第三話 娼婦ヴァネサ
ちょっとだけR15です。
「ご足労、痛み入ります」
挨拶してきたのは見事な光沢を感じさせるスキンヘッドの老人だった。額と言わず頬や目尻にも皺が刻まれていて、糸のような細い目をカモフラージュしていた。
異様なのは右の額に大きく刻まれた紋章のような刺青だ。青い円形のそれが、折角の好爺を台無しにしていた。
彼の背後にはガタイの良い青年とローブを着た青年が静かに控えている。ガタイの良い男は武器を携帯しており戦士なのだと分かる。ローブの彼は魔法使いだろう。二人はそれぞれ鋭い目つきでサイラスとエイラを見張っていた。
「……そんなに殺気を向けられてたら、ゆっくり話しも出来ねえぜ」
殺気に妬みが籠もった睨め付ける視線にうんざりしたサイラスは、わざと飄々と軽口を叩いた。そんな様子にスキンヘッドの老人は短くため息を付くと背後に顔を向ける。
「『悪魔』と『魔女』相手では、人間では勝てませんよ」
彼の優しく語りかける言葉にも、背後の青年二人は顔に緊張を漲らせている。トドメとばかりにサイラスが睨みを効かせると、彼らの額から汗が頬を伝わった。凶悪な顔もこの様な時には役には立つのだ。
「まぁ、それくらいにしてあげて貰えませんか」
スキンヘッドの老人はにこやかな笑みで語りかけてきた。
「改めてまして、私はマジックギルドの総長をやっておりますガディウス・ラングフォードと申します。後ろの二人は護衛です。お気になさらないでください」
彼はゆっくりと、聴衆に語りかけるように言葉を紡いだ。立場上、大勢の前で話をする事が多いからだろう。だが、聞きやすい口調と声色ではあるからつい耳を傾けてしまう。そんな危険な語り口だ。
ちなみに彼は探究派だ。つまり狙われている標的の最高位だ。その割には、緊張感に欠けているようにも見える。
「面倒な事抜きで話させて貰う。俺の邪魔をする奴は全て冥府に送る。それが探求派だろうが傭兵ギルドの殺人鬼だろうが、全員だ」
サイラスはソファーに背中を預け足を組み、不遜な態度で言い放った。遠まわしに護衛を頼んでいる傭兵ギルドに対してカテゴリーⅤの人外派遣を踏み止まるように迫ったのだ。
ガディウスの背後にいる二人の顔が歪み、持っている得物に手を掛けるが、サイラスが睨みつけると手を戻した。
「ほほほ、情報が早いですな」
「……大公がお怒りだとよ」
「おお、それはいけませんなぁ」
彼は両手を広げ、大袈裟に驚いて見せた。だが彼はにこやかな笑みを浮かべているだけだ。どうやら手を引くつもりは無いようだ。
狸め、とサイラスは頭の中で悪態をついた。
「まぁ、あなた方に、迅速に処理して頂ければ、何も問題は無い訳です」
彼はやはり笑みを崩さずに嫌みを込めて答えた。サイラスは細過ぎて何を見ているのか分からない彼の目をじっと見つめた。裏の意図を推し量っているが、収穫はない。
「ガディウス。何を企んでるか知らないけど、あたしらの邪魔をするようなら、大好きな魔導探求が出来なくなるよ」
エイラの言葉にガディウスが一瞬だけ黒い瞳を覗かせたが、直ぐに細過ぎる目に戻った。
「ふふ、あなたに言われてしまうと、生きた心地がしませんねえ」
ガディウスが参ったという感じで肩を竦めた。それでも傭兵ギルドへの護衛に関しての発言は避け続けた。
「ちっ、食えねえ奴だな。で、逃げたカテゴリーⅤのカシルダって奴の居場所は分らねえのか?」
「えぇ、困った事に、まったく彼女の足取りが掴めないのですよ。私はいつ襲われるかと、ビクビクしておりますよ」
サイラスは相変わらず不遜な態度で問い詰めるが、ガディウスはその細い目で、のらりくらりと恍ける。
