人攫いの結末
プロローグです。
「いち、にい、さん……」
体に纏わりつく湿気と鉄の臭いが溢れる異様な空気の中、壁に差し込まれた松明の明かりが赤く染まった岩肌に男の容姿を映している。その影は身の丈には不似合いな程長い剣と、圧倒的な筋肉を誇示する輪郭を描いていた。
男は右手と左手で指折り数を数えているらしく、左が十の位、右が一の位であるようだ。左手は親指と人差し指を曲げ、右手の指は折っては伸ばしを繰り返している。隣にはそれを黙って見つめる目が二つ。
「三十五だ」
男は右の口角をあげると脇に立っている別な細身の男に数を伝えた。その細身の男は、数を数えている男よりもずっと背が低い。頭が肩にも届いていない。
細身の男は、ふぅ、と小さく息を吐いた。
「ひとり足りないな」
抑揚のない声をあげた。
「あぁ?」
「情報では三十六人だった」
「チッ、くそったれが」
剣を背負った男は低い声で凄むと、壁に差し込まれている松明をひったくるように掴んだ。松明が照らしたのは短い赤毛を天に突き出したハリネズミの様な頭をした、強面の青年だ。
男らしい太い眉、鋭い赤い目、形の良い鷲鼻、薄い唇。一つ一つのパーツは整っているが、残念な事にやや角ばった顔に当て嵌めると、精悍ではあるが凶悪なモノになるようだ。極めつけは右目を斜めに横断する傷跡だ。視力には影響が無いようだが、頬まで繋がっているその傷はその人物が正しい人生を歩んでいない事を物語っている。
その赤毛の男は灯りが届かなかった闇に松明を掲げた。灯りは血塗れの地面に転がる、左と右に分離した二人分の人間だったモノを照らしている。無言の躯は防具諸共見事なまでに二つに捌かれていて、斬り伏せた相手のありえない暴力を教えてくれた。
「ここにある」
ニヤリとした笑みを浮かべ「三十六だ」と告げた。
「ご苦労だったなサイラス」
黒い外套の細身の男は顔を別な方に向けながら労う。彼は注意深く周囲に視線をやり、何かを探している。
「ったく、こんな雑魚で俺を呼ぶなよ」
サイラスと呼ばれた赤髪の男は足元に転がっている人間だったモノを蹴り飛ばした。不本意にも飛ばされたモノは残像を残して壁に当たり汚い花を咲かせた。
「死者は丁重に扱ってやれ。例えそれが悪党でもな」
細身の男が口の端に咥えた細い葉巻をくゆらせながら歩きはじめた。
しなやかな細身だが顔には中年に差し掛かった痕跡が散見される。艶のある見事な黒髪を油で撫でつけて後ろに流し、清潔感を保つ程度の長さに切り揃えられた髪は豊かな生活を送っていると感じさせた。
事実、身に纏っている黒い外套は凝った青い刺しゅうを施された、見るからに高価そうな品だ。
真っ直ぐ前を見つめる紫色の瞳は何の感情も宿していない。男は鉄の臭いが充満する空気を吸い、大量の凄惨な死体を見たのにも関わらず、だ。
その性格を表すかのように顔つきも整ってはいるが怜悧なモノであった。若ければ婦女子が放っておかないであろう顔ではあるが、表情は無い。
「お偉いさんは違うねぇ。さすが伯爵様だ」
サイラスは手を広げ軽口を叩き、男に続いて歩き始めた。二人の足はとある場所へ向かっている。
「お前だって一応貴族だろう。ガーランド辺境伯の御子息のサイラス様」
「はっ! 所詮田舎の貴族さ。ちょっぴり知恵のついた、サルだよ」
「サルと言うには育ち過ぎだ。残念だが、栄養が頭には回らなかったようだな」
細身の男の煙を吐きながらの嫌味にサイラスは「ぷっ」と吹き出し「巧い事言うな」と肩を揺らした。だが「自覚はあるんだな」と追い打ちが来ると「うるせぇ」と不機嫌になる。
