1-2 魔王降臨
俺はまず最初に、少しだけ人間の町の観察をする事にした。
魔法により自身の気配を消し、曇り空をバックに町の上空でたたずむ。
ここは世界の中心にある大国、セントリアの王都だ。
人々の賑やかな喧騒が聞こえる。商人は道行く人々に様々なものを売りつけている。
一見、活気があり、栄えたいい街に見える。
だが路地の裏の方を見ると、都のきらびやかな雰囲気とは相反するような存在がすぐに見つかった。
今も誰かがならず者に襲われている。他の人間も気付いてはいるが、誰も助けようとしない。かといって俺が助けるわけにもいかないが。
あまりいい光景ではなく、俺は小さく眉をひそめた。
そしてそれらの光景を気にも留めず、悠々と大通りを闊歩する貴族の馬車。その周囲には警護の兵士をたくさん侍らせている。少しは治安維持にも回せばいいものを。
俺は最初のターゲットをその貴族に決めた。
既にこの付近の魔物達には指示を出している。人間は誰も気付いていないようだが、俺の魔法により気配を消した魔物達にこの王都は包囲されているのだ。
俺は深呼吸をして右手を前に出し、空中にいる小さな魔物達に命令を出す。
途端、鳥のような姿の魔物達が甲高い叫び声を上げ、一斉に急降下する。
同時に俺は魔物達の気配を消していた魔法を解いた。
数は多いが弱い魔物達だ。訓練を受けた兵士なら難なく突破できるはず。
突然の魔物の来襲に驚く民衆を、俺は冷静に見下ろした。
逃げ惑う人間達。一拍遅れて剣を抜く兵士達。
兵士が剣を振るが、魔物はひらりと身をかわす。鉤爪による反撃を彼らはどうにか盾でいなす。そんな光景があちらこちらで見受けられ、魔物の猛攻に耐え切れずに膝をつく兵士もいた。遅れて増援が到着するが、結果は似たようなもの。
自分が原因で人々が傷つき倒れていく。その下に赤い染みが広がっていても大して感慨は湧かなかった。彼らが所詮創造物だという認識があるのか、これが俺の本来の性質なのか。まあ両方か。
だがそれとは無関係な理由で俺は眉をひそめ、倒れた人間には無用な追撃をしないように指示を出した。
彼らにはまるで練度が足りていない。魔物への対策をまるでとっていなかったのか。これでは意図せず壊滅的な打撃を与えてしまうかもしれない。
指示のおかげで死者はあまり出ていないが、それでも大通りは赤く染まりつつある。
それに対し、魔物達の方は大きく数を減らしてはいない。
これは少しまずいかもしれない。作戦を変更すべきだろうか。
そう俺が考えていると、遼也からの連絡が入った。
『蓮斗、魔物の襲来が王に伝わった。直属の騎士達と一緒に向かってるから、それまで持ちこたえさせて。魔王の存在を知らしめるチャンスだ』
「了解」
小声で応答する。
同時に魔物に指示を出し、不自然ではない程度に少し散開させた。
魔物の数が減った中心部から、けが人が急いで運び出されていく。
それを見計らって再び魔物を集めようとした時、馬車の中から立派な服を着た青年が現れ、何かを叫びながら杖を掲げた。
「!」
一瞬で辺りが眩い閃光に包まれる。
魔法だ。
小さな魔物はその閃光に目がくらんで次々と墜落した。
動かなくなった魔物は、兵士達とその青年が止めを刺していく。
その間に馬車から豪奢な服を着た別の人間が護衛を伴ってひっそりと逃げ出していった。そちらが本物の貴族か。
戦っている青年を改めて観察すると、他の人間達より明らかに大きな魔力が感じられた。強大な魔導師のようだ。
なんだ、それなりに強い人間もいるじゃないか。
俺は口端を上げ、控えさせていた魔物を投入した。
先ほどと同じ鳥のような空の魔物と、犬のような小さな陸の魔物。
陸の魔物は王都の外から飛び込ませている。そのついでに何体かを途中の道に留まらせ、適当に暴れさせておく。