サイラスが言う『カシルダ』というのが地下から逃がされたカテゴリーⅤの魔法使いの名前だ。若い女性で火炎使いという事だけが知らされている。後の情報は機密なのだそうだ。
その後もガディウスに躱され続けて、面談は彼の都合で打ち切られた。
マジックギルドを出て、二人は茜色に染まり始めた賑やかな街を歩いている。そろそろ夕餉の支度が始まるのか、何処からともなく良い匂いが漂い始めた。
「ったく、収穫なしか」
「お前の嫁探しと一緒じゃな」
「ホント、口の減らねえババアだな」
「お前の六倍は生きておるからのう。その分、口も多いんじゃ」
「けっ!」
やはりエイラに言い負けて舌打ちをするサイラスだった。
屋敷に戻るエイラと別れて、サイラスは先程の毒消しと癒されに娼館へと足を向けた。
公都に娼館は数多ある。違法、合法、色々だ。娼婦も男娼もいる。その中でも公都一はどこだと聞けば、百人中九十九人は『毒華』と答えるだろう。残りの一人は、きっとそこに行った事が無いのだ。
『毒華』
その禍々しい名前からは想像できないだろうが、ここが公都一の娼館だ。店の名前の由来は「この華は、触れると中毒になる毒華だ」と昔の偉い人が行ったとかなんとか。そんな由来があってこの名前だ。実際に体験すると理解できる、と噂だ。
その『毒華』の最上階にある、店で一番の部屋では女の嬌声が部屋中に響いていた。
「くっ!」
「はぁぁ!」
ほのかな蝋燭の明かりしかない部屋の中、赤毛の男の唸り声と、その男に組み伏せられた金髪の女の苦悶の声が重なった。やがて男はごろりと寝っ転がり、力を抜きぐったりとした女を自分の分厚い胸板に乗せた。女の髪は、乱れつつも見事に広がり、金色の華を咲かせている。女は俯せになり肩で息をして快楽の余韻に浸っていた。
「悪いなヴァネサ。ちょっと荒かった」
赤毛の大男はすまなそうに語った。さらりとした感触の金の髪をかきあげて女の顔に着いた毛を払ってやっている。胸に乗せた女よりも遥かに大きな体躯を誇る男はサイラスだ。昼間の毒消しに『毒華』を訪れていたのだ。
「大、丈夫、です」
ヴァネサと声をかけられた金髪の女は背中を荒く上下させ、途切れ途切れに答えた。か細い声で今にも消え入りそうな声だった。
「痛くはないか?」
サイラスはヴァネサの頭を緩く撫でながら、いつもの彼らしくなく、心配そうな顔をした。凶悪な顔ではあるが、一応表情はあるのだ。
「ふぅ……大丈夫、ですよ?」
ヴァネサは顔を上げ茶色の瞳をサイラスに向けてニコっと微笑んだ。元々が下がり気味の細い眉で儚げに見える顔つきなのだが、優しい微笑みを浮かべるとさながら薄幸の美女という顔になり、男共の保護欲を掻き立てるのだ。サイラスもそれに嵌っている一人だ。
ヴァネサ・シェルテル。サイラスより一つ年下の二十三歳だ。
元々は遠い国の貴族令嬢だったが、色々とあり、流れ着いたのがここラムゼイ公国の公都だった。
ここに来るまでに人には言えない事もあったろうが『毒華』にきて三年、今やこの店の一番だ。一番故にその価格は高価で、主な客は貴族達だが、特別彼女を贔屓にしているのはサイラスだ。
見事なハニーブロンドと、下がり気味の細い眉が彼女を儚げに見せる。どこか愁いのある笑顔に貴族が嵌るのだ。元々貴族令嬢であり、教育もされている上に美貌があれば一番人気になるのは当然と言える。
彼女を買うと二時間で十二万ゴールド、一晩で三十五万ゴールドだ。サイラスは必ず一晩を買う。ちなみにエール一杯は三百ゴールドだ。ヴァネサは二時間でエール四百杯分の価値がある高級娼婦だ。
