2-8 ついに魔王は倒される
トルテは輝きの薄い神器を振るう。
影でできた左腕に握る魔剣で軽く受けつつ、俺は魔力を剣に伝えた。
魔剣の刃が大きく燃え上がるが、流れる魔力に勘付いたのか、トルテは後ろに飛び退いていた。以前と同じ手は通用しないようだ。
俺は燃える魔剣をそのまま薙ぐ。炎の残滓が火球となり、トルテとその奥にいたシルフィを襲う。トルテはステップを踏んで避け、シルフィは結界で弾いた。
俺は魔力を素早く練り上げて闇魔法を連発する。
痛みと失血によりもはや集中も何もない状態でも、得意属性の闇魔法なら容易く扱える。火や氷などの属性を使うのも大して問題はない。
しかし苦手としている光魔法や創造はおそらくまともに使えないだろう。
さらに腕の欠損により、思い通りの動きができるかどうかすら怪しい状況。
戦い方の選択の幅はかなり狭まったが、これも制限プレイの一種だと考えれば、これはこれで楽しく思えてきていた。
飛来するシルフィの氷の矢に対し、俺も氷礫で応戦する。
衝突した二つの氷は空中で互いを砕き、小さな破片となって辺りに降り注いだ。
輝く氷の雨の中、小さい傷を作りながらトルテが俺へと斬りかかる。
神器の輝きが見えたので大きめに体をずらして避け、衝撃波の魔法で吹き飛ばす。彼はザッと音を立てて着地したかと思えば、再び俺との距離をつめてきた。
トルテの目の前に俺は炎の壁を作り上げる。彼は急停止し、魔力を纏わせた剣を振るう。すると魔法の炎の壁が両断され、炎はまもなく消滅した。
トルテの剣戟を魔剣で受けて力任せに薙ぎ払った後、俺は闇の球を周囲にいくつも浮かび上がらせる。
トルテとシルフィをホーミングするような軌道で放つが、トルテは魔力を帯びた剣で斬り、シルフィも結界で弾きつつ上手く誘導して闇の球同士を衝突させることで難を逃れた。
楽しい。
自然と俺の口が弧を描いていた。もはや傷の痛みは麻痺しつつある。
彼らは俺の攻撃を様々な手段で防ぎ、隙あらば俺に攻撃を加えようとしてくる。
こちらには現在いわゆる大幅なステータス低下補正がかかっているとはいえ、こうまで俺の戦いについてこられる彼らに、俺は内心で賞賛し、感謝していた。
だが現在はトルテとシルフィの二人だけが相手であるため、手数は少なく、今の俺でも容易く膠着状態に持ち込める。
寧ろファルスを先に倒してしまったのが少し悔やまれるか。これならシルフィに彼を回復させても良かったかもしれない。
どうせ最後には負けて終わる戦いだ。思う存分不利な条件を楽しんでも良かった。まあ後の祭りなのだが。
トルテの剣を魔剣で受け、力を込めて押し返す。
だが、いつまでも膠着状態でいるわけにもいかない。
ただでやられるつもりはないが、適度に隙を与えて戦況を変えるべきか。
そう思った俺は戦闘スタイルを少し変更することにした。
軽く後退してから、比較的時間をかけて魔力を練り上げる。
闇や炎や氷や雷、様々な属性の魔力を複合した魔弾を複数生成し、勇者達から少し狙いを外して撃った。
その魔弾は轟音を立てながら床に衝突し、拡散して消滅する。
隙が大きいが威力も高い魔法だ。当たったらひとたまりもないだろう。
再び魔力を集め、同じ魔法を今度は彼らを狙って撃つ。
威力の高さを把握した彼らは無理に弾いたり防いだりを試みることなく、大きめのマージンをとってかわす。
それを見ながら、散発的に、しかし連続で俺は魔弾を撃ち続ける。
時折着弾の余波で吹き飛ばされたり傷を負いながらも、トルテとシルフィは懸命にかわし続ける。
だが俺が魔力を練り上げている間にも、シルフィは少しずつ詠唱を進め、トルテは着々とこちらに近づいていた。
次に魔弾を撃ったとき、シルフィはそれを避けながら杖を俺に向けた。
その杖から飛び出してきたのは雷。雷でできた眩い一匹の大蛇。
瞬く間に迫る大蛇に備えて、俺は強めの結界を張る。
激しい雷鳴を伴って大蛇は結界に衝突し、眩い光を発しながら形を失う。
