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聞いてください! 店長。

カウンター内に戻った私は、とりあえずレジ前にスタンバり、店長と距離を取った。


……落ち着け、私。

ここは朝のカフェ店内。

人目、めっちゃ、ある。

今ここでどーのこーの、とか、なる訳ではない。はず。


よし。

仕事しよう。


私はお客様の波がいったん収まったのをきっかけに、フード類の仕込みに取り掛かることにした。

このお店のフードメニューは主にトースト系、ソーセージを挟んだドック系、サンド系の三種類だ。

そのうちの、サンド系に挟む野菜類の仕込みは、混んでいない時間帯にやっておかねばならない。


私はカウンター内の、中が冷蔵庫になっている引き出しを、パタンパタンと開けて、チェックしていった。この引き出し型の冷蔵庫、面白いよね。初めて見た時はおお! と感嘆したよ。お家ではあり得ない、業務用、という奴ですな。

この中にフードメニューに使う具材が、カットされてすぐ使える状態で色々セットされているのだ。朝イチは基本的に全て少なくなっている。空になっても夜はなるべく補充しないからね。痛みにくいようにね。


えーと、レタス……は、まだあるな。トマト……が少ないな。まずトマトを切って、その後レタス。の順番だな。うん。


私はカウンター奥にある大型冷蔵庫の中から(これは、家にある冷蔵庫の大型版、みたいな物で、野菜とか牛乳とかのストックがたくさん入ってます)トマトを二つ取り出した。水道で水洗いしてからまな板の上に置いて、ヘタをくり抜き、輪切りに薄くスライスしていく。


トマトは、潰れやすいから、優しく、切らないとね……


私が慎重に包丁を入れていると、突然後ろからフ〜ッと、うなじに息を吹きかけられた。


ぅひゃあっ!?

な、なにしてくれてんですか!?

てか、危ねーな、おい!!

こちとら刃物使ってんだぞ!?

いきなり私の背後に立つんじゃねえ!


私は低〜〜い声でうなった。


「店長、一応、聞きます。何やってるんです?」

「え。トマト切ってる明希ちゃんの真剣な顔が可愛かったから。思わずイタズラしちゃった」


テヘヘ……と、はにかんでいる。


うがーーーー!!!

小学生かっっ。

うぜぇ。

今ここに無性にうざい生き物がいる!


「店長、仕事、して下さい。野菜類、ドリンク類、パン類、豆、備品。諸々在庫チェックして注文! ハイ、どうぞ」

「わかったわかった。わかったから、刃物を人に向けちゃダメだよ? 危ないから」


危ないから、とかお前が言うのか、山田。

しかし、刃物を人に向けてはイケマセン、は事実。スミマセンでした。

私は大人しく回れ右をして、トマトのスライスを再開した。



***



時刻が8時20分を過ぎた頃。

そろそろ二回目の波が来るな、と、私は姿勢を正した。仕込みを終えて、返却棚を空にして、一回ラウンド回って。

私はその波に備える。


オープン直後の波は、これから電車に乗って仕事に向かう、電車に乗る前のお客様の波。

これから来る波は、この駅で電車を降りて、この駅から会社に向かう人が出社前に立ち寄る、電車を降りた人の波。

その波がそろそろ、始まる。

おそらく、電車がホームに着いたのだろう。次々と、お客様が自動ドアをくぐり始めた。


「いらっしゃいませ。ご注文、お決まりでしたら、どうぞ」


私は再び、笑顔で先頭のお客様から注文をさばいていく。

今回は山田も隣にスタンバってくれたため、アイス系のドリンクの作成は主に山田に託す。時折フード系の注文が入った時は、山田が作っている間、私がドリンク系を全て引き受ける……というような、連携を取りながら、お客様の波をさばいていく訳だ。


