2-9 勇者は真実を知る
敵意がない。
確かに俺は人間に対して憎む気持ちも争う気持ちもないが、魔王である以上人類に敵対的な態度はとっているつもりだった。
だがそんな内心を彼らに見抜かれていたというのか。
自らの血溜りに倒れ伏す俺を見据えながら、トルテは続けて語りだす。
「思えば、最初に会ったときからそうだった。普通に会話をして、僕達に応えて戦って、僕達はぼこぼこにされたけど、それだけだった。僕達は生きているし、敵だから排除するというよりは、戦うこと自体を楽しんでるようだった」
「……」
マジかよ。完全にバレている。
苦し紛れだとはわかっているが、俺も言葉を搾り出す。
「……そのようなことは、ない。ただ我が人間というものを見くびっていたにすぎない。敵として警戒するほどの存在ではない、と」
「だとしても、不自然な点はまだある。町を滅ぼしていたときも、戯れだという割には楽しんでるように見えなかった。それに町の破壊以外で人間はあまり死んでいないし、むしろ魔物の方がずっと犠牲が多い」
「セントリアの王都だって、襲撃の最初からお前が参加していればあっという間に滅びてただろうしな。本当に滅ぼす気なんてあったのかよ」
ファルスまで尋問に参加してきた。霞んだ視界で確認する。
最後の闇魔法をもろに喰らっていたのか、鎧も髪もボロボロだ。
だが体は問題なさそうだ。おそらくまた回復薬を飲んだのだろう。
「今回の戦いでも、やろうと思えば前みたいに僕達なんか簡単に倒せたはず。なのにそうしなかった。きっと、最初から僕達に勝つ気なんてなかったんだろ?」
確信を持った問いかけ。
もはや言い逃れはできない。
「…………」
だがそれ以前にもう俺の体力は限界だった。薄く目を開けているので精一杯だ。
と思えば、無理やり口に瓶から回復薬を流し込まれた。むせた。
何これ。拷問か。
死にかけても蘇生させられて尋問とかやめてほしい。
「──っ、だから、何だというのだ……! 言いたいことがあるならさっさと結論を話せ!」
拷問を受ける謂れなどない。
動くようになった血濡れの手で口元を乱暴に拭い、苛立ちのままに彼らを睨む。
流石は回復薬。体が随分と楽になった。もういいからさっさと死なせてほしい。
俺の睨みを受け、トルテは顔を引き締める。
そしてはっきりとした迷いのない口調で言い放った。
「貴方の真意を教えてほしい。真実を知らずに終わらせるなんて、嫌だから」
「……正気か?」
真意が知りたいだと。
俺は盛大に顔をしかめる。
討伐指令を受けた対象。先ほどまで死闘を繰り広げた相手。人類の敵である魔王を殺さずに真意を尋ねるなど、馬鹿げているとしか思えない。
「正気だからこそ、知りたいんです」
シルフィまで加勢した。
お前もかよ。
「我の魔王としての所業を理解して、それでいてなおそう望むのか」
「わかってるから。それとついでにその"我"ってのもやめろよ。演技なんだろ?」
「………………」
あれ、それもどこかで失敗していたのだろうか。
一体この三人にはどこまでバレているのだ。
もう全部何もかも駄目じゃないか。
「………………くそ、だからアドリブは苦手だと……」
どうやら俺は取り返しのつかない大失態を犯してしまったらしい。
自分の不手際を呪う。
小さく悪態をつき、右手で目を覆う。
その体勢のまま、俺は低い声で問いかける。
「……最終確認だ。ここで魔王を討てば、今後も何も知らないまま平和な日常を送ることができるだろう。だが……そうしない場合、命の保証はしかねるぞ」
「それでも、僕は真実が知りたい」
躊躇なく言い切るトルテ。
右手を離して他の二人を見るが、誰の目にも迷いは見られなかった。
俺は深く長いため息をつく。
これはもう俺の手には負えない。
すまない遼也。計画通りに終わらせることはできそうにない。
「……なら、俺に言えることは全て話そう。後悔するなよ」
演技をやめて諦め混じりにそう言うと、彼らは一様に頷いた。
もういい。どうにでもなれ。
* * *