強すぎる雷光が辺りを包み、俺の視界は真っ白になった。
しまった。これは目眩ましか。
光の直撃を受けてしまった目を瞬くが、なかなか視力が復活しない。
これはまずい。トルテはどこだ。
使えない目は閉じ、痛みで霞む頭を叩き起こして気配を探る。
思わず舌打ちをした。目の前だ。
今まさに振り下ろされようとしていた神器の前に魔剣を滑り込ませ、どうにかいなすことには成功した。
しかし体勢が悪く、俺は勢いに負けて小さくよろめいてしまう。
まずい、と思ったが、何故かトルテから追撃がこない。
少し復活してきた視力でトルテを捉えたとき、彼は俺の方を向いて、──いや、俺の後ろを見て、口を開いた。
「──今だっ!」
ばっと振り向くと、俺の背後から赤い刃が飛来していた。
俺は目を瞠って咄嗟に飛び退こうとするが、焦ってバランスをくずし、よろめいてしまった。飛んできた刃は俺の右肩を軽鎧ごと抉ってその場に落ちた。
新たな痛みに眉をひそめ、何が起こったのか把握するよりもまず距離をとろうと後退するが、一瞬魔力の波動を感じた直後、体が何かにぶつかった。
見えない壁に囲まれているようだ。
これは、結界か。
ほぼ条件反射的に結界に闇の魔力を浸透させながら、俺は状況の把握を試みる。
俺に飛んできた赤い刃は、俺が先ほど手放した魔剣だろう。
それを投げたのは、トルテでもシルフィでもない。
俺の魔法が直撃して倒れていたはずのファルスだ。
だが、何故動ける。
シルフィもトルテも倒れた彼には近寄っていないのに、どうやって回復した。
「ファルス!」
「おうよッ!」
彼はトルテの呼びかけに応え、光る小瓶を投げ渡した。
トルテは小瓶を受け取り、中の液体を一気に飲み干す。
すると、彼の持つ神器が一気に輝きを増した。
ハッとした。
小瓶。薬。そうだ、薬だ。
それに気がつき、俺は笑い出しそうになった。
何てことはない。彼はいわゆる回復アイテムを使ったのだ。
戦闘中のアイテムの存在など、俺は全くもって念頭においていなかった。
おそらくはこの魔力の浸透が遅い結界も道具によるもの。
俺の意識から外れたファルスは、自らを薬で回復し、俺を閉じ込めるための結界を準備していたのだろう。
そして、結界を確実に発動させるため、背後から魔剣を投げて俺の意識を一瞬逸らしたのだ。
してやられてしまった。
まったく、ラスボス戦でアイテムなんか使うかよ。
結界をやっとの思いで無力化したが、その時にはもうトルテが眩く輝く神器を振り下ろそうとしていた。
おそらく避けることはできないだろう。
腕をもう一本犠牲にすれば凌げるかもしれないが、やめておく。
もうそろそろいいだろう。
終わりにしよう。
俺は誰にも気付かれぬように口に小さく笑みを作り、俺は右手を前に出した。
そして魔力を凝縮し、今までで一番大きな闇の塊を作り出す。
「ゴルゴンゾーラ────ッ!!」
トルテは俺の名を叫びながら、強く輝く神器を振り下ろした。
俺は最後の悪あがきとばかりに闇の塊を爆発させるが、力を解放した神器の前では何の障害にもならない。
眩き閃光は闇を切り裂き、魔王へと渾身の一太刀を浴びせた。
赤い血と白い閃光が視界を覆う。
急激に力を失った俺は、その場に崩れ落ちた。
少し、気を失っていただろうか。
目を開けると、俺は血溜りの中に沈んでいた。
俺が張った結界は解けてしまっていて、最後の魔法の余波か、玉座の間は今にも崩れそうな惨状になっている。
また、俺の体は動かそうとしてももうほとんど力が入らない。
傷を見なくてもわかる。もうすぐ俺は死ぬ。
そんな状況だというのに、不思議と清々しい気分である。
明らかな致命傷を負うともはや痛みを感じなくなるというのはどうやら本当だったらしい。
すぐ傍に落ちていた魔剣をどうにか右手で拾い、血溜りに突き立てて無理やり上体を起こしてみた。
だがやはりこれ以上は無理だ。
俯いてただ浅い息を繰り返すことしかできない。
ぺちゃり、と液体を跳ね上げる音が聞こえる。
