第八話 見習い魔女
『狂気の魔法使い編』最終話です。
翌朝、太陽もすっかり姿を現した頃、レオナが愛用のレオナハンマーを抱え、ニコニコしながらサイラスの離れに歩いてきた。レオナは鼻歌交じりで、お気に入りの赤いワンピースのスカートをフリフリと揺らしている。
「さあ、今日も一日が始まるのだ!」
レオナは跳ねっ返り気味の黒髪を揺らしてサイラスの部屋に入り、何時ものようにベッド脇に立った。
標的は毛布をしっかり頭まで被っている。ニヤリと悪い顔をしハンマーを振りかぶったその時、レオナの視界には何時もと違った物が入った。毎日見る赤い髪ではなく、やや金が混ざった長めの赤い髪だと気がつく。
よく見れば体も随分と小さいし、何より胸のあたりの盛り上がりがサイラスのそれでは無かった。
「むー?」
不信に思ったレオナは咄嗟に毛布をはぐと、そこには見たこともない若い女性が静かな寝息を立てて気持ちよさそうに寝ているのだ。
「デ、デクノボウが、女に、女になっているのだ~!」
レオナの可愛らしい叫びが、爽やかな日が射す屋敷に木霊した。
居間には、ハンマーを大事に抱えているレオナと平然としているエイラに居心地が悪くて俯いているカシルダが、それぞれ椅子に座っている。カシルダはゆったり目のローブを着ていた。サイラスしか住んでいない屋敷に女物の服など無いのだ。
昨晩は遅かった事もあって部屋の片付けなど出来なかった。空き部屋はあったのだが、サイラスの、なんだか分からない武器やら不気味な骨などごちゃごちゃで、人が寝られる環境ではなかった。だからカシルダをサイラスのベッドに放り投げて寝かせたのだ。サイラスはヴァネサに捕まって朝までは帰ってこないと予想されたから、というのもある。
エイラもカシルダも使用人が出してきた紅茶にも手を付けていない。そんな胃がきしむような無音の中、エイラがボソリと「弟子をとった」と話し始めた。
「おねーさんは、エイラおばあ様の、おデシさんなのですか!」
レオナは驚いて目を丸くしている。何の話も無かったから驚くのは当然だ。
「うむ、昨晩にな。のう」
「あああの、はい」
レオナに詳細を話したところで理解など出来ないだろう。だからエイラは要領の得ない話し方をした。そしてカシルダもいきなり話を振られてどう答えて良いか分からない。カシルダは不安から背中に汗をかき始めていた。
「そうなのか!」
レオナはそんな二人の心境などお構い無しに、ニパッと笑うと「では、おかあ様にホウコクしてくるのだ!」とトコトコと母屋に走って行ってしまった。
「あ、あの。あたしなんかがいて、良かったんですか?」
カシルダは怖ず怖ずとエイラに尋ねた。
彼女の髪の毛は金髪であった。だが巨大な赤い獅子になった事が原因なのかは分からないが、金に赤味が入った、燃えるような赤い金髪になっていた。クリムゾンブロンドとでも表現すれば良いのだろうか。
その髪を、エイラのように頭の高い位置で一つに縛っていた。そして髪に引っ張られるように、ややつり目気味の目になっている。師弟揃って同じ髪型で、顔付きまで似ていた。
「隠す事ではない。お前は私の弟子なのだ。堂々としておれ」
「は、はい」
公都のマジックギルドに居たとは言え、カシルダは元々農夫の娘だ。貴族の屋敷など入った事は無いし、会話した事も無い。居心地の悪さは想像を超えていた。
だが、魔女エイラの弟子であるのが夢でないと分かると、カシルダにも嬉しさが湧き出てきて笑みも零れた。
魔法使いとして、ギルドでは成し得なかった事も出来るようになるだろう。それはカシルダにとっても楽しみではあるのだ。
「おや、ちゃんと笑えるじゃないか。その方が良い」
その笑顔を見たエイラが、満足そうに微笑んだ。
「あら、可愛らしいお弟子さんですね」
レオナに手を引かれてやってきたカチューシャが、開口一番そう言った。暖かそうな茶色のスカートに赤いカーディガンを羽織っていた。もうすっかり秋で、外は涼しいのだ。
