聞いてないですよ、店長!
やる気を出した山田は……私を驚愕させた。
時刻が7時になり、お店の電気を全てオンにしたと同時に、カウンターの前に長蛇の列を成したお客様。
レジ前に立ち、注文をさばく私の右隣になんと、山田がスタンバった!
山田がS駅店の店長に赴任して以来初めて、二人一緒にオープン直後の波をさばくことに。
朝イチは、次々と繰り出されるドリンクの注文を、落ち着いて、順番にさばいていけば、問題ない訳だが。それでもなるべく、より迅速にさばいていく為には、幾つかコツのようなものが存在する。
例えば、たまにいらっしゃる、注文を決めるのに時間がかかるお客様が現れた時。メニュー表を見てから「え~と……」と考え始めて、長くかかりそうな気配がする時。
このままでは後ろのお客様を長めにお待たせしてしまうし、流れがストップしてしまう。
このような時はまず、後ろに並んでいるお客様達の表情を伺い、「自分はもう注文するもの決まってます」という、スッキリしたお顔をなさっている場合は……
「お後のお客様、お決まりでしたら、どうぞ」
と声をお掛けして、先に注文を伺っておく。そして作り始めておけば、時間のロスが極めて短くなる。特に、時間のかかるフードメニューを注文された時にこの技は、効果絶大だ。
ただ、この技を使えるのは、レジ担当では無い方の店員次第。
レジを担当している私は、あくまでも今先頭にいらっしゃるお客様に向かい合わねばならない。その私が、後ろのお客様の注文を先に伺ってしまうのは、少々失礼なので出来れば避けたいのだ。
だから、そんな時はもう一人の店員が、先頭のお客様に配慮しつつ、一つ後ろのお客様の表情を伺い、さりげなくその技を使ってくれると、すごく助かる……訳だが……
「お後ブレンド。アイス、トースト入ります」
私がレジで先頭のお客様が注文を決めるのを待っている間に、まさか山田がそれをやってのけるとは!
しかも、後ろに並んでいたお客様二人分の注文を受けるという上級技。
先程の台詞の意味を噛み砕くと、「次のお客様の注文はブレンドで、その次のお客様の注文はアイスコーヒーとトーストですよ。僕はそちらを作成しますね」という意味である。
……ぅおい。
聞いてないぞ、山田。
お前……すこぶるできる子じゃねーか!
私は「お願いします」とそれを受け、先頭のお客様の注文を待つ。程なくして注文が決まった先頭のお客様が「ブレンドで」と注文された。
私はピッピッ、とレジを打ち「200円です」とお声をかけてから、後ろを振り返り、マシンが抽出済みであったブレンド入りのカップを手に取りつつ、再び空のカップをセットしてブレンドのボタンを押しておく。
お後のお客様用に作成されていたブレンドだが、先頭のお客様もブレンドを注文されたので、当然このブレンドはお先のお客様用に変更となり。そして改めて、お後のお客様用のブレンドを作成しておいた訳である。こうして、時間のロスの短縮につながるのだ。
「お待たせ致しました」とブレンドをソーサーに乗せてお客様にお出しし、「200円丁度、お預かり致します」とお代を受け取り、「ごゆっくりどうぞ」と笑顔でレシートをお渡しした。
そして次のお客様に「いらっしゃいませ。ブレンド、200円になります」とお声をかける。ブレンドは先程既にボタンを押して抽出済みなので、直ぐにお出し出来る状態だ。
こちらのお客様も「ごゆっくりどうぞ」と無事に送り出し、その次のお客様のアイスコーヒーとトーストも、この頃には山田が作り終わり、直ぐにお出し出来る状態。
もし、注文を先に伺っておらず、注文を受けてから作り始めたとしたら、先にアイスコーヒーだけお渡しして、「トーストの方、出来上がりましたらお声お掛けします」と伝えることになる。
それはそれで間違いでは無いんだけど、やはりドリンクと同時に、お待たせせずにフードの方も提供出来れば、それが理想的だ。
そしてそんなタイミングの妙、というものが上手くいくかどうかは、店員の力量が問われるところ……と、私は思って日々精進している。
須藤店長と二人で早番勤務させて頂いていた時は、そのタイミングとかテンポがとても上手く回せていたので、店内の居心地がとても良かった。
昨日須藤店長が「明希シックだ」と仰ったのも、二人で週5日ほぼ毎朝一年かけて作り上げた絶妙な連携の心地良さが、他の相方とではおいそれと味わえないものであったからだろう。
そう。
おいそれと味わえないはず、の心地良さを……
まさか、山田相手に感じるなんて!?
なんでお前がこんなに私と相性が良いんだ、山田!
オープン直後の長蛇の列が解消され、その後のお客様の波もおさまり、ひとまず店内が落ち着いて。
私がレタスの仕込みを始めた頃に、山田の口から、その答えが語られた。
「やっぱ明希ちゃん、須藤さん仕込みだから、俺と相性良いね」
「え?」
「俺、新人の時、一番最初に配属されたのが須藤さんの店舗だったんだー。だから最初に一から仕事教えて貰って、指導してもらったのが、須藤さん。明希ちゃんと一緒だよ」
山田はヘラリ、と笑って説明してくれた。
山田も、かつて須藤店長に仕事を教わった立場で。つまり、私と同門……というようなこと? それで連携の相性が良い、と?
