第五話 カシルダ“狂気の劫火”メルカド
サイラスが突入した建物の中は、灼熱の空間だった。炎の真っただ中に突っ込んだサイラスは、呼吸を止めて真っすぐに駆けた。そして立ち向かう壁を、その鋼の筋肉で蹴り壊す。
瞬間、背後で上階から炎の塊が落下して、床に当たり大きく爆ぜた。
「っぷはぁ! あっちぃ! くそったれが!」
唾を吐き、悪態をついても足は止めない。壁の向こうは、今よりはましな程度、爆炎に包まれていた。焔がうねる蛇となってサイラスに襲い掛かって来る。
「俺を焼いても、旨かねえぜ!」
ジリジリと皮膚を焙られても、焔を剣で斬りつけ、サイラスは邪魔な壁を、鋼の筋肉で粉砕しながら突き進んだ。
「ババア! 早いとこ鬱陶しい火を消せ!」
左腕の逞しすぎる筋肉で生意気にも邪魔をする壁をねじ伏せながら、ドスの利いた声で叫んだ。
「おやおや、あれが例のカテゴリーⅤのカシルダかい? うら若き乙女が裸なんて、ギルドも随分と酷いことをするもんだねえ」
灼熱の路地を悠々と汗もかかずに涼しい顔でエイラは歩いて行く。焔は自らエイラから逃げていくように見える。右手に長い杖を持ち、白髪の尻尾を揺らしながらエイラは焔の回廊を歩いて行った。
「きゃは、また来タ! うふふ、嬉しイナ!」
灼熱の火炎の中、新たな獲物を見つけたカシルダは歓喜の声をあげた。そしてエイラも楽しそうに、口角を上げた。
嬉しそうな笑みを浮かべた人外の魔法使い同士が、対峙する。
「きゃはは!」
焔を纏ったカシルダが右手を翳し、先程と同じように巨大な火球を創りだした。それも五個。
五個の燃え盛る太陽が、狂える魔法使いの目の前に現れた。
「はん、カテゴリーⅤも、狂っちまえばこんなもんかい」
エイラは歩きながら、空いている左手の人差し指を立て、かかってこい、と挑発した。その瞬間、魔女の足元に幾何学模様がびっしりと書き込まれた青い円形の魔法陣が出現した。それは鈍く光り、エイラを蒼く浮かび上がらせている。
「ナマイキ! 燃えちゃいナ!」
カシルダが吠えると、浮かんでいた火球はエイラに向かって突進を開始した。燃え盛る音を奏でながら、五個の太陽が焔の回廊をさらに赤く染め、エイラに迫る。
「それ、いくぞ」
エイラは「エンキの鉄槌」と呟くと、右手の杖の先でトンと足元の蒼く脈動する魔法陣をついた。
突如、空に冥府の怨念の呻く様な邪悪な讃美歌が響き、人の大きさ程の夥しい数の青い水の拳が天から降り注いだ。
その水の拳の雨は、無造作に五個の火球を地面に踏み潰し、消し去っただけでは収まらなかった。青い拳が、ぐしゃりと屋根を突き破り、メキメキと壁を崩す。周囲の燃え盛る建物を全て叩き潰し、破壊し尽くしていく。
強制的に消火された炎は周辺に灼熱の霧を創りだし、触れれば爛れる蒸気を充満させていく。生きた者がいれば咽って呼吸も出来ず、起き上がる事すら出来ないであろう。死んだほうがましだと思える状況だ。
だが苦しむ声など上がらなかった。既に息をしている人間など、ここには居ないのだ。
「ふむ、やり過ぎたか?」
エイラは顎に手を添え、首を捻った。
「この! ふざけるナ!」
限界まで目を見開いたカシルダが、両手を天高く掲げた。彼女の掌の上に燃え盛る赤い魔法陣が二つ浮かび上がる。その魔方陣から二本の炎の濁流が飛び出し、空高く舞い上がって行った。その二本の濁流はクワッと口を開くと、エイラのいる場所へと落下して行く。
迫りくる異形の焔を見つめるエイラは口もとを緩めた。
「きゃはは! 死ネ!」
二匹の炎の大蛇は火の鱗を零しながら、地響きを立ててエイラごと地面に刺さった。轟々と音をたてる炎と蒸気の霧が混ざり合い、巨大な蝋燭を作り出していた。
「きゃはは! 死んダ死んダ!」
嬉しそうに飛び跳ねているカシルダの後ろから「余所見なんかしてるんじゃねえ!」と声が掛かった。
カシルダが振り向こうとした瞬間、彼女の背中にナイフが三本刺さった。
「ぎゃわぁ!」
若い女性にあるまじき悲鳴を上げて、カシルダが仰け反った。だが刺さったはずのナイフは、瞬時に液体と化してドロリと地面に垂れ落ちる。
「ナイフ程度じゃ、効かねえか」
カシルダの背後で、所々皮膚を黒くし煙を出しながらもサイラスは左手の指でナイフを弄んでいた。カシルダが怒りの形相で振り返り、サイラスを睨みつけてくる。折角の可愛い顔が憤怒に歪んでしまって残念だ。
