第七話 悲しき魔法使い
「ババア、邪魔をするなッ!」
サイラスが剣を納めエイラに怒鳴った。止めを刺されるはずだった赤い獅子は呼吸を荒げ、既に虫の息だった。放っておいても死ぬのは間違いないだろう。
「待つのじゃサイラス。ちと調べたい事がある」
「なにィ?」
目を悪魔のように爛々と光らせたサイラスが凄んだ。だが、そんな脅しはエイラには通じない。
エイラはくるっと向きを変え倒れている巨大な獅子に近寄ると手を翳した。彼女が「エアの目」と小さく唱えると、獅子の尾の付け根辺りに青く何かが光り始める。
「そこか……」
エイラが歩きながら獅子の体をポンポンと優しく叩くと、荒い呼吸が少し収まった。
「ちっ!」
サイラスは舌打ちをしつつもエイラの後についていく。何かしらの考えがあって自分を止めた、と言うのは頭では分かっているのだが興奮が冷めやらぬ今は納得はできていない。だがエイラと争う事を選択するほど、頭が沸騰している訳でもなかった。
「お前は本来の力に目覚めたばかりじゃ。少し大人しくしておれ」
そんなサイラスを見透かす様にエイラが優しく諭す様に話しかけてくる。何かを探るようね目を光らせたエイラが歩きながら獅子の体をポンポンと安心させるように叩いていく。そしてエイラが獅子のとある場所を見て目を細めた。
「ちょっと、失礼するぞ」
尾の付け根まで来たエイラが獅子の尾を持ち上げ、腕を差し入れた。獅子は弱々しい唸り声を上げたが、暴れる余力は無いのか動かない。エイラは神妙な顔つきで何かを探っているようで、さすがにサイラスも黙ってその作業を見ている。
ふとエイラの顔がニヤっとした。ゆっくりと腕を引き抜くと、ねっとりとした粘液にまみれた赤い小さな石を指に挟んでいた。
「これだね」
エイラが呟くと、瀕死の赤い獅子の体が急速に縮み始めた。二階建ての建物に匹敵する大きさだった獅子の体はどんどん小さくなっていき、赤い体毛に覆われていた皮膚は張りのある人間の柔肌へと変化していった。
だが負った傷は変わらない様で、左腕は無く、右腕も縦に裂けていた。胴体は半分切れかかっていて、無残な姿を晒していた。金髪も顔も乳房も血にまみれ、女性だという事実を否定してしまいたい程、悲惨だった。
「才あるうら若き乙女を、こんな風にしおって……」
拳を握りしめるエイラの怒気を孕む声が漏れてきた。
握った拳が震える程の怒り。
さしものサイラスも顔を顰めた。
「ババア、何をしたんだ?」
「この石が原因だ。何が組み込まれているかは後で調べる。その前にこの娘の治療が先さ」
エイラがしゃがみ込み、息も絶え絶えのカシルダに微笑みかけた。
「……あた…し……は」
「いいから、しゃべるんじゃないよ」
エイラが何かを言おうとした彼女を鋭く制止した。
「聞きな。あたしはエイラという者だ。魔女をやっている。あんたに選択肢をあげよう」
カシルダはエイラと言う言葉を聞き、ほんの少しだけ目を開いた。
「このまま死ぬか、あたしの弟子になって生きるか。どっちかを選びな」
エイラは死を迎えるばかりのカシルダに取引を持ち掛けた。
カシルダはぼやけていく意識の中、考えた。
真面目に魔法の修行をしていただけなのに、ギルドではその才能を妬まれた。
何も悪い事をしていないのに、攫われ、犯されかけた。
でも魔法を学び、会得していくのは楽しかった。
一生懸命勉強すれば、結果が付いてきた。
農夫の娘でしかなかった自分が、何かの役に立てると思っていた。
でもそんな希望は、ガラスのように砕け散ってしまった。
目の前にいるのは生ける伝説の『魔女』。この人についていけば、もっと魔法を勉強出来る。
ギルドにいるよりは、良い、と思う。
何より、自分はもっと生きていたかった。
カシルダの目から無念の涙が零れ、頬を伝わって地に滲んだ。
「……いき…た…い」
その言葉を聞いたエイラは優しく微笑んだ。そしてカシルダの胸の上に手を翳し「イシュタルの癒しの手」と呟く。カシルダの身体が淡い緑の光に包まれた。
