やってくれましたね、店長。
「おはようございまーす」
ウィン、と自動ドアをくぐり、10時出勤のバイトさん仲間であるサチコちゃんがやって来た。「おはようございまーす」、と笑顔で挨拶を返すカウンター内の私の前を通り過ぎて、サチコちゃんは更衣室へ入って行った。サチコちゃんが着替えて出てきたら、私は今日は上がりだ。
右隣に立っていた店長が俯いて、ハァ〜、と溜め息をついた。
「明希ちゃん帰っちゃうとか、寂しすぎぃ。一気にテンション下がるわ〜」
私的にはやっと帰れるひと安心! だ!
今日の山田が怖すぎて!
「サチコちゃんはいい子だけどさぁ、なんか俺と距離詰め過ぎる、つうかー。めっちゃ話しかけてくるし。勤務中なんだからもう少し仕事しなよー、みたいな感じだからさぁ」
……私は耳を疑ったね。
距離詰め過ぎる?
勤務中なんだからもう少し仕事しなよ?
山田。てめぇ。
わかってんじゃねーか!
そうだよ。それが働く者の心構えというものだが、お前の中にその認識がきちんとあったことに驚愕したわ!
お前が今サチコちゃんに対してほざいた台詞の全てを! 私がお前に! そっくりそのままお返ししたいわ!!
だが私は静かに目を閉じ、ふぅー、と深呼吸して己の憤りを散らした。そしてあくまでも冷静に、口を開く。
「店長目当て上等、じゃないですか。外から見てそんなにわかりやすいなら、無害です。善人の面をきっちり被った悪党の方がよっぽど性質悪い、と思いますからね、私は」
そして山田を見上げてニコリ、と微笑んだ。
「どんな理由があるにせよ平日早番入ってくれるバイトさんは、貴重な人材です。店長というエサに食いついてるんですから、その想いを逆手に取って、ジャンジャンバリバリ人材育成して下さいよ。何のためのイケメンですか。持ってる武器はドンドン活用して下さい」
「わーお……明希ちゃんの辛辣ぶりがマジ、しみるわ〜……」
山田が何やらガックリと項垂れているところに、「おはようございまーす」、と制服に着替えたサチコちゃんがやって来たので。私は「お先に失礼しまーす」と、笑顔でカウンターを後にした、のだった。
ホント、今日は怖かったから。
やっと上がれるわ。ふぅ。
***
山田問題が深刻を極めてきたため。
私はカフェ店を出て大学に向かう電車をホームで待ちながら、速攻で、ある人物にラインした。
《お久しぶりです。長澤です。至急、ご相談したいことがあるのでお時間取って頂きたいのですが。今日出勤してますか? もしお時間ありましたら、放課後店舗の方へ、伺わせて頂きたいのですが》
電車に乗って間もなく、返信が届いた。
《久しぶりー。今日は一応15時上がり。店舗にいるから、その後ならいつでもいいぞ》
わあ、良かったー!
私は安堵して、再び返信した。
《ありがとうございます! では放課後、15時過ぎに伺わせて頂きます》
そのままスマホをしまい、意識の方はひとまず、これから向かう大学の二限に切り替えた。
***
その日の15時過ぎ。
ウィン、と自動ドアをくぐり。カフェ店の制服を着たまま、まだカウンター内に居た、その人の姿を見つけて。
私は満面の笑みを浮かべながら、ご挨拶した。
「お疲れ様です。お久しぶりです、須藤店長」
「おう! よく来たな、明希」
須藤店長。私が勤めるカフェ pausa S駅店の前店長であり、最近オープンしたここ、カフェ pausa M駅店の新店長である。
45歳、既婚。スッキリとした短めの黒髪に、黒縁セルフレームの眼鏡を掛けた、ナイスミドルなおじさまだ。娘さんがお二人、いらっしゃる。
山田が赴任するまでの一年間。
私は平日ほぼ毎朝、須藤店長と二人で早番勤務をこなしていた。私のバイトの面接をしたのも須藤店長だし、仕事を一から教えて頂いたのも須藤店長だ。
なんつーかもう、私が全幅の信頼を置いちゃってる人なのだ。
プライベートな相談もよくしていたし、時には私が須藤店長の娘さんに関する相談なんかに乗ることもあった。
山田問題を相談するのに、これ以上の適任者はいないだろう。うん。
須藤店長が「何飲む?」と聞いてくれたので、「えと、アイスラテ、お願いします」とお答えして。
須藤店長は私にアイスラテを渡し、自分はブレンドを入れたカップを持って、店舗奥の更衣室兼スタッフルームの中へ、移動した。
他店舗なので、私は「お邪魔します」と頭を下げて、スタッフルームの中へ入らせて頂いた。