ファルスが持っていた回復薬はごく少量でも凄まじい効果を発揮し、死に瀕していたはずの俺もある程度は動けるようになっていた。
だが死の淵から脱出したからか、思い出したように全身を痛みが苛む。
シルフィの治療を断り、自ら回復魔法をかけて最低限の治療をした。
傷を塞ぎ、血を補給する。左腕の欠損はせっかくなのでそのままにしておいた。どうせ左腕を生やしても衣装は復活しないし、せっかくなので。
右腕を支えに体を起こし、一気に立ち上がる。よし、問題なし。
中途半端に乾いた全身の血が気持ち悪かったので軽く水魔法で洗い落とす。
怪我が残っていたトルテ達にも回復魔法をかけておいた。
それから、万が一にも他の人間に盗聴されてしまっては困るので、周囲に結界を張りなおしておく。
おそらく長話になるので、ついでに少し離れた位置に椅子を4つとテーブルを創造した。流石に血溜りの上で会話をしたくはない。
もちろんテーブルにはいつもの紅茶が乗っている。
「さて、待たせたな。そろそろ話を始めようか。適当に座ってくれ」
俺はテーブルの方へ勇者達を促す。
だが彼らはただただ目を丸くするばかりだった。
「え、これは一体何が……?」
「魔法……? でも、魔力の残滓は全く」
「……それはいいから、まずは座れ」
創造は魔剣をつくるときに見せていたのだけれど、魔法か何かだと思われていたのかもしれない。まあ神の力だとは夢にも思わないだろうな。
再度の促しで言われるがまま椅子に座る彼らを確認して、俺も自分で創造した椅子の一つに腰掛ける。
左腕がないだけでその動作も慎重にせざるを得ず、少し面白かった。現実逃避であることは理解している。
崩れそうな謁見の間と、血溜りと、紅茶。凄いミスマッチだと思う。とりとめもなくどうでもいいことを考える。これも現実逃避だ。
ため息がこぼれる。
「とはいえ、何から話すか……。先に言っておくが、俺は説明が苦手だ。わかりやすさは期待するなよ」
予防線は張っておくが、それでも説明なんて俺にできる気がしない。
数秒考え、俺は頷いた。やっぱりやめよう。
「いや、こうしよう。聞きたいことがあるなら聞け。俺はそれに答える」
筋道を立てて最初から説明するのが苦手なら、相手に主導権を渡せばいいのだ。
いわゆる責任放棄だ。もう俺はどうでもいい。なるようになれ。
トルテ達は互いに顔を見合わせてから、おずおずと口を開く。
「じゃあ……。まず、貴方は本当に魔王なのか?」
「ああ、今の俺は確かに魔王だ。種族で言えば魔物だな」
「今の、というと?」
「……昔の俺は、別の世界に生きるただの人間だった。不慮の事故で死んだ後、魂だけこちらに渡り、魔王としての体を与えられた」
「──べ、別の世界!?」
ファルスが素っ頓狂な声を上げる。他の二人も唖然として俺を見つめる。
まあそうなるよな。俺も遼也に教えられるまで異世界の存在なんて考えもしなかった。
俺はのんびりと紅茶を口に含む。
「別にそれはどうでもいいだろう。この世界の人間ではなかったとだけ覚えていれば問題ない。説明が面倒だ」
「……お前って、意外と適当なんだな」
ファルスが半眼で言う。
いいじゃないか適当で。
「それで、貴方の本当の目的は何なんだ?」
トルテが真剣な目で問う。本題に入った。
俺は少し目を閉じて整理する。
「……世界の生態系を保つこと、だろうか。俺も再三言った事だが、人間が戦争を繰り返すせいで他の生き物に多大な影響が出ていたんだ」
「だから戦争をとめるために人間を滅ぼすということですか? でも滅ぼそうとしてるようには……」
シルフィが戸惑ったように言う。
俺は小さく首を振った。
「いや、それは魔王としての建前だ。人間も生態系の一部。増長を防ぐ必要はあるが、根絶させては元も子もないからな」
数が多すぎるので少し間引きはしたけれど。
そう言って俺は小さく息をつく。
「俺の役目は、人類に結束を与えること。無駄な戦争など起こさせないようにな。そのために俺は、お前達の共通の敵としてこの世界に君臨した」