……てか、だったら!
「店長! 今まで、出来るのにやってなかった、ということですか!? それはあんまりですよ! 今私めっちゃ不快ですよ! 店長の胸倉つかんで奥歯ガタガタいわしたいのを、必死に抑えている状況ですよ!」
「違う違う~。それはチョット違うんだよ、明希ちゃん。信じて」
山田は眉尻を下げて苦笑すると、ポツリポツリと、語り出した。
「俺って、チョット時間とかに緩いところあるでしょ? それで話し方も軽めで、無駄にイケメンだから、さ。同性には嫌われがちだし、異性にはグイグイ来られやすいんだよね」
無駄にイケメンだから。
そんな台詞をさらりと言ってのけるのは、どうなんだ、と思ったが。真のイケメンの山田には、許される発言。うむ。私はそのように判断し、突っ込みを入れずに大人しく、山田の話を聞く。
「須藤さんはそんな俺でも可愛がってくれて、上手に指導してくれてたんだけどね? 大体一年位すると、店舗って異動になっちゃうから。別の上司からはほとんど怒られてばっかりでさー。なんで時間通りに来られないんだ、なんで真面目にやらないんだ、何いつもヘラヘラしてるんだ、とか。まあ、そんな感じ」
私はひたすら手元のレタスをちぎってザルに入れながら、黙って山田の話を聞いていた。
「確かに相手の言ってることって正論なんだけど。でも……なんでって言われても俺にとってはこれが俺、で。変えようとすると、結局変えられない自分がドンドン嫌いになっちゃうんだよね。それと並行して、見た目だけで複数のバイトの女の子がグイグイ来て揉めちゃったりもするから、ドンドンやさぐれちゃって。やる気出せなくなっちゃって、ますます遅刻したりヘラヘラしちゃうから、ますます怒られちゃって、悪循環」
山田はテヘヘ……と苦笑してみせた。
う〜、なんだよ〜……。
無理に笑うなよ……山田。
「それで実は俺、もうこの仕事辞めようって思ってたんだー。最後に、お世話になった須藤さんにだけは挨拶しようと思って。本社に辞表出す前に、須藤さんに会って報告したんだけど。そしたらさ」
山田は私の目をジッ、と見つめた。
「須藤さんが、騙されたと思って、S駅店であと三ヶ月だけやってみろって。それでもし三ヶ月後も辞めたい気持ちが変わらなかったら、その時はすっぱり辞めればいい……って言われて。正直、意味はわからなかったんだけど。まぁ、あと三ヶ月だけならいいかな……と思って。やる気ナシナシ~の、やさぐれた状態だったけどー」
……そしてやって来た訳ですね、S駅店に。
私は溜め息を吐いた。
須藤店長め……!
思ったより計画的な話な上に、思ったより重い話じゃないですかっ。聞いてないですよ!? てか、何度もいいますけど私、ただのいちバイト、なんですけど? 何故大学三年生20歳の私に、やさぐれたチャラ男のリハビリを託そうとするんだよおおぉぉ!
「ホント、最初はなんで須藤さんがあんなこと言ったのか、わからなかったんだけど……昨日、やっとわかった。明希ちゃんは俺に、『店長はそういう人だから』『そのまま行くしかないじゃないですか』って言ってくれた。俺のこと責めたり変えようとしたりすること、言わなかった。放置するわけでも無くて、窘めるところは窘めてくれるし。俺ね……めちゃめちゃ救われたんだよね。明希ちゃんがもう一度俺のやる気スイッチ、入れてくれたんだよ……?」
そう言って山田は。
レタスをちぎっていた私の後ろにピッタリと寄り添い、私の両側から作業台に手を着いた。
うん?
なんか……囲い込まれているような体勢、なんですけど……
「店長、あの、近いので、あの、」
「わかってるわかってる。須藤さんからセクハラだめ、絶対。って釘さされてるから。明希ちゃんM駅店に引き抜かれるとか絶対イヤだし。てかマジ……もう離すつもり、無いし」
私が思わず山田の顔を見上げると、ヘラリとした笑顔を浮かべながら瞳にはキラリ、と危険な光を浮かべているのを。
すなわちハンターの眼をした山田を。
私は見た。
「ラ、ラウンド、行ってきます!」
私は焦ってダスターを手に取ると、山田の腕の中から脱出し、カウンター内からホールに飛び出した。ホント、なんなんだ、このパターンは! ラブコメなのか!? そうなのか!?
私はくうっと唇を噛み締めつつ、ダスターで丁寧にテーブルを拭きながらホール内を回った。
須藤店長が山田をS駅店に寄越したのは、思ったよりも色々計算された話だった。
根は悪い奴では無く、仕事も結構出来るのに、無駄にイケメンでチャラめ軽めのため誤解されがちで、やさぐれてしまった、可愛がっていた元部下。
イケメンだと許容範囲広めで、チョットだめ〜な男に突っ込みまくるのが好きで、だめだと思っていた男に不意打ちでやる気出されたりしたら落ちちゃう、可愛がってるバイトちゃん。
よし。くっ付けてみよう!