視線を動かすと、勇者がすぐ傍で俺を見下ろしていた。
何を考えているのかわからない表情で、ただ見下ろすだけ。
「…………ここまでの、ようだな」
黙ったままの勇者に代わり、俺は口を開く。
いつぞやとは立場が逆転したこの状況に、ただ薄く笑みを浮かべた。
「見事だ……。よくぞ、我を打ち斃した。人間の勇者よ」
俺は勇者を賞賛する。
力を制限していたとはいえ、彼らは俺を倒した。
強かった。いい戦いだった。見事としか言いようのない結果だ。
「これで我らの野望は潰え、人間の繁栄を脅かす存在は消え失せる……。残念だがこれも摂理、仕方あるまい。……誇れ、貴様らは魔王に勝ったのだ」
だが、勇者は喋らない。
感情の読めない目で、俺をただ見つめている。
「……」
「……」
俺の浅い息だけが静寂を満たす。
魔剣を掴む手に力が入らなくなってきた。そろそろ限界かもしれない。
「……さあ、殺せ。貴様の手で、とどめ、を…………」
勇者の顔が歪んだ気がした。
もう声にも力が入らない。
どうにか起こしていた上体が、やがて左側からずるずると落ちていき、床につきたてていた魔剣を伴い、血を跳ね上げて再び倒れた。
ここまでだ、と悟った。
最後は普通の失血死か。どうにもパッとしない気がするが、まあいいか。
焦ったようにこちらに手を伸ばすトルテを見たのを最後に、俺は目を閉じた。
だが、死は訪れない。
それどころか、先ほどよりも少しだけ意識が覚醒した。
訝しんで目を開けた先に見えたのは、血溜りにしゃがみこみ、俺の腹の傷に手を当てているトルテ。
「──何を、している」
低い声が出た。
覚醒した俺を確認したトルテは、安堵したような顔をしつつも、俺の腹の傷から手を離そうとしない。
そこで、明らかに致命傷だったであろう腹の傷が、少しずつ塞がろうとしていることに気付いた。
意味がわからないが、信じられないが、これは明らかに。
俺は勇者に治療されてしまったようだ。
「答えろ。何の真似だ」
俺は勇者の腕を掴んで魔法を中断させ、詰問する。
トルテは困ったような目で俺を見た。
そんな顔をされても困るのは俺だ。
妙な睨み合いの末、トルテはぽつりと呟いた。
「……貴方は、何故死のうとするんだ」
「何を──」
突然の言葉に俺はうろたえる。
何を言っているのか。こんな展開はシミュレートしていない。
「……それは違うな。戦いの末、我は貴様らに敗北した。それだけだ」
「……」
明らかに納得のいっていない表情だ。
ため息をつきたくなるが、どうにか抑えて彼の腕を離す。
少し余命が延びたとはいえ、致命傷は致命傷か。動くのは辛い。
「そのようなことはどうでもいいだろう。情けは不要だ。さあ、早く止めを刺せ」
「ほら、やっぱり死のうとしているじゃないか」
「戯言を抜かすな。これは互いの命を懸けた決戦だ。今更反故にする気か」
とどめを刺せと再三にわたって迫るが、しかし勇者は動かない。
俺はため息をついた。
まったく、勘弁してくれ。
せっかく上手く勇者に勝たせることができたと思ったのに。
これでは意味がないではないか。
「何だ、何が望みだ。……まさか、石化の呪いの解き方か? あれも所詮は呪い。北の聖なる泉に数日浸せばそれでいい」
そういえば伝えるのを忘れていた。
北の泉には石化の魔法を凌駕する聖なる力を遼也が加えたのだ。
このような形で伝えることになるとは思わなかったが。
しかし彼は首を振る。
「……違う、そういうことじゃないんだ。貴方は──」
彼は一旦言葉を切る。
そして暫し俺を見つめて、口を開いた。
「僕がずっと貴方に抱いていた違和感の正体がやっとわかった。……貴方は魔王だと名乗って、町を滅ぼしたり、僕達と戦ったり、色々したけれど──」
目と目が合う。
トルテの真剣な目に、俺は内心で身構える。
「──貴方は、僕達人間に、"敵意"を持っていないんだ」
「なっ──」
予想だにしない彼の言葉に、俺は瞠目するしかなかった。