二人は貴族であるようで、しかも会話から推測するにそれなりに付き合いは長いようだ。細身の方はともかく、サイラスの方はとても貴族らしからぬ言動だ。
「おー。いるいる」
サイラスは今しがたの戦闘があった事など微塵も感じさせない、間の抜けた声を上げた。
二人が歩み止めたのは鉄の棒が林立する広い空間だ。ここには先ほどの鉄の匂いが満ちた気配ではなく、様々な体液の混ざり合った吐き気のする不快な空気に支配されていた。
「胸糞わりぃ」
鼻を突く臭いにサイラスが眉を寄せ吐き捨てるようにぼやく。ここで何が行われていたかなど、想像するのは容易い。彼は人は殺すが、意味のない無駄な殺しはしない。女は買うが、このような事は、しない。
鉄の棒で区切られた中には、粗末な布を身体に引っ掛けている、としか見えない女性達が身を寄せ合い、怯えた目で二人を凝視してきていた。
「間に合った様だな」
伯爵と呼ばれた細身の男は女達を確認し咥えている葉巻をギリッと噛みしめると、踵を返してもと来た道へと帰って行った。無表情だったその顔に、薄らとだが怒りの欠片が覗いていた。
「今出してやるから。ちょっと待ってろ」
サイラスは怯える彼女達に一声かけると、背中の黒い長剣を持ち出し、鍵を一つ一つ丁寧に叩き壊して回った。
剣が怖いのか彼の顔に怯えたのか、助けると言われても彼女達は奥へと逃げ、寒さを凌ぐために身を寄せ合う動物ように一か所に固まって身を縮めている。
サイラスはそんな事はお構いなしに鍵を壊し続けた。
悲しいかな、女性に避けられるなどサイラスにとって日常極当たり前なのだ。それがどうしたと言わんばかりに黙々と鍵を壊し続ける。
「これで最後だ」
全ての鍵を壊したことを確認すると、サイラスは満足そうな、だが傍から見れば凶悪な笑みを浮かべた。この男の不遇な所だ。
長剣を背中に戻すとさっと手を上げ、伯爵の後を追い掛けていく。
檻の中の彼女たちは訳が分からず、ただ茫然とその背中を見つめていた。
洞窟の様な岩のトンネルを、松明の明かりを頼りに二人は歩いていく。何処かに人がいるのか、ざわついた音が響くはずの二人の足音を消していた。
「セスラヴィンスキー伯爵!」
騒々しい音を立てて細身の男に駆け寄って来たのは、鎧を纏った騎士だ。鈍色のプレートで武装した男だが、この男の背丈もサイラスの肩にも届いていない。騎士であれば体格もそれなりであるはずだ。
騎士は気になるのか視線を動かしてサイラスをちらっと見上げた。騎士ですらサイラスの胸に届くかと言う身長だ。騎士が小さいのではない。サイラスが異常だった。
彼は身の丈二百四十センチを超える身体に鍛え上げられた筋肉を見せびらかすように防具など何もつけず、動きやすいそうな紺色のシャツに黒いズボンというラフな出立だ。
とても戦闘をする格好ではないが、彼が築き上げた屍は三十六。しかし負った傷は、なし。
そう、彼は特殊なのだ。
「あぁ、終わったぞ。彼女達は奥に囚われていた。助けてやってくれ。それと中の検分と片付けを頼む」
「ハッ! 承知いたしました!」
騎士は短く了承を伝えると「行くぞ」と声をかけ部下を連れて鉄臭い岩の隧道へ駆けて行った。
ラムゼイ公国の公都にあるセスラヴィンスキーの屋敷の、応接間と言うに相応しい調度品で整えられた部屋にサイラスとセスラヴィンスキーはいた。格好だけは何とか貴族に見えるサイラスが寛いでも良いとは思われないほど繊細で豪華だな部屋だ。
「で、今回の報酬は?」
肘掛け付の椅子に腰かけドカッとテーブルに足を放り出したサイラスが、男の使用人に外套を渡しているセスラヴィンスキーに声をかけた。礼儀作法という言葉はこの男には無いのかもしれない。
「一人当たり一万ゴールドだ」
