閑話 カシルダの魔女修行
あたし、カシルダ・メルカドは、魔女エイラの弟子になりました。
師匠の朝は早いです。夜明け前には起きています。お年寄りだからかな、って思ったら睨まれました。師匠はつり目気味で、睨むと凄い怖いんです。普段は凛々しいお婆ちゃん、という感じなんですけど。
あたしは日が昇るくらいに起きます。師匠は早く起きろ、とは言いませんでした。あたし、甘えてますね。
朝は体を解す運動から始まります。これが結構キツいんです。ギルドに居た時は運動なんてしてませんでした。運動する場所もありませんでしたけど。
体を曲げるだけでヒーコラしてるあたしの横で、足を直線に開脚してペタンと座っている師匠がいます。年齢にして百三十年程若い筈のあたしが、完敗しました。
「体が固いと、魔術が失敗した時に逃げられないからね」
師匠の言葉は重いものでした。
ギルドでは安全を確保してから魔法を練習していました。それに比べれば厳しいです。でも実際に魔法を使う場面では、安全を確保なんて出来ないですよね。師匠は実際に使用する状況を考えてるんです。ギルドの実践派よりも実践的です。
運動が終わると、朝食になります。このお屋敷は使用人がいて、食事を用意してくれます。ただ師匠は「女たるもの料理くらい出来るべし」と言います。あたしは正直苦手です。
ギルドでは食堂があって、そこで食事をしていました。勿論、食事を買う訳ですが。
ですので、お昼は自分達で料理をする事になりました。魔法の修行よりもキツいです。泣きそうです。
「お前もいずれは伴侶を見つけるんだ。その時の修行だと思っておけ」
師匠はそんな事を言いますが、あたしに伴侶とか、想像出来ません。
朝食が終わると瞑想をします。これは魔力の効率を上げる為なのだとか。ギルドでは聞いたこともない話です。
魔法とは、内にある魔力を変換して発動させるものです。魔法は難しくなる程、必要な魔力も多くなります。魔力の効率を上げるというのは、魔力の変換率を上げる、と言うことになります。
具体的に言いますと、同じ魔法を少ない魔力で発動させることが出来るようになる、と言うことです。また、同じ魔力でも魔法の威力が高くなります。良いことだらけです。
でもあたしは瞑想が苦手です。胡座をかいて目を瞑ると、あの事が、瞼の裏に浮かんでくるのです。
光るナイフがあたしを陵辱し、侮蔑の目があたしを取り囲むのです。耐えられない恥辱で、無意識に拳を握りしめてしまいます。そんな時、師匠がそっと頭に手を乗せてくれます。
「無理に続けなくとも良い」
師匠はあたしの記憶を見たかのように、優しい声を掛けてくれます。頭に乗せた手からは、なんだか暖かい魔力が伝わって来るんです。
その魔力が体中を駆け巡って、あの忌まわしい記憶を駆逐していきます。自然と手の力も抜けていきます。
「ありがとう、ございます」
「辛かろうが、時が解決するのじゃ」
師匠は、ぽんぽんとあたしの頭を叩きました。故郷のお母さんを思い出して、目の奥が熱くなりました。
「のぅカシルダ。落ち着いたら、故郷の村に無事を知らせに行こうな」
暖かい師匠の言葉に、あたしはポロポロと涙を零してしまいました。ギルドでは、こんなに優しくして貰ったことは無かったからです。
「ありがとう、ございます」
あたしはこの言葉を言う事しか出来ませんでした。師匠、あたし、頑張ります!
お昼を作る事は戦争でした。包丁を使えば指を切り、食材に爪が混ざり、料理が血で赤くなりました。これくらいの怪我は魔法で治してしまいます。
「魔法使いとしては一人前じゃが、女としては落第じゃな」
師匠の厳しい言葉が襲ってきますが、事実なので反論出来ません。
「よく言うじゃろ、男の胃袋を掴め、と」
「は、はい!」
師匠はあたしを、一人前の女にもするつもりのようです。こっちの方が難しいんじゃないかと思うんですけど……
とても美味しいとは思えないお昼を、何故かサイラスさんも食べます。
彼の怖い顔はまだ慣れません。あの顔を見ると足がカクカクしてしまいます。チビってしまいそうです。
「なんで俺が」
と言いつつも、彼は凄い速度でお皿を綺麗にしてくれます。味わっているんでしょうか?