その様子を見て、魔導師の青年の魔法で喜びに沸いていた兵士達に焦りの色が広がる。
青年は兵士達を鼓舞するような動作をし、自らも杖を構える。兵士は一部は王都に散った魔物の許へ行き、残りは青年を守るように陣形を取った。
彼の先ほどの魔法は陸の魔物には効かない。彼はそれを理解しているらしく、違う魔法の詠唱を始めたようだ。しかしその詠唱を空の魔物が邪魔をする。その空の魔物をさらに兵士が追い払う。
彼らの戦いは立派だった。自分達の勝利を信じて魔物に抗っている。
だが無意味だ。残念ながらこれは負けイベントなのだよ。
魔物が減ってくると、俺はさらに新たな魔物を投入する。だんだんと強さを増すその魔物の大群に、疲れた彼らは太刀打ちできなくなってきていた。
そこに再び増援が現れ、戦いの中心に新たな騎士が一人が割り込んでいった。
その騎士の男が現れるだけで、俄かに兵士達の士気が上がる。よほど頼りにされている人物らしい。彼は魔導師の青年と短く言葉を交わし、それからは見事な連携で魔物に立ち向かっていった。
その男達から少し離れた後方には大勢の騎士に守られた人物がいる。高貴な衣装に身を包んだ男だ。逃げ遅れた民衆に声をかけたり、兵士達には中心で戦う二人の邪魔をしない範囲で指示を出しているようだ。
彼らの登場で緊迫した雰囲気が随分と薄れてしまった。早くも戦勝ムードである。ちなみに王都に散らばった魔物もすでに騎士や兵士達に討伐されている。
だが俺は一旦魔物の供給を止め、深呼吸する。
『蓮斗、王が到着した。そろそろ始めていいよ。あくまで悪役に徹してね』
「ああ、わかってる」
俺の出番がきた。
人類の脅威、最悪の魔王の誕生の時だ。
少しの間目を閉じ、事前に頭の中でシミュレートした筋書きを反芻。
小さく深呼吸をして心を決める。
作戦開始だ。
俺は気配を絶ったまま高度を少し下げ、右手を斜め下に向ける。
二人が戦っている辺りを中心に、轟音と共に突如中規模の爆発が起こった。
見た目ほど威力のある魔法ではない。だが周囲にいた兵士達は吹き飛び、中心付近にいた魔物は耐え切れずに消し飛んだ。
悲鳴が上がる。人間達は皆、何が起こったのか理解できずに騒然となっていた。
砂埃が収まり、中から現れたのは男と自分を結界魔法で包んだ青年。流石にこの程度では効かなかったか……と思ったが、彼は魔法を解くと同時に苦しそうに息をついた。おそらく魔力切れだろう。
騎士の男は青年をかばいつつ、周囲の様子を探っている。王は近くの兵士に何事かを指示し、彼らの元へ向かわせようとしている。
そんな彼らの前に、俺はふわりと降り立った。
「──よくぞ我がしもべたちを退けた。まずは見事と言っておこう」
傲慢、尊大な口調を心がけ、ゆっくりとした拍手も添えて俺は語る。
暗雲立ち込めた空の下、ついに魔王が人の元に姿を現した。
人の言語を話し、人に近い容姿をしているが、巻かれた角やとがった耳などを持つ、明らかに異質といえる存在。
急に気配を消すのを止めたので、周りからは俺が突然出現したように見えたはずだ。
人々は驚き、困惑の声を上げる。
「……何者だ」
騎士の男が剣を構えながら問う。最大級の警戒に、俺は目を細めた。
「我は、魔王だ」
「魔王……?」
俺の簡潔な名乗りに人間がざわめくが、それほど大きな反応はない。
それも当然か。今まで魔王という存在は現れていないのだから、誰もわからなくても仕方ない。
「あの魔物達はお前の仕業か? 何故ここを襲った」
間髪をいれずに、魔導師の青年から次の質問が飛ぶ。
会話は流石に事前のシミュレートでもカバーしきれない。唸れ俺のアドリブ力。苦手分野だが。
俺は内心の緊張を隠し、冷ややかな微笑みをたたえて答えた。