「……人類のため……?」
呆然と呟くシルフィに、俺は苦笑する。
「まあ、そう捉えてくれても構わない。だが、そのために俺は人にとっての絶対悪でなければならない。国を襲って危機感を煽り、間引きを兼ねて町を破壊し、最後には結束した人類──お前達に倒されて、ハッピーエンド。それが筋書きだ」
「そんな……」
トルテはそう呟いて俯いた。
真実を知った彼らは神妙な顔をしていた。
「じゃあ……じゃあ、やっぱお前全然悪いやつじゃねーじゃんか」
ファルスが微かに声を震わせて言う。
俺は首を振った。
「いや、悪いやつでいい。実際に俺がやったことは許されるものではないだろう? 俺はお前達人間にとって敵。完全なる悪に違いないな」
「だから、倒せっていうのか……?」
「……そんなの……納得できません」
「別に、納得する必要はない。本来はお前達に話すべきではなかったことだしな。お前達は勇者の務めを全うすればそれでいいんだ」
「そっ、それは勝手すぎんだろ!」
「そうだな。魔王はいつも勝手だっただろう。勝手に現れ、勝手に暴れて、勝手に消える。それだけのことだ」
「……っ」
淡々と答えていくと、やがて彼らは何も言えなくなったようだった。
しんとした静寂が俺達を包む。
俺は何も言わず、最後の紅茶を味わう。
少し喋りすぎただろうか。だが、全て話さなければ彼らは納得しないだろう。
仕方がなかったのだ。
コトリ、と空のカップを置く音が思いのほか大きく響いた。
「そういうわけだ。理解したか? お前達を利用した形になるのは悪いが、俺はここで倒される必要がある。遠慮は不要だ。さあ、魔王を討て」
静かに言う俺に対し、返答はない。
暫しの静寂。
「──嫌だ」
ややおいて、そう声を絞り出したのはトルテ。
俺は眉をひそめる。それでは困るのだ。
「嫌ってなあ……。なら、俺は自ら命を断つ。それならいいだろう? その後で魔王を討伐したと人間達に報告すればいい」
「──だめだ!」
どう自害するかを考えながら立ち上がろうとすると、トルテに腕を掴まれた。
必死の表情で俺を見ている。
俺は舌打ちをしたい気分にかられた。
やはり真意を話したのは失敗だったか。
「……俺の話を聞いていたのか? 今更計画を中断するわけにはいかない」
「それでも、何も貴方が死ぬことなんてないじゃないか!」
「……。聞き分けがないやつだな。おい、放せ」
トルテはぶんぶんと首を振る。
シルフィもファルスも、トルテを引き剥がそうとはしてくれない。
俺は深くため息をついた。今日何度目のため息だろう。
左手で頭を抱えようとしたが、そういえば左腕はなかった。
この分だと、俺が彼らを無視して無理に自決したところで、きっと勇者達が魔王を倒したとは報告してくれないだろう。
もし魔王がどういう存在なのか、他の人間に知れ渡ってしまったらどうなるか。
少なくとも、これまで積み重ねたものがすべて台無しである。
それはなんとしてでも避けなければならない。
俺は静かに目を瞑り、心を決めた。
仕方がない。最終手段に出る。
俺は強引にトルテの腕を振り払い、立ち上がる。
俺を止めようとする彼らを、感情なく見据えた。
「どうしても聞かないなら、俺はお前達を殺さざるを得ない」
大魔法により周囲一帯を破壊しつくして俺も姿を消せば、傍目には相打ちになったように見えるだろう。
勇者は魔王との決戦の果てに、自らの命を犠牲にして世界を救うのだ。
俺は彼らを気に入っているし、できれば殺したくなかった。
しかし、もはやそうも言っていられない。
「お前達に罪はないが、目的のためだ。恨むなよ」
俺は彼らに右手を向け、静かに告げる。
彼らを殺し、城を消し、周囲を壊しつくす魔法。その魔力が右手に集まり、異常な魔力密度によって空間が歪むような錯覚を引き起こす。
彼らは顔を強張らせ、シルフィは必死に彼らの周りに結界を張る。
だが無駄だ。これはそんなもので防げる魔法ではない。
魔法を発動させようと手に力を込めかけた瞬間。
トルテが叫んだ。