「……塩が足りねえな」
布巾で口を拭きながら、論評もくれます。確かに塩と砂糖を間違えた、失敗スープです。スプーンを口に運んで自分で食べても、美味しく無いです……
「作って貰えるだけ、ありがたいと思わんか」
「こんなのを食わされるんだぞ? ありがたいと思えるかよ」
「この罰当たりめ!」
「けっ!」
師匠とサイラスさんの言い合いは、聞いているだけで怖いんです。いつ殴り合いになってもおかしくない、殺伐とした言い合いです。でも何時もサイラスさんが言い負けます。不思議な信頼関係です。
あたしが師匠の後を継ぐと言う事は、サイラスさんとも張り合わなければいけない訳です。
……無理です。怖すぎます。顔を直視出来ません。
「アヤツも、慣れれば害はないぞ」
「慣れなきゃ、害があるんですか?」
「あの顔を夜中に突然見たら、どうなる?」
「倒れます、かね」
「じゃろ?」
今更ですが、あたしはトンでもない所に来てしまったようです。
午後は、お庭で師匠から魔術を教わります。ギルドでちゃんと学んでいたから魔法の修行は無用、と言われました。魔術は魔法と違って魔力のみに頼る訳ではなく、神の力を分けて貰うんだとか。神様って、いるんですね。
先ずは杖に乗って空を飛べるようになるのが、あたしの目的です。
「あの、あたし、杖を持ってないんです」
「そんな事もあろうかと、用意してある」
師匠は事も無げに話してきます。師匠が、指をパチンと鳴らすと、あたしの目の前に、赤く長い杖が落ちてきました。師匠の黒い杖とお揃いの形です。長さは、あたしの身の丈程もある、長い杖です。
拾い上げてみると、結構ずっしりと重い杖です。杖の両端にある赤い石も、燃えるような焔の色で凄く綺麗です。
……なんだか、石の中に焔が揺らめいて見えるのは気のせいでしょうか? 気のせいですね、きっと。
「ちょうど良さげなのがあったわい」
師匠は楽しそうにニコニコ笑っています。本当に楽しそうです。でも悪い顔をしているように見えるのは、気のせいでしょうか?
「お前の得意な属性に合った『劫火の杖』じゃ。この世を焼き尽くす劫火、じゃな」
師匠はさも楽しそうに、さらっと怖い事を言います。この世を焼き尽くすんですよ? なんか黙示録ぽいです。
「師匠は、楽しそうですよね」
師匠はあたしの質問に対して「当たり前じゃわい。好きだからこそ、こんなにも長い間、魔術に携わっておるんじゃ」と言われてしまいました。
御尤もな答えを貰って「す、すみません」と委縮してしまいます。
「じゃ、杖を浮かそうかの」
そう言いながら師匠は杖を横倒しにしました。そこで手を離すと、杖は宙に浮いています。あたしには何をしたのかも分かりません。だって何も唱えてないんです。
「凄い!」
「『エンリルの羽』という魔術じゃ」
エンリル、という風の神様の力を、ちょっぴりだけ分けて貰うんだそう。
意味が分からない。どうやら根本的な部分で魔法と違うみたいです。
「まずは、神にお前を紹介せねばいかんな」
ニヤっという笑みを浮かべて、師匠は私を見てきました。いやな予感しかしません。
師匠が、パンッと手を叩くと、あたしの足元に黒い魔法陣が出現しました。黒が脈動して光っています。気持ち悪い感じです。嫌な予感がビンビンしてます。
「あの、これって……」
「そら、行っておいで」
あたしの視界が切り替わる直前に見たのは、師匠の、ちょっと意地悪な顔でした。
視界が変わった先には、大きな竜巻がありました。その他は真っ暗で、先が見えません。音もしません。
ここ、どこでしょう?
「ほう、人間が来るなぞ、ここ百年はなかったな」
どこからか声がします。なんとなく、目の前の竜巻から聞こえる気が、します。竜巻がしゃべるなんて、ないですよね?
「あ、あの。もしかしたら竜巻さんがしゃべって、いるのですか?」
「うむ。私はエンリルという」
目の前の竜巻さんはエンリルって名前だそうです。師匠がさっき話をしてくれた風の神様の名前です。もしかして、本物、なんですかね?