「何、あれはほんの挨拶代わりだよ。もっとも、貴様らには何の障害にもならなかったようだがな」
「挨拶だと……? 貴様、何のつもりだ! 何をしにここへ来た、その目的を言え!」
騎士が噛み付かんばかりに怒鳴りつけ、剣の切っ先をこちらに向けた。
俺の顔の僅か数センチ手前で輝く刃先。
少ないとはいえ死人も出たし、俺の行為が許せないのだろう。
俺は質問ばかりの騎士を冷たく見据え、手を伸ばす。
「身の程をわきまえろ。愚か者め」
「っ!」
衝撃波により数メートル吹っ飛ばされた騎士の姿に、兵士達が息を呑む。
別に彼は悪くないが、傲岸不遜な魔王は時に理不尽な暴力を振るうのだ。
壊れた馬車に激突し、木片の中に埋もれた騎士を見て、俺は鼻を鳴らす。
「ふむ、だが目的か。まあいいだろう。──最終目標は、この世界を我が手中に収めること。その足がかりとなるであろうこの町を見物しに来たというわけだ」
「世界を──?」
「ああ、いかにも。我は魔王。魔の眷属を統べる者。……古来魔物は各々が自らの力のみで生きてきた。しかし時代は変わった。我らにも秩序が必要なのだ」
俺が魔物を統べる王だと知った民衆が恐怖にざわめく。俺の言葉の後半など聞かずに逃げていく者も多い。
俺はその様子を横目で眺めながら、口の端を上げた。
「そこで我は、貴様らを真似て国を作ることにした。だが、今この世界の至る所には人間が蔓延っている。我らが王国を築くには、貴様ら人間の国が邪魔なのだよ」
「魔物の王……魔物の国を作るだと……!?」
「そうだ。……ああ、安心するがいい。貴様ら人間の国が無くなろうとも、多少は奴隷として生かしておいてやるさ。有用な者に限るがな」
『うわー、凄い悪役だねえ』
唐突に茶化すな遼也。お前は何をしているんだ。邪魔をしたいのか。
そう突っ込みたいのに口に出すことができず、もどかしい。
内心の葛藤を隠して冷笑を続ける俺に、馬車の瓦礫から脱出した騎士が、顔を赤くして再び怒鳴り上げた。
「貴様……! 妄言を吐くのもいい加減にしろ! そんなことが許されるわけがないだろう!」
「妄言とは心外だな。それに、何も貴様に許される必要などない。寧ろ許しを請うべきは貴様ら人間ではないか? 世界の癌どもが」
「っ! 何を、この──ッ!」
俺の挑発に乗り、騎士が剣を構えてこちらに飛び掛ってきた。
凄まじい勢いで振り下ろされた剣を、俺はひらりとかわす。
それも予想されていたのか二撃三撃と追撃が来るが、俺は難なく全てを見切る。
攻撃が途切れた一瞬の隙をつき、俺は鎖を創造し、魔法を使って彼を縛り上げた。
「身の程をわきまえろと言ったはずだが」
「くっ……、誰が貴様の言い分などをきくものか!」
鎖で拘束されたまま、態度だけは威勢のいい騎士。
まあ敵に簡単に屈しないその心は立派だとは思うが。
俺は肩をすくめ、辺りを見渡す。
「貴様の意見など求めてはいない。貴様らの長は……あの者か」
「! 待て、陛下に手出しはさせない!」
騎士達に守られる王を視線で捉え、ゆっくりとそちらに向かおうとしたが、魔導師の青年に行く手を阻まれる。
彼は杖を掲げて魔法を唱えようとするが、俺は手を軽く振り、収束する魔力を霧散させた。これも闇魔法のひとつだ。
青年は悔しげに顔をしかめ、詠唱の必要ない小さな魔法、火の矢や氷のつぶてなどを連発して俺を足止めしようとしてきた。俺は結界を張ってその全てを防ぐ。
その隙に王は騎士達に城へ退避するよう促されていたが、王は首を振って、青年をも手で制してこちらへと一歩を踏み出した。
青年は戸惑ったような顔をして攻撃を止め、不満げに一歩後ろへ下がった。
度胸のある国王は、真面目な顔で俺をしっかりと見つめている。俺は余裕の表情で見つめ返した。
王と王の対面。交渉スタートだ。