「カシルダと言ってな、才能溢れる女の子じゃ」
エイラが簡単にカシルダを紹介をした。
女の子というにはやや歳をとってしまったかも、と思ったカシルダだが、はにかんで黙って聞く事にした。
「こちらがセスラヴィンスキー伯爵夫人でカチューシャという、美人じゃ」
「はじめまして、カチューシャ・セスラヴィンスキーです。この子は娘のレオニーダです。よろしくね」
「レオナなのだ!」
カチューシャは淑女らしくお淑やかに、レオナはハンマーを振り回しながらお転婆に挨拶をした。
「あああの、カシルダ・メルカドと、も、申します。あの、魔法使いを、やってます」
「ふふ、力を抜いて良いのよ」
慣れない場の雰囲気にカシルダはカチコチになっている。そんな彼女を見たカチューシャは優しい口調で語りかけた。
カシルダが貴族でないのは様子から分かるだろう。カチューシャは普段からサイラスを相手にしている強者だ。こんな時でも落ち着いて対処をしている。貴族ではないからと、カシルダを蔑んだ目では見ない。
それより、目の前の女の子が魔女エイラの弟子であるならば、彼女はそんじょそこらの魔法使いで無いのは明白だ。ありふれた魔法使いなら、エイラは弟子になどしない。
カシルダの信頼を得ておけば、夫である伯爵にも、きっと力になる筈と考えた。この、頭が働くあたりがカチューシャの優れたところだ。地味な美人なだけではない。伯爵が他国にまで口説くために通うだけはあるのだ。
「カシルダちゃん。着替えとかはあるの?」
「ちゃ、ちゃん!? ええええっと、ない、です」
カシルダは「ちゃん」付けで呼ばれて、更に慌てふためいた。カシルダちゃんなど小さい時しか呼ばれた事などないからだ。ギルドではカシルダと呼ばれていた。
そして着替えであるが、マジックギルトに行けば多少はある。が、ほぼ終日ローブで過ごしていた為に、偶に買い物に行くときに着る地味なスカートくらいしかなかった。下着は安物を使い古していたくらい、身の回りに気を使わない、残念な女子だった。カシルダとしては魔法の勉強の方が重要で楽しかったのだ。
そもそも死んだ事になっている今、ギルドに顔は出せない。
「じゃあ、私の若い時の服があるから、それを持ってこさせるわね。背丈も同じくらいだし、多分着られるわよ。今から合わせましょう。あぁ、楽しみね!」
カチューシャがうっとりとした表情を浮かべた。それに反比例する様に、カシルダは不安を感じ始めた。不安、というよりは恐怖だ。
「わぁ、レオナも手伝うのだ!」
「ふふ、一緒にやりましょうね」
「なのだ!」
カチューシャがパンッと手を叩くとにっこり笑った。家族でレオナが唯一の女である中で、残念女子ではあるが、一応可愛い範疇には入るカシルダは格好の着せ替え人形だ。カチューシャの目が獲物を見つけた肉食獣のそれになっていた。彼女も色々と鬱憤が溜まっているのだ。
カシルダは助けを求めるように、エイラに顔を向けた。
「カチューシャは地味な服が好きな割には、とっかえひっかえするのが好きな子でな」
諦め顔のエイラのフォローも、カシルダを助けてはくれなかった。カシルダは、凄まじい勢いで生活環境が激変していくのを、ただ口を開けて見ているしかないのである。
魔女への道は、険しいのだ。
その頃サイラスはマジックギルドでカテゴリーⅤの魔法使いの討伐完了を報告しようとしていた。
薬草とカビ臭い空気の中、顔をしかめて受付に立っている。
「またぁご用ですかぁ」
応対しているのはあの目の下に病的な隈を蓄えた女性だ。彼女が受付嬢という訳では無いだろうが、適役とは思えない。気怠そうな仕草で受付カウンターに頬杖をついている。
「お前のところの親玉に用事があるんだよ」
サイラスは苛つきながらも律儀に答えた。折角、昨晩ヴァネサで解毒したのにまた毒を飲まされてしまった。サイラスは朝から憂鬱な気分だった