「この、よくモ!」
カシルダは纏っている焔を真っ白に加熱し、口から炎をチラつかせた。
「あぁ、おっかねえ。怖くて嫁にゃ出来ねえな」
「馬鹿な事を言っておる場合か!」
サイラスの上空からエイラの声が掛かる。エイラは持っていた長い杖に横座り腰かけてお伽噺の魔女のように空に浮かんでいた。
「火を消せとは言ったが、俺まで巻き添えにするこたぁねえだろよ!」
「あれしきで死ぬようなら、あの血筋の資格など無いわ」
「けっ! 見ろ、びしょ濡れだ」
サイラスは剣を持っている右手を上げて、滴る水を見せていた。確かにサイラスの体はシットリとして尖った赤髪も風呂上がりのようにシンナリしていた。
「水も滴って、いい男になったろう」
「はっ、俺は元々良い男だ」
「……まったく、頭も悪けりゃ目も悪いのかい」
「冗談くらい受け流せ!」
緊張感の欠片もない会話が繰り広げられている目の前で、カシルダが唸り声を上げた。
「グギギギ……」
目の前で自らの魔法を、圧倒的な力の差で砕かれた狂気の魔法使いはギリギリと歯ぎしりをしていた。
何故だ。
狂った頭で考えていた。
「アタシは、アタシは……」
自らの短い半生を、遠い記憶から呼び出していた。
カシルダ・メルカド。
彼女はラムゼイ公国のとある村に生まれた。両親は農夫と主婦。それと兄がいた。真面目な両親の元、細々ながら、充実した日々を送っていた。
彼女に魔法の資質が見られたのは、十歳の時だった。偶々村を通りがかったマジックギルドの魔法使いが、彼女が発する強い魔力に気が付いたのだ。
両親には魔法の資質は全くない。無いにも関わらず、このように強い魔力を持った子供が生まれて来る事も、あるのだ。
その時のマジックギルドの魔法使いは、彼女と両親に公都での修業を薦めた。魔法の資質がある者の割合は高いものではない。魔法使いの絶対数は少ないのだ。それ故に資質があるならばギルドで預かって修行を、と勧めたのだ。
両親は当然費用を心配した。農夫などの収入はたかが知れているのだ。日々の暮しには困ってはいないが余裕がある訳でもない。
その魔法使いは、費用は全額ギルドで持つ。なんなら身請けの金も出すし、両親に仕送りも考える、と諦めなかった。それだけ魔法使いが貴重であるのと、彼女の魔力が強かったからだ。
カシルダと両親は少しの時間で結論を得た。彼女を公都に送ることに決めたのだ。彼女はまだ十歳で、働くには少々年齢が足りなかった。農業の手伝いはするが、大人ほど働ける訳ではないからだ。
公都に来たカシルダは、まずマジックギルドで各種特性を調査を受けた。基本的に魔法使いは魔法の属性に縛られる事は無く、全ての魔法を使用できるが、個々に得手不手があるのだ。
カシルダは火属性に相性が良かった。この時点で魔力だけならばカテゴリーⅣレベルだった。
田舎から来て鳴り物入りでギルドに入れば、当然反発する奴らも出てくる。大概は資質に嫉妬する低レベルな人物だ。だが彼女の資質は高すぎた。上級と言われるカテゴリーⅢの魔法使いも彼女に冷たく当たった。
問題を重く見たギルドの総長は彼女を直属の配下に置き、慎重に、秘密裏に教育を始めた。表だって教育をすると、バカどもがうるさかったのだ。
彼女はそれでも我慢して魔法の修行を薦めた。純粋に魔法に興味が湧いたのと、村に残した両親への仕送りもあったからだ。
そして彼女は順調に魔法を極め始めた。魔力が元々高かったことに加えて、彼女は真面目に取り組んだ。強力な魔法も使えるだけの魔力もあり、メキメキと上達していく。
カシルダは楽しいと思った。頑張れば大抵の魔法は会得出来た。既にカテゴリーはⅣを超え始めていて、近年稀に見る才能を開花させていた。だがそれは新たな嫉妬を生み出した。
本来彼女を保護すべき総長の配下たちが、自らの保身を考え始めた。いずれ彼女は自分達を抜いて、重用されるに違いないと考えたのだ。
彼女が十八歳になった時に、それは起こった。カシルダが就寝をしている時に、彼女の部屋に忍び込む者達があった。だが物音がしても彼女は起きない。彼女の食事に薬を盛った人物がいるのだ。
その者たちはカシルダを担ぎ上げると、どこかへと連れ去って行った。
カシルダが目を覚ますと、ランプが一つだけ天井にかけられた薄暗い部屋のベッドの上で、両手両足をバラバラにロープで大の字に固定されていた。腕を動かそうと思ってもピクリとも動かなかった。