その光の中で失くした左腕が徐々に現れ、裂けた右腕も結合していき、元の綺麗な腕に戻っていく。半分ちぎれた胴体も元の張りのある体に戻って行った。息も絶え絶えだった呼吸も、静かに落ち着いていく。
「うっ」
動こうとするカシルダにエイラは「今は強制的に治癒をしてるんだ。動かないでじっとしてな」と声をかけた。カシルダは弱々しい声で「分り、ました」と答えるた。それが精一杯のようだった。
現に彼女は魔力もほぼ底をつくまで使っており、動けないというのが正解だ。
「あんたは利用されたんだ。誰にだか知らないけどさ」
エイラがパチンと指を鳴らすと空中に大きな毛布が現れた。その毛布をふわっとカシルダにかけると柔らかく微笑んだ。
「安心しな、あたしの弟子になった以上、あんたに手出しなんかさせやしないよ。その代り、あたしの後を継いで、ちょっと長生きをしてもらうよ」
最後に意地悪くニヤっと笑ったエイラを見たカシルダの顔が、ちょっと引きつった。
「おい。大人しく聞いてりゃ好き放題やりやがって」
サイラスはエイラの背中に文句をぶつけた。
「おやおや、サイラス。どうした?」
「どうしたもこうしたもあるかよ! 何だよ弟子ってのはよ!」
エイラがクルッと向きを変えニヤニヤとしだした。
「筋肉馬鹿には魔法馬鹿がお似合いとか言ったのは、何処の誰じゃったかのう」
さっきサイラスが冗談で言った事を揶揄しているのだろう。つり気味の目を嫌らしく垂らして、サイラスを見ている。
「くっ」
「この娘は可愛いではないか。魔法の腕はまだまだじゃが、ここまで才能のある魔法使いはなかなかおらんぞ。第一ババアが近くに居るよりは良いじゃろう!」
「ぐっ。だからってなあ!」
やはり年の功には敵わないのか、サイラスは押され気味だ。
「別に嫁では無いんじゃから、良かろうが」
「嫁はまた別だ! 大体だな、俺にはこいつだと決めたお……」
しまったと思ったのだろう、サイラスはそこまで言うと、口を噤んでしまった。
「そうじゃのう。惚れた女がおるのう。じゃが、早くしないと意中の女は何処かに」
エイラがニヤニヤしながら、わざわざ明後日の方に顔を向けて「行ってしまうやも知れぬなぁ」と言った。
サイラスは歯軋りをしながら「このババア!」と悔しそうに声を絞り出した。
毛布の中で動けないカシルダは、二人の会話についていけずにただ唖然としていたのだった。
毛布にくるまれ、エイラに横抱きにされたカシルダが、夜空を滑空していた。勿論飛んでいるのは杖に跨がったエイラだ。体以上モノを抱えているエイラについて疑問を持つだけ無駄である。彼女は魔女なのだ。
カシルダは、ただただ目を白黒させて今の状況を理解しようとするので頭が一杯だ。
「カシルダ、良くお聞き。今日の一件でお前は死んだ事になった。例え利用されていたとしてもだ、あれだけ暴れてお咎め無し、なんて事にはならないんだよ」
エイラは優しい口調でカシルダに話しかけた。
今回の騒動で少なくとも二桁の死者が出ているだろう。仕組まれた事とはいえ暴れた本人が生きていれば重罪になるのは間違いない。誰かが責任を取らねばらな布が世の常だ。
だがエイラは彼女の才能を惜しんだ。
それに、そろそろ自分の後継者を選ぶ時期にもなっているのだ。寿命はまだあるが、死ぬ間際まで待っている事はない。
才能ある魔法使いに出会えれば、その時に弟子として確保しても良い。こうして今日カシルダに会ったのも運命というものだろう。エイラ自身は運命など信じてはいないが、そう思いたくなる出会いもあるのだ。
それが今日だっただけだ。
「……そう、ですよね」
カシルダは寂しく呟いた。先程エイラから、簡単にではあるが顛末を教えて貰った。突きつけられた現実は重い物だったが、受け入れなければならなかった。気が向かなくても前には向かないといけないのだ。
だが心配もある。自身についてではなく、村にいる両親と兄だった。
自分が魔力を暴走させてから故郷への連絡はしていない。約束の仕送りもどうなっているのか。拉致され恥辱に晒されてから、世間では自分はどう扱われていたのか。