……おそらくそんな風に思ったんでしょうねぇ須藤店長は!
くううぅぅ〜〜っっ。
ええ、そうですよ。グッときちゃってますよ!?
須藤店長に匹敵する連携の相性の良さ。居心地良かったし!
遅刻癖のある人が遅刻しないで来るとか、よほどの覚悟だし! それが私と離れたくないから、とか言うし!
そんでそもそもイケメンだし!
もおおぉぉ〜〜っっ。
陥落寸前とは、私のことか〜、そうなのか〜!?
私は、毎回のことだが、出発前よりは、少しは落ち着いたか……? という状態でカウンターに帰宅。
「お帰りぃ、明希ちゃん」
山田がヘラリ、と笑っていた。
「はい、ただいまです」
私はぎこちなく笑いながらカウンター内に入り、そのまま返却口に置かれた食器の整理を始めた。食洗機にかけて、スイッチを押す。
洗い終わった食器をカチャカチャと所定の位置に戻していると、レジ側に居た山田がニコリと笑って、両手を私に差し出した。私はその時両手にスプーンの束を持っていたので、受け取ってくれて、レジの所にあるボックスの中に入れてくれるのかな? と判断し、山田にスプーンの束を手渡した。
と。
おもむろに。
山田がスプーンをぶちまけた!
バラバラバラ〜〜……
や、山田!?
何してんだよ、てめぇ! ありえないぞ!!
私は「失礼しました」とホール内のお客様に声をかけ、洗い終わったばかりのスプーンをぶちまけた山田に内心プリプリしながらも、とにかくしゃがみ込み、床に落ちたスプーンを一本一本拾っていった。
次の瞬間。
山田が私の両肩に手を乗せてグッと固定し、驚いて思わず顔を上げた私の顔を、同じくしゃがみ込んできて至近距離からジッ、と覗き込んだ。私達二人は一瞬で、カウンター内の死角に入ったのだ。
な!
眼を丸く見開きながらも、営業中の店内のため無言で大人しくしている私に、山田は一瞬ふっ……と微笑むと、「ごめんね、明希ちゃん」とつぶやき、唇を、重ねた。
「!!」
しゃがみ込んでいた状態で両肩を固定された私は、身動きできず、山田にされるが、まま。
……
……
……
……ヤバイ。
ヤバイから。営業中だから。そろそろやめて。
山田。
山田!
やー、まー、だーー!!
私が山田の胸をドン、ドン、ドン!と三回タップしたので、ようやく山田が唇を離した。私は素早く立ち上がる。店内は穏やかなままだった。誰にも気付かれていないようだ。な、なんという奇跡!
私はホッ……、と安堵の溜め息を吐いた。
そして今度こそ床に散らばっていたスプーンを回収する。
回収したスプーンを再び食洗機にかけながら、私は、低〜〜い声で呻いた。
「セクハラは禁止のはず……ですが?」
「わかってるわかってる。でも、明希ちゃんがイヤじゃなければ、セクハラにはならない、よね?」
イヤじゃなければ、ですと!?
イヤじゃないわけ、ないじゃ……ない……です……か……あれ?
イヤ?
イヤじゃない?
よく、考えてみよう、私。
営業中に危ねえ橋渡りやがってふっっざけんなよ、山田ぁ!!
……と、思っては、いるが。
山田が私に口付けたことに関しては……イヤ……じゃ無い、ような……
カアアァァ〜〜。
私の顔はみるみる赤く染まってしまった。つまり、それが、答えだ。
「明希ちゃん、可愛い」
山田が私の耳元に唇を寄せて、ボソボソッとつぶやいた。
ひゃ!
私は顔を赤くしたまま、ビクッ! と跳ね上がる。
山田がクスクスと笑った。
「昨日も思ったけど……明希ちゃん、耳、弱いねぇ?」
そう言って私の真っ赤な顔を面白そうに覗き込みながら、またもや後ろにピタリと寄り添ってくる。だーーっ!
「ラ、ラウンド、行ってきます!」
私は焦ってダスターを手に取ると、再びカウンター内からホールへ脱出した。
何回ラウンド行ってるんだよ!?
私はくうっ、と唇を噛み締めた。
陥落、寸前……?
いいえ!
もう、落ちちゃってますけど! 何か!?
うわあああああん!
須藤店長のバカバカバカーー!
どうしてくれるんですかーー!
この一年で定着していた私の朝の平和な日常が山田によって、乱されようとしている……
いや、ちょっと、山田。
仕事、しろよ!!!
お読み頂き、ありがとうございます。
明希ちゃんが素敵女子と呼んでいたガッキーとグッさんのくだり。前作『突然の雨とメガネの向こう側』の第五話とリンクしております。数分で読めるので、もし良かったら覗いてみて下さいね(o^^o)。