彼女の周りには十人程度の人間がいた。皆頭からフードを被っていたが、性別は分かった。大半は男だが若干女も混ざっていた。
「何をするんですか!」
カシルダは叫んだ。良く思われていないのは知っていたが実力行使するとは思ってもみなかった。
「ふふ、ちょっと教育をしてあげようと思ってね」
そう言いながら近付いてきたのは女だった。ローブの膨らみが隠しようもなく性別を主張していた。口元だけ覗かせて、その女はニヤリと笑った。
「田舎娘がしゃしゃり出て良い場じゃないんだよ」
片手にナイフを持ち出し、カシルダの胸元に手をかけた。意外にもカシルダの頭は冷静だった。
彼女は魔法を使う事も考えたが、この場で使用すれば被害が大きすぎると考え躊躇していた。が、その事が仇となる。
「ふふ」
その女はニタリとした笑みを浮かべたまま、手にしたナイフで真っ直ぐローブを切り裂いていった。
「ひっ」
「田舎娘の割には、身体は綺麗ね」
胸元から真っ直ぐローブを切り裂かれ、カシルダは短く悲鳴を上げた。彼女を守る者は小さな下着しかなかった。平均よりは大きいであろう胸と下腹部が隠されているだけだ。
男の下卑た笑いが場を包むと、カシルダの顔が悔しさで歪んだ。
「この身体で誘惑でもしたのかい?」
女はナイフの刃を上向きにすると豊かな双峰の間の谷間に差し込んだ。少しだけ力を入れるとはらりと下着は切り裂かれ、柔らかい乳房がぶるんと崩れた。
男共から「おぉ」と感嘆の声が上がると、女が歯ぎしりをして「うるさい!」と怒鳴った。カシルダは恥辱で顔を背け、ぎゅっと目を瞑った。
ここに来ても彼女は魔法を使っての脱出を躊躇していた。彼女の魔力は強すぎたのだ。手加減を間違うとこの部屋を炎に包んでしまう恐れがあった。
逃げたくてもその優しさが逃がしてくれなかった。
「けっ、大したもんだね」
女は忌々しげに吐き捨てると、露わになった乳房に爪をたてるように手荒く掴んだ。
「痛っ!」
刺さるような痛みにカシルダが悲鳴を上げると、女が満足げに笑った。女は残りの下着を奪い去るために、ナイフをすすっと足の付け根へと動かしていった。
「ひっ、いやぁ!」
「総長にたっぷりと可愛がってもらってるんだろう?」
ここに居る人間は、カシルダがギルドの総長に身体を使って誘惑をしていると勘違いしていた。自らの資質はともかく、努力を蔑ろにした者達だ。
危険であったから総長に保護はされたが、カシルダは自の努力で今の力を勝ち取ったのだ。一心不乱に魔法の勉強に打ち込んだおかげで、色恋沙汰など欠片もなく身体は綺麗なままだった。
「ち、違います! 私はそんな事してません!」
「はは、嘘を付け。そうでないとお前がなぜ優遇されているのだ? 総長に大事に守られているじゃないか!」
「保護はして貰いました! でも、そんな事はしてない!」
「うるさい!」
女は最早聞く耳など持っていなかった。疑心暗鬼にでも囚われているのか、自分の考えが絶対だと思っているようだ。
周囲の男達は下品な笑いを零し、ナイフが活躍するのを今か今かと待ち受けていた。ナイフが最後の仕事をした後に待っているモノを考えると、恐怖でカシルダの背筋にゾワゾワと何かが走り抜けた。未だ純潔な彼女にとって、これ以上の姦濫は死よりも受け入れがたいものだった。
「い、いやぁ! 止めて! 止めてぇ!」
カシルダが冷静なのはここまでだった。泣き叫ぶカシルダを無視する様にナイフが残った下着に斬り込みを入れた瞬間、恥辱に染められた彼女の意識は、真っ赤な焔に包まれた。
「ぎゃぁー!」
カシルダの体から焔が吹き出し、ナイフを持った女を一瞬で炭にした。彼女を縛り付けていたロープなど瞬時に蒸発した。彼女を囲んで決定的な瞬間を待ちわびていた男達は、ブタの様な悲鳴を上げた。
赤く彩られたカシルダはゆっくりと体を起こすと体から溢れる怒りの焔でその空間を余す所なく満たし、哀れなブタ達を、断末魔を上げる時間も与えずに燃やした。
カシルダの意識は混濁していた。恥辱と怒りと悲しみに支配され、目の前の全てを燃やすことしか考えられなくなっていた。
「きゃはは。燃えろ、燃えロ! 全て燃えちゃエ! この世の全てを、燃やし尽くしてヤル! きゃはははは!」
カシルダが狂気の劫火と呼ばれた瞬間だった。