中にあるデスクの上に飲み物を置き、折りたたみ椅子を二つ広げて、二人で腰を降ろした。
「明希に会うの、懐かしいな。正直、こっちに赴任してしばらくはホームシックならぬ、明希シックだったぞ。お前と二人で早番勤務するのが長かったし、居心地良かったからな」
「光栄です」
わあ。なんという、嬉しいお言葉。
私は嬉しすぎて、顔を赤くしながら、深々と頭を下げた。
実は私だって、須藤店長シックだったですもん。早番勤務を二人で回したら長蛇の列もなんのその。お互いに立ち位置とかテンポとか把握していて、居心地が良かったですよね。
「それで、相談とは。……もしかして、山田のことだろうか?」
おや……? 話が早い。もしかして……
「須藤店長。心あたりがおありなのですか」
「あるなぁ」
須藤店長がしみじみと仰って、ブレンドに口を付けたので、私も「いただきます」とアイスラテを飲んだ。
須藤店長がふぅ、と息をつきながら、口を開いた。
「山田はさ、ぶっちゃけチョット、この辺りの店舗では問題児扱いでな。根は悪い奴では無いんだが、色々緩い、つーか、なんつーか。男と組ましたら勤務態度とかで揉めるし、女と組ましたら痴情のもつれとか起こすし……なんかもう、どうしたらいいの? ……という状態だった人物だ」
うわあ。わかる。……すげー、わかる。わかってしまう自分がいます。
「それで、実は俺が本社の人事に提案しちゃったんだよね。S駅店勤務にしたらどうかな、って」
え! なんですって!?
須藤店長は我がS駅店を、滅ぼすおつもりなのですか!? ひどい!
「俺さ、山田は明希の側に置くのが、一番いいんじゃないか……って思ってさ」
「はい?」
え? え? なんて?
須藤店長はジッ、と私の目を真顔で見つめた。
「俺は明希と一年間一緒に働いてきたからさ。明希なら山田と組めるんじゃないか、って、そう思った。お前ならあいつの性質を否定しないだろうし、あいつに色目使うこともしないだろうし。それでいて窘めるところは窘めてくれるだろうから、山田にとって居心地の良い相方なんじゃないか……と思ってな」
はい!?
相方、とか。いつの間にそんな大役に任命されてたんですか? 私はただのいちバイト、なんですけど? てか、なんでだよ。社内で手に負えない大人問題児を、なぜ大学三年生20歳の私に託す? 意味わからん!
「山田にっ……、コホン、山田店長にとって居心地いいかどうかはともかく、私の居心地の良さはどうなるんですか!? ひどいですよ! 私だって居心地良く居たいですよ!」
「いやー、だって明希、イケメンに対しては許容範囲広げるじゃん? 明希にとっても、山田はイケメンで目の保養になるからなんとかなるかなー、とか思って」
須藤店長はテヘ、と苦笑している。
くっ……。イケメンなら許容。そう思っていたことは否定出来ない。さすが須藤店長。私の生態をまるっとお見通しでいらっしゃる。
しかし、それも、今朝までの話、だ!
「さすがの私も、いくらイケメンでも実害が出る場合は許容不可です。勤務中に抱きしめられる、とか、軽く犯罪ですよ!」
「え。なにそれ。山田そんなことしちゃってんの?」
「しちゃってるんですよ! 山田店長の眼の輝きがハンターの眼だったんですっ。ヤバイこと極まり無いですっ。このままでは私いつかヤられてしまいますっ。脱出させて下さい!」
「え〜、困るなぁ……」
困っているのはこっちですってば! そもそも……
「私が今このような事態に追い込まれているのは、須藤店長の采配によるものだった訳ですよね? でしたら、私を救い出すのも、須藤店長の責任なのでは?」
私は目を細めてジトーーっと須藤店長を睨む。須藤店長は痛いところをつかれたようで「つまり明希はどうしたいの」と頭を掻いた。
「私もM駅店に異動したいです! ここも家から大学までの途中にある、S駅と同じ沿線上の駅だし、通えます。理由はなんとでも取って付けますんで、私をこちらのお店で雇って下さい!!」
私はガバ! っと頭を下げた。
「う〜ん。仕方ないかぁ。明希はセクハラは絶対許容不可だし、明希が新店舗に来てくれるのは、それはそれで助かるしなぁ……」
須藤店長は溜め息を吐いた。
「ありがとうございます!」
私も安堵でホッ、と息を吐いた。
良かったぁ。これで身の安全が確保できた。
いや、だってさぁ。私だってやっぱり我が身が一番可愛いからね?