本来、オープン直後の波も、このように二人でさばくものなんだがな、山田! ……まあ、それは、今はいいや。

私が笑顔でレジとホット系ドリンクの注文に集中していると……


あ。

来た。


女性にしては、ちょい身長高めで、サラサラストレートのショートボブで、スーツ姿で笑顔の可愛い、見た目二十代前半な、女の人。


「いらっしゃいませー」


私の笑顔が、ほんの少し、増し増しになった。


「ブレンドお願いします」

「200円です」


私はピッピッ、とレジを打ち、「ブレンド入ります」と山田に告げながら、カップをマシンにセットして、ブレンドのボタンを押した。

ヴィ〜ン、と音がして、コポコポコポ……とコーヒーが抽出される。


「お待たせ致しました」


私はカップをソーサーの上に置きながら、そっ……と。ミルクとシュガーを取り除いた。

お客様は、ブレンドを受け取りながら、ふわり、と。私に笑顔を向けてくれた。


私の心がホワリ、と温かくなった。


彼女は平日、この位の時間になるとほぼ毎朝立ち寄られる、常連さん。

おそらく彼女の勤める会社が、この駅の近くにあるのだろう。

私がこのお店に勤め始めたのが一年位前からで。彼女も一年位前からこのお店に通い始めたんだと思う。


勤め始めた頃は、私はまだ仕事に慣れていなくって。レジを打つのも、注文を取るのも、コーヒーを渡すのも。今よりずっと、たどたどしかったと、思う。時には注文を間違えてしまうこともあったし、カップを割ってしまうこともあったし、お客様からクレームを受けることもあった。


そんな時は泣きそうになったり、もう仕事行きたくないな、とか、辞めちゃおうかな、とか。思ったり、へこんだりすることも、しばしばだった。

なんとなく、毎朝立ち寄る彼女を意識し始めてしまったのは、この人も仕事を始めたばかりの新人さんだ、と。雰囲気でわかったからかもしれない。


まだ、スーツも着慣れていない、というか。なんていうかな。スーツもリクルートっぽい感じ、っていうのかな。出社前の面持ちも緊張気味というか、あまり余裕がない感じで。

ああ、この人新入社員なんだろうな……って。バイトを始めたばかりの新人の自分と、重ねてしまったのかもしれない。


彼女は、最初こそ緊張した面持ちで来店されても、コーヒーを受け取る時は必ず、微笑んでくれて。私がたどたどしかったり、手際が悪かったりしても、いつも、微笑んで受け取ってくれた。

そして、コーヒーを飲み終わって、会社に向かうためお店を出る時は。いつも前を向いて、姿勢良く歩いて、きりっとした面持ちで清々しくお店を出て行く。


素敵だなぁ、と思った。

あーあ。仕事、行きたくないなー、とか。

当時私だったら、出勤前は何十回もそう思っていたが。彼女からそういう雰囲気を感じたことが、一回も無い。

今日もお仕事がんばるぞー。

彼女から感じるのはいつもそういう、明るい清々しい雰囲気だった。


す、素敵女子だ!

まじ、リスペクト!


以来、私は頭の中で彼女を素敵女子、と呼んでいた。こっそり、彼女から元気を貰っていたのだ。

彼女が注文するのは必ずブレンド。そして必ず、ブラックで飲む。こっそり彼女に注目していた私は、いつしかそのことに気付いて。


ある日、ホントにホントに差し出がましいかな、と思いつつも、コーヒーを渡す時に、ミルクとシュガーを外して渡してみた。

引かれないかな……と、私は結構ドキドキしたんだけども。

彼女は、ふわり……って。

笑顔を向けてくれたのだった。


気付いてくれて、喜んでくれた!