ていうか、ここ、どこですか?
「む? お前は、どちらかというと、ゲルラの方が相性が良さそうだな」
なんだか名前が増えました。ゲルラ、ですか?
そんな事を考えていたら、目の前に巨大な炎の柱が現れました。竜巻さんと同じくらいの大きさです。すっごい大きいです。轟々燃えてます。
「なんだエンリル、呼んだか?」
「うむ、呼んだぞ。そこな人間はお前の方が似合いそうだ」
「ほう、人間が来るなぞ、ここ百年はなかったな」
同じ事を言っています。そんなに珍しいんでしょうか?
「お前の名前は、何という」
炎の柱さんから声が聞こえた、気がしました。竜巻さんとは声が違うので、多分合ってます。
「カシルダと、言います」
聞かれた以上、答えておかないと。師匠がここに送り付けたって事は、何かあるに違いないんです。真面目にやらなきゃダメですよね。
「ほぅ、カシルダ、か」
「おぉ、なんぞ面白そうな事をしているな」
「む、エンキか」
……また増えました。今度は巨大な水柱さんです。エンキ、という名前の様です。こうなるともう、なんでも来い、です。
嘘です、怖いです。
「あら、楽しそうな事してるじゃない?」
「イシュタルか。何しに来た」
「だって、あんた達が集まってるなんて、珍しいもの」
今度は緑色の光です。意味が分かりませんが、緑色に空間が輝いてるんです。もう何が何だか分かりません。
「この人間はカシルダ、と言うようだ」
「へぇ、随分久しぶりね」
「エイラ以来、だな」
あら、師匠の名前が出ました。どうやら、お知り合いみたいです。流石が師匠、顔が広いです。
「あの、エイラは私の師匠、です……」
あたしが師匠の事に言及すると、神様と思われる方たちは、声を揃えて「ほぉ」と言いました。仲良しなんですね。
「なるほどな、エイラの弟子か」
「じゃあ、来るわね」
「我らに紹介、という事だな」
「はは、懐かしいのぅ」
もう誰が誰だか分かりません。
「私はエンリル。風を司っておる」
「私はゲルラ。火を司っている」
「私はエンキ。水を司っている」
「私はイシュタル。命の理を担っている」
えっと、頭がついていきません。エンリルさんにゲルラさんにエンキさんにイシュタルさん、ですね。ふぅ、覚えるのも一苦労です。
「良かろう、我が風の力を貸してやる」
「お前はなかなか見所がある。我が火の力、楽しみにしておれ」
「我が水の力、ツマラヌ事に、使うなよ?」
「我の命の理に触れる事を、許可しよう」
えっと、力を貸してくれるそうです。
「あ、ありがとうございます」
よく分からないけど、お礼はしておかないとダメですよね。
「他の奴等にも伝えておいてやる」
「偶には来い、とエイラに伝えておけ」
師匠に言伝です。ちゃんと伝えないと。
「はい、分かりました!」
「ではまたな。ハハハ!」
空間に笑い声が木霊すると、あたしはいつの間にか、お庭に戻ってきていました。目の前の師匠の顔は、最後に見た時と同じ、意地悪な顔をしています。
「おかえり、どうだった?」
「えっと、偶には来いと、言っていました」
「そんな事じゃない。力は貸して貰えたか、と聞いたんだ」
師匠は呆れた顔をしました。あちゃー、弟子失格ですね。でも答えないと。
「えっと、力は貸して貰えるようになりました。それでゲルラさんと相性が良い、とか言われましたけど……」
あたしがそう話をすると師匠は、思った通り、という顔をしました。
「はは、お前は火と相性が良いからな。結構結構!」
師匠は、にっこりと笑いました。
「これで、魔女への第一歩を踏み出した訳だ」
師匠はあたしの腰をバシバシと叩きました。師匠はちんまいですから、肩には届かなかったみたいです。ちょっと痛かったけど、師匠は満面の笑みでした。あたしも何だか嬉しくなりました。
「はい、よろしくお願いします!」
あたしが初めて杖で宙に浮いたのは、それから一週間後の事でした。
お読みいただき有難う御座います。