「申し訳ありませんが、総長は昨晩から外出中です。戻りはわかりません」
昨日会ったばかりの、目の焦点が合っていない女性がやってきて不在を告げた。
サイラスは舌打ちをしつつ「依頼は完了した、と伝えておいてくれ」と言伝を頼んだ。ちゃんと理解しているか怪しい女は「分かりました」と答えた。
依頼完了を報告したが、残念ながら殺した証拠はない。殺した筈の本人は生きているからだ。だが、燃やされ破壊された建物や、物言わぬ屍にされた人間達が証拠となってくれるだろう。現に騒ぎは収まったのだ。何か言われてもカシルダの遺体は燃えた、と逃げ切るつもりだった。
カシルダを倒しても、マジックギルド内の対立が無くなった訳ではない。探求派と実践派の争いは続くだろう。だがそんな事はサイラスには関係の無い事なのだ。
勝手に殺し合ってろ。
サイラスはそう思っている。
「依頼料は、先に支払っているそうです」
「……まいどあり」
そう言うと、サイラスは逃げるように外に出た。外の綺麗な空気を吸って安堵の表情を浮かべる。それでも凶悪な顔なのだが。
依頼金の話は伯爵がする事になっている。サイラスと伯爵は役割を分担しているのだ。
依頼は原則前金制となっている。これは、依頼を完了する前に依頼人が姿を消してしまう事を避けるためと、依頼料を確実に手に入れる為だ。先日の人攫い集団壊滅の様な依頼は例外だ。
金という対価がなければサイラスのやっている事は只の人殺しでしかない。悪者を断罪した、といえば耳心地は良いが悪者の定義が曖昧ではその断罪が実は違うモノだった、と言うことになりかねない。
今回のように、カシルダは巻き込まれた挙げ句に(表面上は)殺されているのだ。彼女は悪者でも何でもない。殺したのはサイラスだが、指示したのはマジックギルドだ、という論理で誤魔化しているだけだ。実際にはサイラスによる殺人だ。
だが、サイラスがカシルダを止めなければ犠牲者は増え続けた筈だ。何が正しいかなどソコには無い。
強いて言えば、生き残ったモノが正しい、と言う事。金は免罪符でしかないのだ。いや、それにすらならないのかもしれない。
「犠牲になったヤツらは、殺され損だな」
サイラスは歩きながらぼやいた。
今回犠牲になった人達の家族に対する贖罪や、燃えてしまった建物はどうするのか。それこそ金である。
いくら謝ったところで亡くなってしまった人は生き返ることはない。燃えてしまった建物はそのままだろう。何で償うのかと問われれば、金だ、と答えるのだ。
「どうせ、金、だろうな」
サイラスは頭の後ろに手をやった。
今回はマジックギルドの内紛が原因だ。補償の責任はそこになるだろう。結局、というか、最終的にそこにたどり着くのだ。金で黙らせる、とも言う。なんとも理不尽な世の中だ。
「はぁ、やるせねぇなぁ」
だからこそサイラスは思う。大抵の問題は金と筋肉が解決するのだと。
屋敷に戻ったサイラスを待っていたのは、混乱した状況だった。
部屋に入った途端、レオナハンマーが火を噴きサイラスの脛に炸裂した。痛くはないが、痛いという演技はした。
「朝がえりならぬ、昼がえりとはなっておらん! そこへなおれ!」
レオナがハンマーを振りかざし、大声を上げた。朝一番で任務を遂行できなかった腹いせだ。
「サイラス、説明して貰おうか」
椅子に座り優雅に葉巻をくゆらせる伯爵が、思いっきり不機嫌な顔でサイラスを出迎えた。街の被害が甚大で大公から大目玉を喰らった様である。彼も被害者のようだ。
「ぎゃーー!」
落ち着いてサイラスの顔を見たカシルダが悲鳴を上げ床にへたり込んだ。カチューシャに着せられた赤いスカートが、あられもなく、めくれ上がってしまっている。エイラは煙管を咥え呑気に煙を吐いている。
サイラスの肩がプルプルと震え始めた。
「なんなんだお前ら!」
サイラスの叫びが屋敷を揺らした。
お読みいただき有難う御座います。
次回は閑話になります。