ヤバイ、なんだか泣きそうな位、嬉しい……


私がこんなこと考えているだなんて、彼女は思いもよらないのだろうけれど。

直接話したことも無い、しがない店員とお客様なだけの私達だけれど。

私達は、こんなふうにひっそりと。笑顔の交換をしていたのだった。



あなたのこんな、ちょっとした笑顔が。

どこかで誰かを、幸せな気持ちにさせる。



私も見習いたいな、と思って。なるべく明るく笑顔でお店に立つように、心がけるようになった。


「明希ちゃん」


チャラ山田にヘラリ、と名前を呼ばれ、私は現実に引き戻された。

二回目の波もぼちぼち落ち着いて来たので、私も山田にニコリ、と笑顔を向ける余裕が戻った。


「なんですか、店長」

「なんかさっきの女の人に接客してる時、嬉しそうだったね」

「わ、わかりますか……」


私は下を向いて、ポッ、と赤くなった。


「彼女は平日毎朝この時間にこのお店に立ち寄られる、常連さんなのです。いつも明るく清々しい、笑顔の素敵な方なので、勝手に憧れているんです……」


私が赤くなったままもじもじと、語っていると……


ガバッ!!


また突然、山田がギュウウ! っと抱きしめてきた。


「明希ちゃん、可愛い」


私の耳元でボソボソッと、つぶやかれた。

ぅひゃあ!

み、耳っ…… やめっ……は、離せ!


ジタジタバタバタ。

私はお客様の注目を集めぬ様、無言でもがいて山田の腕から脱出すると、慌ててダスターを手に取り。


「ラ、ラウンド行ってきます!」


またもやカウンター内から脱出した。なんだ、このパターンは! ラブコメか!


私がまたもや動揺しつつも丁寧にテーブルを拭きながらホール内を回っていると、素敵女子が目の前に座っているのが見えた。

えへへ〜。

私が照れ照れしながら、素敵女子の後ろを通り過ぎた時。「あれ、タカガキさん」、と隣の男性が声をかけているのを。私の耳がダンボになって聞きとった。私は一瞬ピタリ、と足を止めてしまった。


……タカガキさん、だと!?

なになに!

彼女、タカガキさん、って、いうのかい!?

か、可愛っ!

つ、ついに、ついに名前が判明しちゃいましたよ!

今まで勝手に頭の中で素敵女子、って呼んでたけど。これからはガッキー! ガッキーと呼ぼう!


「えと、ヤマグチ……さん?」


ガッキーも隣の男性に応えている。隣の彼はヤマグチ、というらしい。……てか、ヤマグチ、誰?

ガッキーの、何?

会話から察した感じは、さほど親しくない、職場のお知り合い、といったところかな……?

ついでなのでヤマグチのことも、グッさん、と認識しておいた。


私はダスターを握りしめ、意気揚々とカウンター内に帰宅した。


「お帰りぃ。明希ちゃん」

「はい、ただいま!」


私は上機嫌のまま、つい満面の笑みで山田を見つめてしまった。

ずっと想いを寄せていたガッキーの名前が判明したことが嬉し過ぎて。もはや山田だろうと誰だろうと関係無く。私は浮かれながら、山田にガッキーの事を聞いてもらおう! などと思ってしまい。レジ業務の合間をぬって、私から山田ににじり寄ってしまった。


山田の方が頭一つ分くらい、背が高かったので。私は両手で山田の両肩を押し下げるようにして、ちょっと強引に山田の耳元に唇を寄せてしまった。


「聞いてください、店長! あのですね……」


山田は明らかに意表を突かれたようで。

顔を真っ赤にして、私の両手をグイッと自分から引き剥がし。


「ごめん、ちょっと……」


右手で口元を押さえたまま、何故か更衣室へ消えてしまった。


後から考えると、それまで山田に対してよそよそしかった私が、突然満面の笑みで抱きついてきたような形になってしまっていたのだと……気が付いたのだが、この時の浮かれた私には訳がわからず。

???

首を傾げるばかりであった。


やがてガッキーとグッさんがカップとソーサーを返却口に置きに来てくれたので。


「おそれいります、ありがとうございます!」


私はそれはそれは明るく清々しい笑顔でご挨拶した、のだった。



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