「今日は、予約じゃないのに来てくれたんですね」
サイラスの胸板に額を付けながらヴァネサが呟いた。その顔は嬉しそうな笑みを浮かべていたが、サイラスに見せないように顔を伏せていた。
「マジックギルドで逃げ出したくなるような女どもに会ったからな。お前で解毒しようと思ったんだ。偶々お前が空いててよかったよ」
サイラスは彼女の艶やかな金色の髪を指で弄びながら、うんざりした顔で答えた。本当に、心底うんざりしたのだ。
「……予約は入っていたけど、体調がすぐれないからと断ってしまいました」
ヴァネサは顔を隠したまま、ペロっと舌を出した。
「なんだよ、調子悪いなら先に言えよ」
サイラスは、おいおい、とため息を零した。
『毒華』の一番の上客はサイラスだ。他の客に貴族がいるとはいえ、サイラスの落とす金額が桁違いだからだ。ただ当の本人は、そうは思っていないようだ。自らの顔のせいもあるのだろう、単にヴァネサを買う客の一人と言う認識しかない。
「大丈夫ですよ……あなたといる方が、楽しいですから」
後の方の小さな囁きは、サイラスの耳に届いているかは分らなかった。
「さて、汗を流すか」
「用意は出来てますよ」
サイラスはドカドカと奥の扉に向かって歩いていった。
ここは店一番の部屋だ。風呂でも酒でも何でも揃う。ただ、サイラスが寝ても問題ない規格外サイズのベッドは自らが用意した。彼が三人寝ても余るほど巨大で、完成品は持ち込めないのでこの部屋で造ったという逸話付だ。
サイラスが浴室に入れば奥には大きな桶に並々と湯が張られていた。暖かそうに揺らめく湯気とうねる水面の波が、沸かしたてだ、と主張していた。ここは店の最上階でもあり、流石に大きな浴槽に湯を張る事は出来ない。その代りに魔法を使って湯は際限なく出る様にしてある。
彼が桶の前にドカっと座れば後ろからヴァネサが扉を開けて入って来た。
「お体を流しますよ」
ヴァネサは布や石鹸などが入った小さめの桶を持っていた。
「あぁ、頼む」
ヴァネサの身の丈は小さい方ではないが、サイラスが座っていても彼の頭が肩くらいまで来る。
彼女は栄養が足りているか心配なくらい痩せているが、大きく湾曲した彼女の女としての主張は、見事なものを誇示している。世の女性が羨む体つきだ。
「お前、また痩せたな。肉食えって言ったろ?」
筋肉の隆起した腕を布でコシコシと洗っているヴァネサの身体を見たサイラスが口を曲げた。
「食べてますよ。嬉しい事に、誰かさんが頻繁に来て下さるから、体力の消耗が激しいだけです」
サイラスの身体を白い泡だらけにしながら、ヴァネサは口を尖らせた。元貴族令嬢だ、皮肉を込めてやり返すだけの知性はある。だが嬉しいのは本音だ。
「本当か?」
「本当ですよ」
訝しむサイラスに、ヴァネサはニコリと微笑む。その儚げな笑みを見るとサイラスも黙ってしまう。
「まぁ、いい。ほら洗ってやる」
泡だらけのサイラスが腕のをばし、ヴァネサから布をひったくった。
「いいですよ、恥ずかしいから」
「いいからこっち来いって」
「やぁん」
なんだかんだでサイラスの腕力でヴァネサも泡だらけにされてしまうが、この二人はいつもこうだ。
「今日は何にしますか?」
湯を浴びた後、絹のネグリジェに着替えたヴァネサがグラスと氷を用意している。サイラスが飲むのは強めの火酒と決まっているが念のために聞くのだ。
「水で良い」
ソファに凭れ掛かってるサイラスが右手を挙げて答えた。いつもなら火酒を一瓶は空けるのだ。