不安に駆られたカシルダは唇を噛んだ。どうしようもなく胸が痛くなり、目の奥が熱くなってきた。
「安心おし。あたしに任せておけば良いんだ。巧くやっておくよ」
「あ、あの」
「今のお前は心も身体もボロボロだ。うら若き乙女が可哀想に……だから今日は休むのじゃ。何も考えなくて良い」
優しくも反論を許さない口調がカシルダを黙らせた。カシルダも「はい」と言わざるを得なかった。
会話が無くなり気まずいと思ったカシルダはふと空を見上げた。彼女の目に入ったのは夜空に浮かぶ三日月だった。
「月が、綺麗……」
星の瞬く夜空に、細い三日月が、遠慮がちにはにかんでいた。
「月は優しいのさ。区別無く、誰にでも優しい光で微笑んでくれるからね」
エイラが月の黄色い光を見ながら、ポツリと呟いた。
「本当、ですね」
カシルダには夜空が笑っているように、見えた。
娼館『毒華』。
ここにも夜空の月を眺めている二人が居た。サイラスとヴァネサが最上階のバルコニーで、寄り添うように並んでいる。
「月が、綺麗です」
「あぁ」
サイラスは素っ気なく答えた。サル並みの知能でも考え事があるらしい。
「反応が寂しいです」
ヴァネサがほっぺをプゥと膨らませてサイラスを見上げてくる。夜空の下でロマンチックな雰囲気なのに朴念仁!、と思っているのだろう。足をぷるぷる震わせながら背伸びをし、うーんと両腕を伸ばし、サイラスの頬をむにっと摘まんできた。ヴァネサも背丈が低くはないのだが、二人の背丈が余りにも違いすぎるのだ。
「あんなに血だらけになって帰ってくるとは、思いませんでした」
サイラスはエイラと別れ、ヴァネサの元に無事を知らせに来たのだ。
当然服は血まみれでビリビリに破れていた。娼館の入り口から入ると間違いなく兵隊を呼ばれるので、最上階のあの部屋に直接入ったのだ。それはそれで問題なのだが。
そんな血だらけのサイラスを見て悲鳴こそ上げなかったが、取り乱したヴァネサがポロポロ涙を流しながら意味もなくアワアワと部屋を動き回ったのだ。
サイラスは怪我はないからと、何度も説明して服まで脱いで納得させたのだ。バルコニーで寄り添っているのはヴァネサを驚かせた罰だった。
「まぁ、生きてるからさ」
サイラスも悪いと思ったのか弱気だ。ヴァネサが、そんなサイラスをじろっと睨んでくる。本人は睨んだつもりだろうが、睨まれたサイラスには潤んだ目で見つめられた、としか見えなかった。
たまらずヴァネサの頭に手を当てると、自分の胸にポスンと押し当てた。
「あ、お月様が、笑ってます」
サイラスの胸に枝垂れかかっているヴァネサが薄く、儚げに笑った。
「お月様は、自由で、良いなあ」
ヴァネサが羨ましそうに月を見上げている。
娼婦である彼女に自由は無い。借金という、目に見えない鎖で繋がれているからだ。その額は十億。
貴族なら、なんとか出せない金額ではないが、見栄と血筋を重視する貴族に娼婦を正室にする変わり者は、そうはいない。側室の為にその額をポンと出せるものでもない。
しかも彼女はもう二十三歳だ。子をなすことは出来るが、それでも三人産めるか分からない。
そんな女を、高い金を出して身請けする酔狂な男はいないのだ。
ヴァネサもそれは分かっているが、先の事を考えていても気が滅入るだけだ。
今はサイラスが傍に居てくれるが、この先ずっと居る事は無いだろう。綺麗な若い子でも入ってくれば、そっちに靡いてしまうかもしれない。だから彼女はサイラスと一緒に居る今を楽しむ事にしている。
彼女の言葉には、自由に出掛ける事ができて良いなあ、という意味の他に、自由に恋をしたい、という願望も隠されているのだ。
「……そうだな」
ヴァネサの言葉を聞いたサイラスは複雑な顔をした。彼も分ってはいるのだ。どうしようもない現実を。
夜空の三日月は、二人の悲しい立場の女性にも、分け隔てなく優しい光を照らしていた。
お読みいただき有難う御座います。