれば、言えよ~、はーちゃん。」
「なんなの…?」
結局、なにが何なのか分からなかった。
だが、分からなくても、そんなやり取りをしている間に時間は過ぎていく。
楽器室の扉が開いた。阿宮さんが出てくる。残念ながら、その様子が手ごたえを感じている様子なのかどうか、付き合いの短い僕には分からないが、少なくとも落ち込んでいるようには見えない。
福原先輩が、次の人の名前を呼ぶ。
「まだまだかかりそうだな…。」
億劫そうに、小唄は呟いた。確かに、僕達の総人数が二十四人なので、まだまだ僕達の名前が呼ばれるのは先だ。小唄が、面倒そうにする気持ちも分かる。
しかし、僕が抱いたのは、小唄とは全く違う感情だった。
総人数は、二十四人。阿宮さんが終わったので、残りは二十三人。つまり、一人分、僕の番が近づいたのである。
体中の筋肉が強張っていくような感覚が僕を襲った。それに合わせて、心臓の音が少しずつ高鳴り始める。緊張していると冗談のように言ったが、冗談なんかじゃない。入部するときに行われた自己紹介ごときで緊張する人間が、このターニングポイントで緊張しない訳がない。
僕は机の上にあるファイルに手を伸ばす。中に入っている一枚の楽譜、この楽器決めのために配布された楽譜を取り出そうとする。
しかし、震える手はプリント上手く取り出せず、ひらひらと楽譜は地面に向かって落ちていった。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
そして、閲覧ありがとうございました。