ちなみにサイラスは一晩で一回しかヴァネサを抱かない。湯を浴びれば後は酒を飲んで話をして寝るだけだ。サイラスの目的は女を抱くというよりもヴァネサと一緒にいるという事の方が強い。それもヴァネサの身体を休ませるというのが本音だ。
娼婦は一晩で複数の男を相手する。高級娼婦のヴァネサとて例外ではない。当然身体は疲弊するし体力も消耗する。夜に十分な睡眠をとれる訳ではないから、当然寝不足で体調も崩しがちになる。だからサイラスは一晩買うのだ。
「あら、どうしてですか?」
「悪いけど、邪魔するよ」
突然、部屋の物陰から白髪頭のエイラが影から湧き出たようにヌルッと出てきた。
「ほら来た」
横目でエイラの影を認めたサイラスが呆れ顔で天を仰いだ。何処から入ったとか、何時からいたとか、この人物に聞く事は意味がない。何処でもいるし、何時でもいる。
「おばば様!」
突然のエイラの訪問に驚いたヴァネサが、持っていたグラスを落としそうになった。当然の反応だ。
「ほほ、久しぶりだね、ヴァネサ。元気にしてたかい?」
微笑みながらエイラはゆっくりとヴァネサに向かって歩きだした。
「はい。サイラスのおかげで、何とか」
ヴァネサが驚きつつも笑顔で答える。勿論男なら抱きしめたくなる薄幸そうな笑顔だ。
「この馬鹿には働かせるだけ働かせて、たんまり貢がせれば良いんだよ」
ジロリと一瞥し冷たく言い放つエイラにサイラスは「ヒデエ言い方だな」と苦情を申し立てる。「稼いだ金の八割方はヴァネサに貢いでおろうが」とエイラに事実を言い当てられ、サイラスは舌打ちをし、沈黙した。エイラには口喧嘩では勝てないのだ。
「ふふ、変わらず仲がよろしいですね」
ヴァネサは楽しそうに笑った。
「ヴァネサ。これを渡しておく」
エイラが懐から取り出したネックレスをぐいっと差し出し、彼女に手渡した。四角いプラチナ片の真ん中に四角い小さな赤い宝石を埋め込んだ物をプラチナの鎖で繋ぎ合わせた物。埋め込まれた赤い宝石の内部は、炎が燃えている様な陽炎が見える。当然エイラ特製品であり、普通の物ではない。
「え……おばば様? これ、凄く高そうですけど。おまけに、光り輝いてます。凄く綺麗……」
無理やり手渡されたネックレスを見て、ヴァネサはそれとエイラの顔を交互に見ている。どうしたら良いのか分からないという顔だ。
「良いから、常に身に着けておくんだよ。常に、だよ。いいね」
エイラは睨みつけるようにして念を押した。大事な事は二回、言うのだ。
「貰っておけって。どうせ暇を持て余して作ってるだけだ」
意外にもサイラスから援護が飛んできた。彼とて何かの理由があってソレを渡すのだという事は分っている。が、言葉に毒を籠めるのは忘れない。
「やかましい。趣味と実益を兼ねておるわ」
「はっ、どうだかな。歳食いすぎてボケて来てんじゃねえのか?」
「ピチピチのババアに、何を言うか」
「パサパサのババアの間違いだろ?」
「何たる言いぐさ! 先程など優しそうな好々爺に、六十歳に間違えられたのだぞ。九十歳も若く見られたわ!」
「それをピチピチとは言わねえ!」
「なんじゃと!」
相変わらずの言い合をしている二人を他所に、ヴァネサは少し考えて「……はい、ありがとうございます」と儚げに微笑んだ。
「で、閨の現場に来てまで何の用だ」
言い合いも収まったのかサイラスはエイラに向かって真面目な顔で詰問をした。用が無ければ情事の覗きにでもきたのかもしれない。だがエイラに限ってそれは無い
「サイラス。カテゴリーⅤの塒が分った」
それを聞いたサイラスの凶悪な顔が、喜びの笑みで邪悪に歪んだ。
お読みいただき有難う御座います。