優雅に椅子に腰かけたセスラヴィンスキーが足を組み冷たく言い放つ。
「はぁ? 約束じゃ一人三万だろうよ! ったく、しけてんなぁ。三十六万じゃ一晩しか楽しめねえ」
それに対してサイラスは額に皺をよせ不満をぶちまけた。
ラムゼイ公国は五つの国が集まって形成されているウォーラム連邦国家の内の一つだ。農業と繊維業を柱とした比較的穏健な国家で、連邦国家の食料庫となっている。
そんな穏健な国でも人攫いや殺人などの犯罪は日常茶飯事だが、これでも周辺の街や村に比べればこの公都は平和な方だ。穏健なだけあり騎士は数十人、軍も一万人いない、小さな国家だ。
サイラスが行ったのは騎士や軍が手におえない犯罪に対する最終手段だ。名前を変えれば処刑、もしくはゴミ掃除ともいう。
「あれを雑魚と言ったのはお前だ。雑魚に金は出せん」
無表情だが勝ち誇ったように言い捨てる伯爵にサイラスはチッと舌打ちし顔を顰めた。自らの発言に付け込まれたからだ。
「こんなのはギルドにでもやらせろよ」
サイラスは口を歪め愚痴る。憤慨遣る方無しと言う感じだ。
ギルド。
所謂組合だ。商人や職人は当然の事、傭兵、魔法使い、果ては暗殺者ギルドまで存在する。暗殺者ギルドは表に出てくる事は無い組織ではあるのだが。
傭兵ギルドとは依頼があれば受け、それを完遂させ報酬を得る戦闘集団だ。戦士、剣士、魔法使い、腕に自信のある奴か訳あって騎士団を追い出された騎士などが所属している。
サイラスはそこにぶん投げればいいだろうと言ったのだ。
「とある有力貴族が絡んでる。表沙汰には出来なかった」
セスラヴィンスキーは気品溢れる流れるような動作で足を組み替える。向かい合う二人が同じ貴族とはとても思えない。野獣と紳士だ。
「どうせ大公からの依頼なんだろ? ケチくせぇ事言うなよ」
大公とは、ラムゼイ公国の支配者であるウォーレン=ラムゼイ3世のことだ。この国は彼を頂点とした王政が布かれている。
サイラスに来る依頼は基本的に騎士、軍、傭兵ギルドの手に負えない厄介なモノだ。逆に言うとサイラスはそれらよりも強力であると言える。そんな厄介なネタを運んでくる依頼主は大抵が大公なのだ。
「昨日も報酬を受け取ったろう」
セスラヴィンスキーはナイフで葉巻の端をフラットに切る、傍にある蝋燭の炎にシダー片を入れ、火を点けた。貴族として年齢を重ねているだけあって動作はイチイチ優雅で隙が無い.
「んなもん女を買うために決まってるだろ。それ以外に何がある?」
サイラスは片方の眉を吊り上げ、さも当たり前だと言わんばかりの顔でセスラヴィンスキーを睨みつけた。強面の顔が凄めば恐怖をまき散らす顔に変貌する。だが見慣れているセスラヴィンスキーは動じる事は無かった。
凶悪な顔を見せられても一ミリも表情を変えずに「ヴァネサか……」と煙をくゆらせる。
「おうよ。公都一の良い女だ」
自分の女とでも言いたげなニヤケ顔のサイラスに、セスラヴィンスキーは背もたれに寄りかかり大きく煙を吐いた。
「お前の父親からは、結婚相手を探してくれと頼まれているのだが」
「はは、この顔を怖がらねえ貴族令嬢にお会いしてみたいもんだな! はははっ!」
サイラスは椅子の上で仰け反って大笑いした。
事実、彼の顔を初めて見た令嬢は、固まってしまうか無言で後ずさるか、ひどい場合はその場で口から泡を吹いて倒れた。
セスラヴィンスキーは額に手を当てて俯く。肩を揺するほどのため息をつき、その精悍な顔に苦労を滲ませていた。サイラスの場合、顔は元よりその素行にも難があるのだ。
傍に控える使用人は、なんとも対照的な二人だと思っている事だろう。それを口に出さない彼は有能だ。