「それではよろしくお願いします」と頭を下げて。私はM駅店を後にした。
***
え。……夢?
翌朝。駅構内の通路を歩きながら、前方25メートル程の所に位置する、我がバイト先のカフェ店のシャッターが開いているのを目視で確認し、私は古典的な方法であるが、頬っぺたをつねってみた。痛い。
私が恐る恐る、店内に入ってみると。オープン前の準備を全て整え、きちんと制服に着替えた山田が、カウンター内でレジにお金をセットしているところであった。
私を見て山田は、ヘラリ、と笑う。
「明希ちゃん、おはよう〜」
「おはよう、ございます……」
私はそのまま静かに更衣室へ入った。カチャン、と自分のタイムカードを押し、山田のタイムカードを確認する。6時22分に押されていた。
バイトさん共用のロッカーを開き、1分程で着替えを完了する……と、鞄の中のスマホにラインの着信が。
須藤店長からだった。
メッセージが一言。
《どうよ?》
私は震える手で、須藤店長の番号を表示し、タップした。
数コールで「もしもし?」と、須藤店長の声が響く。
「……やってくれましたね、店長」
須藤店長のふっ、と笑う気配がした。
「朝から明希に店長、って呼ばれるのいいな。ゾクゾクするし」
「あえて、今だけそう呼ばせて頂きました。懐かしいですね? 二人で早番勤務していた時は、こんなふうによく言葉遊びしてましたよね。……思い出しました。私の思想は結構、須藤店長の影響が大、だったんですよね」
私もふっ、と苦笑した。
「エサに食いついているのだから、その想いを逆手に取って、ジャンジャンバリバリ人材育成……ですか? うちの山田店長に何を言ったんですか? 須藤店長」
「んー? 大したこと言ってないよ。もし今後も勤務態度を改めない様なら、明希はM駅店に引き抜くよ〜、みたいな? ……で、どうよ?」
私はふぅ〜、と息を吐いて答えた。
「6時22分に来たみたいですよ。驚きました。遅刻癖のある人が、遅刻せずに来るとか……凄いことだと、思います。オープン前準備も完璧です」
「明希、そーいうの、グッときちゃうでしょ?」
参ったな……。私の生態はまるっと全てお見通しか。
善人の面をきっちり被った悪党、とか。
須藤店長みたいな人はホント性質が悪いですね!
「言っとくけど、明希にとって都合の悪い様にはしないつもりだったよ? 山田が明希に懐かなかったらそれまでだったし。勤務態度を改めなかったりセクハラ止めなかったりしたら、明希をM駅店に引き抜くつもりなのも、本当。明希が山田を気にいるかどうか……は、まあ、五分五分だったんだけど」
「随分高い確率だったんですね。私、チャラ男とか基本、興味ありませんでしたけど」
須藤店長が「そうかなー?」と笑う。
「明希、チョットだめ〜な男に突っ込み入れまくるとか、好きだろう。んでもってその、だめだと思っていた男に、不意討ちでやる気見せられたりとかしたら」
……落ちちゃう、だろ?
声に出さない須藤店長の声が、何故かしっかりと聞こえた気がした。
須藤店長には散々恋愛相談とかもしてたからな。私の好みなんて把握されまくってて、うらめしい!
「わーかーりーまーしーたー! しばらくS駅店で人材育成に勤めます!」
「おう。頼むよ。でも、もしまたなんか困ることがあったら、いつでも言えよ? ……そんじゃ、今日もがんばれな!」
私は耳からスマホを降ろし、ハァ〜、と溜め息を吐いた、のだった。